29章
家族生活を成功させる
1 (イ)家族はどのようにして始まりましたか。(ロ)家族に関する神の目的は何でしたか。
エホバ神は,最初の男女を創造された時,家族を生み出させるためにふたりを結婚させました。(創世記 2:21-24。マタイ 19:4-6)その結婚した夫婦が子供たちを産むことによって人数を増やすことは神の目的でした。そして,その子供たちは成長すると結婚して,自分たちの家族をもうけることになっていました。神の目的は,将来,幸福な家族が地のあらゆる場所に住むようになることでした。彼らは地球をすみずみまで美しい楽園にすることになっていたのです。―創世記 1:28。
2,3 (イ)家族の機能が失われていることで神を責めることができないのはなぜですか。(ロ)家族生活をうまくやってゆくために何が必要ですか。
2 ところが今日,家庭は崩壊しつつあります。まだ一緒に生活していても,幸福でない家族は少なくありません。それで,『家族が本当に神によって創始されたものなら,もっとましな結果が期待できるのではないか』と言う人があるかもしれません。しかし,家族の機能が失われていることで神を責めることはできません。製造業者がある製品を作り,その使用法を記した説明書を添えるとしましょう。しかし,それを買った人がその説明書の通りにしないために製品が故障してしまった場合,それは製造業者の落ち度でしょうか。決してそうではありません。たとえ完全な品質のものであっても,使い方を間違えると故障します。家族の場合もそれに似ています。
3 エホバ神は,聖書の中に家族生活に関するいわば説明書を備えられました。しかし,その説明書を無視すればどうなりますか。家族についての取決めは完全なものであっても,それはこわれてばらばらになりかねません。そうなれば,家族の成員は幸福ではなくなります。一方,聖書の指針に従うなら,何事もうまくゆく幸福な家族になります。ですから,神がどのように家族の異なった成員を造られたか,また,それらの成員がどんな役割を果たすよう神が意図されたかを理解することは大切です。
神はどのように男と女を創造されたか
4 (イ)男と女にはどんな相違がありますか。(ロ)なぜ神はこのような違いをつくられたのですか。
4 エホバが男と女を同じように造られなかったことは,だれにでも分かります。男と女が多くの点で似ていることは確かです。しかし,体の外見と性的な造りははっきり異なっています。同時に感情的な特質も異なっています。なぜこのような相違があるのでしょうか。神は,各々が異なった役割を果たすのを助けるために,男と女をそのように造られたのです。神は男を造られたあとこう言われました。「人が独りのままでいるのは良くない。わたしは彼のために,彼を補うものとなる助け手を造ろう」― 創世記 2:18。
5 (イ)女はどのように,男を「補うもの」として造られましたか。(ロ)最初の結婚はどこで行なわれましたか。(ハ)結婚が本当に幸福な取決めになり得るのはなぜですか。
5 補うものとは,他のあるものとよく調和し,よくつり合って,それを完全にするもののことです。神は男と好一対をなすものとして女を創造されました。それは,地上に人を増やし,地球の世話をするようにという,神から与えられた指示を遂行する面で男を助けるためです。ですから男の体の一部を取って女を造られたのち,神は『それを人のところに連れて来て』最初の結婚式をエデンの園で執り行なわれました。(創世記 2:22。コリント第一 11:8,9)結婚の取決めは人を幸福にする可能性を持っています。というのは男と女は,それぞれ相手が満たしてくれる欲求を持つ者として造られたからです。男と女が持つ異なる特質は,互いをうまく補うものとなります。夫と妻が理解し合い感謝し合って,与えられた役割を果たしながら協力するとき,ふたりはそれぞれ幸福な家庭を築くことに寄与するのです。
夫の役割
6 (イ)家族の頭とされたのはだれですか。(ロ)これが正しく実際的なことと言えるのはなぜですか。
6 結婚生活や家族にはリーダーシップが必要です。男はそのリーダーシップに必要な特質や力をより多く備えた者として創造されました。そういう理由で聖書は,『夫は妻の頭です。それはキリストが会衆の頭であられるのと同じです』と述べています。(エフェソス 5:23)これは実際的なことです。なぜなら,リーダーシップがないところには問題や混乱が生じるからです。家族に頭がいないということは,ハンドルのない自動車を運転しようとするようなものです。あるいはもし,妻がその頭の権を競うなら,それは自動車に二人の運転手がいてそれぞれ自分のハンドルを持ち,別々の前輪を操縦するようなものでしょう。
