「行って,すべての国の人々を弟子とし」なさい。マタイ 28:19
60番の歌 命を意味する知らせ
何を学ぶか
1-2. (ア)マタイ 28章18-20節のイエスの命令によると,クリスチャン会衆の主な務めは何ですか。(イ)この記事ではどんな点を考えますか。
山腹に集まった使徒たちは期待に胸を膨らませていたことでしょう。復活したイエスから,そこに来るよう言われていたのです。(マタ 28:16)イエスが「一度に五百人以上の兄弟に現われ」たのは,その時だったのでしょう。(コリ一 15:6)イエスが弟子たちをその場所に呼んだのはなぜでしたか。「行って,すべての国の人々を弟子と[する]」という務めを与えるためでした。実に壮大な務めです。(マタイ 28:18-20を読む。)
2 イエスの言葉を聞いた弟子たちは,1世紀のクリスチャン会衆に加わりました。会衆の主な務めは,多くの人をキリストの弟子とすることでした。 今日,世界中の10万以上の会衆も同じ務めを果たしています。この記事では,4つの点を考えます。人々を弟子とすることが大切なのはなぜか,人々を弟子とするために何をしなければならないか,クリスチャン全員が人々を弟子とすることに貢献していると言えるのはなぜか,この務めを果たすのに辛抱強さが必要なのはなぜか,という点です。
人々を弟子とすることが大切なのはなぜか
3. ヨハネ 14章6節と17章3節によると,人々を弟子とする務めが大切なのはなぜですか。
3 人々を弟子とすることが大切なのはなぜですか。キリストの弟子だけが神の友になれるからです。また,キリストに従うなら,今,充実した生き方ができ,将来,永遠に生きることができます。(ヨハネ 14:6; 17:3を読む。)イエスから与えられた務めは本当に重要です。しかし,わたしたちだけで果たすわけではありません。使徒パウロは自分と仲間たちについて,「わたしたちは神と共に働く者」であると述べました。(コリ一 3:9)不完全な人間にとって何と光栄なことでしょう。
4. イバンとマティルデの経験から何を学べますか。
4 人々を弟子とする活動は大きな喜びをもたらします。コロンビアのイバンとマティルデという夫婦の例を考えましょう。2人がダビエルという若い男性に聖書について話したところ,ダビエルは「このままじゃだめなのは分かっているけど,どうにもならない」と言いました。ダビエルはボクサーで,麻薬を使い,大酒を飲み,ガールフレンドのエリカと一緒に暮らしていました。イバンはこう述べています。「ダビエルは遠くの村に住んでいたので,家を訪問するには,ぬかるんだ道を自転車で何時間もかけて進まなければなりませんでした。エリカはダビエルの良い変化を見て,聖書レッスンに同席するようになりました」。やがてダビエルは麻薬とお酒とボクシングをやめました。エリカとも結婚しました。マティルデはこう言います。「2016年にダビエルとエリカがバプテスマを受けた時,ダビエルがかつて『このままじゃだめなのは分かっているけど,どうにもならない』と言っていたのを思い出し,涙が止まりませんでした」。確かに,キリストの弟子となるよう人々を助けるなら,深い喜びを味わえます。
人々を弟子とするためには何をしなければならないか
5. 人々を弟子とするための最初のステップは何ですか。
5 人々を弟子とするための最初のステップは,真理を知りたいと思っている人を「捜し出[す]」ことです。(マタ 10:11)区域で会う人すべてに真理を伝えるよう努めるなら,自分が本当にエホバの証人であることを実証できます。伝道するようにというキリストの命令に従う,本当のクリスチャンであることを示せるのです。
6. 真理を伝えるうえで,どんなことが役立ちますか。
6 聖書の真理をぜひ学びたいという人もいますが,多くの人は初めのうち興味を示しません。ですから,興味を抱かせる必要があります。そのためにはよく準備しなければなりません。相手が興味を持ちそうな話題を選び,どのように話を切り出すかを考えてください。
