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エホバは信じる者たちを救うために「愚かさ」をお用いになるものみの塔 1992 | 9月15日
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13 (イ)ユダヤ人とギリシャ人は,杭につけられたキリストについて宣べ伝えることをどのようにみなしましたか。(ロ)どんなグループからは,イエスの追随者になるよう多くの人が召されることはありませんでしたか。それはなぜですか。
13 パウロは神の方法に関する論議を続け,このように言います。「ユダヤ人はしるしを求め,ギリシャ人は知恵を求めます。
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エホバは信じる者たちを救うために「愚かさ」をお用いになるものみの塔 1992 | 9月15日
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14 (イ)エホバの証人は自分たちの信任状について尋ねられるとき,何を指摘しますか。(ロ)パウロがこの世の知恵を少しでも表に出して,ギリシャ人を喜ばせようとしなかったのはなぜですか。
14 イエスが地上におられた時,ユダヤ人は天からのしるしを求めました。(マタイ 12:38,39; 16:1)しかしイエスは,しるしを与えることを一切拒まれました。同様に,今日のエホバの証人も,しるしのような信任状を示すことはありません。むしろ彼らは,聖書中のイザヤ 61章1,2節,マルコ 13章10節,啓示 22章17節などに記されているように,良いたよりを宣べ伝えるという自分たちの任務を指摘します。昔のギリシャ人はこの世の事柄に関する知恵と高等教育を求めました。パウロはこの世の知恵に関する教育を受けていましたが,それを少しでも表に出してギリシャ人を喜ばせようとはしませんでした。(使徒 22:3)そして話すときも書くときも,古典ギリシャ語ではなく,一般の人々が会話で使うギリシャ語を用いました。パウロはコリントの人たちにこう述べています。「兄弟たち,……わたしは,あなた方のところに行った時,もったいぶった話し方や知恵を携えて行って神の神聖な奥義を告げ知らせるようなことはしませんでした。……わたしの話し方,またわたしが宣べ伝えた事柄は,説得のための知恵の言葉ではなく,霊と力の論証を伴うものでした。それは,あなた方の信仰が,人間の知恵によらず,神の力によるものとなるためでした」― コリント第一 2:1-5。
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