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  • 徹 16章 124–132ページ
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神の王国について徹底的に教える
徹 16章 124–132ページ

16章

「マケドニアへ渡わたってきて……ください」

必ひつ要ようとされる所ところに喜よろこんで出で掛かけ,前まえ向むきな気き持もちで迫はく害がいに耐たえると,うれしい経けい験けんができる

使し徒と 16:6-40

1-3. (ア)パウロの一いっ行こうはどのように聖せいなる力ちからに導みちびかれましたか。(イ)これから何なにを見みていきますか。

マケドニアの町まちフィリピから,女じょ性せいたちが出でていきます。少すこし歩あるくと,ガンギテスという細ほそい川かわに着つきます。いつものように川かわ岸ぎしに座すわり,イスラエルの神かみに祈いのります。エホバは天てんからその様よう子すを見みています。(代だい二に 16:9。詩し 65:2)

2 そこから800㌔以い上じょう東ひがしでは,男だん性せいたちがガラテア南なん部ぶの町まちルステラを出でていきます。数すう日じつ後ご,西にしに延のびるローマの街かい道どうに着つきます。アジア州しゅうの人じん口こうが多おおい地ち域いきにつながる舗ほ装そうされた道みちです。パウロ,シラス,テモテの3人にんは,その道みちを通とおってエフェソスなどの町まちに行いこうと考かんがえています。そこの人ひとたちにキリストについて伝つたえたいと思おもっています。ところが,旅たびを始はじめようとすると,聖せいなる力ちからによって止とめられます。どう止とめられたかは聖せい書しょに書かかれていませんが,いずれにしてもアジア州しゅうでの伝でん道どうを禁きんじられました。どうしてでしょうか。イエスには考かんがえがありました。聖せいなる力ちからによってパウロたちを小しょうアジアの先さきに導みちびこうとしていました。エーゲ海かいを越こえて,ガンギテスという小お川がわの岸きし辺べにまで行いかせたいと思おもっていたのです。

3 イエスがパウロたちをどのようにマケドニアに導みちびいたかを調しらべると,大たい切せつなことを学まなべます。では,49年ねんごろに始はじまったパウロの2度ど目めの宣せん教きょう旅りょ行こうの様よう子すを見みてみましょう。

「神かみが私わたしたちを招まねいた」(使し徒と 16:6-15)

4,5. (ア)ビチニアの近ちかくで,パウロたちにどんなことがありましたか。(イ)パウロたちはどうすることにしましたか。それでどうなりましたか。

4 アジアでの伝でん道どうを禁きんじられたパウロたちは,北きたに向むかうことにし,ビチニアの町まち々まちで伝でん道どうしようと考かんがえます。そこへ行いくために,フリギアとガラテアの人じん口こうが少すくない地ち域いきを通とおり,舗ほ装そうされていない小こ道みちを何なん日にちも歩あるいたかもしれません。しかし,ビチニアに近ちかづくと,イエスが再ふたたび聖せいなる力ちからによってパウロたちを止とめます。(使し徒と 16:6,7)パウロたちは戸と惑まどったはずです。何なにについて伝でん道どうするか,どのように伝でん道どうするかは分わかっています。でも,どこで伝でん道どうしたらよいか分わかりません。アジアへの扉とびらをたたきましたが,駄だ目めでした。ビチニアへの扉とびらをたたきましたが,それも駄だ目めでした。それでも,パウロは諦あきらめません。開ひらく扉とびらが見みつかるまでたたき続つづけるつもりです。どうしたでしょうか。パウロたちは一いっ見けん合ごう理り的てきとは思おもえないルートを選えらびます。西にしに進しん路ろを変かえて550㌔歩あるき,次つぎから次つぎへと町まちを通とおり過すぎていきます。そしてトロアスの港みなとに着つきます。マケドニアへの船ふねが出でている港みなとです。(使し徒と 16:8)そこでパウロは3つ目めの扉とびらをたたきます。扉とびらはついに大おおきく開ひらきます。