7 (イ)女性の中に,男の頭の権という考えを好まない人がいるのはなぜですか。(ロ)すべての人に頭がありますか。また頭の権に関する神の取決めが賢明なものであるのはなぜですか。
7 ところが,男が家族の頭でなければならないという考えを好まない女性が大勢います。一つの主要な理由は,多くの夫が,頭の権の正しい行使に関する神の教えに従ってこなかった点にあります。しかし,これはだれもが認めることですが,どんな組織にせよ,組織を円滑に運営するためには,だれかが指示を与えたり,最終的な決定を下したりしなければなりません。ですから,聖書は賢明にもこう述べています。「すべての男の頭はキリストであり,女の頭は男であり,キリストの頭は神です」。(コリント第一 11:3)神の取決めによると,頭を持っていないのは神だけです。イエス・キリストを含めほかの者はみな,夫も妻も他者の指示を受け,その決定に従わなければなりません。
8 (イ)夫は,頭の権を行使するに際し,だれの模範に倣うよう期待されていますか。(ロ)夫はその模範からどんな教訓を学ぶべきですか。
8 このことからすると,男は夫としての役割を果たすためにキリストの頭の権を認めなければなりません。さらに,キリストの模範に倣い,キリストが追随者たちの会衆に対してなさるように,妻に対して頭の権を行使しなければなりません。キリストは,地上の追随者たちをどのように扱われたでしょうか。その扱い方はいつも親切で,思いやりがありました。追随者たちが指示に従うのが遅いときでも,イエスは決して荒々しい態度を取ったり,短気になったりすることはありませんでした。(マルコ 9:33-37; 10:35-45。ルカ 22:24-27。ヨハネ 13:4-15)実際,イエスは彼らのために進んで命をお与えになりました。(ヨハネ第一 3:16)クリスチャンである夫は,キリストの模範を注意深く学び,それに従って家族を扱うよう,最善の努力をしなければなりません。そうすれば,横暴で自己中心的な,思いやりのない家族の頭になることはないでしょう。
9 (イ)多くの妻たちはどんな不満を抱いていますか。(ロ)夫は頭の権を行使するに際し,分別を働かせ,どんなことを思いにとどめるべきですか。
9 しかし,また一方,夫である人たちは,次のことも考えてみるとよいでしょう。あなたの奥さまは,あなたが本当に家族の頭として行動してくれない,と不平を言われますか。家庭内で指揮をとり,家族ぐるみの活動を計画したり,最終的な決定を下す責任を果たしたりしてくれないと言われますか。しかしこれは,頭としてのあなたに,神が行なうよう求めておられる事柄です。もちろん,家族の他の成員の提案や好みに心を開き,頭の権を行使する際にそれらの提案を考慮に入れるのは賢明なことでしょう。確かに夫としてのあなたには,家庭内で難しい役割が課せられているのです。しかしそれを誠実に果たそうと努力するなら,奥さまもあなたを喜んで援助し,支持したいと思われるはずです。―箴言 13:10; 15:22。
妻の役割を果たす
10 (イ)聖書は妻にどんな歩み方を勧めていますか。(ロ)妻が聖書の助言に注意を払わないと,どんなことが生じますか。
10 聖書が述べているように,女は夫の助け手として造られました。(創世記 2:18)『妻は自分の夫に服しなさい』という聖書の勧めは,その役割と一致しています。(エフェソス 5:22)今では女性が攻撃的になり,男性と張り合うことも珍しくありませんが,妻が頭の権を取ろうとして出過ぎたことをするなら,必ずと言ってよいほど問題が起きます。多くの夫は結局,『自分がさい配を振りたいなら,勝手にするがいい』と言います。
11 (イ)夫が先に立って事を行なうように,妻はどのように助けることができますか。(ロ)妻が,神から与えられた役割を果たすなら,夫はどんな影響を受けるに違いありませんか。