7. どのように話を切り出せますか。相手の話をよく聞き,見方を尊重することが大切なのはなぜですか。
7 例えば,家の人にこう尋ねることができます。「一つの点をお尋ねしています。最近のいろいろな問題は世界中の人に影響を与えています。そういう問題を解決するには,世界全体を治める政府が必要だと思いませんか」。その後,ダニエル 2章44節を読んで,説明します。近所の人にこう尋ねることもできます。「礼儀正しい子どもに育てるためには何が大切だと思いますか」。それから申命記 6章6,7節を読んで,話を進めます。どんな話題を選ぶにしても,話す相手について考えてください。聖書の教えを知ることが,どれほどその人のためになるかを想像しましょう。相手の話をよく聞き,見方を尊重することも大切です。そうすれば,相手をよく理解することができます。相手もあなたの話をよく聞いてくれるでしょう。
8. 辛抱強く再訪問する必要があるのはなぜですか。
8 聖書レッスンを取り決めるまでには,何度も訪問する必要があるでしょう。訪問しても留守だったり忙しかったりすることがあるからです。たとえ会えたとしても,1度や2度ではなく,何度も会ってやっと心を開き,聖書を学び始める人もいます。植物が成長するには,定期的に水をやることが必要です。同様に,エホバとキリストに対する家の人の愛が成長するには,聖書を使って定期的に話し合うことが必要です。
人々を弟子とする活動にだれが貢献しているか
9-10. 真理を知りたいと思っている人を見つける活動にクリスチャン全員がかかわっている,と言えるのはなぜですか。
9 真理を知りたいと思っている人を探す活動には,クリスチャン全員がかかわっています。この活動は迷子を捜すことに似ています。ある3歳の男の子は,一人で家の外に出て迷子になってしまいました。500人ほどの人たちが捜索活動に加わりました。約20時間後,あるボランティアがトウモロコシ畑にその子がいるのを見つけました。そのボランティアは,子どもを見つけたことを自分の手柄にしようとはしませんでした。こう言いました。「何百人もの人たちが協力して捜したから見つかったんです」。
10 今日,多くの人はある意味でこの迷子のような状況にあります。希望がなく,助けを必要としています。(エフェ 2:12)800万人以上のエホバの証人が,そのような人たちを探しています。あなた自身は,聖書を学びたいという人に出会ったことがないかもしれません。しかし,同じ区域で伝道している他の兄弟姉妹が,聖書の真理を学ぼうとする人を見つけるかもしれません。そのようにして見つかった人がキリストの弟子になったなら,探した人たち全員が喜べます。
11. 研究生がいなくても,どうすれば人々を弟子とする活動に貢献できますか。
11 今,研究生がいなくても,人々を弟子とする活動に貢献できます。例えば,王国会館に来る新しい人を歓迎し,親しくなることができます。新しい人は,わたしたちが愛を表わす本物のクリスチャンだと感じることでしょう。(ヨハ 13:34,35)集会で,たとえ短くても心からコメントするなら,新しい人も,自分の信じていることを誠実に敬意をこめてコメントしよう,と思うかもしれません。新しい伝道者と一緒に宣教を行ない,聖書を使って人々と話し合えるよう助けることもできます。そのようにして,新しい人がキリストに倣うよう教えることができます。(ルカ 10:25-28)
12. 人々を弟子とするために特別な才能は必要ですか。説明してください。
12 イエスの弟子となるよう人々を教えるために,特別な才能は必要ありません。なぜそう言えますか。ボリビアに住むファウスティナという女性の例を考えましょう。ファウスティナはエホバの証人と会ったころ,字が読めませんでした。その後努力し,幾らか読み書きができるようになりました。バプテスマを受け,今では他の人に聖書を教えることを楽しんでいます。毎週,5件の聖書レッスンを行なっています。ほとんどの研究生はファウスティナよりも読み書きが上手です。それでも,ファウスティナは6人の研究生がバプテスマを受けるよう援助することができました。(ルカ 10:21)