5 トロアスでパウロの一いっ行こうに加くわわったルカは,こう書かいています。「パウロは夜よるに幻まぼろしを見みた。マケドニアの男だん性せいが立たっていて,『マケドニアへ渡わたってきて私わたしたちを助たすけてください』と頼たのむのだった。パウロがその幻まぼろしを見みてからすぐ,私わたしたちは,彼かれらに良よい知しらせを広ひろめるために神かみが私わたしたちを招まねいたのだと結けつ論ろんして,マケドニアへ行いこうとした」。a (使し徒と 16:9,10)ついに,どこで伝でん道どうしたらよいかが分わかりました。パウロは,途と中ちゅうで諦あきらめなくて本ほん当とうによかったと思おもったことでしょう。4人にんはすぐに出しゅっ発ぱつし,船ふねでマケドニアに向むかいます。

使徒パウロとテモテが船に乗っている。テモテが遠くを指さしている。船員たちが働いている。

「それで,私わたしたちはトロアスから船ふねに乗のっ[た]」。使し徒と 16:11

6,7. (ア)パウロの旅たびからどんなことを学まなべますか。(イ)パウロが経けい験けんしたことから,私わたしたちもどんなことを期き待たいできますか。

6 ここから何なにを学まなべるでしょうか。注ちゅう目もくしたいポイントがあります。聖せいなる力ちからの働はたらき掛かけがあったのは,パウロがアジアに向むけて出しゅっ発ぱつした後あとでした。イエスの考かんがえが分わかったのも,パウロがビチニアの近ちかくに行いった後あとでした。イエスがマケドニアに行いくよう導みちびいたのも,パウロがトロアスに着ついた後あとでした。会かい衆しゅうのリーダー,イエスは,現げん代だいでも私わたしたちを同おなじように導みちびきます。(コロ 1:18)開かい拓たく者しゃになりたい,伝でん道どう者しゃが多おおく必ひつ要ようとされている地ち域いきで奉ほう仕ししたいと願ねがっている人ひともいます。でも,願ねがっているだけでは目もく標ひょうは達たっ成せいできません。行こう動どうを起おこした後あとに,イエスが聖せいなる力ちからによって導みちびいてくれます。これは車くるまの運うん転てんに似にています。運うん転てん手しゅは行いきたい方ほう向こうに車くるまを運うん転てんできますが,車くるまが動うごいていなければ右みぎにも左ひだりにも曲まがれません。同おなじように,私わたしたちが動うごいていなければ,つまり目もく標ひょうに向むかって行こう動どうしていなければ,イエスは私わたしたちを導みちびけません。

7 行こう動どうしてもなかなか目もく標ひょうが実じつ現げんしないとしたら,どうでしょうか。聖せいなる力ちからに導みちびかれていないと考かんがえて,諦あきらめた方ほうがよいのでしょうか。いいえ,諦あきらめてはいけません。パウロも,何なん度ども壁かべにぶつかりました。でも,開ひらく扉とびらを探さがし続つづけ,ついに見みつけました。私わたしたちも「活かつ動どうへの大おおきな扉とびら」を探さがし続つづけましょう。そうすれば,パウロのようにきっと見みつけられます。(コリ一いち 16:9)

8. (ア)フィリピはどんな町まちでしたか。(イ)パウロが「祈いのりの場ば所しょ」で伝でん道どうしたことにより,どんなうれしいことがありましたか。

8 マケドニア州しゅうに着ついたパウロたちはフィリピに向むかいます。フィリピの人ひとたちは,ローマ市し民みんであることを誇ほこりに思おもっていました。フィリピは退たい役えきしたローマ兵へいが住すむイタリア風ふうの町まちで,まるで小ちいさなローマでした。パウロたちは,町まちの外そとを流ながれる細ほそい川かわのそばに「祈いのりの場ば所しょ」がありそうだと考かんがえます。b 安あん息そく日びにそこに行いき,神かみに祈いのるために集あつまっている女じょ性せいたちを見みつけます。そこに座すわって話はなし掛かけます。聞きいていた人ひとの中なかに「ルデアという女じょ性せい」がいて,「エホバは彼かの女じょの心こころを大おおきく開ひら」きました。ルデアはパウロたちの話はなしを聞きいてとても感かん動どうし,ルデアも家いえの人ひとたちもバプテスマを受うけました。その後ごルデアは,パウロたちを家いえに招まねいて泊とめてあげました。c (使し徒と 16:13-15)