11 もっとも,夫がしてくれないので,自分がどうしても先に立ってしなければならない,と感じている人もあるかもしれません。しかし,家族の頭としての責任を果たすよう夫を助けるために,妻にできることがもっとあるのではないでしょうか。妻は夫の指導力を頼みにしていることを示すでしょうか。夫に提案や導きを求めますか。夫のすることを,どんな形でもけなしたりしないようにしていますか。妻自身が,神から与えられた役割を家族の中で果たすことに本当に努力するなら,夫もきっと自分の役割を果たすようになるでしょう。―コロサイ 3:18,19。
12 自分の意見が夫の意見と違ったとしても,妻は自分の意見を述べて構わないことを何が示していますか。
12 と言ってもこれは,自分の意見が夫の意見と違っていても,それを口に出してはいけないということではありません。妻が正しい見地から物事を見る場合もあり,夫が妻の言葉に耳を傾けるなら,家族は益を受けることになるでしょう。アブラハムの妻サラは,夫によく従ったので,クリスチャンの妻の手本として挙げられています。(ペテロ第一 3:1,5,6)そのサラが,家族の問題について一つの解決策を提案したことがありました。アブラハムがサラの言葉に同意しなかった時,神は「その声を聴き入れよ」とアブラハムに言われました。(創世記 21:9-12)言うまでもなく,夫がある問題に関して最終的な決定を下したなら,妻は,それが神の律法を破ることにならなければ,その決定を支持すべきです。―使徒 5:29。
13 良い妻は何を行ないますか。それは家族にどんな影響を及ぼしますか。
13 自分の役割を正しく果たす上で妻には家族のためにできることがたくさんあります。例えば,栄養豊かな食事を準備し,家をいつも清潔に,きちんと整え,また子供のしつけを行なうことができます。聖書は結婚した婦人たちに,「夫を愛し,子供を愛し,健全な思いを持ち,貞潔であり,家事にいそしみ,善良で,夫に柔順である」ように,と勧めています。「神の言葉があしざまに言われることのないようにするためです」。(テトス 2:4,5)これらの務めを果たす妻や母親は,自分の家族から,永続的な愛と敬意を勝ち得るでしょう。―箴言 31:10,11,26-28。
家族内の子供の立場
14 (イ)家族内の子供の正しい立場とはどんなものですか。(ロ)子供たちはイエスの模範から何を学べますか。
14 エホバは最初の人間夫婦に,『子を生んで多くなるように』とお命じになりました。(創世記 1:28)そうです,神は彼らに子供をもうけるようにと言われたのです。子供たちは家族にとって祝福となるはずでした。(詩編 127:3-5)子供たちは親の律法とおきての下に置かれるので,聖書は子供の立場を奴隷の立場になぞらえています。(箴言 1:8; 6:20-23。ガラテア 4:1)イエスでさえ,子供のころはずっと,ご自分の両親に従われました。(ルカ 2:51)これはイエスが,両親の指図することを行なって両親に従われたという意味です。すべての子供たちがそのようにすれば,家族の幸福に間違いなく寄与することになるでしょう。
15 子供が親の頭痛の種となることが多いのはなぜですか。
15 しかし,このごろの子供たちは,家族にとって祝福というよりもむしろ親の頭痛の種となることが少なくありません。なぜでしょうか。その原因は,親も子供も,家族生活に関する聖書の教えを生活に取り入れていないところにあります。神のその律法や原則にはどんなものがあるでしょうか。このあとのページでその幾つかを調べてみましょう。その際に,それらの適用が自分の家族の幸福に寄与すると考えられるかどうかをご覧ください。
妻を愛し,妻に誉れを配しなさい
16 夫は何を行なうよう命令されていますか。これらの命令はどのように行なえばよいのですか。
16 聖書は神の知恵をもって,「夫は自分の体のように妻を愛すべきです」と述べています。(エフェソス 5:28-30)これは経験によって再三証明されてきたことですが,妻が幸福であるためには,妻は自分が愛されていると感ずる必要があります。つまり夫は,妻に優しくし,理解を示し,また安心感を与えるなどして,妻に特別の注意を払わなければならないということです。聖書が述べているように,夫は『妻に誉れを配する』必要があるのです。自分のすることすべてにおいて妻のことを考慮に入れるとき,夫はそうしていることになります。このようにして夫は妻の敬意を得ます。―ペテロ第一 3:7。
夫を敬いなさい
17 妻は何を行なうよう命令されていますか。どのようにそれを行ないますか。
