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  • 最後の過ぎ越しで謙遜さを教える
  • イエス 道,真理,命
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イエス 道,真理,命
イ道 116章 268ページ–269ページ 1節
イエスが使徒たちの足を洗って,謙遜さについて教えているところ

116章

最さい後ごの過すぎ越こしで謙けん遜そんさを教おしえる

マタイ 26:20 マルコ 14:17 ルカ 22:14-18 ヨハネ 13:1-17

  • イエスは使し徒とたちと一いっ緒しょに,最さい後ごの過すぎ越こしの食しょく事じをする

  • 使し徒とたちの足あしを洗あらって大たい切せつな教きょう訓くんを与あたえる

ペテロとヨハネはエルサレムに着つき,イエスの指し示じに従したがって過すぎ越こしを祝いわう準じゅん備びを整ととのえます。イエスと残のこりの10人にんの使し徒とたちもベタニヤを出しゅっ発ぱつします。木もく曜よう日びの午ご後ご,西にしの空そらに太たい陽ようが沈しずんでいく中なか,イエスと使し徒とたちはオリーブ山やまを下おりていきます。復ふっ活かつする前まえに,この風ふう景けいを昼ひる間まに見みるのは,イエスにとってこの時ときが最さい後ごです。

エルサレムに着ついたイエスと使し徒とたちは,過すぎ越こしの食しょく事じをする家いえに向むかいます。階かい段だんを上のぼり,大おおきな部へ屋やに入はいると,そこには自じ分ぶんたちだけで食しょく事じをする準じゅん備びが整ととのっています。イエスはこの時ときをずっと待まっていました。それでこう言いいます。「私わたしは苦くるしみを受うける前まえにぜひあなたたちと一いっ緒しょにこの過すぎ越こしの食しょく事じをしたい,と思おもっていました」。(ルカ 22:15)

過すぎ越こしの食しょく事じの際さいにぶどう酒しゅの入はいった杯さかずきを回まわすという習しゅう慣かんは,ずっと昔むかしに取とり入いれられたものです。イエスは杯さかずきを受うけ取とり,感かん謝しゃの祈いのりをしてからこう言いいます。「これを取とって,順じゅん番ばんに回まわしなさい。あなたたちに言いいますが,今こん後ご,神かみの王おう国こくが来くるまで私わたしはブドウからできたものを二に度どと飲のみません」。(ルカ 22:17,18)イエスの死しがもうそこまで迫せまっているのです。

皆みなが食しょく事じをしていると,イエスが席せきを立たちます。外がい衣いを脇わきに置おいて拭ふき布ぬのを取とり,すぐそばにあったたらいに水みずを入いれます。普ふ通つうなら,召めし使つかいが客きゃくの足あしを洗あらうよう家いえの主しゅ人じんが取とり計はからいます。(ルカ 7:44)でもこの時ときは,主しゅ人じんがいなかったので,イエスが自じ分ぶんで世せ話わをします。使し徒とたちもその仕し事ごとを買かって出でることができたはずですが,誰だれもそうしようとしませんでした。彼かれらの間あいだにはまだライバル意い識しきが残のこっていたのかもしれません。いずれにせよ,弟で子したちはイエスが自じ分ぶんたちの足あしを洗あらおうとするのを見みてまごつきます。

ペテロはイエスが自じ分ぶんのところに来くると,「足あしを洗あらっていただくことなどできません」と言いいます。イエスは,「私わたしが洗あらわないとしたら,あなたは私わたしの仲なか間まではありません」と答こたえます。それでペテロは,「主しゅよ,足あしだけでなく,手ても頭あたまもお願ねがいします」と言いいます。しかし,次つぎのイエスの言こと葉ばを聞きいてペテロは驚おどろいたことでしょう。「水みず浴あびした人ひとは全ぜん身しんが清きよく,足あし以い外がいは洗あらう必ひつ要ようがありません。あなたたちは清きよいのです。しかし全ぜん員いんではありません」。(ヨハネ 13:8-10)

イエスはユダ・イスカリオテを含ふくむ12人にん全ぜん員いんの足あしを洗あらいます。そして外がい衣いを着きてから,再ふたたび食しょく卓たくに着ついて横よこになり,使し徒とたちにこう質しつ問もんします。「あなたたちにしたことが理り解かいできますか。あなたたちは私わたしを『先せん生せい』や『主しゅ』と呼よびます。それは正ただしいことです。私わたしはそういう者ものだからです。それで,主しゅまた先せん生せいである私わたしがあなたたちの足あしを洗あらったのであれば,あなたたちも足あしを洗あらい合あうべきです。私わたしはあなたたちのために模も範はんを示しめしました。あなたたちも同おなじようにするためです。はっきり言いっておきますが,奴ど隷れいは主しゅ人じんより偉えらくなく,遣つかわされた人ひとは遣つかわした人ひとより偉えらくありません。あなたたちはこうした事ことを知しっており,それを行おこなうとき,幸しあわせです」。(ヨハネ 13:12-17)

謙けん遜そんに仕つかえることを教おしえる何なんと素す晴ばらしい教きょう訓くんでしょう。イエスの弟で子しは,自じ分ぶんは重じゅう要ような存そん在ざいだから仕つかえてもらうのが当とう然ぜんと考かんがえて,最さい優ゆう先せんされることを期き待たいすべきではありません。むしろ,イエスの手て本ほんに倣ならうべきです。実じっ際さいに誰だれかの足あしを洗あらうということではなく,謙けん遜そんに,偏へん見けんを持もたずに進すすんで仕つかえるということです。

  • 過すぎ越こしの食しょく事じをしている時とき,イエスは自じ分ぶんの死しが近ちかいことを示しめすどんなことを言いいましたか。

  • 使し徒とたちの足あしを洗あらうというイエスの行こう動どうが普ふ通つうでは考かんがえられなかったのはなぜですか。

  • イエスは使し徒とたちの足あしを洗あらうことによって,どんな教きょう訓くんを与あたえましたか。

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