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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2021
塔研21 07月号 14–19ページ

研究記事28

競きそい合あうのではなく,平へい和わを求もとめましょう

「自じ己こ中ちゅう心しん的てきになってはなりません。競きそい合あったりねたみ合あったりしないようにしましょう」。ガラテア 5:26

101番ばんの歌うた 一いっ致ちして共ともに働はたらく

何なにを学まなぶかa

1. 競きょう争そう心しんを抱いだくと,どんな結けっ果かになりますか。

現げん代だいの多おおくの人ひとたちは,競きょう争そう心しんに駆かられて人ひとより上うえに立たとうとします。例たとえば,ビジネスの世せ界かいでは,ライバルに勝かつために手しゅ段だんを選えらばない人ひとがいます。スポーツの世せ界かいでも,試し合あいに勝かつために相あい手てチームの選せん手しゅにわざとけがをさせる人ひとがいます。また,有ゆう名めい大だい学がくに入はいるために,入にゅう試しで不ふ正せい行こう為いをする人ひともいます。クリスチャンである私わたしたちは,こうしたことが間ま違ちがっていて,「罪つみ深ぶかい欲よく望ぼうから出でる行おこない」であることをよく知しっています。(ガラ 5:19-21)では,エホバに仕つかえていても,気き付づかないうちに,会かい衆しゅう内ないで競きょう争そう心しんを抱いだいたり抱いだかせたりしてしまうことがあるでしょうか。この点てんを考かんがえるのは大たい切せつなことです。会かい衆しゅうに競きょう争そう心しんが見みられるなら,一いっ致ちは弱よわまってしまうからです。

2. この記き事じでは,どんなことを考かんがえますか。

2 この記き事じでは,どんな良よくない傾けい向こうがあると仲なか間まの兄きょう弟だいたちに対たいして競きょう争そう心しんを抱いだいてしまうかについて考かんがえます。また,競きそい合あおうとしなかった聖せい書しょ時じ代だいの忠ちゅう実じつな人ひとたちの手て本ほんも取とり上あげます。では,自じ分ぶんの動どう機きを分ぶん析せきすることから始はじめましょう。

動どう機きを分ぶん析せきする

3. どんなことを考かんがえるべきですか。

3 時とき々どき,自じ分ぶんの動どう機きを分ぶん析せきするのは良よいことです。次つぎのように考かんがえることができます。「私わたしは自じ分ぶんのことを人ひとと比ひ較かくして考かんがえることが多おおいだろうか。何なにをしていても自じ分ぶんが1番ばんでいたいとか,あの兄きょう弟だいや姉し妹まいには負まけたくない,という気き持もちで頑がん張ばっているだろうか。それとも,エホバに喜よろこんでもらいたい,という気き持もちで取とり組くんでいるだろうか」。こうした点てんを考かんがえるべきなのはなぜでしょうか。

4. ガラテア 6章しょう3,4節せつにある通とおり,自じ分ぶんを人ひとと比ひ較かくすることを避さけるべきなのはなぜですか。

4 聖せい書しょは,自じ分ぶんを人ひとと比くらべることを避さけるように勧すすめています。(ガラテア 6:3,4を読よむ。)なぜでしょうか。仲なか間まよりも自じ分ぶんの方ほうが優すぐれていると考かんがえるなら,誇ほこりの気き持もちを持もってしまうかもしれません。また,仲なか間まより自じ分ぶんの方ほうが劣おとっていると考かんがえるなら,がっかりしてしまうことでしょう。どちらも健けん全ぜんな考かんがえ方かたとは言いえません。(ロマ 12:3)ギリシャに住すむカテリーナ姉し妹まいはこう言いいます。b 「私わたしは,自じ分ぶんよりもかわいい人ひとや奉ほう仕しが上じょう手ずな人ひとや友とも達だちがたくさんいる人ひとと自じ分ぶんを比くらべてしまっていました。それで,自じ分ぶんはだめだ,という気き持もちになりました」。しかし,次つぎの点てんを忘わすれないようにしましょう。エホバが私わたしたちを引ひき寄よせてくれたのは,私わたしたちが美うつくしいからでも上じょう手ずに話はなせるからでも人にん気きがあるからでもありません。私わたしたちがエホバを心こころから愛あいし,独ひとり子ごイエスに進すすんで従したがっているからです。(ヨハ 6:44。コリ一いち 1:26-31)

