あなたは世の霊に抵抗していますか
「わたしたちが受けたのは,世の霊ではなく,神からの霊です」― コリント第一 2:12。
1,2 インドのボパールでは,毒ガスに関連したどんな惨事がありましたか。しかし,世界中の人々は,より致命的などんな“ガス”を吸い込んでいますか。
それは1984年の12月,ある涼しい夜のことです。インドのボパールで衝撃的な出来事が起きました。その都市には化学工場がありますが,12月のその夜,ガス貯蔵タンクのバルブの一つが故障したのです。突然,何トンものイソシアン酸メチルが大気中に噴き出しました。死をもたらすこのガスは,風に運ばれて家々の中に入り,眠っていた家族を覆いました。死亡した人の数は何千人にも上り,そのほかに大勢の人が障害を抱えるようになりました。それは工場関係の事故としてはそれまでの最悪の事故でした。
2 人々はボパールのことを聞いた時,悲痛な気持ちになりました。しかし,その地域に漏れたガスが致命的だったとはいえ,それによる死者の数は,世界中の人々が毎日吸い込んでいる別の“ガス”による霊的死者の数と比べれば,はるかに少ない数です。聖書はそれを「世の霊」と呼んでいます。それは,使徒パウロが次のように述べた時に神の霊と対照させた,死をもたらす雰囲気のことです。「そこで,わたしたちが受けたのは,世の霊ではなく,神からの霊です。それは,そのご親切によって神から与えられている物事をわたしたちがよく知るようになるためです」― コリント第一 2:12。
3 「世の霊」とは何ですか。
3 厳密に言えば,「世の霊」とは何でしょうか。「セアの新約聖書希英辞典 新版」によれば,「霊」(ギリシャ語,プネウマ)という語には,「だれであれ各々の魂に満ち,また魂を統御する,気質もしくは影響力」という一般的な意味があります。人は良い霊つまり良い気質を持つこともあれば,悪い霊つまり悪い気質を持つこともあります。(詩編 51:10。テモテ第二 4:22)一群の人々も一つの霊,つまり支配的な気質を持つ場合があります。使徒パウロは友人のフィレモンにあてて,「主イエス・キリストの過分のご親切があなた方の示す霊と共にありますように」と書き送りました。(フィレモン 25)同様に ― しかし,もっと大きな規模で ― この世界一般にも,広く行き渡った気質があります。それがパウロの言う「世の霊」なのです。ビンセントの「新約聖書の語彙研究」によれば,「この語句は,更生しないこの世を動かしている悪の原理を意味し」ます。それは,この世の考え方に染み込んでいる,また人々の行動の仕方に強力な影響を及ぼしている,罪深い傾向のことです。
4 世の霊の源となっているのはだれですか。この霊は人間にどんな影響を及ぼしていますか。
4 この霊は有毒です。なぜでしょうか。なぜなら,それは「この世の支配者」サタンから出ているからです。実際,サタンは「空中の権威の支配者,不従順の子らのうちにいま働いている霊」と呼ばれています。(ヨハネ 12:31。エフェソス 2:2)この『空気』,もしくは「不従順の子らのうちにいま働いている霊」から逃れるのは容易なことではありません。それは人間社会の至る所にあるのです。わたしたちは,もしそれを吸い込むなら,それ特有の態度,その目指すところを受け入れるようになります。世の霊は『肉にしたがって生きること』,つまり罪深い不完全さにしたがって生きることを奨励しています。それは致命的行為です。「肉にしたがって生きるなら,あなた方は必ず死に至るからです」。―ローマ 8:13。
この世の霊を避ける
5 あるエホバの証人は,ボパールであの災害に見舞われた時,どのように賢く行動しましたか。
5 ボパールであの災害が起きた時,あるエホバの証人はサイレンの音と有毒ガスの刺激臭に目を覚ましました。彼はすぐさま家の者たちを起こし,急いで皆を外に出しました。ほんの一瞬立ち止まって風向きを確かめてから,右往左往する群衆の間を縫って,家族を市外の丘の頂まで連れて行きました。彼らはそこで,近くの湖の方から流れて来る新鮮で清らかな空気を胸一杯に吸うことができました。
6 わたしたちはどこへ行けば世の霊から逃れることができますか。
