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読者からの質問ものみの塔 1988 | 9月1日
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その柱廊の中には,大勢の病人,盲人,足のなえた人,また体のなえた人などが横たわっていた。――
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読者からの質問ものみの塔 1988 | 9月1日
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前述のヨハネ 5章2節から9節の引用文の中に短い線の引かれている部分があります。線が引かれているその部分に,ヨハネ 5章4節と番号が付されて余分の文章が含まれている聖書もあります。その追加された部分は次のようになっています。「主のみ使いが季節ごとにその池の中に下りて来て,その水を揺らすからであった。その時,水が揺れた後に最初に入った者は,その患っていた疾病がどんなものであれ,それから治って健康になるのであった」。
しかし,新世界訳聖書を含め,現代の多くの聖書は,その節を削除しています。なぜでしょうか。なぜなら,ヨハネの福音書にその部分が含まれていたとはまず考えられないからです。エルサレム聖書の脚注には,「最も信頼できる証拠物件」はこの部分を省いていると述べられています。「最も信頼できる証拠物件」とは,シナイ写本やバチカン写本1209号(どちらも西暦4世紀のもの)のような古代のギリシャ語写本と,シリア語やラテン語の初期の版のことです。「解説者の聖書注解」という本は,『最良の聖書写本には4節がない』と述べた後,「それは一般に,人々がいやしの潜在的源とみなしていた,水の周期的な動揺を説明するために挿入された行間注と考えられている」と付け加えています。
ですから,聖書は,神のみ使いがベツザタの池で奇跡を行なったと実際に述べているわけではありません。では,水が揺れた時に奇跡的ないやしが起きたのでしょうか。今日だれも確かなことは言えません。病人や手足の不自由な人たちがその場所でいやされたという言い伝えが,どういうわけか出来上がっていたのかもしれません。いやしと思われる事柄に関する話が広まってしまい,いやされることを期待して重症の人たちがそこに集まるようになったのかもしれません。今でも,神によるいやしという確かな証拠が全くないのに,そうしたことが様々な場所で見られるのをわたしたちは知っています。
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