9. パウロに倣ならっているどんな人ひとたちがいますか。どんな良よい経けい験けんをしていますか。

9 ルデアがバプテスマを受うけて,パウロたちはどんなにかうれしかったことでしょう。「マケドニアへ渡わたってきて……ください」という呼よび掛かけに応おうじて本ほん当とうによかった,と思おもったはずです。信しん仰こうのあつい女じょ性せいたちの祈いのりに答こたえるために,エホバが自じ分ぶんたちを遣つかわしてくれたのです。現げん代だいでも,たくさんの兄きょう弟だい姉し妹まいが,伝でん道どう者しゃが多おおく必ひつ要ようとされている地ち域いきに引ひっ越こしています。若わかい人ひともいれば,年ねん配ぱいの人ひともいます。独どく身しんの人ひともいれば,結けっ婚こんしている人ひともいます。そうやって引ひっ越こすには,もちろん苦く労ろうが伴ともないます。でも,ルデアのように聖せい書しょを学まなぼうとする人ひとに出で会あえると,苦く労ろうなどなかったかのようにうれしい気き持もちになります。あなたも「渡わたって」いけますか。きっと素す晴ばらしい経けい験けんができます。中ちゅう央おうアメリカの国くにに移い住じゅうした20代だいのアーロンは,こう言いっています。「外がい国こくで奉ほう仕しするようになって,クリスチャンとして成せい長ちょうできました。エホバとの絆きずなが強つよくなりました。ここでの伝でん道どうは最さい高こうです。8件けんの聖せい書しょレッスンをしています」。アーロン以い外がいにも,同おなじような経けい験けんをしている人ひとがたくさんいます。

2人の姉妹が道で若い女性に伝道している。2人が何を話しているかを知りたそうに,若い男性が見ている。

あなたも「マケドニアへ渡わたって」いけますか。

「群ぐん衆しゅうは2人ふたりに対たいしていきり立たった」(使し徒と 16:16-24)

10. パウロたちは,邪じゃ悪あくな天てん使したちが起おこしたどんな出で来き事ごとに巻まき込こまれましたか。

10 サタンは激げき怒どしていたでしょう。邪じゃ魔ま者もののクリスチャンがこれまでいなかった地ち域いきで,良よい知しらせが広ひろまり始はじめていたからです。そのため,邪じゃ悪あくな天てん使したちがある出で来き事ごとを起おこし,パウロたちが巻まき込こまれます。祈いのりの場ば所しょに通かよっていたパウロたちはある日ひ,邪じゃ悪あくな天てん使しに取とりつかれた召めし使つかいの女じょ性せいに付つきまとわれます。主しゅ人じんたちはこの召めし使つかいに運うん勢せい占うらないをさせて金かねもうけをしていました。女じょ性せいはこう叫さけび続つづけます。「この人ひとたちは至し高こうの神かみの奴ど隷れいで,救すくいの道みちを広ひろめています」。邪じゃ悪あくな天てん使しは,占うらないをする女じょ性せいにそう叫さけばせて,パウロの教おしえも彼かの女じょの占うらないと特とくに変かわりがないと人ひと々びとに思おもわせたかったのかもしれません。これにより,周まわりの人ひとたちはクリスチャンたちの話はなしに興きょう味みを持もたなくなったかもしれません。そこでパウロは,女じょ性せいから邪じゃ悪あくな天てん使しを追おい出だして,叫さけぶのをやめさせました。(使し徒と 16:16-18)

