1-2. (ア)パウロはエフェソスのクリスチャンへの手 て 紙 がみ を書 か いた時 とき ,どんな状 じょう 況 きょう にありましたか。(イ)どんな点 てん について考 かんが えますか。
あなたの答え
パウロはローマで自 じ 宅 たく に拘 こう 禁 きん されていた時 とき ,仲 なか 間 ま の兄 きょう 弟 だい 姉 し 妹 まい を励 はげ ましたいと思 おも いました。でも,直 ちょく 接 せつ 会 あ いに行 い くことができなかったので,手 て 紙 がみ を書 か きました。そのうちの1つに,西 せい 暦 れき 60年 ねん から61年 ねん ごろにエフェソスのクリスチャンに宛 あ てて書 か いた手 て 紙 がみ があります。(エフェ 1:1; 4:1 )
2 パウロは手 て 紙 がみ を書 か く10年 ねん ほど前 まえ ,エフェソスでしばらくの間 あいだ ,良 よ い知 し らせを伝 つた えたり教 おし えたりしていました。(使 し 徒 と 19:1,8-10; 20:20,21 )パウロは兄 きょう 弟 だい 姉 し 妹 まい のことを大 たい 切 せつ に思 おも っていたので,エホバへの信 しん 仰 こう を持 も ち続 つづ けられるように助 たす けたいと思 おも いました。でも,天 てん に行 い くよう選 えら ばれたクリスチャンに宛 あ てて,闇 やみ と光 ひかり について書 か いたのはどうしてでしょうか。私 わたし たちは皆 みな ,パウロのアドバイスから何 なに を学 まな べるでしょうか。これらの点 てん について考 かんが えてみましょう。
闇 やみ から 光 ひかり へ
3. パウロはエフェソスのクリスチャンに宛 あ てた手 て 紙 がみ の中 なか で,どんな表 ひょう 現 げん を使 つか いましたか。
あなたの答え
3 パウロは,エフェソスのクリスチャンに宛 あ てた手 て 紙 がみ の中 なか でこう書 か きました。「皆 みな さんはかつて闇 やみ でしたが,今 いま は……光 ひかり となっています」。(エフェ 5:8 )ここでパウロは,闇 やみ と光 ひかり という言 こと 葉 ば を使 つか って,エフェソスのクリスチャンがどれほど大 おお きな変 へん 化 か を遂 と げたかについて説 せつ 明 めい しています。では,「かつて闇 やみ 」だったとはどういう意 い 味 み かを考 かんが えてみましょう。
4. エフェソスの人 ひと たちは崇 すう 拝 はい の面 めん で闇 やみ の中 なか にいました。そういえるのはどうしてですか。
あなたの答え
4 間 ま 違 ちが った 崇 すう 拝 はい 。 エフェソスのクリスチャンは,真 しん 理 り を学 まな ぶ前 まえ ,間 ま 違 ちが っ た宗 しゅう 教 きょう の教 おし えや迷 めい 信 しん にとらわれていました。エフェソスの町 まち にはアルテミスの神 しん 殿 でん があり,世 せ 界 かい の七 なな 不 ふ 思 し 議 ぎ の1つとして知 し られていました。そこでは,多 おお くの人 ひと 々 びと が熱 ねっ 心 しん に偶 ぐう 像 ぞう 崇 すう 拝 はい を行 おこな っていました。アルテミスの神 しん 殿 でん の模 も 型 けい を作 つく って売 う ることは,もうかる仕 し 事 ごと と見 み なされていました。(使 し 徒 と 19:23-27 )また,エフェソスには魔 ま 術 じゅつ もはびこっていました。(使 し 徒 と 19:19 )
5. エフェソスの人 ひと たちは道 どう 徳 とく の面 めん でも闇 やみ の中 なか にいました。そういえるのはどうしてですか。
あなたの答え
5 道 どう 徳 とく の 乱 みだ れ。 エフェソスの町 まち は,ひどい不 ふ 道 どう 徳 とく や恥 はじ 知 し らずな行 おこな いであふれていることで有 ゆう 名 めい でした。劇 げき 場 じょう や宗 しゅう 教 きょう 行 ぎょう 事 じ でも,下 げ 品 ひん な会 かい 話 わ が飛 と び交 か っていました。(エフェ 5:3 )パウロは,エフェソスの人 ひと 々 びと の多 おお くは「道 どう 徳 とく 感 かん 覚 かく がまひしてい[る]」と書 か きました。これはつまり,心 こころ に痛 いた みを感 かん じなくなったということです。(エフェ 4:17-19 )善 ぜん 悪 あく に関 かん するエホバの基 き 準 じゅん を知 し らないエフェソスの人 ひと たちは良 りょう 心 しん が痛 いた むこともなく,自 じ 分 ぶん たちの行 おこな いを見 み てエホバがどう感 かん じているかも気 き にしていませんでした。パウロはこうした人 ひと たちについて,「彼 かれ らは思 し 考 こう が闇 やみ に覆 おお われていて,神 かみ による命 いのち から遠 とお く離 はな れています」と書 か きました。
6. パウロがエフェソスのクリスチャンのことを「今 いま は……光 ひかり となってい[る]」と言 い えたのはどうしてですか。
あなたの答え
6 それでも,こうした闇 やみ から離 はな れる人 ひと たちもいました。パウロはその人 ひと たちのことを,「今 いま は主 しゅ と結 むす ばれて光 ひかり となっています」と書 か きました。(エフェ 5:8 )その人 ひと たちは,聖 せい 書 しょ の真 しん 理 り という光 ひかり の導 みちび きに従 したが うようになりました。(詩 し 119:105 )そして,間 ま 違 ちが った崇 すう 拝 はい や道 どう 徳 とく 的 てき に汚 けが れた行 おこな いをやめました。「神 かみ に倣 なら [う]」者 もの となり,エホバを崇 すう 拝 はい し,エホバに喜 よろこ んでもらうためにベストを尽 つ くすようになりました。(エフェ 5:1 )
7. 私 わたし たちはエフェソスのクリスチャンとどんな点 てん で似 に ていますか。
あなたの答え
7 私 わたし たちも,真 しん 理 り を学 まな ぶ前 まえ は崇 すう 拝 はい の面 めん でも道 どう 徳 とく の面 めん でも闇 やみ の中 なか にいました。間 ま 違 ちが った宗 しゅう 教 きょう に関 かん 係 けい した祝 しゅく 日 じつ を祝 いわ っていた人 ひと もいれば,道 どう 徳 とく 的 てき に乱 みだ れた生 せい 活 かつ を送 おく っていた人 ひと もいます。でも,エホバの基 き 準 じゅん について学 まな び,自 じ 分 ぶん を変 へん 化 か させてきました。エホバに喜 よろこ ばれる生 い き方 かた をするよう努 ど 力 りょく し,それが自 じ 分 ぶん のためになることを実 じっ 感 かん しています。(イザ 48:17 )でも,気 き を緩 ゆる めないようにしましょう。闇 やみ からしっかり離 はな れていて,「光 ひかり の子 こ 供 ども として歩 あゆ [む]」ためには,引 ひ き続 つづ き努 ど 力 りょく する必 ひつ 要 よう があります。では,具 ぐ 体 たい 的 てき にどんなことができるでしょうか。
Image digitally reproduced with the permission of the Papyrology Collection , Graduate Library, University of Michigan, P.Mich.inv. 6238.Licensed under CC by 3.0
パウロがエフェソスの兄 きょう 弟 だい 姉 し 妹 まい に書 か いた温 あたた かいアドバイスは私 わたし たちにも役 やく 立 だ つ。(7節 せつ を参 さん 照 しょう 。)
闇 やみ から 離 はな れる
8. パウロはエフェソス 5章 しょう 3-5節 せつ で何 なに を避 さ けるようにと言 い っていますか。
あなたの答え
8 エフェソス 5:3-5 を 読 よ む。 闇 やみ から離 はな れて道 どう 徳 とく 的 てき に清 きよ い状 じょう 態 たい を保 たも つために,エフェソスのクリスチャンはエホバに喜 よろこ ばれない行 おこな いを避 さ ける必 ひつ 要 よう がありました。その中 なか には性 せい 的 てき に不 ふ 道 どう 徳 とく な行 おこな いだけでなく,下 げ 品 ひん な会 かい 話 わ も含 ふく まれていました。パウロはこうしたものから離 はな れていないなら,「キリストと神 かみ との王 おう 国 こく に関 かん 連 れん したどんな財 ざい 産 さん も受 う けることはありません」と警 けい 告 こく しました。
9. 不 ふ 道 どう 徳 とく なものを一 いっ 切 さい 避 さ ける必 ひつ 要 よう があるのはどうしてですか。
あなたの答え
9 私 わたし たちも,「何 なに も生 う み出 だ さない闇 やみ の行 おこな い」に関 かか わらないように闘 たたか い続 つづ ける必 ひつ 要 よう があります。(エフェ 5:11 )多 おお くの実 じつ 例 れい から分 わ かる通 とお り,不 ふ 道 どう 徳 とく なものを見 み たり聞 き いたり話 わ 題 だい にしたりするなら,間 ま 違 ちが ったことを行 おこな ってしまう可 か 能 のう 性 せい が高 たか くなります。(創 そう 3:6。ヤコ 1:14,15 )ある国 くに では,何 なん 十 じゅう 人 にん ものエホバの証 しょう 人 にん がオンライン上 じょう で友 とも 達 だち になり,チャットグループを作 つく って会 かい 話 わ を楽 たの しんでいました。初 はじ めは,エホバや聖 せい 書 しょ のことについて話 はな していました。でもやがて,会 かい 話 わ の内 ない 容 よう は良 よ くないものになっていき,セックスの話 わ 題 だい で盛 も り上 あ がるようになりました。この良 よ くない会 かい 話 わ がきっかけで,多 おお くの人 ひと が性 せい 的 てき に不 ふ 道 どう 徳 とく なことをしてしまいました。
10. サタンはどのように私 わたし たちをだまそうとしていますか。(エフェソス 5:6 )
あなたの答え
10 サタンが支 し 配 はい する世 せ 界 かい は私 わたし たちに,エホバが不 ふ 道 どう 徳 とく で汚 けが れていると言 い っているものを全 まった く問 もん 題 だい がないと思 おも わせようとしています。(ペテ二 に 2:19 )それも驚 おどろ くことではありません。サタンはこれまでずっと,正 ただ しいことと間 ま 違 ちが っていることを見 み 分 わ けられないように人 ひと 々 びと を惑 まど わしてきたからです。(イザ 5:20。 コリ二 に 4:4 )実 じっ 際 さい ,多 おお くの映 えい 画 が やテレビ番 ばん 組 ぐみ ,ウェブサイトによって,エホバの基 き 準 じゅん に全 まった く反 はん する考 かんが えが広 ひろ まっています。サタンは,汚 けが れた行 こう 動 どう やライフスタイルは問 もん 題 だい がないだけでなく,楽 たの しいものだと思 おも わせようとしています。( エフェソス 5:6 を 読 よ む。)
11. アンジェラ姉 し 妹 まい の経 けい 験 けん から,エフェソス 5章 しょう 7節 せつ の言 こと 葉 ば を自 じ 分 ぶん に当 あ てはめることの大 たい 切 せつ さがどのように分 わ かりますか。(写 しゃ 真 しん も参 さん 照 しょう 。)
あなたの答え
11 サタンは,私 わたし たちがエホバの基 き 準 じゅん を大 たい 切 せつ にしない人 ひと たちとの交 こう 友 ゆう から悪 わる い影 えい 響 きょう を受 う けることを願 ねが っています。それでパウロはエフェソスの兄 きょう 弟 だい 姉 し 妹 まい に,エホバの目 め に悪 わる いことを行 おこな う人 ひと たちと「関 かか わりを持 も ってはなりません」と言 い いました。(エフェ 5:7 )私 わたし たちはエフェソスのクリスチャンよりもさらに注 ちゅう 意 い する必 ひつ 要 よう があります。直 ちょく 接 せつ 会 あ って時 じ 間 かん を過 す ごす人 ひと だけではなく,ソーシャルメディアでやり取 と りをする人 ひと たちからも影 えい 響 きょう を受 う けるからです。アジアに住 す むアンジェラ姉 し 妹 まい はそのことを認 みと めています。 こう言 い います。「ソーシャルメディアを使 つか っていると,だんだん感 かん 覚 かく が鈍 にぶ くなってきます。私 わたし は,聖 せい 書 しょ の原 げん 則 そく を大 たい 切 せつ にしない人 ひと たちを友 とも 達 だち にすることを何 なん とも思 おも わなくなってしまいました。そして,エホバが喜 よろこ ばないライフスタイルをしても構 かま わないんじゃないかと思 おも うまでになりました」。でも,姉 し 妹 まい は長 ちょう 老 ろう たちの優 やさ しい助 たす けによって考 かんが え方 かた や行 こう 動 どう を変 か えることができました。こう言 い っています。「今 いま では,ソーシャルメディアよりもエホバについて考 かんが える時 じ 間 かん をもっと大 たい 切 せつ にするようにしています」。
エホバの基 き 準 じゅん を守 まも るためには,友 とも 達 だち をよく選 えら ぶ必 ひつ 要 よう がある。(11節 せつ を参 さん 照 しょう 。)
12. エホバの基 き 準 じゅん にしっかり従 したが う上 うえ で,どんなことが助 たす けになりますか。
あなたの答え
12 今 いま の世 よ の中 なか では,不 ふ 道 どう 徳 とく な行 おこな いは特 とく に悪 わる いことではないという考 かんが え方 かた が広 ひろ まっています。私 わたし たちはそうした考 かんが え方 かた が間 ま 違 ちが っていることをよく知 し っています。(エフェ 4:19,20 )でも,次 つぎ のように考 かんが えてみるのは良 よ いことです。「職 しょく 場 ば や学 がっ 校 こう などで会 あ う,エホバの基 き 準 じゅん を大 たい 切 せつ にしていない人 ひと たちと必 ひつ 要 よう 以 い 上 じょう に仲 なか 良 よ くならないように注 ちゅう 意 い しているだろうか。考 かんが え方 かた が古 ふる いと言 い われるとしても,エホバの基 き 準 じゅん にしっかり従 したが うだろうか」。テモテ第 だい 二 に 2章 しょう 20-22節 せつ から分 わ かる通 とお り,私 わたし たちは会 かい 衆 しゅう の中 なか でどんな人 ひと と親 した しくなるかにも注 ちゅう 意 い 深 ぶか くある必 ひつ 要 よう があります。エホバに心 こころ を込 こ めて仕 つか えようとしていない人 ひと もいるからです。
「 光 ひかり の 子 こ 供 ども として」 歩 あゆ む
13. 「光 ひかり の子 こ 供 ども として歩 あゆ [む]」とはどういうことですか。(エフェソス 5:7-9 )
あなたの答え
13 パウロはエフェソスの兄 きょう 弟 だい 姉 し 妹 まい に,闇 やみ から離 はな れるだけでなく,「光 ひかり の子 こ 供 ども として歩 あゆ [む]」よう勧 すす めました。( エフェソス 5:7-9 を 読 よ む。) これはつまり,どんな時 とき も本 ほん 物 もの のクリスチャンにふさわしい行 こう 動 どう をするということです。そうするための1つの方 ほう 法 ほう は,聖 せい 書 しょ と出 しゅっ 版 ぱん 物 ぶつ をよく読 よ み,深 ふか く学 まな ぶことです。「世 よ の光 ひかり 」であるイエス・キリストの手 て 本 ほん と教 おし えをじっくり考 かんが えることはとても大 たい 切 せつ です。(ヨハ 8:12。 格 かく 6:23 )
14. 聖 せい なる力 ちから はどのように助 たす けになりますか。
あなたの答え
14 「光 ひかり の子 こ 供 ども として」歩 あゆ み続 つづ けるためには,聖 せい なる力 ちから による助 たす けも必 ひつ 要 よう です。なぜなら,この不 ふ 道 どう 徳 とく な世 よ の中 なか で清 きよ い状 じょう 態 たい を保 たも つのは簡 かん 単 たん なことではないからです。(テサ一 いち 4:3-5, 7,8 )聖 せい なる力 ちから は,世 せ 間 けん 一 いっ 般 ぱん に見 み られる哲 てつ 学 がく や神 かみ の教 おし えと合 あ わない考 かんが え方 かた を退 しりぞ ける助 たす けになります。また,「あらゆる善 よ いことと正 ただ しいこと」を行 おこな えるようにも助 たす けてくれます。(エフェ 5:9 )
15. どうすれば聖 せい なる力 ちから を与 あた えてもらうことができますか。(エフェソス 5:19,20 )
あなたの答え
15 聖 せい なる力 ちから を与 あた えてもらうためには,祈 いの ることが大 たい 切 せつ です。イエスは,エホバが「ご自 じ 分 ぶん に求 もと めている人 ひと に聖 せい なる力 ちから を与 あた えてくださる」と言 い いました。(ルカ 11:13 )集 しゅう 会 かい でエホバを賛 さん 美 び する時 とき にも,聖 せい なる力 ちから をもらうことができます。( エフェソス 5:19,20 を 読 よ む。) 聖 せい なる力 ちから の感 かん 化 か を受 う けるなら,エホバに喜 よろこ ばれる生 い き方 かた ができます。
16. 良 よ い決 けっ 定 てい をするために,どんなことが助 たす けになりますか。(エフェソス 5:10, 17 )
あなたの答え
16 重 じゅう 要 よう な決 けっ 定 てい をする時 とき には,「エホバが何 なに を望 のぞ んでいるか」を見 み 極 きわ め,その通 とお りに行 こう 動 どう することが大 たい 切 せつ です。( エフェソス 5:10, 17 を 読 よ む。) 自 じ 分 ぶん の状 じょう 況 きょう に当 あ てはまる聖 せい 書 しょ の原 げん 則 そく を探 さが すことによって,エホバの考 かんが えを知 し ることができます。その原 げん 則 そく に合 あ わせて決 けっ 定 てい するなら,良 よ い結 けっ 果 か になるでしょう。
17. 時 じ 間 かん を有 ゆう 効 こう に使 つか うために,どんなことに注 ちゅう 意 い できますか。(エフェソス 5:15,16 )(挿 さし 絵 え も参 さん 照 しょう 。)
あなたの答え
17 パウロはエフェソスのクリスチャンに,時 じ 間 かん を賢 かしこ く使 つか うように勧 すす めました。( エフェソス 5:15,16 を 読 よ む。) 「邪 じゃ 悪 あく な者 もの 」であるサタンは,エホバに仕 つか える時 じ 間 かん が残 のこ らないほど,毎 まい 日 にち の生 せい 活 かつ のことで忙 いそが しくさせようとしています。(ヨハ一 いち 5:19 )それで私 わたし たちも,エホバにベストを尽 つ くして仕 つか えることよりも,お金 かね や教 きょう 育 いく や仕 し 事 ごと を優 ゆう 先 せん させるようになってしまうかもしれませ ん。もしそうだとしたら,それは私 わたし たちがエホバに仕 つか えていない人 ひと たちの影 えい 響 きょう を受 う けていることのサインです。もちろん,お金 かね を稼 かせ ぐことや教 きょう 育 いく を受 う けること自 じ 体 たい が間 ま 違 ちが っているわけではありませんが,それを生 せい 活 かつ の中 ちゅう 心 しん にするべきではありません。「光 ひかり の子 こ 供 ども として」歩 あゆ むためには,本 ほん 当 とう に大 たい 切 せつ なことのために「時 じ 間 かん を有 ゆう 効 こう に使 つか 」うことが必 ひつ 要 よう です。
パウロはエフェソスのクリスチャンに,時 じ 間 かん を有 ゆう 効 こう に使 つか うようにとアドバイスした。(17節 せつ を参 さん 照 しょう 。)
18. ドナルド兄 きょう 弟 だい は,時 じ 間 かん を有 ゆう 効 こう に使 つか うためにどんなことをしましたか。
あなたの答え
18 エホバのためにもっとできることがないか,いつも考 かんが えるようにしましょう。南 みなみ アフリカに住 す むドナルド兄 きょう 弟 だい はそうしました。こう言 い っています。「自 じ 分 ぶん の生 せい 活 かつ を見 み 直 なお しました。そして,『エホバのためにもっと多 おお くのことができるように助 たす けてください。伝 でん 道 どう の時 じ 間 かん をもっと増 ふ やせるような仕 し 事 ごと を与 あた えてください』と祈 いの りました。エホバの助 たす けでぴったりの仕 し 事 ごと を見 み つけることができました。夫 ふう 婦 ふ で全 ぜん 時 じ 間 かん 奉 ほう 仕 し をするという人 じん 生 せい の新 あら たな一 いっ 歩 ぽ を踏 ふ み出 だ すこともできました」。
19. どうすれば「光 ひかり の子 こ 供 ども として」歩 あゆ み続 つづ けることができますか。
あなたの答え
19 エフェソスの兄 きょう 弟 だい 姉 し 妹 まい にとって,パウロが書 か いた手 て 紙 がみ はエホバに仕 つか え続 つづ ける上 うえ で助 たす けとなったことでしょう。それは私 わたし たちにとっても助 たす けになります。この記 き 事 じ で考 かんが えたように,パウロの言 こと 葉 ば は,気 き 晴 ば らしにどんなことをするか,またどんな人 ひと と友 とも 達 だち になるかを決 き める時 とき に役 やく 立 だ ちます。さらに,真 しん 理 り の光 ひかり の中 なか にいたいという気 き 持 も ちを強 つよ めてくれます。そのためには,聖 せい 書 しょ を定 てい 期 き 的 てき に学 まな び続 つづ ける必 ひつ 要 よう があります。パウロの手 て 紙 がみ は,善 よ いことをするためには聖 せい なる力 ちから の助 たす けが必 ひつ 要 よう であることを強 きょう 調 ちょう しています。パウロの言 こと 葉 ば を当 あ てはめるなら,エホバの考 かんが えに合 あ わせた良 よ い決 けっ 定 てい ができるでしょう。こうしたことを行 おこな うなら,闇 やみ を離 はな れ,光 ひかり の中 なか を歩 あゆ み続 つづ けることができます。