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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2025
塔研25 03月号 8–13ページ

研究記事 10

31番ばんの歌うた 神かみと共ともに歩あゆむ

エホバとイエスに倣ならった考かんがえ方かたをする

「キリストは人にん間げんとして苦くるしんだのですから,皆みなさんもキリストと同おなじ精せい神しんを身みに着つけてください」。ペテロ第だい一いち 4:1

ポイント

使し徒とペテロはイエスの考かんがえ方かたから大たい切せつなことを学まなびました。私わたしたちはどんなことを学まなべますか。

1-2. (ア)エホバを愛あいするとはどういうことですか。(イ)イエスはどのようにエホバを愛あいしましたか。

「あなたは,心こころを尽つくし,力ちからを尽つくし,知ち力りょくを尽つくし,自じ分ぶんの全すべてを尽つくして,あなたの神かみエホバを愛あいさなければならない」。(ルカ 10:27)イエスはこれがモーセの律りっ法ぽうの中なかで一いち番ばん大たい切せつなおきてだと分わかっていました。私わたしたちは心こころを尽つくしてエホバを愛あいします。それには私わたしたちの感かん情じょう,願ねがい,気き持もちが関かかわっています。また,自じ分ぶんの持もつエネルギーを使つかい,力ちからを尽つくしてエホバを愛あいします。さらに,知ち力りょくを尽つくしてエホバを愛あいします。そのためにはどんな考かんがえ方かたをするかが大たい切せつです。エホバを愛あいしている人ひとはエホバに倣ならった考かんがえ方かたをしたいと思おもっています。もちろん,私わたしたちはエホバの考かんがえを完かん全ぜんにつかむことはできません。でも「キリストの考かんがえ」を学まなぶなら,理り解かいを深ふかめていくことはできます。イエスはいつもお父とうさんエホバと同おなじ考かんがえ方かたをしていたからです。(コリ一いち 2:16と注ちゅう釈しゃく「私わたしたちはキリストの考かんがえを知しっています」の項こう目もく。)

2 イエスは知ち力りょくを尽つくしてエホバを愛あいしました。エホバが自じ分ぶんにどんなことを望のぞんでいるかを知しっていて,その通とおりに行こう動どうする決けつ意いでいました。たとえ苦くるしむことになったとしてもです。イエスはいつもエホバに喜よろこばれる生いき方かたをすると心こころに決きめていて,ぶれずにその生いき方かたを貫つらぬきました。

3. ペテロはイエスから何なにを学まなびましたか。クリスチャンにどんなことを勧すすめましたか。(ペテロ第だい一いち 4:1)

3 ペテロと使し徒とたちは,イエスと一いっ緒しょに過すごしてイエスの考かんがえ方かたをじかに学まなびました。ペテロは聖せいなる力ちからに導みちびかれて書かいた手て紙がみの中なかで,キリストと同おなじ精せい神しんを身みに着つけるよう勧すすめました。a (ペテロ第だい一いち 4:1を読よむ。)ここでペテロが使つかった「身みに着つけ[る]」に当あたるギリシャ語ごは,兵へい士しが戦たたかいの装そう備びをすることを意い味みする軍ぐん事じ用よう語ごです。クリスチャンがイエスの精せい神しんつまり考かんがえ方かたに倣ならうなら,強きょう力りょくな武ぶ器きを身みに着つけられるということです。その武ぶ器きがあれば,悪わるいことをしたいという欲よく望ぼうや,サタンの世せ界かいと戦たたかうことができます。(コリ二に 10:3-5。エフェ 6:12)

4. ペテロのアドバイスに従したがうためにこの記き事じではどんなことを学まなびますか。

4 では,イエスの考かんがえ方かたを調しらべ,どうすればそれに倣ならえるかに注ちゅう目もくしましょう。イエスの手て本ほんから,(1)エホバの考かんがえ方かたに倣ならうこと,(2)謙けん虚きょでいること,(3)健けん全ぜんな考かんがえ方かたをすることについて学まなびます。