11. パウロが女じょ性せいから邪じゃ悪あくな天てん使しを追おい出だした後あと,どんなことがありましたか。

11 召めし使つかいの女じょ性せいの主しゅ人じんたちは金かねもうけの手しゅ段だんを失うしない,激はげしく怒おこります。パウロとシラスを捕つかまえて,広ひろ場ばまで引ひきずっていきます。行ぎょう政せい官かん(ローマを代だい表ひょうする役やく人にん)たちが裁さい判ばんをする場ば所しょです。主しゅ人じんたちは,裁さい判ばん官かんたちの愛あい国こく心しんと優ゆう越えつ感かんをくすぐる訴うったえをします。「このユダヤ人じんたちは,私わたしたちローマ人じんには受うけ入いれられない習しゅう慣かんを教おしえて,騒そう動どうを起おこしている」というような訴うったえです。するとすぐに,「[広ひろ場ばにいた]群ぐん衆しゅうは2人ふたり[パウロとシラス]に対たいしていきり立た」ち,行ぎょう政せい官かんたちは2人ふたりを「棒ぼうで打うちたたくようにと命めい令れいし」ます。その後ご,2人ふたりは牢ろう屋やまで引ひきずっていかれます。牢ろう番ばんは,傷きずを負おった2人ふたりを奥おくの牢ろう屋やに入いれ,足あしかせをはめます。(使し徒と 16:19-24)牢ろう番ばんが戸とを閉しめると,監かん房ぼうは真まっ暗くらになり,お互たがいの顔かおも見みえません。でも,エホバは見みていました。(詩し 139:12)

12. (ア)キリストの弟で子したちは迫はく害がいされたとき,どう考かんがえますか。どうしてですか。(イ)サタンはどんな手てを使つかって反はん対たいをあおりますか。

12 イエスは弟で子したちに,「人ひと々びと[は]あなたたちをも迫はく害がいします」と言いっていました。(ヨハ 15:20)パウロたちはマケドニアに来きた時とき,迫はく害がいを覚かく悟ごしていたはずです。迫はく害がいに遭あったとき,エホバから見み放はなされていると考かんがえるのではなく,怒いかり狂くるったサタンから攻こう撃げきを受うけていると考かんがえました。現げん代だいでも,サタンにいいように使つかわれている人ひとたちは,フィリピの人ひとたちと同おなじような手てを使つかいます。学がっ校こうや職しょく場ばで私わたしたちについて事じ実じつではないことを言いって,反はん感かんをあおります。国くにによっては,宗しゅう教きょう家かたちが裁さい判ばんでエホバの証しょう人にんを訴うったえて,こういうようなことを言いいます。「このエホバの証しょう人にんたちは,代だい々だい信しん仰こうを守まもってきた私わたしたちには受うけ入いれられない習しゅう慣かんを教おしえて,騒そう動どうを起おこしている」。エホバの証しょう人にんが捕つかまり,打うちたたかれて刑けい務む所しょに入いれられている国くにもあります。でも,エホバは見みています。(ペテ一いち 3:12)

「すぐにバプテスマを受うけた」(使し徒と 16:25-34)

13. どんなことがあって,牢ろう番ばんは「救すくわれるには何なにをしなければなりませんか」と尋たずねましたか。

13 波は乱らんの一いち日にちを終おえ,パウロとシラスの気き持もちはまだ高たかぶっています。でも,真ま夜よ中なかになる頃ころにはいくらか落おち着つき,「祈いのったり歌うたで神かみを賛さん美びしたりして」いました。すると突とつ然ぜん,地じ震しんが起おき,監かん房ぼうが揺ゆれます。目めを覚さました牢ろう番ばんは,戸とが開あいていることに気き付づき,囚しゅう人じんたちが逃にげてしまったと思おもい込こみます。責せき任にんを問とわれて処しょ刑けいされると思おもった牢ろう番ばんは,「剣つるぎを抜ぬいて自じ殺さつしようとし」ます。しかしパウロが叫さけびます。「やめなさい。皆みなここにいます!」取とり乱みだした牢ろう番ばんは尋たずねます。「先せん生せい方がた,救すくわれるには何なにをしなければなりませんか」。パウロとシラスには救すくえません。救すくえるのはイエスだけです。それでパウロたちはこう答こたえました。「主しゅイエスを信しんじなさい。そうすれば救すくわれます」。(使し徒と 16:25-31)

14. (ア)パウロとシラスは牢ろう番ばんにどんなことをしてあげましたか。(イ)前まえ向むきな気き持もちで迫はく害がいに耐たえた2人ふたりに,どんなうれしいことが待まっていましたか。

