ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • イ道 111章 256ページ–259ページ 6節
  • 使徒たちはしるしについて尋ねる

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 使徒たちはしるしについて尋ねる
  • イエス 道,真理,命
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 体制の終結における確信
  • 終わりの日のしるし
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1990
  • 『あなたの臨在のしるしには何がありますか』
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1994
  • 終わりの日における確信
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1990
  • 終わりの日のしるし
    これまでに生存した最も偉大な人
もっと見る
イエス 道,真理,命
イ道 111章 256ページ–259ページ 6節
イエスが4人の使徒たちからの質問に答えているところ

111章

使し徒とたちはしるしについて尋たずねる

マタイ 24:3-51 マルコ 13:3-37 ルカ 21:7-38

  • 4人にんの弟で子しがしるしについて尋たずねる

  • イエスが話はなしたしるしは1世せい紀きとそれ以い降こうに実じつ現げんする

  • 私わたしたちは注ちゅう意いを払はらっていなければならない

ニサン11日にち火か曜よう日びが暮くれていきます。イエスの地ち上じょうでの忙いそがしい活かつ動どう期き間かんにも終おわりが近ちかづいています。ここしばらくイエスは,昼ひるは神しん殿でんで教おしえ,夜よるはエルサレム市しの外そとに泊とまっていました。イエスは人ひと々びとの関かん心しんの的まととなり,「神しん殿でんでイエスの話はなしを聞きこうとして朝あさ早はやく来く」る人ひとも大おお勢ぜいいました。(ルカ 21:37,38)しかし,そうした日ひ々びも終おわりを迎むかえました。イエスは4人にんの使し徒とたち,ペテロ,アンデレ,ヤコブ,ヨハネと一いっ緒しょにオリーブ山やまに座すわっています。

4人にんは自じ分ぶんたちだけでイエスの所ところにやって来きます。神しん殿でんの石いしがこのまま石いしの上うえに残のこることはないという予よ告こくを聞きいて,神しん殿でんのことが気きになっているのです。でも,知しりたいことはほかにもあります。イエスは以い前ぜん,「用よう意いをしていなさい。思おもってもいない時じ刻こくに人ひとの子こは来くるからです」と言いいました。(ルカ 12:40)また,「人ひとの子こが現あらわれる日ひ」について話はなしたこともあります。(ルカ 17:30)そうした言こと葉ばも,神しん殿でんについて先さきほど聞きいた事こと柄がらと何なにか関かん係けいがあるのでしょうか。使し徒とたちは知しりたくてうずうずしています。それでイエスにこう頼たのみます。「教おしえてください。そのようなことはいつあるのでしょうか。そして,あなたの臨りん在ざいと体たい制せいの終しゅう結けつのしるしには,何なにがありますか」。(マタイ 24:3)

彼かれらは,目めの前まえに見みえている神しん殿でんが滅ほろびる時ときのことを考かんがえているようです。また,人ひとの子この臨りん在ざいについても質しつ問もんしています。きっと,「ある高こう貴きな生うまれの男だん性せいが,王おう権けんを確かく立りつして戻もどるため」に旅りょ行こうに出でた,というイエスの例たとえ話ばなしを思おもい出だしたのでしょう。(ルカ 19:11,12)さらに,「体たい制せいの終しゅう結けつのしるし」にも関かん心しんがあります。

イエスはそれらの質しつ問もんに詳くわしく答こたえながら,エルサレムと神しん殿でんが終おわる時ときを見み分わけるしるしを明あきらかにしていきます。しかし,そのしるしは,将しょう来らいのクリスチャンにとっても重じゅう要ようです。それらクリスチャンが,イエスの「臨りん在ざい」期き間かん中ちゅうに生いきており,地ち上じょうの体たい制せい全すべての終おわりが近ちかいことを識しき別べつする助たすけになるからです。

