イエスはペレアを離れ,エルサレムから東に3㌔ほどの所にあるベタニヤの村の外れに来ます。マリアとマルタは兄弟ラザロを亡くしたばかりで悲しみに暮れています。大勢の人が2人を気遣うためにやって来ます。
マルタはイエスが来ていると知ると,イエスの所に急ぎ,「主よ,もしここにいてくださったなら,私の兄弟は死ななかったでしょう」と言います。マルタもマリアも,ラザロの死後4日間ずっとそのことを考えていたのでしょう。しかし,マルタは希望を捨てず,「あなたが求めるどんなことも神がかなえてくださると今でも信じています」と言います。(ヨハネ 11:21,22)イエスがラザロを助けてくれると思っているのです。
イエスは,「あなたの兄弟は生き返ります」と答えます。マルタは,アブラハムや他の人たちが抱いていた希望,つまり将来の地上での復活についてイエスが話しているのだと考えます。そして,自分がそれを信じていることを表し,「彼が終わりの日の復活の際に生き返ることは知っています」と言います。(ヨハネ 11:23,24)
とはいえ,イエスならすぐに助けることができるのではないでしょうか。イエスは神から死を制する力を与えられていることをマルタに思い出させ,こう言います。「私に信仰を抱く人は死んでも生き返ります。そして,生きていて私に信仰を抱く人は皆,決して死ぬことがありません」。(ヨハネ 11:25,26)
これは,その時生きている弟子たちが決して死なないという意味ではありません。イエスが話してきた通り,イエス自身も死にます。(マタイ 16:21; 17:22,23)しかし,イエスに信仰を抱くなら永遠の命が得られるのです。多くの人は復活後にその命を得ますが,この体制の終わりに生きている忠実な人たちの中には,決して死を経験しない人がいます。いずれにせよ,イエスに信仰を抱く人は皆,永遠の死を経験しないのです。
イエスは,「私は復活であり,命です」と言いましたが,死後4日たつラザロを助けられるでしょうか。イエスがマルタに,「このことを信じますか」と質問すると,マルタは,「はい,主よ。あなたがキリストで,神の子で,世に来ることになっていた方だと信じています」と答えます。マルタは,イエスがこれから何かしてくださるに違いないと思い,急いで家に戻ってマリアに,「先生が来ていて,あなたを呼んでいます」と言います。(ヨハネ 11:25-28)それを聞いてマリアは家を出ます。人々は彼女がラザロの墓に行くのだろうと思い,付いていきます。
ところがマリアはイエスの所へ行きます。そして,足元にひれ伏して泣き,マルタと同じように,「主よ,もしここにいてくださったなら,私の兄弟は死ななかったでしょう」と言います。マリアや大勢の人が泣いているのを見ると,イエスは深くうめいて苦悩し,涙を流します。それを見た人たちは,イエスがラザロを深く愛していたことを知ります。しかしある人たちは,生まれつき目が見えない男性を癒やしたイエスが,ラザロの死を防げなかったのだろうか,と言います。(ヨハネ 11:32,37)