14 「何なにをしなければなりませんか」と聞きいた牢ろう番ばんは,本ほん当とうに知しりたくてそう尋たずねたのでしょうか。パウロは牢ろう番ばんの誠せい実じつさを感かんじ取とりました。牢ろう番ばんは異い国こく人じんで,聖せい書しょの知ち識しきがありませんでした。クリスチャンになるには,基き本ほん的てきな教おしえを学まなび,信しんじなければいけません。それでパウロとシラスは時じ間かんを取とって,「牢ろう番ばん……にエホバの言こと葉ばを語かた」りました。熱ねっ中ちゅうして教おしえるあまり傷きずの痛いたみも忘わすれてしまっていたかもしれません。でも,牢ろう番ばんは2人ふたりの背せ中なかの深ふかい傷きずに気き付づき,手て当あてしてあげます。その後ご,牢ろう番ばんと家いえの人ひとたちは「すぐにバプテスマを受うけ」ました。前まえ向むきな気き持もちで迫はく害がいに耐たえた2人ふたりに,こんなにもうれしいことが待まっていました。(使し徒と 16:32-34)

15. (ア)多おおくのエホバの証しょう人にんはどのようにパウロとシラスに倣ならっていますか。(イ)会かい衆しゅうの区く域いきの人ひとを繰くり返かえし訪ほう問もんすることが大たい切せつなのはどうしてですか。

15 現げん代だいでも,パウロとシラスのようにしている兄きょう弟だいたちがいます。信しん仰こうを貫つらぬいたために刑けい務む所しょに入いれられた多おおくのエホバの証しょう人にんが,そこで良よい知しらせを伝つたえ,聞きいた人ひとたちがクリスチャンになっています。例たとえば,活かつ動どうが禁きん止しされていたある国くにでは,刑けい務む所しょで聖せい書しょを学まなんだ人ひとがエホバの証しょう人にん全ぜん体たいの40%を占しめていた時じ期きがあります。(イザ 54:17)ほかにも注ちゅう目もくしたいポイントがあります。牢ろう番ばんが学まなぶ姿し勢せいを示しめしたのは,地じ震しんがあった後あとでした。同おなじように,これまでは良よい知しらせに関かん心しんがなかった人ひとも,生せい活かつを揺ゆるがすようなショッキングな事ことが起おきた後あと,学まなぼうとすることがあります。家いえの人ひとが関かん心しんを持もった時ときにいつでも聖せい書しょを学まなべるよう,会かい衆しゅうの区く域いきの人ひとを繰くり返かえし訪たずねるのはとても大たい切せつなことです。

「今いま,ひそかに出だそうというのですか」(使し徒と 16:35-40)

16. パウロとシラスが打うちたたかれた翌よく日じつ,どのように形けい勢せいが逆ぎゃく転てんしましたか。

16 棒ぼうで打うちたたかれた日ひの翌よく朝あさ,行ぎょう政せい官かんたちはパウロとシラスの釈しゃく放ほうを命めいじます。でもパウロはこう口くちを挟はさみます。「あの人ひとたちはローマ市し民みんである私わたしたちを,有ゆう罪ざいの宣せん告こくもせずに人ひと前まえで打うちたたき,牢ろう屋やに入いれました。それを今いま,ひそかに出だそうというのですか。それはなりません! 彼かれらが出で向むいてきて,私わたしたちを連つれ出だすべきです」。行ぎょう政せい官かんたちはパウロたちがローマ市し民みんであることを知しって,「恐おそろしく」なります。2人ふたりの権けん利りを侵しん害がいしてしまっていたからです。d 形けい勢せい逆ぎゃく転てんです。パウロとシラスは人ひと前まえで打うちたたかれました。今こん度どは,行ぎょう政せい官かんたちが人ひと前まえで謝しゃ罪ざいしなければいけません。行ぎょう政せい官かんたちは,フィリピから去さるようにと2人ふたりに懇こん願がんします。2人ふたりはそれに応おうじますが,その前まえにまず,新あたらしくクリスチャンになった人ひとたちを訪たずね,励はげますことにします。その後ご,町まちを出でていきました。

