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  • 塔研21 04月号 2–7ページ
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  • 「その歩みに……しっかり付いて」いく
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2021
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2021
塔研21 04月号 2–7ページ

研究記事14

「その歩あゆみに……しっかり付ついて」いく

「キリストでさえ皆みなさんのために苦くるしみ,その歩あゆみに皆みなさんがしっかり付ついてくるよう手て本ほんを示しめしました」。ペテロ第だい一いち 2:21

13番ばんの歌うた キリストは私わたしたちの手て本ほん

何なにを学まなぶかa

1. イエスが足跡を残しながら歩いている。2. 現代の男性が,イエスが残した足跡に自分の足を合わせて歩いている。

イエスは,私わたしたちがしっかり付ついていけるように“足あし跡あと”を残のこしてくれた。(1-2節せつを参さん照しょう。)

1-2. ペテロ第だい一いち 2章しょう21節せつの言こと葉ばを理り解かいする上うえで,どんな例たとえが役やく立だちますか。

雪ゆきに覆おおわれた危き険けんな山やま道みちを何なん人にんかで歩あるいているところを想そう像ぞうしてみてください。経けい験けん豊ほう富ふなガイドが先せん導どうしてくれています。ガイドが歩あるくと,雪ゆきの上うえに足あし跡あとが残のこります。ところが,ガイドの姿すがたが見みえなくなってしまいます。それでも,パニックになることはありません。あなたもほかの人ひとたちもガイドの足あし跡あとにしっかり付ついていきます。

2 真しんのクリスチャンである私わたしたちは,邪じゃ悪あくな世せ界かいという危き険けんな山やま道みちを歩あるいています。しかしありがたいことに,エホバは完かん璧ぺきなガイドを付つけてくれました。独ひとり子ごイエス・キリストです。私わたしたちはその歩あゆみにしっかり付ついていくことができます。(ペテ一いち 2:21)ある参さん考こう文ぶん献けんによると,ペテロはここでイエスをガイドに例たとえています。ガイドが歩あるく時ときに足あし跡あとを残のこすように,イエスも私わたしたちが付ついていけるように“足あし跡あと”を残のこしてくれました。では,イエスの歩あゆみに付ついていくとはどういうことでしょうか。そうすべきなのはなぜですか。どうすればそうできるでしょうか。1つずつ考かんがえていきましょう。

イエスの歩あゆみに付ついていくとはどういうことか

3. 誰だれかの歩あゆみに付ついていくとはどういうことですか。

3 誰だれかの歩あゆみに付ついていくとはどういうことでしょうか。聖せい書しょでは,「歩あゆむ」や「歩あるく」という言こと葉ばが人ひとの生いき方かたを指さして使つかわれることがあります。(創そう 6:9。格かく 4:26)それで,誰だれかの歩あゆみに付ついていくとは,その人ひとに倣ならい,その人ひとと同おなじことをするということです。

4. イエスの歩あゆみに付ついていくとはどういうことですか。

4 では,イエスの歩あゆみに付ついていくとはどういうことでしょうか。簡かん単たんに言いえば,イエスの手て本ほんに倣ならうということです。主しゅ題だい聖せい句くで使し徒とペテロは,イエスが苦くるしみを忍にん耐たいする点てんで素す晴ばらしい手て本ほんを示しめしたことについて述のべています。とはいえ,イエスに倣ならえる点てんはほかにもたくさんあります。(ペテ一いち 2:18-25)イエスの生しょう涯がい全ぜん体たい,イエスが言いったことや行おこなったこと全すべては,私わたしたちが倣ならうべき手て本ほんなのです。

5. 不ふ完かん全ぜんな人にん間げんでも,イエスの完かん璧ぺきな手て本ほんに倣ならうことができますか。

5 完かん全ぜんではない私わたしたちがイエスの手て本ほんに倣ならうことなどできるのでしょうか。できます。ペテロが私わたしたちに勧すすめたのは,「[イエス]の歩あゆみに……しっかり付ついて」いくことです。完かん璧ぺきに付ついていくことではありません。不ふ完かん全ぜんな人にん間げんでも,ベストを尽つくしてイエスの歩あゆみにしっかり付ついていくなら,使し徒とヨハネの次つぎの言こと葉ばに従したがっていることになります。「その方かた[イエス]が歩あゆんだ通とおりに歩あゆんでいかなければなりません」。(ヨハ一いち 2:6)