エホバの考かんがえ方かたに倣ならう

5. ペテロはどんな時ときにエホバと同おなじ考かんがえ方かたができませんでしたか。

5 ペテロはエホバと同おなじ考かんがえ方かたができなかったことがありました。イエスは使し徒とたちに,自じ分ぶんがエルサレムに行いき,宗しゅう教きょう指し導どう者しゃたちに引ひき渡わたされ,苦くるしみに遭あい,最さい後ごには死しぬことになると伝つたえました。(マタ 16:21)でも,ペテロはそのことを受うけ入いれにくく感かんじました。イエスはイスラエルが希き望ぼうを懸かけていた約やく束そくのメシアでした。そのイエスが殺ころされるのをエホバが許ゆるすことなど,信しんじられませんでした。(マタ 16:16)それでイエスを脇わきに連つれていき,「主しゅよ,自じ分ぶんを大たい切せつにしてください。決けっしてそのような目めには遭あいません」と言いいました。(マタ 16:22)ペテロの考かんがえ方かたはイエスの考かんがえ方かたと違ちがっていました。エホバの考かんがえに自じ分ぶんを合あわせていなかったからです。

6. イエスがエホバと同おなじ考かんがえ方かたをしていた,といえるのはどうしてですか。

6 イエスはいつもお父とうさんエホバと同おなじ考かんがえ方かたをしていました。イエスはペテロにこう言いいました。「私わたしの後うしろに下さがれ,サタン! あなたは私わたしの邪じゃ魔まをしています。神かみの考かんがえではなく,人にん間げんの考かんがえを抱いだいているからです」。(マタ 16:23)ペテロはイエスのことを思おもってアドバイスしていました。でも,イエスはペテロの言こと葉ばをはねつけました。イエスが楽らくな生いき方かたをすることは,エホバの願ねがいではなかったからです。ペテロは自じ分ぶんの考かんがえを神かみの考かんがえに合あわせなければいけないことを学まなびました。

7. ペテロがエホバの考かんがえに合あわせようとしたことはどんなことから分わかりますか。(挿さし絵えを参さん照しょう。)

7 やがて,ペテロは自じ分ぶんの考かんがえをエホバの考かんがえに合あわせられるようになりました。それが分わかるのは,割かつ礼れいを受うけていない異い国こく人じんにもエホバに仕つかえる扉とびらが開ひらかれた時ときのことです。ペテロは,異い国こく人じんのコルネリオの所ところに行いって真しん理りを伝つたえるようにと指し示じされます。ユダヤ人じんは異い国こく人じんとはほとんど交こう流りゅうを持もたなかったので,ペテロはこの指し示じに従したがうために考かんがえ方かたを大おおきく変かえなければいけませんでした。神かみがどんなことを願ねがっているのかを理り解かいすると,ペテロは考かんがえ方かたを調ちょう整せいしました。それで,コルネリオから自じ分ぶんたちの所ところに来きてほしいと言いわれた時とき,「迷まよわずに」出で掛かけていきました。(使し徒と 10:28,29)ペテロが真しん理りを伝つたえると,コルネリオと家いえの人ひとたちはバプテスマを受うけました。こうして異い国こく人じんとして最さい初しょのクリスチャンが誕たん生じょうしました。(使し徒と 10:21-23,34,35,44-48)

ペテロの一行がコルネリオに案内され,階上の部屋に入っていく。

ペテロがコルネリオの家いえに入はいっていくところ。(7節せつを参さん照しょう。)


8. エホバの考かんがえに合あわせようとする人ひとはどうしますか。(ペテロ第だい一いち 3:8と脚きゃく注ちゅう)