17. 新あたらしい弟で子したちは,パウロとシラスの手て本ほんからどんな大だい事じなことを学まなんだはずですか。

17 パウロとシラスは,自じ分ぶんたちがローマ市し民みんであることを早はやめに伝つたえていれば,打うちたたかれることはなかったかもしれません。(使し徒と 22:25,26)でもそうすると,フィリピの弟で子したちはどう感かんじたでしょうか。2人ふたりがキリストのために苦くるしまなくて済すむよう市し民みん権けんを利り用ようした,という印いん象しょうを持もったかもしれません。フィリピのローマ市し民みんではない弟で子したちは,ローマ法ほうで守まもられてはいません。2人ふたりが早はやめに市し民みん権けんを行こう使ししたら,そういう弟で子したちは,2人ふたりの信しん仰こうを手て本ほんにしにくく感かんじたかもしれません。パウロたちは自みずから罰ばつに耐たえることで,新あたらしいクリスチャンたちに大だい事じなことを教おしえました。キリストの後あとに従したがう人ひとたちは迫はく害がいに遭あっても信しん仰こうを貫つらぬける,ということです。さらに,その後ごパウロとシラスは市し民みん権けんを行こう使しし,行ぎょう政せい官かんたちが違い法ほう行こう為いを公おおやけに認みとめざるを得えないようにしました。そうすることで,この先さきクリスチャンたちはひどい扱あつかいを受うけにくくなり,法ほう的てきに守まもられやすくなったかもしれません。

18. (ア)現げん代だいの監かん督とくたちはどのようにパウロに倣ならいますか。(イ)エホバの証しょう人にんは,「良よい知しらせを……広ひろめる法ほう的てき権けん利りを得えるため」にどんなことをしますか。

18 現げん代だいの監かん督とくたちも,自みずから手て本ほんになって教おしえます。兄きょう弟だい姉し妹まいにこうしてほしいと思おもうことがあれば,自じ分ぶんもそれを実じっ践せんします。さらに,パウロに倣ならって,いつどのように法ほう的てき手しゅ段だんを取とるかを慎しん重ちょうに判はん断だんします。必ひつ要ようであれば,法ほう的てきな保ほ護ごを受うけるために裁さい判ばん所しょに訴うったえます。国こく際さい裁さい判ばん所しょに訴うったえることもあります。目もく的てきは,世よの中なかを変かえることではありません。パウロが10年ねんほど後あとにフィリピの会かい衆しゅうに書かいた通とおり,「良よい知しらせを擁よう護ごし,その知しらせを広ひろめる法ほう的てき権けん利りを得えるため」に,そうします。(フィリ 1:7)もちろん,裁さい判ばんの結けっ果かがどうであろうと,パウロたちのように,聖せいなる力ちからが導みちびいてくれる場ば所しょで「良よい知しらせを広ひろめ」続つづけます。(使し徒と 16:10)

ルカ 「使し徒との活かつ動どう」を書かいた人ひと

「使し徒との活かつ動どう」は16章しょう9節せつまで第だい三さん者しゃの視し点てんで書かかれています。つまり,登とう場じょう人じん物ぶつの発はつ言げんや行こう動どうが客きゃっ観かん的てきに書かかれています。しかし,使し徒と 16章しょう10,11節せつから書かき方かたが変かわります。11節せつには,「私わたしたちはトロアスから船ふねに乗のってサモトラケ島とうに直ちょっ行こうし」たとあります。ここで筆ひっ者しゃのルカが旅たびに加くわわったということが分わかります。でも,ルカの名な前まえは「使し徒との活かつ動どう」には出でてきません。どうしてルカが書かいたと分わかるのでしょうか。