イエスの歩あゆみに付ついていくべきなのはなぜか

6-7. イエスの歩あゆみに付ついていくならエホバといっそう親したしくなれる,と言いえるのはなぜですか。

6 エホバといっそう親したしくなれる。そう言いえるのはなぜですか。第だい一いちに,イエスは神かみに喜よろこばれる生いき方かたをする点てんで素す晴ばらしい手て本ほんを示しめしたからです。(ヨハ 8:29)それで,イエスの歩あゆみに付ついていくなら,エホバに喜よろこんでいただけます。そして,天てんのお父とうさんエホバは,ご自じ分ぶんと親したしくなろうと努ど力りょくする人ひとたちの友ともになってくださるのです。(ヤコ 4:8)

7 第だい二にに,イエスはお父とうさんエホバに完かん璧ぺきに倣ならったからです。それでイエスは,「私わたしを見みた人ひとは,父ちちをも見みたのです」と言いうことができました。(ヨハ 14:9)例たとえばイエスは,重おもい皮ひ膚ふ病びょうにかかっていた人ひとや,つらい病びょう気きに苦くるしんでいた女じょ性せいをかわいそうに思おもって憐あわれみを示しめし,家か族ぞくを亡なくした人ひとたちに思おもいやりを示しめしました。こうしたイエスの性せい質しつや人ひとへの接せっし方かたに倣ならうなら,エホバに倣ならっていることにもなります。(マル 1:40,41; 5:25-34。ヨハ 11:33-35)エホバの性せい質しつに倣ならえば倣ならうほど,エホバといっそう親したしくなれるのです。

8. イエスの歩あゆみに付ついていくなら,世よを「征せい服ふく」することができます。そう言いえるのはなぜですか。

8 邪じゃ悪あくな世せ界かいに気きをそらされないように守まもられる。イエスは亡なくなる前まえの晩ばん,次つぎのように言いうことができました。「私わたしは世よを征せい服ふくしたのです」。(ヨハ 16:33)これはつまり,世よの人ひと々びとの考かんがえ方かたや目もく標ひょうや行こう動どうに影えい響きょうされないようにしたということです。イエスは,自じ分ぶんが地ち球きゅうに遣つかわされたのは,エホバの名なの立りっ証しょう,つまり名めい誉よの回かい復ふくのためである,ということを決けっして見み失うしないませんでした。私わたしたちの場ば合あいはどうでしょうか。この世せ界かいには,私わたしたちの気きをそらすものがたくさんあります。しかしイエスのように,エホバが望のぞむことを行おこなうことにいつも思おもいを向むけているなら,私わたしたちも世よを「征せい服ふく」することができます。(ヨハ一いち 5:5)

9. 永えい遠えんに生いきるためには,何なにをする必ひつ要ようがありますか。

9 永えい遠えんに生いきることができる。イエスは,裕ゆう福ふくな青せい年ねんから,永えい遠えんの命いのちを得えるために何なにをする必ひつ要ようがあるかを尋たずねられた時とき,「来きて,私わたしの弟で子しになりなさい」と答こたえました。(マタ 19:16-21)イエスがキリストであることを信しんじていないユダヤ人じんたちに対たいしては,こう言いいました。「私わたしの羊ひつじは……私わたしに付ついてきます。私わたしは彼かれらに永えい遠えんの命いのちを与あたえ[ます]」。(ヨハ 10:24-29)サンヘドリンのメンバーでイエスの教おしえに関かん心しんを持もつようになったニコデモに対たいしては,「独ひとり子ごに信しん仰こうを抱いだく人ひとが……永えい遠えんの命いのちを受うけられる」と言いいました。(ヨハ 3:16)私わたしたちは,イエスが言こと葉ばや手て本ほんで教おしえたことを実じっ行こうすることによって,イエスに信しん仰こうを抱いだいていることを示しめせます。そうすれば,永えい遠えんに生いきることができるのです。(マタ 7:14)

どうすればイエスの歩あゆみにしっかり付ついていくことができるか

10. イエスのことをもっとよく「知しる」ためには,何なにをする必ひつ要ようがありますか。(ヨハ 17:3)