5. ヒョン兄きょう弟だいの例れいから何なにを学まなべますか。

5 次つぎの点てんも考かんがえてみましょう。「私わたしは,周まわりの人ひとから平へい和わをつくる人ひとと見みられているだろうか。それとも,人ひとと意い見けんがぶつかることがよくあるだろうか」。韓かん国こくに住すむヒョン兄きょう弟だいの例れいを取とり上あげましょう。兄きょう弟だいは長ちょう老ろうとして奉ほう仕ししていましたが,ある時じ期き,会かい衆しゅうで責せき任にんを委ゆだねられている兄きょう弟だいたちをライバル視ししていました。こう言いっています。「私わたしは批ひ判はん的てきになり,そうした兄きょう弟だいたちの言いうことによく反はん発ぱつしていました」。どうなったでしょうか。「私わたしがそうした態たい度どを取とったので,会かい衆しゅうの一いっ致ちが乱みだされてしまいました」。ヒョン兄きょう弟だいは友とも達だちのおかげで問もん題だいに気き付づくことができ,自じ分ぶんの態たい度どを改あらためました。今いまでは,長ちょう老ろうとしての務つとめを立りっ派ぱに果はたしています。自じ分ぶんの中なかに,平へい和わを求もとめるのではなく競きそい合あう傾けい向こうがあることに気き付づいたなら,すぐに改かい善ぜんする必ひつ要ようがあります。

利り己こ心しんやねたみに警けい戒かいする

6. ガラテア 5章しょう26節せつによれば,どんな良よくない傾けい向こうがあると,競きょう争そう心しんを示しめしてしまいますか。

6 ガラテア 5:26を読よむ。どんな良よくない傾けい向こうがあると,競きょう争そう心しんを示しめしてしまうでしょうか。その1つは利り己こ心しんです。利り己こ的てきな人ひとはプライドが高たかく,自じ分ぶんのことしか考かんがえません。もう1つはねたみです。ねたみを抱いだく人ひとは,ほかの人ひとが持もっているものを欲ほしがるだけでなく,それを奪うばおうとします。誰だれかをねたむなら,実じっ際さいにはその人ひとを憎にくんでいることになります。それで,伝でん染せん病びょうを避さけるのと同おなじようにして,こうした悪わるい傾けい向こうを退しりぞけましょう。

7. 利り己こ心しんやねたみがもたらす結けっ果かをどんな例たとえで説せつ明めいできますか。

7 利り己こ心しんやねたみといった良よくない傾けい向こうは,飛ひ行こう機きの燃ねん料りょうに混こん入にゅうした不ふ純じゅん物ぶつに例たとえることができます。飛ひ行こう機きは離り陸りくできるかもしれませんが,不ふ純じゅん物ぶつが燃ねん料りょうパイプに詰つまると,着ちゃく陸りくする前まえにエンジンの出しゅつ力りょくが低てい下かし,墜つい落らくしてしまうでしょう。エホバに仕つかえている人ひとにも同おなじようなことが生しょうじるかもしれません。利り己こ心しんやねたみの気き持もちを抱いだくなら,やがて“墜つい落らく”してしまいます。(格かく 16:18)エホバに仕つかえるのをやめ,自じ分ぶんにもほかの人ひとたちにも悲ひ惨さんな結けっ果かをもたらしてしまうでしょう。では,どうすれば利り己こ心しんやねたみに警けい戒かいできるでしょうか。

8. 利り己こ心しんと闘たたかうために何なにができますか。

8 パウロがフィリピのクリスチャンに与あたえた助じょ言げんに従したがうなら,利り己こ心しんと闘たたかうことができます。パウロはこう述のべました。「対たい抗こう心しんを抱いだいたり,自じ己こ中ちゅう心しん的てきになったりしてはなりません。謙けん遜そんになり,自じ分ぶんより他たの人ひとの方ほうが上うえだと考かんがえてください」。(フィリ 2:3)自じ分ぶんより他たの人ひとの方ほうが上うえだと考かんがえるなら,自じ分ぶんより優すぐれた才さい能のうや能のう力りょくを持もっている人ひとに競きょう争そう心しんを抱いだくことはないでしょう。それどころか,そうした人ひとたちが会かい衆しゅうにいてくれることをうれしく思おもうはずです。そうした人ひとたちが自じ分ぶんの能のう力りょくを生いかしてエホバに仕つかえ,エホバをたたえているなら,特とくにそうです。同おなじように,能のう力りょくのある兄きょう弟だい姉し妹まいもパウロの助じょ言げんに従したがうなら,私わたしたちの良よい面めんに目めを留とめてくれるでしょう。そのようにして,私わたしたち全すべては会かい衆しゅうの平へい和わと一いっ致ちに貢こう献けんすることができるのです。