やがて,使し徒とたちはイエスの預よ言げんが実じつ現げんしていくのを目もく撃げきします。彼かれらが生いきている間あいだに,予よ告こくされていた多おおくのことが起おこり始はじめるのです。そのため,37年ねん後ごの西せい暦れき70年ねんに生いきているクリスチャンたちは,ユダヤ人じんの体たい制せいと神しん殿でんが滅ほろびる時ときに不ふ意いを突つかれることなく,準じゅん備びを整ととのえていることができます。とはいえ,イエスが予よ告こくしたこと全すべてが,西せい暦れき70年ねんとそれまでの期き間かんに実じつ現げんするわけではありません。では,イエスが王おう国こくの支し配はいを開かい始しして臨りん在ざいする時ときのしるしには,どんなものがあるのでしょうか。イエスは使し徒とたちの質しつ問もんに答こたえながら明あきらかにします。

イエスの予よ告こくによると,「戦せん争そうのことや戦せん争そうの知しらせ」があり,「国こく民みんは国こく民みんに,王おう国こくは王おう国こくに敵てき対たいして立たち上あが」ります。(マタイ 24:6,7)また,「大おおきな地じ震しんがあり,あちらこちらで食しょく糧りょう不ぶ足そくや流りゅう行こう病びょうがあります」。(ルカ 21:11)イエスは弟で子したちに,「人ひと々びとはあなたたちを捕とらえて迫はく害がい」する,とも警けい告こくします。(ルカ 21:12)さらに,偽にせ預よ言げん者しゃが現あらわれ,多おおくの人ひとを惑まどわします。不ふ法ほうなことが増ふえ,大たい半はんの人ひとの愛あいが冷ひえます。それからイエスは,「王おう国こくの良よい知しらせは,全すべての国くにの人ひと々びとが聞きけるように世せ界かい中じゅうで伝つたえられます。それから終おわりが来きます」とも話はなします。(マタイ 24:14)

イエスの預よ言げんのうち幾いくつかの点てんは,ローマ軍ぐんによってエルサレムが滅ほろぼされる時ときや,その滅ほろびが生しょうじるまでの期き間かんに実じつ現げんします。しかし,イエスの預よ言げんはずっと後あとの時じ代だいに,もっと大おおきなスケールで実じつ現げんします。では,この重じゅう要ような預よ言げんが現げん代だいに実じつ現げんしているという証しょう拠こがありますか。

イエスが自じ分ぶんの臨りん在ざいのしるしとして挙あげたものの1つに,「荒こう廃はいをもたらす極きわめて不ふ快かいなもの」の出しゅつ現げんがあります。(マタイ 24:15)西せい暦れき66年ねん,この極きわめて不ふ快かいなものはローマ人じんの「陣じん営えいを張はった軍ぐん隊たい」として出しゅつ現げんします。その軍ぐんには偶ぐう像ぞう視しされていた軍ぐん旗きがありました。ローマ軍ぐんはエルサレムを包ほう囲いし,城じょう壁へきの土ど台だいを崩くずし始はじめます。(ルカ 21:20)ユダヤ人じんの「聖せいなる場ば所しょ」に,立たってはならない「極きわめて不ふ快かいなもの」が立たっていたのです。

イエスはさらに,「世せ界かいの始はじめから今いままで起おきたことがなく,いえ,二に度どと起おきないような大だい患かん難なんがある」と予よ告こくします。西せい暦れき70年ねん,ローマ軍ぐんはエルサレムを滅ほろぼします。ユダヤ人じんの「聖せい都と」は神しん殿でんもろとも破は壊かいされ,何なん十じゅう万まんもの人ひとが殺さつ害がいされたため,まさに大だい患かん難なんとなります。(マタイ 4:5; 24:21)ユダヤ人じんとエルサレムの歴れき史し上じょう,これほど破は壊かい的てきな出で来き事ごとはありませんでした。それまで何なん百びゃく年ねんも続つづいてきたユダヤ人じんの崇すう拝はいの体たい制せいも終おわりを告つげます。ですから,イエスの預よ言げんが将しょう来らいもっと大だい規き模ぼに実じつ現げんする時とき,それは恐おそろしいものであるに違ちがいありません。

体たい制せいの終しゅう結けつにおける確かく信しん

イエスが王おうとして臨りん在ざいするしるしと,体たい制せいの終しゅう結けつのしるしについて,イエスは話はなし続つづけます。イエスは「偽にせキリストや偽にせ預よ言げん者しゃ」に振ふり回まわされないよう警けい告こくを与あたえます。彼かれらは,「できれば選えらばれた者ものたちをさえ惑まどわそう」とするでしょう。(マタイ 24:24)しかし,選えらばれた者ものたちは惑まどわされません。偽にせキリストは目めに見みえますが,イエスの臨りん在ざいは目めに見みえないのです。