ルカが机に向かって座っている。巻物を書いている。

「使し徒との活かつ動どう」とルカの福ふく音いん書しょの冒ぼう頭とう部ぶ分ぶんから分わかります。両りょう方ほうとも「テオフィロ」という人じん物ぶつに宛あてて書かかれています。(ルカ 1:1,3。使し徒と 1:1)「使し徒との活かつ動どう」はこう始はじまっています。「テオフィロ様さま,私わたしは最さい初しょの記き述じゅつで,イエスが行おこない,教おしえ始はじめた全すべての事こと柄がらについてまとめました」。「最さい初しょの記き述じゅつ」つまり福ふく音いん書しょをルカが書かいたことは,古こ代だいの学がく者しゃたちも認みとめています。それで,「使し徒との活かつ動どう」もルカが書かいたと考かんがえられます。

ルカについての情じょう報ほうは少すくなく,ルカの名な前まえは聖せい書しょに3回かいしか出でてきません。使し徒とパウロはルカのことを,「皆みなに愛あいされている医い者しゃ」とか,「私わたしと共ともに働はたらく仲なか間ま」と呼よんでいます。(コロ 4:14。フィレ 24)ルカが「私わたしたち」と書かいている箇か所しょを調しらべると,ルカは50年ねんごろパウロの旅りょ行こうに初はじめて同どう行こうし,トロアスからフィリピまで行いったことが分わかります。パウロがフィリピを離はなれた時ときには,ルカは一いっ緒しょにいなかったようです。2人ふたりは56年ねんごろにフィリピで再さい会かいし,ほかの7人にんの兄きょう弟だいと一いっ緒しょにフィリピからエルサレムへ旅たびしました。パウロはそこで捕とらえられます。2年ねん後ご,ルカは,鎖くさりにつながれたままのパウロに同どう行こうし,カエサレアからローマに行いきました。(使し徒と 16:10-17,40; 20:5–21:17; 24:27; 27:1–28:16)パウロはローマで2度ど目めに拘こう禁きんされていた時ときに,処しょ刑けいされる日ひが近ちかいと感かんじます。その時とき,一いっ緒しょにいたのは「ルカだけ」でした。(テモ二に 4:6,11)ルカは各かく地ちを旅たびし,良よい知しらせのために苦く労ろうを惜おしみませんでした。

ルカは,自じ分ぶんがイエスについて書かいた内ない容ようはどれも実じっ際さいに見みたことだ,とは言いっていません。「目もく撃げき証しょう人にん」から話はなしを聞きき,「出で来き事ごとを1つの記き述じゅつにまとめ」たと言いっています。「全すべてのことを初はじめから綿めん密みつに調しらべ」,「順じゅん序じょ立だてて書か」きました。(ルカ 1:1-3)ルカが書かいたものを見みると,入にゅう念ねんに調ちょう査さしたことが分わかります。情じょう報ほうを集あつめるために,エリサベツや,イエスの母ははマリアなどから話はなしを聞きいたかもしれません。ルカは,ほかの福ふく音いん書しょにはない情じょう報ほうをたくさん載のせています。(ルカ 1:5-80)

パウロによれば,ルカは医い者しゃです。ルカは苦くるしんでいる人ひとについて,医い者しゃらしい観かん点てんで書かいています。例たとえば,イエスが邪じゃ悪あくな天てん使しに取とりつかれた人ひとを癒いやした時ときに,「邪じゃ悪あくな天てん使しはその男だん性せい[に]傷きずを負おわせることなく出でていった」と書かいています。また,使し徒とペテロのしゅうとめが「高たかい熱ねつ」で苦くるしんでいたことや,イエスが癒いやしたある女じょ性せいが「18年ねん間かん邪じゃ悪あくな天てん使しに取とりつかれて病びょう弱じゃく」だったことも書かいています。(ルカ 4:35,38; 13:11)

ルカは「主しゅの活かつ動どう」に打うち込こみました。(コリ一いち 15:58)医い者しゃとしての成せい功こうや名めい声せいを追おい求もとめるのではなく,エホバについて伝でん道どうして教おしえることに集しゅう中ちゅうしました。

ルデア 紫むらさき布ぬのを売うる人ひと

ルデアは,マケドニアの大おおきな町まちフィリピに住すんでいました。出しゅっ身しんは小しょうアジア西せい部ぶのリュディア地ち方ほうの町まちテアテラで,紫むらさき布ぬのの商しょう売ばいをするためにエーゲ海かいを渡わたってきました。敷しき物もの,タペストリー,布ぬの地じ,染せん料りょうなど,紫むらさきのさまざまな品しな物ものを扱あつかっていたようです。フィリピで見みつかった碑ひ文ぶんによれば,フィリピには紫むらさき布ぬのを売うる人ひとたちの組くみ合あいがあったようです。