9. ねたむ傾けい向こうを抑おさえるために何なにができますか。

9 自じ分ぶんの限げん界かいをわきまえることによって慎つつしみを示しめすなら,ねたむ傾けい向こうを抑おさえることができます。慎つつしみがあるなら,自じ分ぶんにはほかの人ひとよりも才さい能のうや能のう力りょくがある,ということを示しめそうとはしないでしょう。そうではなく,自じ分ぶんよりも能のう力りょくがある人ひとから学まなぼうとするはずです。例たとえば,会かい衆しゅうの中なかに公こう開かい講こう演えんの上じょう手ずな兄きょう弟だいがいるなら,どのように準じゅん備びしているのか尋たずねることができるかもしれません。料りょう理りの上じょう手ずな姉し妹まいがいるなら,おいしく作つくるコツを尋たずねてみることができます。友とも達だちをつくるのが苦にが手てな若わかい人ひとは,上じょう手ずな人ひとにアドバイスを求もとめることができるでしょう。このようにするなら,ねたみを避さけることができ,自じ分ぶんのスキルを磨みがくこともできます。

聖せい書しょ中ちゅうの手て本ほんから学まなぶ

ギデオンが,武装したエフライム族の人たちと話している。

ギデオンは謙けん遜そんだったので,エフライムの人ひとたちと平へい和わな関かん係けいを保たもつことができた。(10-12節せつを参さん照しょう。)

10. ギデオンはどんな難むずかしい状じょう況きょうに直ちょく面めんしましたか。

10 マナセ族ぞくのギデオンとエフライム族ぞくの人ひとたちの間あいだに起おきたことを考かんがえてみましょう。ギデオンと300人にんの部ぶ下かは,エホバの助たすけを得えて劇げき的てきな勝しょう利りを収おさめました。そのことで誇ほこりを抱いだいても不ふ思し議ぎではありませんでした。そこに,エフライムの人ひとたちがやって来きました。ギデオンを褒ほめるためではなく,文もん句くを言いうためです。エフライムの人ひとたちは,ギデオンが神かみの敵てきとの戦たたかいを始はじめる時ときに自じ分ぶんたちに声こえを掛かけなかったので,プライドを傷きずつけられたようです。彼かれらは,自じ分ぶんたちの部ぶ族ぞくの名めい誉よのことばかり考かんがえて,全ぜん体たい像ぞうを見みていませんでした。ギデオンはエホバの名なをたたえ,エホバの民たみを守まもるために行こう動どうしていたのです。(裁さば 8:1)

11. ギデオンはエフライムの人ひとたちにどう応おうじましたか。

11 ギデオンは,エフライムの人ひとたちに対たいして謙けん遜そんにこう言いいました。「皆みなさんがしたことに比くらべれば私わたしは大たいしたことはしていません」。そして,エホバがエフライムの人ひとたちを祝しゅく福ふくした具ぐ体たい的てきな例れいを挙あげました。すると,「エフライムの人ひとたちの気き持もちは治おさま」りました。(裁さば 8:2,3)こうしてギデオンは,神かみの民たみの平へい和わを守まもるために謙けん遜そんさを示しめしたのです。

12. エフライムの人ひとたちやギデオンからどんなことを学まなべますか。

12 この出で来き事ごとから何なにを学まなべますか。エフライムの人ひとたちからは,エホバをたたえることよりも自じ分ぶんの名めい誉よのことを考かんがえてはならない,という点てんを学まなべます。家か族ぞくの頭かしらや長ちょう老ろうたちは,ギデオンから学まなぶことができます。誰だれかが私わたしたちのしたことに気き分ぶんを害がいした場ば合あいには,その人ひとの視し点てんで考かんがえるようにしましょう。その人ひとが頑がん張ばっている点てんを褒ほめることもできます。そうするためには,私わたしたちの側がわに謙けん遜そんさが必ひつ要ようです。相あい手てが間ま違ちがっている場ば合あいは,特とくにそう言いえます。自じ分ぶんの正ただしさを示しめすことよりも,平へい和わを守まもることの方ほうがはるかに重じゅう要ようなのです。