8 後のちに,ペテロは当とう時じのクリスチャンに「同おなじ考かんがえ方かた」でいるように勧すすめました。(ペテロ第だい一いち 3:8と脚きゃく注ちゅうを読よむ。)私わたしたちみんなが同おなじ考かんがえ方かたでいるには,聖せい書しょに書かかれているエホバの考かんがえに自じ分ぶんを合あわせることが必ひつ要ようです。例たとえば,生せい活かつの中なかで王おう国こくを第だい一いちにするようにというイエスの言こと葉ばの通とおりにしたいと思おもって,全ぜん時じ間かん奉ほう仕しを始はじめる人ひとが会かい衆しゅうにいるとします。(マタ 6:33)そのような人ひとに,「そんなに頑がん張ばらなくていいんじゃない?」などとは言いいたくありません。むしろその人ひとを褒ほめ,できるだけサポートしたいと思おもいます。

謙けん虚きょでいる

9-10. イエスが謙けん虚きょだったことはどんな出で来き事ごとから分わかりますか。

9 イエスは亡なくなる前まえの晩ばん,ペテロとほかの使し徒とたちに謙けん虚きょでいることの大たい切せつさを教おしえました。イエスは使し徒とたちとの最さい後ごの食しょく事じに必ひつ要ようなものをペテロとヨハネに準じゅん備びさせました。準じゅん備びしたものの中なかには,みんなの足あしを洗あらうのに必ひつ要ような拭ふき布ぬのとたらいもあったはずです。では,謙けん虚きょにみんなの足あしを洗あらうのは誰だれでしょうか。

10 イエス自みずからその仕し事ごとを行おこないます。普ふ通つうなら召めし使つかいがすることをイエスがするのを見みて,使し徒とたちは衝しょう撃げきを受うけます。桁けた違ちがいの謙けん虚きょさです。イエスは外がい衣いを脱ぬぎ,拭ふき布ぬのを取とって腰こしにくくり,たらいに水みずを入いれて使し徒とたちの足あしを洗あらっていきます。(ヨハ 13:4,5)12人にん全ぜん員いんの足あしを洗あらうには時じ間かんがかかったはずです。その中なかにはイエスを裏うら切ぎろうとしているユダもいました。イエスはその仕し事ごとを終おえた後あと,こう言いいました。「あなたたちにしたことが理り解かいできますか。あなたたちは私わたしを『先せん生せい』や『主しゅ』と呼よびます。それは正ただしいことです。私わたしはそういう者ものだからです。それで,主しゅであり先せん生せいである私わたしがあなたたちの足あしを洗あらったのであれば,あなたたちも足あしを洗あらい合あうべきです」。(ヨハ 13:12-14)

本ほん当とうの謙けん虚きょさには私わたしたちの内ない面めんが関かん係けいしている。

11. ペテロが謙けん虚きょさを学まなんでいたことはどんなことから分わかりますか。(ペテロ第だい一いち 5:5)(挿さし絵えも参さん照しょう。)

11 ペテロはイエスの謙けん虚きょさから学まなんでいました。イエスが天てんに戻もどった後あと,ペテロは生うまれた時ときから足あしが不ふ自じ由ゆうな男だん性せいを癒いやしました。(使し徒と 1:8,9; 3:2,6-8)大おお勢ぜいの人ひとがこの奇き跡せきを見みて,ペテロの近ちかくに集あつまってきました。(使し徒と 3:11)この場ば面めんでペテロが自じ分ぶんに注ちゅう意いを引ひこうとしてもおかしくありませんでした。有ゆう名めいになることや立たち場ばが重じゅう視しされる社しゃ会かいで育そだっていたからです。でも,そんなことはしませんでした。ペテロは謙けん虚きょに,自じ分ぶんではなくエホバとイエスが称しょう賛さんされるようにしました。こう言いいます。「イエスの名なを通とおして,その名なに対たいする私わたしたちの信しん仰こうによって,あなた方がたが見みて知しっているこの人ひとの足あしは丈じょう夫ぶになりました」。(使し徒と 3:12-16)ペテロは当とう時じのクリスチャンに宛あてた手て紙がみの中なかで,謙けん虚きょさを身みに着つける必ひつ要ようがあることについて書かきました。ペテロが使つかった,身みに着つけるという表ひょう現げんは,イエスが拭ふき布ぬのを腰こしにくくって使し徒とたちの足あしを洗あらったことを連れん想そうさせます。(ペテロ第だい一いち 5:5と2番ばん目めの脚きゃく注ちゅうを読よむ。)