17 それでは,妻についてはどうでしょうか。「妻は夫に対して深い敬意を持つべきです」と聖書は述べています。(エフェソス 5:33)ある夫たちが妻に対して憤慨する主な理由は,この助言に注意が払われていないことにあります。妻は,夫の決定を支持し,家族としての目標を達成するよう,夫に誠意ある協力をすることによって敬意を示します。聖書が与えている,夫を『助け補う者』としての役割を果たすなら,夫は妻を愛しやすくなります。―創世記 2:18。
互いに対して忠実でありなさい
18 配偶者同士が互いに忠実でなければならないのはなぜですか。
18 『夫と妻は互いに対して忠実でなければならない』と聖書は述べています。そして夫に対してはこう告げています。「あなたの妻と共に喜び,あなたが結婚した女性と共に喜びを見いだせ。……ほかの女にどうして自分の愛を与えるべきだろうか。別の男の妻の魅力をどうして好むべきだろうか」。(ヘブライ 13:4; 箴言 5:18-20,今日の英語聖書)そうです,姦淫は神の律法に反する行為です。姦淫を行なうと結婚生活はうまくいかなくなります。結婚問題を研究しているある婦人は,「多くの人が,不義の関係を結婚生活の薬味のように考えている」と述べ,そのような関係は必ず「深刻な問題」を招く,と付け加えています。―箴言 6:27-29,32。
配偶者の喜びを追い求めなさい
19 結婚している人々はどのように性関係から最大の喜びを得ることができますか。
19 自分を主にして性的な喜びを求めようとするなら,幸福は訪れません。むしろ,幸福は配偶者も喜ばせようとするときに得られるものです。聖書はこう述べています。「夫は妻に対してその当然受けるべきものを与えなさい。また妻も夫に対して同じようにしなさい」。(コリント第一 7:3)強調されているのは与えることです。与えることによって,与える側も深い喜びを得ます。イエス・キリストが,「受けるより与えるほうが幸福である」と言われた通りです。―使徒 20:35。
子供のために時間を用いる
20 子供たちと何かを一緒に行なうことが非常に重要なのはなぜですか。
20 8歳くらいの子供が言いました。「ぼくのお父さんはいつも働いています。だから家にいたことがありません。お父さんはお金をくれるし,おもちゃもたくさん買ってくれるけど,ぼくがお父さんに会うことはあまりありません。ぼくはお父さんが大好きです。お父さんがあんなに働かなくてもいいなら,もっと会えるんだけど」。「家で座るときも,道を歩くときも,寝るときも,起きるときも」子供たちを教えなさい,という聖書の命令に親たちが従うとき,家庭生活はどんなにか良いものになることでしょう。子供のために時間を用い,子供たちと充実した時を過ごすことが,家族の幸福に寄与することは間違いありません。―申命記 11:19。箴言 22:6。
必要な懲らしめを与える
21 聖書は子供に懲らしめを与えることについて何と述べていますか。
21 わたしたちの天の父は,ご自分の民に矯正のための教え,もしくは懲らしめを与える点で,親たちに正しい模範を示しておられます。子供たちには懲らしめが必要です。(ヘブライ 12:6。箴言 29:15)聖書はこのことを認めてこう勧めています。「父たちよ,あなた方の子供を……エホバの懲らしめと精神の規整とをもって育ててゆきなさい」。懲らしめとしておしりをたたいたり,特権を取り上げたりすることがあっても,それは親が子供を愛していることの証拠です。「子を愛する者は懲らしめをもって子を捜し求める」と聖書には述べられています。―エフェソス 6:4。箴言 13:24; 23:13,14。
若い人たち ― この世的な習わしに抵抗しなさい
22 若い人々にはどんな義務がありますか。その義務を果たすことには何が関係していますか。
22 世は,若い人々に神の律法を破らせようと躍起になっています。それに,聖書にある通り,『愚かさが少年の心につながれています』。(箴言 22:15)ですから,正しい事を行なうのは一つの闘いです。しかし聖書はこう述べています。「子供たち,あなたの両親に従うことはあなたのクリスチャンとしての義務です。それは行なうべき正しいことだからです」。それには豊かな報いがあります。ですから子供たちは賢明でなければなりません。「まだ若いうちにあなたの創造者を覚えなさい」という助言を心に留めてください。麻薬を用いること,酒に酔うこと,淫行を犯すことなど,神の律法に反する事柄への誘惑に抵抗してください。―エフェソス 6:1-4; 伝道の書 12:1; 箴言 1:10-19,今日の英語聖書。