イエスは,現げん在ざいの体たい制せいの終おわりに生しょうじる,もっと大だい規き模ぼな患かん難なんについてこう話はなします。「太たい陽ようは暗くらくなり,月つきは光ひかりを放はなたず,星ほしは天てんから落おち,天てんの力ちからは揺ゆり動うごかされます」。(マタイ 24:29)使し徒とたちはこうした予よ告こくを聞きいても,具ぐ体たい的てきに何なにが起おきるのか分わかりません。それでも,間ま違ちがいなく恐おそろしい時ときとなるでしょう。

そうした患かん難なんは人にん間げんにどんな影えい響きょうを与あたえますか。イエスはこう言いいます。「人ひと々びとは,世せ界かいを襲おそう事こと柄がらに対たいする恐おそれと予よ想そうから気きを失うしないます。天てんの力ちからが揺ゆり動うごかされるからです」。(ルカ 21:26)イエスの言こと葉ば通どおり,人にん間げんがこれまで経けい験けんしたことがないような悲ひ惨さんな時ときを迎むかえるのです。

イエスは,「人ひとの子こが力ちからと大おおきな栄えい光こうを帯おびて」来くる時ときに,全すべての人ひとが嘆なげくわけではない,と話はなして使し徒とたちを元げん気きづけます。(マタイ 24:30)イエスは,「選えらばれた者ものたちのために」神かみが行こう動どうを起おこすと述のべていました。(マタイ 24:22)では,イエスが話はなした衝しょう撃げき的てきな予よ告こくが実じつ現げんしていく時とき,忠ちゅう実じつな弟で子したちは何なにをすべきでしょうか。イエスはこう勧すすめます。「これらの事ことが起おき始はじめたら,真まっすぐに立たち,頭あたまを上あげなさい。あなたたちの救きゅう出しゅつが近ちかづいているからです」。(ルカ 21:28)

その期き間かんに生いきている弟で子したちは,終おわりが近ちかいことをどのようにして知しるのでしょうか。ここでイエスはイチジクの木きの例たとえを話はなします。「若わか枝えだが柔やわらかくなって葉はを出だすと,すぐに,夏なつが近ちかいことが分わかります。同おなじように,これら全すべてを見みたら,人ひとの子こが近ちかづいて戸と口ぐちにいることを知しりなさい。はっきり言いいますが,これら全すべてが起おきるまで,この世せ代だいは決けっして過すぎ去さりません」。(マタイ 24:32-34)

弟で子したちは,しるしのさまざまな特とく色しょくが実じつ現げんするのを見みる時とき,終おわりが近ちかいことに気き付づかなければなりません。イエスは,将しょう来らいその重じゅう要ような時じ代だいを生いきる弟で子したちに向むけてこう語かたります。

「その日ひと時じ刻こくについては誰だれも知しりません。天てん使したちも子こも知しらず,父ちちだけが知しっています。人ひとの子この臨りん在ざいの時ときはちょうどノアの時じ代だいのようになります。洪こう水ずい前まえのその時じ代だい,ノアが箱はこ舟ぶねに入はいる日ひまで,人ひと々びとは食たべたり飲のんだり,結けっ婚こんしたりしていました。そして,洪こう水ずいが来きて全すべての人ひとを流ながし去さるまで注ちゅう意いしませんでした。人ひとの子この臨りん在ざいの時ときもそのようになります」。(マタイ 24:36-39)イエスは話はなしを聞きいている人ひとたちに,地ち球きゅう全ぜん体たいに影えい響きょうを与あたえた,ノアの時じ代だいの大だい洪こう水ずいのことを思おもい起おこさせています。

オリーブ山やまでイエスの話はなしを聞きいていた使し徒とたちは,注ちゅう意いを払はらい続つづけなければならないと気き付づいたはずです。イエスはこう言いいます。「食たべ過すぎや飲のみ過すぎや生せい活かつ上じょうの心しん配ぱい事ごとで心こころが圧あっ迫ぱくされないよう注ちゅう意いしていなさい。そうでないと,その日ひが全まったく突とつ然ぜんに訪おとずれます。わなのようにです。その日ひは地ち上じょうの全すべての人ひとに訪おとずれます。それで,必かならず起おきるこの全すべての事ことを逃のがれて人ひとの子この前まえに立たつことができるよう,常つねに祈き願がんをしつつ,ずっと目めを覚さましていなさい」。(ルカ 21:34-36)