生まれつき足が不自由だった男性が,今は癒やされ,神殿でペテロとヨハネの隣に立っている。ペテロは天を指さしている。

ペテロは奇き跡せきを起おこした後あと,謙けん虚きょにエホバとイエスが称しょう賛さんされるようにした。私わたしたちも謙けん虚きょでいるなら,褒ほめられることや認みとめられることを期き待たいせずに良よいことをする。(11-12節せつを参さん照しょう。)


12. どうすればペテロのように謙けん虚きょさを磨みがいていけますか。

12 私わたしたちもペテロのように謙けん虚きょさを磨みがいていけます。謙けん虚きょさには,単たんに何なにを言いうかだけでなく,私わたしたちの内ない面めんが関かん係けいしています。ペテロが勧すすめているように,謙けん虚きょでいるためには「自じ分ぶんを低ひくく見みる考かんがえ方かた」が大たい切せつです。私わたしたちが人ひとのために何なにかをするのはエホバと仲なか間まを愛あいしているからです。褒ほめられたいからではありません。本ほん当とうに謙けん虚きょであれば,人ひとに気き付づかれるかどうかに関かかわりなく,自じ分ぶんにできることを何なんでもしてエホバと仲なか間まに仕つかえることができます。(マタ 6:1-4)

「健けん全ぜんな考かんがえ方かた」をする

13. 「健けん全ぜんな考かんがえ方かた」をするクリスチャンはどんなことをしますか。

13 「健けん全ぜんな考かんがえ方かた」をするクリスチャンはどんなことをしますか。(ペテ一いち 4:7)エホバの考かんがえに沿そった決けっ定ていができるようにベストを尽つくします。また,エホバとの絆きずなを何なによりも大たい切せつにします。自じ分ぶんが何なんでも知しっているわけではないことをわきまえ,いつも謙けん虚きょな態たい度どでエホバに祈いのって頼たよります。b

14. ペテロはどんな時ときにエホバに頼たよることを忘わすれてしまいましたか。

14 イエスは亡なくなる前まえの晩ばん,弟で子したちにこう警けい告こくしました。「今こん夜や,あなたたちは皆みな,私わたしを見み捨すてます」。でもペテロは自じ信しん満まん々まんにこう答こたえました。「ほかのみんながあなたを見み捨すてても,私わたしは決けっして見み捨すてません!」その少すこし後あとにイエスは弟で子したちにこうアドバイスしました。「ずっと見み張はっていて絶たえず祈いのり……なさい」。(マタ 26:31,33,41)このアドバイスの通とおりにしていれば,ペテロは自じ分ぶんがイエスの弟で子しであることを勇ゆう敢かんに認みとめることができたはずです。でも,結けっ局きょくペテロはイエスのことを知しらないと言いってしまい,ひどく後こう悔かいしました。(マタ 26:69-75)

15. イエスが,亡なくなる前まえの晩ばんにも健けん全ぜんな考かんがえ方かたができたのはどうしてですか。

15 イエスは心こころからエホバに頼たよりました。イエスは完かん全ぜんでしたが,亡なくなる前まえの晩ばんも繰くり返かえし祈いのりました。それで,エホバが望のぞむ通とおりのことを勇ゆう敢かんに行おこなうことができました。(マタ 26:39,42,44。ヨハ 18:4,5)ペテロは,イエスが真しん剣けんに祈いのる姿すがたをずっと忘わすれなかったはずです。