10 イエスの歩あゆみにしっかり付ついていくためには,まずイエスのことを知しる必ひつ要ようがあります。(ヨハネ 17:3を読よむ。)イエスのことを「知しる」ためには,継けい続ぞく的てきに努ど力りょくしなければなりません。イエスの性せい格かくや考かんがえ方かたや価か値ち観かんについて,さらに多おおくのことを知しる必ひつ要ようがあるのです。エホバの証しょう人にんになってから何なん年ねんたっているとしても,エホバと独ひとり子ごイエスについて知しる努ど力りょくを続つづけるのは本ほん当とうに大たい切せつなことです。

11. 4つの福ふく音いん書しょには,どんな記き録ろくが収おさめられていますか。

11 エホバは,私わたしたちが独ひとり子ごイエスについて知しることができるように,4つの福ふく音いん書しょを与あたえてくださいました。そこには,イエスの人じん生せいや宣せん教きょう活かつ動どうについての記き録ろくが収おさめられています。その記き述じゅつを読よむと,イエスの言こと葉ばや行こう動どうや気き持もちを知しることができます。福ふく音いん書しょは,イエスの手て本ほんについて「よく考かんがえ」る助たすけになります。(ヘブ 12:3)そこには,イエスの“足あし跡あと”が残のこされているのです。それで福ふく音いん書しょを調しらべるなら,イエスのことをますますよく知しることができます。そして,イエスの歩あゆみにしっかり付ついていくことができます。

12. どうすれば福ふく音いん書しょから多おおくのことを学まなべますか。

12 福ふく音いん書しょから多おおくのことを学まなぶためには,ただ読よむだけでは十じゅう分ぶんではありません。時じ間かんを取とってよく研けん究きゅうし,深ふかく思おもい巡めぐらす必ひつ要ようがあります。(ヨシュア 1:8,脚きゃく注ちゅうと比ひ較かく。)福ふく音いん書しょを思おもい巡めぐらし,読よんだことを実じっ行こうする上うえで役やく立だつ,2つのアドバイスを考かんがえてみましょう。

13. 福ふく音いん書しょの記き述じゅつを生いき生いきと思おもい描えがくために,何なにができますか。

13 (1)福ふく音いん書しょの記き述じゅつを生いき生いきと思おもい描えがく。その場ばの様よう子すや音おと,登とう場じょう人じん物ぶつの気き持もちをイメージしてみましょう。エホバの組そ織しきが準じゅん備びしている出しゅっ版ぱん物ぶつで調ちょう査さをすることは役やく立だちます。学まなんでいる記き述じゅつの前ぜん後ごの文ぶん脈みゃくを考かんがえましょう。人じん物ぶつや場ば所しょなどに関かんする背はい景けい情じょう報ほうを調しらべることもできます。福ふく音いん書しょを比ひ較かくして類るい似じの記き述じゅつを調しらべてみましょう。ほかの福ふく音いん書しょにはない,興きょう味み深ぶかい情じょう報ほうが見みつかるかもしれません。

14-15. 福ふく音いん書しょの記き述じゅつから学まなんだ点てんを生せい活かつに当あてはめて実じっ行こうするために,何なにができますか。

14 (2)福ふく音いん書しょの記き述じゅつを生せい活かつに当あてはめて実じっ行こうする。(ヨハ 13:17)福ふく音いん書しょの記き述じゅつを注ちゅう意い深ぶかく学まなんでから,次つぎのように考かんがえましょう。「この記き述じゅつには生せい活かつの中なかで実じっ行こうできる点てんがあるだろうか。誰だれかを助たすけるためにこの記き述じゅつをどのように活かつ用ようできるだろうか」。特とく定ていの人ひとをイメージして考かんがえ,ふさわしい時ときに,学まなんだことを優やさしく上じょう手ずに伝つたえることができます。

15 これらの2つのアドバイスをどのように当あてはめられるか,考かんがえてみましょう。イエスが神しん殿でんで見み掛かけた,貧びん乏ぼうなやもめの記き述じゅつを調しらべます。

