3. (ア)フィリポはどんな人でしたか。(イ)サマリアではあまり伝道が行われていなかったのはどうしてですか。とはいえイエスは,サマリアについてどんなことを言っていましたか。
3 「散らされた人々」の中にフィリポがいました。 (使徒 8:4。「『福音伝道者』フィリポ」という囲みを参照。)フィリポはサマリアに行きました。それまでサマリアでは,ほとんど伝道が行われていませんでした。イエスが使徒たちにこう指示していたからです。「サマリア人の町に入ってはなりません。いつも,イスラエル国民の迷い出た羊の所に行きなさい」。(マタ 10:5,6)とはいえイエスは,やがてサマリアでも徹底的な伝道が行われることを知っていました。天に戻る前にこう言っていました。「あなたたちは……エルサレムで,ユダヤとサマリアの全土で,また地上の最も遠い所にまで,私の証人となります」。(使徒 1:8)
4. サマリア人は,フィリポのメッセージについてどう感じましたか。どうしてだと考えられますか。
4 フィリポがサマリアに着いてみると,そこは「もう色づいて収穫でき」る畑のようでした。(ヨハ 4:35)サマリアの人たちにとって,フィリポが伝える良い知らせは涼しい風のように爽やかでした。彼らはユダヤ人から避けられ,毛嫌いされていました。でも,フィリポから聞くメッセージには,階級差別など全く感じられず,パリサイ派の狭い見方とは全然違っていました。フィリポは偏見から人を下に見たりせず,誠実な心でサマリアの人たちに伝道しました。「群衆は皆,フィリポが言うことにじっと耳を傾け」た,とあるのもうなずけます。(使徒 8:6)
5-7. クリスチャンが追い散らされたことにより,かえって良い知らせが広まったどんな例がありますか。
5 現代でも,迫害は功を奏しておらず,伝道の勢いは全く弱まっていません。クリスチャンが刑務所に入れられたり別の国へ避難を余儀なくされたりしても,それによってかえって良い知らせが広まっていきました。例えば,第2次世界大戦中,エホバの証人はナチの強制収容所で神の王国について熱心に語りました。収容所でエホバの証人に会ったあるユダヤ人はこう言っています。「エホバの証人の囚人たちの不屈の精神を目にし,聖書にしっかり基づいた信仰を持っていることがよく分かりました。私もエホバの証人になりました」。
6 迫害していた人がエホバの証人になった例もあります。フランツ・デッシュ兄弟は,オーストリアのグーゼン強制収容所に移された時,親衛隊の将校に聖書を教えることができました。何年も後,2人はエホバの証人の大会で再び会いました。その将校はクリスチャンになっていました。どんなにかうれしい再会だったことでしょう。
7 クリスチャンが別の国へ避難を余儀なくされたときもそうです。例えば,1970年代に,モザンビークにマラウイのエホバの証人が避難してきた時,活発な伝道が行われました。その後,モザンビークで迫害が起こった時も,伝道は続けられました。フランシスコ・コアーナはこう話します。「伝道していたために何度も逮捕された人もいます。それでも,多くの人が神の王国について学ぶようになり,私たちは神が助けてくれているんだと確信しました。1世紀のクリスチャンのことを神が助けたのと同じです」。
8. 政治や経済の影響で人が移動し,伝道にどんな進展が見られていますか。
8 もちろん,迫害だけをきっかけに良い知らせが国を越えて広まっているわけではありません。近年,政治や経済の影響で人の移動があり,それによって多くの人が神の王国について知るようになっています。紛争地域や貧しい国から別の国に移った人たちが,移住先で聖書を学んでいます。多くの都市や町で,外国語を話す人たちの人口が増えています。あなたは,「全ての国や民族や種族や言語の人々」に伝道することを心掛けていますか。(啓 7:9)