9,10. ルステラはどこにありましたか。住民はどんな人たちでしたか。
9 パウロとバルナバは,ローマの植民市ルステラに向かいます。イコニオムの南西30㌔ほどの所にあった町です。ルステラは,ピシデアのアンティオキアと関係が深かったものの,アンティオキアのようなユダヤ人コミュニティーはありませんでした。住民はギリシャ語も話したようですが,母語はルカオニア語でした。会堂がなかったためと思われますが,パウロとバルナバは公共の場所で伝道し始めます。以前ペテロがエルサレムで,生まれつき足が不自由な人を癒やしたことがありましたが,今回はパウロがルステラで,生まれつき足が悪い人を癒やします。(使徒 14:8-10)ペテロの時は,奇跡を見た大勢の人がクリスチャンになりましたが,パウロの時の反応は全く異なります。(使徒 3:1-10)
10 冒頭で見たように,ルステラの人たちは,足が不自由だった人が跳びはねているのを見て,パウロとバルナバを崇拝し始めます。バルナバのことを最高神ゼウス,パウロのことをヘルメス(ゼウスの子で神々の代弁者)と見なしました。(「ルステラとそこでのゼウスとヘルメスの崇拝」という囲みを参照。)2人は,自分たちの力は真の神エホバから来ているのであって,異教の神々とは全く関係がないことを民衆に分かってもらおうとします。(使徒 14:11-14)
11-13. (ア)パウロとバルナバはルステラの人たちにどんなことを話しましたか。(イ)2人がした話からまず何を学べますか。
11 ルステラの人たちはとても興奮して大騒ぎになっていますが,パウロとバルナバは何とかして心に訴え掛けようとします。2人は異教の人たちに上手に語り掛けました。こう記録されています。「皆さん,なぜこんなことをするのですか。私たちも,皆さんと同じ弱さを持つ人間です。そして,皆さんに良い知らせを伝えているのは,皆さんがこうした無駄なことをやめて,生きている神を崇拝するためです。神は天と地と海とその中の全ての物を造りました。昔,神は全ての国の人々がそれぞれの道を進むままにしました。それでも,善いことを行って,ご自分のことを明らかにしていました。天からの雨と実りの季節を与え,食物を豊かに供給して人々の心を喜びで満たしたのです」。(使徒 14:15-17)
12 2人がした話からいろいろなことを学べます。1つ目に何を学べるでしょうか。2人は自分たちが相手よりも上だとは全く思っていませんでした。自分を大きく見せようとはしませんでした。みんなと同じく弱い人間であることを謙虚に認めました。もちろん,2人は聖なる力を受けていましたし,正しい教えを知っていました。キリストと一緒に王になる見込みもありました。それでも,ルステラの人たちもキリストの後に従えば,同じ良いものを受けられる,ということを分かっていました。
13 私たちはどうでしょうか。伝道するとき,相手と自分は同じ立場だと本当に思っているでしょうか。聖書から正しいことを教えるとき,パウロとバルナバのように自分が称賛を受けないようにしているでしょうか。チャールズ・テイズ・ラッセルは良い手本です。兄弟は教えるのが上手な人で,19世紀後半から20世紀前半にかけて熱心に良い知らせを広めました。こう書いています。「私たちは……自分自身や自分たちの著作に対する賛辞や崇敬を求めてはおらず,師あるいはラビと呼ばれることを望んでいない」。まさにパウロとバルナバと同じ姿勢です。私たちが伝道するのは自分が称賛を受けるためではありません。「生きている神」について知ってもらうためです。
14-16. パウロとバルナバがルステラの人たちにした話から学べる2つ目と3つ目のことは何ですか。
14 2つ目に,相手に合わせたアプローチの大切さを学べます。イコニオムのユダヤ人やユダヤ教に改宗した人たちとは違い,ルステラの人たちは聖書についてほとんど知りませんでした。神とイスラエル国民の歴史についても知りませんでした。一方,ルステラは温暖な気候と肥沃な土地に恵まれ,農業が盛んでした。収穫の時期などに,神が造った物の素晴らしさを体験することができました。パウロとバルナバは,相手にとってなじみ深いものを題材にして,説明しました。(ロマ 1:19,20)
15 私たちも相手に合わせたアプローチをしましょう。農家の人は種をまくとき,畑の状態によって土壌の整え方を変えます。軟らかい土の畑はさほど耕さなくても種をまけますが,土が硬ければまず丁寧に耕します。伝道もそれに似ています。まくのはいつも同じ種,神の王国の良い知らせです。でも,パウロとバルナバに倣って,相手の文化や生い立ち,信じていることを知るようにします。そして,それに合わせたアプローチをして,良い知らせを伝えます。(ルカ 8:11,15)
16 3つ目に,この出来事から何が学べるでしょうか。たとえベストを尽くしたとしても,まいた種が取り去られてしまったり,岩地に落ちたりすることもあります。(マタ 13:18-21)そうなっても,がっかりし過ぎないようにしましょう。パウロはしばらく後にこう書いています。「私たち一人一人[私たちが伝道した相手も含まれる]は,神に責任を問われることになるのです」。(ロマ 14:12)