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あなたの業は火に耐えますかものみの塔 1998 | 11月1日
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教え方がずさんだと,残念な結果になるかもしれません。パウロはこう警告しました。「その上に建てただれかの業が残るなら,その人は報いを受けます。だれかの業が燃え尽きるなら,その人は損失を被ることになりますが,その人自身は救われます。しかし,そうであるとしても,火をくぐるようにしてでしょう」c ― コリント第一 3:14,15。
14 (イ)弟子を作るクリスチャンはどのように「損失を被る」ことがありますか。しかしまたどのように,火をくぐるようにして救われるかもしれませんか。(ロ)どうすれば,損失を被る危険を最小限にとどめることができますか。
14 本当に身の引き締まる言葉です。せっかく人を弟子になるよう助けたにもかかわらず,その人が誘惑や迫害に屈し,挙げ句の果てに真理の道から離れてしまうとすれば,非常に心が痛むことになります。パウロはそれを認め,そのような場合にわたしたちが損失を被ると述べています。その経験は,わたしたちが「火をくぐるようにして」救われると描写されるほど ― つまり,火事で何もかも失い,辛うじて命だけ助かった人の場合のように ― 非常に痛ましい経験となるかもしれません。わたしたちとしては,どうすれば損失の危険を最小限にとどめることができるでしょうか。耐久性のある資材で建てることです。研究生の心に訴えて,知恵,識別力,エホバへの恐れ,真の信仰といった貴重なクリスチャンの特質の大切さを認識するよう促すなら,耐久性のある,火に耐える資材で建てていることになります。(詩編 19:9,10。箴言 3:13-15。ペテロ第一 1:6,7)そうした特質を身につける人は,神のご意志を行ないつづけることでしょう。永久に生きていられるという確かな希望は,そのような人のものです。(ヨハネ第一 2:17)
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あなたの業は火に耐えますかものみの塔 1998 | 11月1日
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c パウロが疑問視していたのは,建てる人ではなく,建てる人の「業」が救われるかという点です。「新英訳聖書」はこの節をこう訳しています。「ある人の建てた物が持ちこたえるなら,その人は報われます。もし燃えてしまえば,その損失を忍ばねばなりません。しかし自らは,火から逃れるようにして生き延びるでしょう」。
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