16. ペテロが健けん全ぜんな考かんがえ方かたができるようになっていたことはどんなことから分わかりますか。(ペテロ第だい一いち 4:7)

16 やがてペテロは,祈いのることによってもっとエホバに頼たよるようになりました。復ふっ活かつしたイエスは,ペテロやほかの使し徒とたちが伝でん道どう活かつ動どうをやり遂とげられるよう,聖せいなる力ちからを与あたえると保ほ証しょうしました。そしてそれまではエルサレムにとどまるようにと言いいました。(ルカ 24:49。使し徒と 1:4,5)ではその間かん,ペテロは何なにをしていましたか。仲なか間まのクリスチャンと「ひたすら祈いのり続つづけ」ていました。(使し徒と 1:13,14)後のちにペテロは手て紙がみの中なかでクリスチャンに,健けん全ぜんな考かんがえ方かたをし,エホバに祈いのって頼たよるよう勧すすめました。(ペテロ第だい一いち 4:7を読よむ。)ペテロ自じ身しん,どんなときもエホバを信しん頼らいしていました。そんなペテロは会かい衆しゅうのみんなから頼たよられる,柱はしらのような存そん在ざいになりました。(ガラ 2:9)

17. 優すぐれた能のう力りょくを持もっているとしても,どんなことは欠かかせませんか。(写しゃ真しんも参さん照しょう。)

17 健けん全ぜんな考かんがえ方かたをするには,頻ひん繁ぱんにエホバに祈いのることが欠かかせません。どんなに優すぐれた能のう力りょくがあるとしても,祈いのってエホバに頼たよることを忘わすれないようにしましょう。重じゅう要ような決けっ定ていをしなければいけない時ときは特とくに,自じ分ぶんにとって何なにが一いち番ばんいいかを知しっているのはエホバだということを認みとめ,祈いのってエホバに導みちびいてもらうことが大たい切せつです。

ペテロは祈いのることによってエホバに頼たよるようになった。私わたしたちも大たい切せつなことを決きめる時ときは特とくに,健けん全ぜんな考かんがえ方かたができるようエホバに祈いのる。(17節せつを参さん照しょう。)c


18. エホバと同おなじような考かんがえ方かたをするためにどんなことができますか。

18 私わたしたちはエホバに倣ならえるように造つくられています。そのことを本ほん当とうに感かん謝しゃできます。(創そう 1:26)もちろん完かん璧ぺきに倣ならうことはできません。(イザ 55:9)でも,私わたしたちもペテロのように成せい長ちょうしていけます。神かみの考かんがえに倣ならい,謙けん虚きょでいるようにし,健けん全ぜんな考かんがえ方かたをすることによってです。そうすれば,エホバと同おなじ考かんがえ方かたができる人ひとになっていけるでしょう。

どうすればできますか

  • エホバの考かんがえ方かたに倣ならう

  • 謙けん虚きょでいる

  • 「健けん全ぜんな考かんがえ方かた」をする

30番ばんの歌うた 私わたしの父ちち,私わたしの神かみ,私わたしの友とも

a ペテロ第だい一いち 4章しょう1節せつの「精せい神しん」という言こと葉ばは「考かんがえ方かた,物ものの見み方かた」などとも訳やくせます。

b 健けん全ぜんな考かんがえ方かたについては,jw.orgかJW Library®にある「聖せい句くの解かい説せつ」の「テモテ第だい二に 1:7 『神かみが私わたしたちに与あたえてくださったのは,臆おく病びょうの霊れいではな[い]』」という記き事じの「健けん全ぜんな考かんがえ方かた」に関かんする説せつ明めいを参さん照しょう。

c 写しゃ真しんや挿さし絵え: 仕し事ごとの面めん接せつの順じゅん番ばんを待まっている姉し妹まいが無む言ごんで祈いのっている。

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