6 わたしたちには,この世の有毒な『空気』を避けて逃げて行けるような高台があるでしょうか。確かにある,と聖書は述べています。預言者イザヤは,わたしたちの時代を望み見てこう書きました。「末の日に,エホバの家の山はもろもろの山の頂より上に堅く据えられ,もろもろの丘より上に必ず高められ,すべての国の民は必ず流れのようにそこに向かう。そして多くの民は必ず行って,こう言う。『来なさい。エホバの山に,ヤコブの神の家に上ろう。神はご自分の道についてわたしたちに教え諭してくださる。わたしたちはその道筋を歩もう』。律法はシオンから,エホバの言葉はエルサレムから出るのである」。(イザヤ 2:2,3)この地球上に,窒息死を引き起こす有毒なこの世の霊に汚染されていない場所は,清い崇拝の行なわれている高い所,高められた「エホバの家の山」以外にありません。エホバの霊はそこで,忠実なクリスチャンの間に豊かに流れているのです。
7 多くの人はどのようにして世の霊から救われていますか。
7 以前にはこの世の霊を吸っていたものの,ボパールのあのエホバの証人が経験したのと同じように,今では安堵の胸をなで下ろしている,という人が大勢います。使徒パウロは,この世の空気すなわち霊を吸っている「不従順の子ら」のことに触れたあと,こう述べました。「それら不従順の子らの中にあって,わたしたちは皆,一時は自分の肉の欲望にしたがって生活し,肉と考えとの欲するところを行なって,ほかの人々と同じく生まれながらに憤りの子供でした。しかし,神は憐れみに富んでおられ,わたしたちを愛してくださったその大いなる愛のゆえに,……キリストと共に生かし(てくださったのです)」。(エフェソス 2:3-5)この事物の体制の毒された空気しか吸っていない人たちは,霊的な意味では死んでいます。しかし,エホバに感謝すべきことに,今日幾百万もの人がこの霊的な高地へと避難しており,死を招くその状態の中から逃れています。
「世の霊」の表われ
8,9 (イ)わたしたちは絶えず世の霊に警戒していなければなりませんが,どんなことを見ればその必要性が分かりますか。(ロ)サタンの霊はどのようにわたしたちを堕落させるかもしれませんか。
8 サタンを源とする死をもたらす空気は,依然としてわたしたちの周りに漂っています。わたしたちは警戒していなければなりません。当てもなく下方へ,世へ戻ってしまう,などということがあってはなりません。戻れば恐らく,霊的に窒息してしまうでしょう。ですから,片時も油断することはできません。(ルカ 21:36。コリント第一 16:13)例えば,この事実を考えてみてください。クリスチャンはみなエホバの道徳規準をよく知っていますから,姦淫,淫行,同性愛といった汚れた行ないが許容されるなどとは決して思わないことでしょう。ところが,毎年4万人ほどの人がエホバの組織から排斥されているのです。なぜでしょうか。多くの場合,それらと全く同じ汚れた行ないをしたからです。どうしてそのようなことが起こり得るのでしょうか。
9 なぜなら,わたしたちはみな不完全だからです。肉体は弱いので,わたしたちは心に浮かぶ種々の間違った傾向と絶えず戦わなければなりません。(伝道の書 7:20。エレミヤ 17:9)しかし,そうした間違った傾向は世の霊によってかき立てられます。世の多くの人は不道徳を間違ったこととは見ていませんし,何をしてもかまわないという観念がサタンの事物の体制の精神的傾向の一部になっています。もし自分自身をそのような考え方にさらすなら,恐らくは世と同じように考えるようになるでしょう。そしてやがて,そのような清くない考えによって,重大な罪につながる間違った欲望がかき立てられるかもしれません。(ヤコブ 1:14,15)そうなれば,エホバの清い崇拝という山から,当てどもなくサタンの世という汚染された低地に降りてしまうことになります。好んでそこにとどまる人はだれも,永遠の命を受け継ぐことはないでしょう。―エフェソス 5:3-5,7。
10 サタンの空気は,一つにはどんな形で表われていますか。クリスチャンはなぜそれを避けるべきですか。
10 世の霊はわたしたちの周りの至る所にはっきり見られます。例えば,多くの人が示す,人生に対する不まじめな,あざ笑うような態度があります。人々は,腐敗した,あるいは適性の欠けた政治家や,不道徳で貪欲な宗教指導者に幻滅を感じ,重大な事柄についてさえ不敬な話し方をします。クリスチャンはこうした傾向に抵抗します。わたしたちは健全なユーモアのセンスを持っているにしても,軽べつしてあざ笑うような霊を会衆内に持ち込むことは避けます。クリスチャンの言葉遣いは,エホバへの恐れや心の浄さを反映します。(ヤコブ 3:10,11。箴言 6:14と比較してください。)年が若かろうと年老いていようと,わたしたちの言葉遣いは『常に慈しみのあるもの,塩で味つけされたもの,一人一人にどのように答えるべきかをわきまえたもの』であるべきです。―コロサイ 4:6。