聖書を一緒に勉強する
23 聖書を一緒に勉強することによって家族はどんな益を得ますか。
23 家族の中の一人でも聖書の教えを学んでそれを実行するなら,家族の幸福に寄与することになります。しかし,夫や,妻や,子供たちがみなそうするなら,その家族は本当に祝福された家族となります。家族の各成員が,エホバ神に仕えるよう他の成員を助けるとき,そこには意思の交流が自由に行なわれる,温かくて親しい関係が生まれるでしょう。ですから,聖書を一緒に勉強することを家族の習慣になさってください。―申命記 6:4-9。ヨハネ 17:3。
家族の諸問題を首尾よく扱う
24 結婚している人々は配偶者の過ちをなぜしんしゃくすべきですか。
24 普段は幸福な家族でも,時には問題が起きることもあるでしょう。人間はみな不完全で,間違いをするからです。「わたしたちはみな何度もつまずくのです」と聖書は述べています。(ヤコブ 3:2)ですから夫婦は,互いに相手に対して完全さを要求すべきではありません。むしろ,相手の過ちをしんしゃくすべきです。どちらも,非の打ちどころのない幸福な結婚生活を期待すべきではありません。そのような結婚生活を送ることは,不完全な人間にとっては不可能だからです。
25 結婚生活の中で起きる難しい問題は,どのように愛のうちに解決すべきですか。
25 もちろん,夫と妻は,配偶者をいら立たせるようなことを避けたいと思うでしょう。しかし,どんなに一生懸命努力しても,時には相手の心をかき乱すようなことをしてしまうことがあります。ではそのような事態はどう扱うべきでしょうか。「愛は多くの罪を覆う」と聖書は助言しています。(ペテロ第一 4:8)これは,愛のある配偶者は,相手の過ちをいつまでも蒸し返すことをしないという意味です。つまり愛はこのように言います。『確かにあなたは間違いをしました。しかしわたしも時々間違いをします。だからあなたの間違いは見過ごします。それでわたしが間違いをするときにも同じように見過ごしてください』。―箴言 10:12; 19:11。
26 何かの難しい問題が生ずるとき,問題を解決するのに何が役立ちますか。
26 夫婦が間違いを進んで認め,それを正そうとするなら,多くの言い争いや心痛を避けることができます。夫婦は,言い争いに勝つことではなく,問題を解決することを目標にすべきです。相手が間違っている場合でも,親切にすれば問題の解決は容易になります。自分が間違っているなら,謙遜になって許しを求めましょう。そうすることを延ばしてはなりません。問題をすぐに扱うようにしましょう。「あなた方が怒り立ったまま日が沈むことのないようにしなさい」― エフェソス 4:26。
27 聖書のどんな助言に従うことは,結婚している人々が自分たちの問題を解決するのに役立ちますか。
27 結婚している人は特に,「自分の益を図って自分の事だけに目を留めず,人の益を図って他の人の事にも目を留めなさい」という原則を守る必要があります。(フィリピ 2:4)聖書の次の命令に従う必要があります。「優しい同情心,親切,へりくだった思い,温和,そして辛抱強さを身に着けなさい。だれかに対して不満の理由がある場合でも,引き続き互いに忍び,互いに惜しみなく許し合いなさい。エホバが惜しみなく許してくださったように,あなた方もそのようにしなさい。しかし,これらすべてに加えて,愛を身に着けなさい。それは結合の完全なきずななのです」― コロサイ 3:12-14。
28 (イ)離婚は,結婚問題を解決する方法ですか。(ロ)再婚の自由を与える離婚の唯一の理由は何であると聖書は述べていますか。
28 今日,多くの夫婦は,神の言葉の助言を助けにして問題を解決しようとせずに離婚を望みます。神は問題解決の手段として離婚を是認しておられますか。いいえ,是認しておられません。(マラキ 2:15,16)神は結婚を,生涯にわたる取決めとされました。(ローマ 7:2)聖書は,人が離婚し再婚できる理由を一つだけ容認していますが,それは淫行(ギリシャ語ではポルネイア,甚だしい性的不道徳)です。もし淫行がなされるなら,罪のないほうの配偶者は,離婚するかどうかを決めることになるでしょう。―マタイ 5:32。