神しん殿でんに来きていた貧びん乏ぼうなやもめ

16. マルコ 12章しょう41節せつの記き録ろくから,どんな状じょう況きょうを思おもい描えがけますか。

16 記き述じゅつを生いき生いきと思おもい描えがく。(マルコ 12:41を読よむ。)状じょう況きょうをイメージしましょう。西せい暦れき33年ねんニサン11日にち,イエスが亡なくなる数すう日じつ前まえのことです。イエスは,この日ひのほとんどの時じ間かんを神しん殿でんで教おしえるために用もちいてきました。宗しゅう教きょう指し導どう者しゃたちは,何なにかにつけてイエスの邪じゃ魔まをしていました。イエスの権けん威いに言いい掛がかりをつける人ひとや,いろいろな質しつ問もんをして困こまらせようとする人ひとがいました。(マル 11:27-33; 12:13-34)その後ごイエスは,神しん殿でんの中なかの「女じょ性せいの庭にわ」と呼よばれる所ところへ移い動どうしたようです。その庭にわの壁かべ沿ぞいには,寄き付ふ箱ばこが幾いくつか置おかれていました。イエスは座すわり,人ひと々びとが寄き付ふ箱ばこにお金かねを入いれる様よう子すを眺ながめています。多おおくの裕ゆう福ふくな人ひとたちが,たくさんの硬こう貨かを入いれています。イエスは,その硬こう貨かが立たてるジャラジャラという大おおきな音おとが聞きこえるほど,寄き付ふ箱ばこの近ちかくにいたのかもしれません。

17. マルコ 12章しょう42節せつに出でてくる貧びん乏ぼうなやもめは,どんなことをしましたか。

17 マルコ 12:42を読よむ。しばらくして,1人ひとりの女じょ性せいがイエスの目めに留とまります。「貧びん乏ぼうなやもめ」です。(ルカ 21:2)この女じょ性せいは,とても苦くるしい生せい活かつを送おくっていて,生せい活かつ必ひつ需じゅ品ひんにも困こまっているようです。それでも,寄き付ふ箱ばこの所ところに行いき,小ちいさな硬こう貨か2枚まいをそっと入いれます。寄き付ふ箱ばこの中なかに落おちる音おとすら,しなかったことでしょう。イエスは,その女じょ性せいが寄き付ふ箱ばこに入いれた硬こう貨かがレプタ2枚まいであることに気き付づきます。それは,当とう時じ使つかわれていた最さい小しょう額がくの硬こう貨かです。2レプタでは,食しょく用ようの鳥とりの中なかでも最もっとも安やすい部ぶ類るいに入はいるスズメ1羽わを買かうことさえできませんでした。

18. マルコ 12章しょう43,44節せつによると,イエスはやもめの寄き付ふについて何なんと言いいましたか。

18 マルコ 12:43,44を読よむ。イエスは,このやもめがしたことに感かん動どうしました。それで,弟で子したちを呼よび,やもめに注ちゅう目もくさせてこう言いいます。「この貧まずしいやもめは……ほかの人ひとたち全すべてよりたくさん入いれました。皆みな[特とくに,裕ゆう福ふくな人ひとたち]は余あまっている中なかから入いれましたが,この女じょ性せいは乏とぼしい中なかから自じ分ぶんが持もつ全すべて,生せい活かつに必ひつ要ような全すべてのものを入いれたからです」。この忠ちゅう実じつなやもめが,自じ分ぶんが持もっているわずかなお金かねを全すべて寄き付ふ箱ばこに入いれたのは,エホバが世せ話わしてくださると信しんじていたからです。(詩し 26:3)

1. 1人の姉妹が,寄付箱に小さな硬貨2枚を入れた貧しいやもめについての聖書の記述を読み,その様子を思い描いている。2. その姉妹が,年配の姉妹と一緒に電話伝道を行い,励みとなる言葉を掛けている。

イエスに倣ならって,エホバのためにベストを尽つくしている仲なか間まの努ど力りょくを褒ほめましょう。(19-20節せつを参さん照しょう。)b

19. 貧びん乏ぼうなやもめについてのイエスの言こと葉ばから,どんな重じゅう要ようなことを学まなべますか。

19 生せい活かつに当あてはめて実じっ行こうする。貧びん乏ぼうなやもめについてのイエスの言こと葉ばから,何なにを学まなべるでしょうか。このやもめについて考かんがえてみましょう。この女じょ性せいは,エホバにもっとたくさん寄き付ふできたらどんなに良よいだろう,と思おもっていたことでしょう。それでも,エホバのためにできる限かぎりのことをしました。そしてイエスは,やもめの寄き付ふがお父とうさんエホバに高たかく評ひょう価かされていることを知しっていました。ここから大たい切せつな点てんを学まなべます。エホバは,私わたしたちが心こころを尽つくし,自じ分ぶんの全すべてを尽つくしてエホバに仕つかえる時とき,喜よろこんでくださいます。(マタ 22:37。コロ 3:23)私わたしたちができる限かぎりのことを行おこなうなら喜よろこんでくださるのです。伝でん道どうや集しゅう会かいなどの崇すう拝はいのために用もちいる時じ間かんやエネルギーについても,同おなじことが言いえます。

