15-16. イエスがいつも人のために力を使ったことが,どんなことから分かりますか。
15 不完全な支配者がイエスと同じ力を持ったら,その力を悪用してしまうかもしれません。でもイエスは決して罪を犯しませんでした。(ペテロ第一 2:22)不完全な人間は利己心や野心や貪欲さに駆り立てられ,自分の力を使って人を傷つけることがありますが,イエスはそんなことはありませんでした。
16 イエスはいつも,自分のためではなく人のために力を使いました。空腹の時にも,自分のために石をパンに変えようとはしませんでした。(マタイ 4:1-4)わずかな物しか持っていませんでしたから,自分の力を使って金もうけをしたりもしなかったことが分かります。(マタイ 8:20)イエスがいつも人のためを思って奇跡を行ったことは,ほかにどんなことから分かるでしょうか。奇跡を行うには,自己犠牲が必要でした。病気の人を治すと,イエスから力が出ていきました。たった1人を治しただけでも,イエスは力が出ていくのを感じました。(マルコ 5:25-34)それでもイエスは,大勢の人が自分に触れて癒やされるようにしました。(ルカ 6:19)自分のことよりも人のことを深く気遣っていたのです。
17. イエスが分別を持って力を使ったことが,どんなことから分かりますか。
17 イエスは分別を持って力を使いました。単に力を見せびらかすために,特に意味もなく奇跡を行うようなことはしませんでした。(マタイ 4:5-7)ヘロデの好奇心を満足させるためだけに奇跡を行おうともしませんでした。(ルカ 23:8,9)自分の力に人々の注意を引くどころか,癒やした人たちに誰にも言わないようにと指示することがよくありました。(マルコ 5:43; 7:36)世間をにぎわすようなうわさが広まって,それによって人々がメシアを信じるような事態を避けたかったのです。(マタイ 12:15-19)
18-20. (ア)イエスの力の使い方には何が表れていましたか。(イ)ある耳の聞こえない男性をイエスが癒やした方法について,あなたはどう思いますか。
18 イエスには力がありましたが,無情に権力を振るう支配者たちとは全く違っていました。そうした支配者は人が困っていたり苦しんでいたりしても気にしませんが,イエスは人を思いやりました。つらい境遇にある人たちを見ただけで胸を痛め,何とかしてあげたいという気持ちになりました。(マタイ 14:14)人々を助けるために,その人たちが何を思い,何を必要としているかを考え,優しく気遣いながら力を使いました。1つの感動的な例が,マルコ 7章31-37節に書かれています。
19 この時,大勢の人がイエスを見つけ,たくさんの病人を連れてきたので,イエスはその人たち皆を治しました。(マタイ 15:29,30)その際,1人の男性に特別な思いやりを示します。その人は耳が聞こえず,ほとんど話せませんでした。イエスは,その人がとても緊張し,落ち着かない様子なのに気付いたのでしょう。それで,思いやり深くその人を群衆から離れた場所に連れていきます。それから,自分が何をしようとしているのかがその人に伝わるようにしました。「指を男性の両耳に入れ,それから唾を掛けて,舌に触れ」ました。 (マルコ 7:33)そして,天を見上げて祈りつつ深く息を吐きました。いわばその人に,「これからあなたに行うことは神の力によります」と言っていたのです。最後にイエスは,「開かれよ」と言います。(マルコ 7:34)するとその人は聞こえるようになり,普通に話し始めます。
20 イエスは,神から与えられた力を使って病人を癒やす時に,相手の気持ちに寄り添って思いやりを示しました。そのことを考えると心を打たれます。そのように優しくて思いやり深い方がエホバによってメシア王国の王にされているので,本当に安心できます。