11 (イ)世の霊は別のどんな面に表われていますか。(ロ)クリスチャンは,その面を反映している人たちとなぜ異なっていますか。
11 この世の霊を反映するもう一つの傾向として一般に見られるのは,憎しみです。世界は,人種,民族,国家,さらには個性の違いに基づく憎しみや争いによって引き裂かれています。それに比べ,神の霊が活動している所の物事は何と良いのでしょう。使徒パウロはこう書きました。「だれに対しても,悪に悪を返してはなりません。すべての人の前に良いものを備えなさい。できるなら,あなた方に関するかぎり,すべての人に対して平和を求めなさい。わたしの愛する者たち,自分で復しゅうをしてはなりません。むしろ神の憤りに道を譲りなさい。こう書いてあるからです。『復しゅうはわたしのもの,わたしが返報する,とエホバは言われる』。そしてこうあるのです。『あなたの敵が飢えているなら,食べさせなさい。渇いているなら,飲む物を与えなさい。そうすれば,燃える炭火を彼の頭に積むことになるのである』。悪に征服されてはなりません。むしろ,善をもって悪を征服してゆきなさい」― ローマ 12:17-21。
12 クリスチャンはなぜ物質主義を避けますか。
12 この世の霊はまた,物質主義を奨励しています。多くの人は商業界によって気をそそられ,最新の装置,最新のファッション,最新型の車のことばかり考えています。そのような人たちは,「目の欲望」の奴隷になっています。(ヨハネ第一 2:16)大抵の人は人生において成功しているかどうかを,住んでいる家の大きさや銀行預金の額によって量ります。クリスチャンは,エホバの清い崇拝という高められた山で清い霊的な空気を吸っており,そうした傾向に抵抗します。富もうと思い定めて物質的なものを追い求めるなら身の破滅を招きかねない,ということを彼らは知っています。(テモテ第一 6:9,10)イエスは弟子たちに,次のことを思い起こさせました。「満ちあふれるほどに豊かであっても,人の命はその所有している物からは生じない」のです。―ルカ 12:15。
13 この世の霊は,ほかにどんな形で表われていますか。
13 ほかにも,この世の不健全な『空気』の表われと言えるものがあります。その一つは,反抗の精神です。(テモテ第二 3:1-3)あなたは多くの人がもはや権威に協力しなくなっていることに気づいていますか。世俗の職場には,だれかが実際に監視しているのでなければ仕事をしないという風潮が見られますか。法律を破った人 ― 例えば,納税に関して不正なことをしたり,仕事場の物を盗んだりした人 ― を何人ぐらい知っていますか。まだ在学中の人なら,学業で良い成績を収めるとクラスの仲間から見下されるので,最善を尽くそうという意欲をそがれたことがありますか。こうしたことは皆,クリスチャンが抵抗しなければならない世の霊の表われです。
この世の霊に抵抗する方法
14 クリスチャンは,クリスチャンではない人々とどんな点で異なっていますか。
14 しかし,わたしたちは現にこの世で生活しているのに,どのように世の霊に抵抗できるでしょうか。わたしたちは自分が物理的にどこにいようと,霊的には世のものではないことを覚えていなければなりません。(ヨハネ 17:15,16)わたしたちの目標はこの世の目標ではありません。わたしたちの物の見方は異なっています。わたしたちは霊的な人であり,「人間の知恵に教えられた言葉ではなく,霊に教えられた言葉で」話したり考えたりします。「わたしたちは霊的なことに霊的な言葉を結び合わせるのです」。―コリント第一 2:13。
15 わたしたちはどのようにして世の霊を退けることができますか。
15 だれにせよ,もし自分のいる地域が有毒ガスで汚染されていることに気づいたなら,何をすることができるでしょうか。その人は,清い空気の供給源につながれた防毒マスクを着けるか,あるいは,物理的にその地域から立ち去ることができるでしょう。サタンの空気を避ける方法は,それらの手段を兼ね合わせたものと言えます。わたしたちはできる限り,何であれ自分の考え方に世の霊の影響を及ぼすものからは物理的に離れるようにします。それゆえに,良くない交わりは避けますし,何であれ暴力行為,不道徳,心霊術,反抗,その他の肉の業を奨励するような娯楽には関心を向けません。(ガラテア 5:19-21)しかし,わたしたちはこの世で生活している以上,そういう事柄に接するのを完全に避けることはできません。ですから,もし自分を霊的に新鮮な空気の供給源につなげているのであれば,賢明な行動を取っていると言えます。わたしたちは,集会への定期的な出席,個人研究,クリスチャンとしての活動,交わり,祈りなどによって,いわば自分の霊的な肺を満たします。このように,わたしたちはたとえサタンの空気が幾らか自分の霊的な肺に入ってしまうとしても,神の霊によって強められ,それを吐き出すことができるのです。―詩編 17:1-3。箴言 9:9; 13:20; 19:20; 22:17。