20. 貧びん乏ぼうなやもめについての記き述じゅつから学まなんだ点てんをどのように活かつ用ようできますか。

20 このやもめについての記き述じゅつから学まなんだ点てんをどのように活かつ用ようできるでしょうか。エホバが努ど力りょくを喜よろこんでくれていることについて話はなして慰なぐさめてあげたい人ひとが,誰だれかいませんか。例たとえば,年ねん配ぱいの姉し妹まいの中なかには,病びょう気きになったり体たい力りょくが落おちたりして,以い前ぜんのように奉ほう仕しができないために,後うしろめたく思おもったり,「自じ分ぶんは役やくに立たっていない」と感かんじたりしている人ひとがいるかもしれません。また,痛いたみを伴ともなう持じ病びょうがあって,全ぜん部ぶの集しゅう会かいに参さん加かできるわけではないため,がっかりしている兄きょう弟だいもいるかもしれません。そうした人ひとたちに「励はげましの言こと葉ば」を掛かけましょう。(エフェ 4:29)貧びん乏ぼうなやもめの記き述じゅつから学まなんだ励はげみとなる点てんを話はなしてあげられます。そうした言こと葉ばを聞きくと,私わたしたちができる限かぎりのことをするならエホバが喜よろこんでくださる,ということに思おもいを向むけられるかもしれません。(格かく 15:23。テサ一いち 5:11)どれほど小ちいさなことに思おもえるとしても,エホバのためにベストを尽つくしている仲なか間まの努ど力りょくを褒ほめるなら,イエスの歩あゆみにしっかり付ついていっていることになるのです。

21. この記き事じを学まなんで,どんなことをやってみようと思おもいましたか。

21 福ふく音いん書しょの中なかにイエスの生しょう涯がいについての詳しょう細さいな情じょう報ほうがたくさん収おさめられていることに,本ほん当とうに感かん謝しゃできます。そのおかげで,私わたしたちはイエスに倣ならい,イエスの歩あゆみにしっかり付ついていくことができます。福ふく音いん書しょを個こ人じん研けん究きゅうや家か族ぞくの崇すう拝はいのテーマにしてみるのはいかがですか。こうした研けん究きゅうから十じゅう分ぶんに学まなぶためには,記き述じゅつを生いき生いきと思おもい描えがき,生せい活かつに当あてはめて実じっ行こうする必ひつ要ようがあります。そして,イエスの行おこないに倣ならうだけでなく,イエスの言こと葉ばに耳みみを傾かたむける必ひつ要ようもあります。次つぎの記き事じでは,イエスが亡なくなる前まえに残のこした言こと葉ばについて考かんがえます。

どのように答こたえますか

  • イエスの歩あゆみに付ついていくとはどういうことですか。

  • イエスの歩あゆみに付ついていくべきなのはなぜですか。

  • どうすれば福ふく音いん書しょから多おおくのことを学まなべますか。

15番ばんの歌うた 神かみの初はつ子ごを賛さん美びしましょう

a 私わたしたちはクリスチャンとして,「[イエス]の歩あゆみに……しっかり付ついて」いく必ひつ要ようがあります。イエスは私わたしたちのためにどんな手て本ほんを示しめしましたか。私わたしたちがイエスの歩あゆみにしっかり付ついていくべきなのはなぜですか。どうすればしっかり付ついていけるでしょうか。この記き事じでは,こうした点てんを考かんがえます。

b 写しゃ真しんや挿さし絵え: 1人ひとりの姉し妹まいが,貧びん乏ぼうなやもめについてのイエスの言こと葉ばを思おもい巡めぐらしている。その後あと,自じ分ぶんの全すべてを尽つくしてエホバに仕つかえている年ねん配ぱいの姉し妹まいを褒ほめている。

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