-
『エホバ,憐れみと慈しみに富む神』ものみの塔 1998 | 10月1日
-
-
「本心に立ち返った時,彼は言いました,『わたしの父のところでは実に多くの雇い人にあり余るほどのパンがあるのに,わたしはここで飢きんのために死にそうなのだ。
-
-
『エホバ,憐れみと慈しみに富む神』ものみの塔 1998 | 10月1日
-
-
13 放とう息子は「本心に立ち返(り)」ました。この息子は,しばらくの間,まるで夢の世界で生活しているかのように,快楽の追求にふけっていたのです。しかし今や,自分の霊的な実状を痛感するようになりました。そうです,倒れたとはいえ,この青年にはまだ望みがありました。当人のうちに何かしら善いものが見いだされたのです。(箴言 24:16。歴代第二 19:2,3と比較してください。)今日,神の羊の群れから離れ去る人たちについてはどうでしょうか。それらの人はみな望みを断たれている,つまりどの人の場合もその反抗的な歩みは彼らが神の聖霊に対する罪を犯したことを示している,と結論するのは道理にかなったことでしょうか。(マタイ 12:31,32)必ずしもそうではありません。そのような人々の中には正道から外れた自分の歩みに悩み苦しむ人たちもいて,そのうちの多くはやがて本心に立ち返ります。ある姉妹は,神の組織から離れて過ごしていたころのことを,こう述べています。「一日といえエホバを忘れたことはありませんでした。いつかは何らかの方法で真理に連れ戻してくださるよう,いつも祈っていました」。―詩編 119:176。
-