ルデアが生地を見せている。

ルデアは「神かみを崇すう拝はい」していたと書かかれていますが,これはユダヤ教きょうに改かい宗しゅうしていたことを意い味みしているようです。(使し徒と 16:14)ルデアは,故こ郷きょうの町まちでエホバについて知しったのかもしれません。フィリピとは異ことなり,そこにはユダヤ人じんの集しゅう会かい場じょうがありました。ルデアという名な前まえは,フィリピで彼かの女じょに付つけられたあだ名な(「リュディアの女じょ性せい」という意い味み)だと考かんがえる人ひともいます。でも,ある文ぶん献けんによれば,ルデアは実じつ名めいとしても使つかわれていたようです。

リュディア地ち方ほうと周しゅう辺へんの地ち域いきは,ホメロスの時じ代だい(紀き元げん前ぜん9世せい紀きか8世せい紀き)以い来らい,紫むらさきの染せん色しょく技ぎ術じゅつで有ゆう名めいでした。テアテラの水みずを使つかうと「最もっとも鮮あざやかであせにくい色いろ」が生うまれるという評ひょう判ばんまでありました。

紫むらさきの品しな物ものはぜいたく品ひんで,裕ゆう福ふくな人ひとにしか買かえませんでした。紫むらさきの染せん料りょうはいろいろな物ものから採とれましたが,地ち中ちゅう海かいの貝かいを原げん料りょうとするものが最もっとも上じょう質しつで高こう価かで,上じょう等とうの亜あ麻ま布ぬのに使つかわれました。1個この貝かいから採とれる染せん料りょうはごくわずかで,1㌘採とるのに8000個こもの貝かいを処しょ理りしなければなりませんでした。そのため,紫むらさき色いろの布ぬのはとても高こう価かでした。

ルデアの商しょう売ばいにはかなりの資し金きんが必ひつ要ようでした。それに,パウロ,シラス,テモテ,ルカの4人にんを泊とめられるだけの家いえを持もっていました。そのことからすると,ルデアは商しょう売ばいで成せい功こうした裕ゆう福ふくな人ひとだったと思おもわれます。「家いえの人ひとたち」のことが出でてくるので,親しん族ぞくと一いっ緒しょに住すんでいたか,奴ど隷れいや召めし使つかいがいたのかもしれません。(使し徒と 16:15)パウロとシラスはフィリピを出でる前まえに,ルデアの家いえで兄きょう弟だいたちと会あいました。ルデアの家いえは,フィリピで新あたらしくクリスチャンになった人ひとたちが集あつまる場ば所しょになっていたようです。ルデアは人ひとをよくもてなす女じょ性せいでした。(使し徒と 16:40)

パウロが10年ねんほど後あとに書かいたフィリピ会かい衆しゅうへの手て紙がみには,ルデアのことが出でてきません。ルデアについて分わかるのは,使し徒と 16章しょうに書かかれていることだけです。

a 「ルカ 『使し徒との活かつ動どう』を書かいた人ひと」という囲かこみを参さん照しょう。

b フィリピには退たい役えき軍ぐん人じんが多おおく住すんでいたため,ユダヤ人じんは町まちの中なかに会かい堂どうを設もうけることを禁きんじられていたのかもしれません。あるいは,この町まちではユダヤ人じんの男だん性せいが10人にん(会かい堂どうの設せつ立りつに必ひつ要ような最さい低てい人にん数ずう)に満みたなかったのかもしれません。

c 「ルデア 紫むらさき布ぬのを売うる人ひと」という囲かこみを参さん照しょう。

d ローマ法ほうによれば,市し民みんには常つねに正せい当とうな裁さい判ばんを受うける権けん利りがあり,有ゆう罪ざいの宣せん告こくもせずに市し民みんを人ひと前まえで処しょ罰ばつするようなことをしてはなりませんでした。

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