16 わたしたちは神の霊を持っていることをどのように明らかにしますか。
16 神の霊はクリスチャンを,この世のものとなっている人たちとは違うことが傍目にもすぐに分かるような人にならせます。(ローマ 12:1,2)パウロはこう述べています。「霊の実は,愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,温和,自制です。このようなものを非とする律法はありません」。(ガラテア 5:22,23)神の霊はまた,クリスチャンが物事をより深く理解できるようにします。「神の事柄(は),神の霊を別にすれば,だれも知らない」と,パウロは述べています。(コリント第一 2:11)一般的な意味において,「神の事柄」には贖いの犠牲,イエス・キリストの治める神の王国,永遠の命の希望,この邪悪な世の一掃される時が差し迫っていること,などの真理が含まれています。クリスチャンは神の霊に助けられて,それらの事柄が真理であることを知り,それらを真理として受け入れています。またそれゆえに,彼らの人生観は世の人々の人生観と異なるのです。彼らはエホバにとこしえに仕える見込みを抱いて今エホバに仕える喜びを味わうことで満足しています。
17 世の霊に抵抗する点で最高の手本を示したのはだれですか。どのように手本を示しましたか。
17 イエスはこの世の霊に抵抗する人たちの最高の模範でした。イエスがバプテスマを受けたすぐ後に,サタンは三つの誘惑を仕掛けてイエスをエホバに仕える道からそれさせようとしました。(マタイ 4:1-11)最後の誘惑には,イエスがサタンに一度だけ崇拝行為をする見返りに全世界の支配権を獲得できる,という可能性が伴っていました。イエスは次のように推論することもできたでしょう。『そうだ,その崇拝行為をして,それから世界の支配権を得た後に,悔い改めてエホバの崇拝に戻ればいい。世界支配者になれば,ナザレ出身の大工としての今の立場よりも,人類に益を得させるはるかに良い立場に立つことになるのだから』。しかしイエスは,そのようには推論しませんでした。エホバが世界支配権を与えてくださるまで喜んで待ちました。(詩編 2:8)イエスはその時,また生涯中のほかのどの時にも,サタンの空気の有毒な影響力に抵抗しました。こうしてイエスは,この霊的に汚染された世を征服したのです。―ヨハネ 16:33。
18 わたしたちが世の霊に抵抗すれば,どのように神に賛美がもたらされますか。
18 使徒ペテロが言ったように,わたしたちはイエスの足跡にしっかり従わなければなりません。(ペテロ第一 2:21)イエスの模範より優れたどんな模範があるでしょうか。この終わりの日に,人間は世の霊に影響されて,ますます深く堕落の淵に沈んでいます。このような世のただ中で,エホバの崇拝という高められた場所が純粋さと清さで目立っているというのは,実に驚嘆すべきことです。(ミカ 4:1,2)確かに,神の霊の力は,幾百万という人が流れのように神の崇拝の場所に上り,至る所に充満しているこの世の霊に抵抗し,エホバに誉れと賛美をもたらしている点に認められます。(ペテロ第一 2:11,12)わたしたちは皆,エホバの油そそがれた王がこの邪悪な世を一掃し,悪魔サタンとその悪霊たちを底知れぬ深みに閉じ込めてくださる時まで,その高められた場所にとどまる,という決意を固めましょう。(啓示 19:19–20:3)その時にはもはや世の霊は存在しません。何という祝福の時となるのでしょう。
説明できますか
□ 世の霊とは何ですか
□ この世の霊は個人個人にどんな影響を及ぼしていますか
□ 世の霊はどんな形で表われていますか。どうすればそれを避けられますか
□ わたしたちは神の霊を持っていることをどのように示しますか
□ 世の霊に抵抗する人たちにはどんな祝福がありますか
[16,17ページの図版]
世の霊はサタンから出ている
世の霊を避けるために,エホバの高められた崇拝の場所へ逃げなさい