13. たとえ忙しくても,人々を弟子とする活動を行なうなら,どんな喜びを味わえますか。
13 多くのクリスチャンは忙しい毎日を送っています。行なうべきことがたくさんあるからです。それでも,時間を取って聖書レッスンを行ない,大きな喜びを味わっています。アラスカに住むメラニーという姉妹の例を考えましょう。メラニーは8歳の娘を一人で育てていました。フルタイムの仕事をしており,がんにかかった父親を世話していました。メラニーは人里離れた町で唯一のエホバの証人でした。寒さに耐えられるようエホバに祈り,伝道に出かけていました。聖書レッスンに興味を持つ人に会いたいと心から願っていたのです。ある日,サラという女性に会いました。サラは,神に名前があることを知って感動しました。しばらくして,サラとの聖書レッスンが始まりました。メラニーはこう言います。「金曜日の夕方にはいつも疲れ切っていましたが,娘と一緒にサラの家に行き,聖書レッスンをしました。娘にとってもわたしにとっても大切な時間でした。サラから受けた質問について娘と調べるのも楽しいことでした。やがてサラはエホバの友になりました。本当にうれしかったです」。サラは周囲の反対の中,教会を脱退し,バプテスマを受けたのです。
人々を弟子とすることに辛抱強さが求められるのはなぜか
14. (ア)人々を弟子とする活動は,どんな点で漁と似ていますか。(イ)テモテ第二 4章1,2節にあるパウロのアドバイスをどのように当てはめることができますか。
14 自分の宣教が成果を挙げていないように思えても,弟子になる見込みのある人をあきらめずに探しましょう。イエスは,人々を弟子とする活動を漁に例えました。漁師は魚を取るために多くの時間を費やします。夜遅く,あるいは朝早く漁に出かけます。船で遠くに行くこともあります。(ルカ 5:5)クリスチャンも人々を弟子とするために多くの時間を費やします。様々な時間にいろいろな場所で“漁”を行なうのです。なぜでしょうか。人々に会うためです。一生懸命に努力すると,聖書のメッセージに興味を持つ人に会う可能性が高まります。あなたは人々にもっと会うために,時間や場所を変えて伝道することができますか。(テモテ第二 4:1,2を読む。)
15. 聖書を教えることに辛抱強さが求められるのはなぜですか。
15 聖書を教えることに辛抱強さが求められるのはなぜですか。一つには,研究生が聖書の教えを知り,愛するよう助けるだけではなく,聖書の著者エホバを知り,愛するよう助ける必要があるからです。また,イエスが弟子たちに何を求めているかだけではなく,クリスチャンとしてどのように生きるべきかを教える必要もあります。研究生が聖書の教えをなかなか当てはめられないなら,辛抱強く助けなければなりません。数か月で考え方や行動を変える人もいますが,もっと時間がかかる人もいます。
16. ラウルの経験からどんなことを学べますか。
16 ペルーの宣教者の経験から,辛抱強さの大切さを学べます。その宣教者はこう述べています。「ラウルという聖書研究生と2冊の本を学びました。でも,ラウルは依然として大きな問題を抱えていました。妻との仲が険悪で,汚い言葉を使い,子どもたちにも尊敬されていませんでした。でも,集会には定期的に出席していたので,訪問を続け,ラウルと家族を助けました。最初に会った時から3年後,ラウルはバプテスマを受けました」。
17. 次の記事ではどんなことを考えますか。
17 イエスは「行って,すべての国の人々を弟子とし」なさい,と命じました。この務めを果たすには,自分とは考え方が全く違う人と話す必要もあります。中には,宗教や神を信じていない人もいます。次の記事では,そうした人にどのように良い知らせを伝えることができるかを考えます。
68番の歌 王国の種をまく