29 (イ)あなたの配偶者がクリスチャンの崇拝に共に加わらないなら,あなたはどうすべきですか。(ロ)どんな結果の生ずる可能性がありますか。
29 もし配偶者が神の言葉を一緒に学ぶことを拒むなら,あるいはクリスチャンの活動に反対したりするならどうでしょうか。それでも聖書は,配偶者と共におり,問題から逃れる安易な方法として別れることなどを考えないようにと勧めています。自分自身の振舞いについて聖書が述べている事柄を適用することにより,家庭内の状況を改善する上で個人的にできることを行なってください。やがて,あなたのクリスチャンとしての行状ゆえに,あなたは配偶者の心を勝ち得ることができるかもしれません。(コリント第一 7:10-16。ペテロ第一 3:1,2)こうした方法であなたの愛ある忍耐が報われるなら,あなたに注がれる祝福は本当に豊かなものとなります。
30 親が子供のために立派な模範を示すのはなぜ重要なことですか。
30 今日,多くの家庭問題には子供がからんでいます。もしあなたの家庭もそうであるなら,何ができるでしょうか。何よりもまず,親として良い模範を示す必要があります。子供たちは,あなたの言うことよりもあなたの行なうことに従う傾向があるからです。そしてあなたの行動があなたの言うことと違うなら,子供はすぐにそれを見て取ります。ですから,子供たちに立派なクリスチャンとしての生き方をしてほしいと思うなら,あなた自身が良い模範を示さなければなりません。―ローマ 2:21,22。
31 (イ)親の助言に従うことに関し,子供たちにはより重要などんな理由が必要ですか。(ロ)淫行を禁ずる神の律法に従うことの知恵を,あなたはどのように若い人たちに示すことができますか。
31 それに加えて,子供たちを諭す必要があります。子供に『淫行は悪い事だから,それはしてほしくない』と言うだけでは不十分です。淫行に類することは悪いことだと言っておられるのは,彼らの創造者エホバ神であることを示す必要があります。(エフェソス 5:3-5。テサロニケ第一 4:3-7)しかし,それでも十分ではありません。なぜ神の律法に従うべきか,なぜそれが彼らを益することになるかを理解するよう,子供たちを助けなければなりません。例えば,人間の赤ちゃんが男性の精子と女性の卵子の結合によって形造られるすばらしい方法に子供の注意を引き,『この誕生の奇跡を可能にされた方は,人間に備わっている生殖力をどう用いるべきかについて,一番よく知っておられると思わないか』と尋ねてみるのもよいでしょう。(詩編 139:13-17)あるいは,『わたしたちの偉大な創造者が,わたしたちの生活の楽しみを奪うような律法をおつくりになると思うか。むしろ,神の律法に従うほうがわたしたちは幸福になれるのではないか』と尋ねることもできるでしょう。
32 (イ)子供の意見が神のお考えと一致しない場合,あなたはどんな態度を取るべきですか。(ロ)聖書の言葉の知恵を理解するよう,どのように子供を助けることができますか。
32 このような質問がきっかけとなって,子供は生殖器官の用い方を律する神の律法について考え始めるかもしれません。子供の意見をよく聞いてください。その見解があなたの期待通りのものでなくても,腹を立ててはなりません。子供の世代は,聖書の義にかなった教えからは遠く離れてしまっていることを理解するように努めましょう。そして,子供たちの世代の不道徳な慣行がなぜ愚かなものかを示すように努めましょう。性の不道徳が,私生児の誕生,性病などの様々な問題に発展した幾つかの特定の例に子供の注意を向けることができるかもしれません。このようにして子供は聖書の述べる事柄が理にかなっており,正しいことを理解するように助けられます。
33 地上の楽園で永遠に生きるという,聖書に基づいた希望は,なぜ家族生活を成功させる上で役立ちますか。
33 特に,地上の楽園で永遠に生きるという聖書に基づいた希望は,家族生活を成功させる上で役立ちます。なぜでしょうか。わたしたちが神の新しい体制で生きることを本当に願うなら,その時に生きることを希望して,現在一生懸命に生きようとするからです。これは,エホバ神の指示や導きに一心に従うことを意味します。その結果神は,わたしたちの現在の幸福に加えて,将来,永久にわたって,永遠の命と豊かな幸福を享受できるようにしてくださるのです。―箴言 3:11-18。