イエスはここ数すう十じゅう年ねんの間あいだに起おきる出で来き事ごとや,エルサレムの都と市しまたはユダヤ国こく民みんだけに影えい響きょうを及およぼす出で来き事ごとを預よ言げんしていたのではありません。もっとスケールの大おおきなこと,「地ち上じょうの全すべての人ひとに訪おとずれ」る変へん化かについて話はなしていたのです。

イエスは,弟で子したちが注ちゅう意いを払はらい,見み張はっていて,用よう意いを整ととのえていなければならないと教おしえます。そして,そのことを別べつの例たとえで強きょう調ちょうします。「1つのことを知しっておきなさい。家いえの主しゅ人じんは,泥どろ棒ぼうがどの夜や警けい時じに来くるかを知しっていたなら,目めを覚さましていて,家いえに押おし入いらせはしなかったでしょう。ですから,あなたたちも,用よう意いができていることを示しめしなさい。人ひとの子こは予よ期きしない時じ刻こくに来くるからです」。(マタイ 24:43,44)

イエスはここで,弟で子したちに心しん配ぱいし過すぎないでよい理り由ゆうを示しめします。それは,これまで話はなしてきた預よ言げんが実じつ現げんする時とき,注ちゅう意いを払はらいつつよく働はたらく「奴ど隷れい」がいる,ということです。イエスは使し徒とたちがイメージしやすい次つぎのような場ば面めんを話はなします。「主しゅ人じんが,時ときに応おうじて召めし使つかいたちに食しょく物もつを与あたえるため,彼かれらの上うえに任にん命めいした,忠ちゅう実じつで思し慮りょ深ぶかい奴ど隷れいはいったい誰だれでしょうか。主しゅ人じんが来きて,そうしているところを見みるなら,その奴ど隷れいは幸しあわせです! はっきり言いいますが,主しゅ人じんは自じ分ぶんの全すべての持もち物ものを管かん理りさせるためにその奴ど隷れいを任にん命めいします」。しかし,もしその「奴ど隷れい」が邪じゃ悪あくな態たい度どを表あらわし,他たの人ひとをひどい仕し方かたで扱あつかうなら,主しゅ人じんは「最もっとも厳きびしく彼かれを罰ばっし」ます。(マタイ 24:45-51。ルカ 12:45,46と比ひ較かく。)

イエスは,弟で子したちのあるグループが邪じゃ悪あくな態たい度どを示しめすようになると言いっていたのではありません。では,どんな教きょう訓くんを弟で子したちに残のこしたかったのでしょうか。それは,注ちゅう意いを払はらいつつよく働はたらくべきであるということです。そのことをさらに別べつの例たとえで教おしえます。

  • 弟で子したちが将しょう来らいの出で来き事ごとについて質しつ問もんするきっかけになったのはどんなことでしたか。その質しつ問もんをした時とき,弟で子したちはほかにもどんなことを考かんがえていたかもしれませんか。

  • イエスの預よ言げんが実じつ現げんし始はじめるのはいつですか。どのようにして実じつ現げんし始はじめますか。

  • キリストの臨りん在ざいの特とく徴ちょうとなるのは,どんな状じょう況きょうですか。

  • 「極きわめて不ふ快かいなもの」はどのようにして出しゅつ現げんしますか。その後のち,どんな出で来き事ごとが生しょうじますか。

  • イエスの預よ言げんが実じつ現げんするのを目もく撃げきする人ひとたちはどんな反はん応のうを示しめしますか。

  • 終おわりの時ときが近ちかいことを知しる方ほう法ほうについて,イエスはどんな例たとえを話はなしましたか。

  • イエスの預よ言げんが世せ界かい規き模ぼで実じつ現げんすると言いえるのはなぜですか。

  • 体たい制せいの終しゅう結けつが近ちかい時じ代だいに生いきる弟で子したちに,イエスはどんな大たい切せつな教きょう訓くんを与あたえましたか。

    日本語出版物(1953-2027)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2026 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする