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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2024
塔研24 03月号 20–25ページ

研究記事12

77番ばんの歌うた 闇やみに差さす光ひかり

闇やみを離はなれ,光ひかりの中なかにとどまる

「皆みなさんはかつて闇やみでしたが,今いまは……光ひかりとなっています」。エフェソス 5:8

ポイント

エフェソス 5章しょうに出でてくる「闇やみ」や「光ひかり」といった表ひょう現げんからどんなことを学まなべるかを考かんがえます。

1-2. (ア)パウロはエフェソスのクリスチャンへの手て紙がみを書かいた時とき,どんな状じょう況きょうにありましたか。(イ)どんな点てんについて考かんがえますか。

パウロはローマで自じ宅たくに拘こう禁きんされていた時とき,仲なか間まの兄きょう弟だい姉し妹まいを励はげましたいと思おもいました。でも,直ちょく接せつ会あいに行いくことができなかったので,手て紙がみを書かきました。そのうちの1つに,西せい暦れき60年ねんから61年ねんごろにエフェソスのクリスチャンに宛あてて書かいた手て紙がみがあります。(エフェ 1:1; 4:1)

2 パウロは手て紙がみを書かく10年ねんほど前まえ,エフェソスでしばらくの間あいだ,良よい知しらせを伝つたえたり教おしえたりしていました。(使し徒と 19:1,8-10; 20:20,21)パウロは兄きょう弟だい姉し妹まいのことを大たい切せつに思おもっていたので,エホバへの信しん仰こうを持もち続つづけられるように助たすけたいと思おもいました。でも,天てんに行いくよう選えらばれたクリスチャンに宛あてて,闇やみと光ひかりについて書かいたのはどうしてでしょうか。私わたしたちは皆みな,パウロのアドバイスから何なにを学まなべるでしょうか。これらの点てんについて考かんがえてみましょう。

闇やみから光ひかりへ

3. パウロはエフェソスのクリスチャンに宛あてた手て紙がみの中なかで,どんな表ひょう現げんを使つかいましたか。

3 パウロは,エフェソスのクリスチャンに宛あてた手て紙がみの中なかでこう書かきました。「皆みなさんはかつて闇やみでしたが,今いまは……光ひかりとなっています」。(エフェ 5:8)ここでパウロは,闇やみと光ひかりという言こと葉ばを使つかって,エフェソスのクリスチャンがどれほど大おおきな変へん化かを遂とげたかについて説せつ明めいしています。では,「かつて闇やみ」だったとはどういう意い味みかを考かんがえてみましょう。

4. エフェソスの人ひとたちは崇すう拝はいの面めんで闇やみの中なかにいました。そういえるのはどうしてですか。

4 間ま違ちがった崇すう拝はい。エフェソスのクリスチャンは,真しん理りを学まなぶ前まえ,間ま違ちがった宗しゅう教きょうの教おしえや迷めい信しんにとらわれていました。エフェソスの町まちにはアルテミスの神しん殿でんがあり,世せ界かいの七なな不ふ思し議ぎの1つとして知しられていました。そこでは,多おおくの人ひと々びとが熱ねっ心しんに偶ぐう像ぞう崇すう拝はいを行おこなっていました。アルテミスの神しん殿でんの模も型けいを作つくって売うることは,もうかる仕し事ごとと見みなされていました。(使し徒と 19:23-27)また,エフェソスには魔ま術じゅつもはびこっていました。(使し徒と 19:19)

5. エフェソスの人ひとたちは道どう徳とくの面めんでも闇やみの中なかにいました。そういえるのはどうしてですか。

5 道どう徳とくの乱みだれ。エフェソスの町まちは,ひどい不ふ道どう徳とくや恥はじ知しらずな行おこないであふれていることで有ゆう名めいでした。劇げき場じょうや宗しゅう教きょう行ぎょう事じでも,下げ品ひんな会かい話わが飛とび交かっていました。(エフェ 5:3)パウロは,エフェソスの人ひと々びとの多おおくは「道どう徳とく感かん覚かくがまひしてい[る]」と書かきました。これはつまり,心こころに痛いたみを感かんじなくなったということです。(エフェ 4:17-19)善ぜん悪あくに関かんするエホバの基き準じゅんを知しらないエフェソスの人ひとたちは良りょう心しんが痛いたむこともなく,自じ分ぶんたちの行おこないを見みてエホバがどう感かんじているかも気きにしていませんでした。パウロはこうした人ひとたちについて,「彼かれらは思し考こうが闇やみに覆おおわれていて,神かみによる命いのちから遠とおく離はなれています」と書かきました。

6. パウロがエフェソスのクリスチャンのことを「今いまは……光ひかりとなってい[る]」と言いえたのはどうしてですか。

6 それでも,こうした闇やみから離はなれる人ひとたちもいました。パウロはその人ひとたちのことを,「今いまは主しゅと結むすばれて光ひかりとなっています」と書かきました。(エフェ 5:8)その人ひとたちは,聖せい書しょの真しん理りという光ひかりの導みちびきに従したがうようになりました。(詩し 119:105)そして,間ま違ちがった崇すう拝はいや道どう徳とく的てきに汚けがれた行おこないをやめました。「神かみに倣なら[う]」者ものとなり,エホバを崇すう拝はいし,エホバに喜よろこんでもらうためにベストを尽つくすようになりました。(エフェ 5:1)

7. 私わたしたちはエフェソスのクリスチャンとどんな点てんで似にていますか。

7 私わたしたちも,真しん理りを学まなぶ前まえは崇すう拝はいの面めんでも道どう徳とくの面めんでも闇やみの中なかにいました。間ま違ちがった宗しゅう教きょうに関かん係けいした祝しゅく日じつを祝いわっていた人ひともいれば,道どう徳とく的てきに乱みだれた生せい活かつを送おくっていた人ひともいます。でも,エホバの基き準じゅんについて学まなび,自じ分ぶんを変へん化かさせてきました。エホバに喜よろこばれる生いき方かたをするよう努ど力りょくし,それが自じ分ぶんのためになることを実じっ感かんしています。(イザ 48:17)でも,気きを緩ゆるめないようにしましょう。闇やみからしっかり離はなれていて,「光ひかりの子こ供どもとして歩あゆ[む]」ためには,引ひき続つづき努ど力りょくする必ひつ要ようがあります。では,具ぐ体たい的てきにどんなことができるでしょうか。

1. ローマ兵に鎖でつながれているパウロが手紙を書いている。2. エフェソスのクリスチャンに宛てて書いたパウロの手紙の初期の写本。

Image digitally reproduced with the permission of the Papyrology Collection, Graduate Library, University of Michigan, P.Mich.inv. 6238.Licensed under CC by 3.0

パウロがエフェソスの兄きょう弟だい姉し妹まいに書かいた温あたたかいアドバイスは私わたしたちにも役やく立だつ。(7節せつを参さん照しょう。)b


闇やみから離はなれる

8. パウロはエフェソス 5章しょう3-5節せつで何なにを避さけるようにと言いっていますか。

8 エフェソス 5:3-5を読よむ。闇やみから離はなれて道どう徳とく的てきに清きよい状じょう態たいを保たもつために,エフェソスのクリスチャンはエホバに喜よろこばれない行おこないを避さける必ひつ要ようがありました。その中なかには性せい的てきに不ふ道どう徳とくな行おこないだけでなく,下げ品ひんな会かい話わも含ふくまれていました。パウロはこうしたものから離はなれていないなら,「キリストと神かみとの王おう国こくに関かん連れんしたどんな財ざい産さんも受うけることはありません」と警けい告こくしました。

9. 不ふ道どう徳とくなものを一いっ切さい避さける必ひつ要ようがあるのはどうしてですか。

9 私わたしたちも,「何なにも生うみ出ださない闇やみの行おこない」に関かかわらないように闘たたかい続つづける必ひつ要ようがあります。(エフェ 5:11)多おおくの実じつ例れいから分わかる通とおり,不ふ道どう徳とくなものを見みたり聞きいたり話わ題だいにしたりするなら,間ま違ちがったことを行おこなってしまう可か能のう性せいが高たかくなります。(創そう 3:6。ヤコ 1:14,15)ある国くにでは,何なん十じゅう人にんものエホバの証しょう人にんがオンライン上じょうで友とも達だちになり,チャットグループを作つくって会かい話わを楽たのしんでいました。初はじめは,エホバや聖せい書しょのことについて話はなしていました。でもやがて,会かい話わの内ない容ようは良よくないものになっていき,セックスの話わ題だいで盛もり上あがるようになりました。この良よくない会かい話わがきっかけで,多おおくの人ひとが性せい的てきに不ふ道どう徳とくなことをしてしまいました。

10. サタンはどのように私わたしたちをだまそうとしていますか。(エフェソス 5:6)

10 サタンが支し配はいする世せ界かいは私わたしたちに,エホバが不ふ道どう徳とくで汚けがれていると言いっているものを全まったく問もん題だいがないと思おもわせようとしています。(ペテ二に 2:19)それも驚おどろくことではありません。サタンはこれまでずっと,正ただしいことと間ま違ちがっていることを見み分わけられないように人ひと々びとを惑まどわしてきたからです。(イザ 5:20。コリ二に 4:4)実じっ際さい,多おおくの映えい画がやテレビ番ばん組ぐみ,ウェブサイトによって,エホバの基き準じゅんに全まったく反はんする考かんがえが広ひろまっています。サタンは,汚けがれた行こう動どうやライフスタイルは問もん題だいがないだけでなく,楽たのしいものだと思おもわせようとしています。(エフェソス 5:6を読よむ。)

11. アンジェラ姉し妹まいの経けい験けんから,エフェソス 5章しょう7節せつの言こと葉ばを自じ分ぶんに当あてはめることの大たい切せつさがどのように分わかりますか。(写しゃ真しんも参さん照しょう。)

11 サタンは,私わたしたちがエホバの基き準じゅんを大たい切せつにしない人ひとたちとの交こう友ゆうから悪わるい影えい響きょうを受うけることを願ねがっています。それでパウロはエフェソスの兄きょう弟だい姉し妹まいに,エホバの目めに悪わるいことを行おこなう人ひとたちと「関かかわりを持もってはなりません」と言いいました。(エフェ 5:7)私わたしたちはエフェソスのクリスチャンよりもさらに注ちゅう意いする必ひつ要ようがあります。直ちょく接せつ会あって時じ間かんを過すごす人ひとだけではなく,ソーシャルメディアでやり取とりをする人ひとたちからも影えい響きょうを受うけるからです。アジアに住すむアンジェラ姉し妹まいはそのことを認みとめています。a こう言いいます。「ソーシャルメディアを使つかっていると,だんだん感かん覚かくが鈍にぶくなってきます。私わたしは,聖せい書しょの原げん則そくを大たい切せつにしない人ひとたちを友とも達だちにすることを何なんとも思おもわなくなってしまいました。そして,エホバが喜よろこばないライフスタイルをしても構かまわないんじゃないかと思おもうまでになりました」。でも,姉し妹まいは長ちょう老ろうたちの優やさしい助たすけによって考かんがえ方かたや行こう動どうを変かえることができました。こう言いっています。「今いまでは,ソーシャルメディアよりもエホバについて考かんがえる時じ間かんをもっと大たい切せつにするようにしています」。

1. 若い姉妹がスマホでソーシャルメディアの投稿をチェックしている。2. 同じ姉妹が伝道で別の姉妹と楽しそうに会話している。

エホバの基き準じゅんを守まもるためには,友とも達だちをよく選えらぶ必ひつ要ようがある。(11節せつを参さん照しょう。)


12. エホバの基き準じゅんにしっかり従したがう上うえで,どんなことが助たすけになりますか。

12 今いまの世よの中なかでは,不ふ道どう徳とくな行おこないは特とくに悪わるいことではないという考かんがえ方かたが広ひろまっています。私わたしたちはそうした考かんがえ方かたが間ま違ちがっていることをよく知しっています。(エフェ 4:19,20)でも,次つぎのように考かんがえてみるのは良よいことです。「職しょく場ばや学がっ校こうなどで会あう,エホバの基き準じゅんを大たい切せつにしていない人ひとたちと必ひつ要よう以い上じょうに仲なか良よくならないように注ちゅう意いしているだろうか。考かんがえ方かたが古ふるいと言いわれるとしても,エホバの基き準じゅんにしっかり従したがうだろうか」。テモテ第だい二に 2章しょう20-22節せつから分わかる通とおり,私わたしたちは会かい衆しゅうの中なかでどんな人ひとと親したしくなるかにも注ちゅう意い深ぶかくある必ひつ要ようがあります。エホバに心こころを込こめて仕つかえようとしていない人ひともいるからです。

「光ひかりの子こ供どもとして」歩あゆむ

13. 「光ひかりの子こ供どもとして歩あゆ[む]」とはどういうことですか。(エフェソス 5:7-9)

13 パウロはエフェソスの兄きょう弟だい姉し妹まいに,闇やみから離はなれるだけでなく,「光ひかりの子こ供どもとして歩あゆ[む]」よう勧すすめました。(エフェソス 5:7-9を読よむ。)これはつまり,どんな時ときも本ほん物もののクリスチャンにふさわしい行こう動どうをするということです。そうするための1つの方ほう法ほうは,聖せい書しょと出しゅっ版ぱん物ぶつをよく読よみ,深ふかく学まなぶことです。「世よの光ひかり」であるイエス・キリストの手て本ほんと教おしえをじっくり考かんがえることはとても大たい切せつです。(ヨハ 8:12。格かく 6:23)

14. 聖せいなる力ちからはどのように助たすけになりますか。

14 「光ひかりの子こ供どもとして」歩あゆみ続つづけるためには,聖せいなる力ちからによる助たすけも必ひつ要ようです。なぜなら,この不ふ道どう徳とくな世よの中なかで清きよい状じょう態たいを保たもつのは簡かん単たんなことではないからです。(テサ一いち 4:3-5,7,8)聖せいなる力ちからは,世せ間けん一いっ般ぱんに見みられる哲てつ学がくや神かみの教おしえと合あわない考かんがえ方かたを退しりぞける助たすけになります。また,「あらゆる善よいことと正ただしいこと」を行おこなえるようにも助たすけてくれます。(エフェ 5:9)

15. どうすれば聖せいなる力ちからを与あたえてもらうことができますか。(エフェソス 5:19,20)

15 聖せいなる力ちからを与あたえてもらうためには,祈いのることが大たい切せつです。イエスは,エホバが「ご自じ分ぶんに求もとめている人ひとに聖せいなる力ちからを与あたえてくださる」と言いいました。(ルカ 11:13)集しゅう会かいでエホバを賛さん美びする時ときにも,聖せいなる力ちからをもらうことができます。(エフェソス 5:19,20を読よむ。)聖せいなる力ちからの感かん化かを受うけるなら,エホバに喜よろこばれる生いき方かたができます。

16. 良よい決けっ定ていをするために,どんなことが助たすけになりますか。(エフェソス 5:10,17)

16 重じゅう要ような決けっ定ていをする時ときには,「エホバが何なにを望のぞんでいるか」を見み極きわめ,その通とおりに行こう動どうすることが大たい切せつです。(エフェソス 5:10,17を読よむ。)自じ分ぶんの状じょう況きょうに当あてはまる聖せい書しょの原げん則そくを探さがすことによって,エホバの考かんがえを知しることができます。その原げん則そくに合あわせて決けっ定ていするなら,良よい結けっ果かになるでしょう。

17. 時じ間かんを有ゆう効こうに使つかうために,どんなことに注ちゅう意いできますか。(エフェソス 5:15,16)(挿さし絵えも参さん照しょう。)

17 パウロはエフェソスのクリスチャンに,時じ間かんを賢かしこく使つかうように勧すすめました。(エフェソス 5:15,16を読よむ。)「邪じゃ悪あくな者もの」であるサタンは,エホバに仕つかえる時じ間かんが残のこらないほど,毎まい日にちの生せい活かつのことで忙いそがしくさせようとしています。(ヨハ一いち 5:19)それで私わたしたちも,エホバにベストを尽つくして仕つかえることよりも,お金かねや教きょう育いくや仕し事ごとを優ゆう先せんさせるようになってしまうかもしれません。もしそうだとしたら,それは私わたしたちがエホバに仕つかえていない人ひとたちの影えい響きょうを受うけていることのサインです。もちろん,お金かねを稼かせぐことや教きょう育いくを受うけること自じ体たいが間ま違ちがっているわけではありませんが,それを生せい活かつの中ちゅう心しんにするべきではありません。「光ひかりの子こ供どもとして」歩あゆむためには,本ほん当とうに大たい切せつなことのために「時じ間かんを有ゆう効こうに使つか」うことが必ひつ要ようです。

エフェソスで初期クリスチャンが人の行き交う通りで伝道している。

パウロはエフェソスのクリスチャンに,時じ間かんを有ゆう効こうに使つかうようにとアドバイスした。(17節せつを参さん照しょう。)


18. ドナルド兄きょう弟だいは,時じ間かんを有ゆう効こうに使つかうためにどんなことをしましたか。

18 エホバのためにもっとできることがないか,いつも考かんがえるようにしましょう。南みなみアフリカに住すむドナルド兄きょう弟だいはそうしました。こう言いっています。「自じ分ぶんの生せい活かつを見み直なおしました。そして,『エホバのためにもっと多おおくのことができるように助たすけてください。伝でん道どうの時じ間かんをもっと増ふやせるような仕し事ごとを与あたえてください』と祈いのりました。エホバの助たすけでぴったりの仕し事ごとを見みつけることができました。夫ふう婦ふで全ぜん時じ間かん奉ほう仕しをするという人じん生せいの新あらたな一いっ歩ぽを踏ふみ出だすこともできました」。

19. どうすれば「光ひかりの子こ供どもとして」歩あゆみ続つづけることができますか。

19 エフェソスの兄きょう弟だい姉し妹まいにとって,パウロが書かいた手て紙がみはエホバに仕つかえ続つづける上うえで助たすけとなったことでしょう。それは私わたしたちにとっても助たすけになります。この記き事じで考かんがえたように,パウロの言こと葉ばは,気き晴ばらしにどんなことをするか,またどんな人ひとと友とも達だちになるかを決きめる時ときに役やく立だちます。さらに,真しん理りの光ひかりの中なかにいたいという気き持もちを強つよめてくれます。そのためには,聖せい書しょを定てい期き的てきに学まなび続つづける必ひつ要ようがあります。パウロの手て紙がみは,善よいことをするためには聖せいなる力ちからの助たすけが必ひつ要ようであることを強きょう調ちょうしています。パウロの言こと葉ばを当あてはめるなら,エホバの考かんがえに合あわせた良よい決けっ定ていができるでしょう。こうしたことを行おこなうなら,闇やみを離はなれ,光ひかりの中なかを歩あゆみ続つづけることができます。

どのように答こたえますか

  • エフェソス 5章しょう8節せつに出でてくる,「闇やみ」と「光ひかり」はどんなことを表あらわしていますか。

  • どうすれば「闇やみ」から離はなれていることができますか。

  • どうすれば「光ひかりの子こ供どもとして歩あゆ[む]」ことができますか。

95番ばんの歌うた 光ひかりは明あかるさを増ます

a 一いち部ぶの名な前まえは変かえてあります。

b 写しゃ真しんや挿さし絵え: エフェソスのクリスチャンに宛あてて書かかれた使し徒とパウロの手て紙がみの初しょ期きの写しゃ本ほん。

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