ハンナが穏やかな表情で幕屋を後にしている。大祭司エリがそれを見ている。

ハンナは物もの事ごとをエホバに委ゆだねたので,穏おだやかな気き持もちを取とり戻もどすことができた。(13-14節せつを参さん照しょう。)

13. ハンナはどんな難むずかしい状じょう況きょうに直ちょく面めんしましたか。どのように乗のり越こえましたか。

13 ハンナについても考かんがえてみましょう。ハンナは,レビ族ぞくの人ひとエルカナの妻つまで,エルカナから深ふかく愛あいされていました。しかし,エルカナにはもう1人ひとりペニンナという妻つまがいました。エルカナはペニンナよりもハンナの方ほうを愛あいしていました。しかし,「ペニンナには子こ供どもがい[まし]たが,ハンナには子こ供どもがい」ませんでした。それで,ペニンナはハンナを「傷きずつけようとして,……しきりにあざけって」いました。ハンナはどう感かんじたでしょうか。とても傷きずつきました。「泣ないて,食しょく事じをしようとしなかった」ほどです。(サム一いち 1:2,6,7)しかし,聖せい書しょにはハンナがペニンナに仕し返かえししようとしたという記き録ろくはありません。ハンナは自じ分ぶんの気き持もちをエホバに打うち明あけ,物もの事ごとをエホバに委ゆだねました。ペニンナはハンナに対たいする態たい度どを改あらためたでしょうか。聖せい書しょには何なにも書かかれていません。でも,ハンナは穏おだやかな気き持もちを取とり戻もどし,心こころが乱みだされることはもはやありませんでした。「もう沈しずんだ顔かおではなかった」と書かかれている通とおりです。(サム一いち 1:10,18)

14. ハンナからどんなことを学まなべますか。

14 ハンナから何なにを学まなべますか。誰だれかがあなたと張はり合あおうとするとしても,受うけて立たつ必ひつ要ようはありません。悪わるいことをされても仕し返かえしをするのではなく,その人ひとと平へい和わな関かん係けいでいるようにしましょう。(ロマ 12:17-21)相あい手てが態たい度どを変かえないとしても,あなたは穏おだやかな心こころを保たもてるでしょう。

パウロとアポロが楽しそうに会話している。

アポロとパウロはエホバが祝しゅく福ふくしてくださっていることを認みとめていたので,お互たがいをライバルと見みることはなかった。(15-18節せつを参さん照しょう。)

15. アポロとパウロにはどんな共きょう通つう点てんがありましたか。

15 では最さい後ごに,アポロとパウロの手て本ほんから学まなべる点てんを考かんがえてみましょう。2人ふたりとも聖せい書しょをよく知しっていました。人ひと々びとによく知しられていて,教おしえるのが上じょう手ずでした。そして,イエスの弟で子しになるよう多おおくの人ひとを助たすけました。それでも,2人ふたりがお互たがいをライバルと見みることはありませんでした。

16. アポロはどんな人ひとでしたか。

16 アポロは,1世せい紀きの学がく問もんの中ちゅう心しん地ちである「アレクサンドリア生うまれ」の人ひとでした。また,話はなすのがとても上じょう手ずで,「聖せい書しょによく通つうじてい」ました。(使し徒と 18:24)アポロがコリントにいた時とき,会かい衆しゅう内ないの一いち部ぶの人ひとたちは,パウロをはじめとするほかの兄きょう弟だいたちよりも,アポロのことを気きに入いっていました。(コリ一いち 1:12,13)アポロは,会かい衆しゅうを分ぶん裂れつさせるようなこうした考かんがえ方かたをあおったでしょうか。そんなことをしたとは考かんがえられません。実じっ際さい,アポロがコリントを去さってしばらくたってから,パウロはそこに戻もどるようアポロに勧すすめました。(コリ一いち 16:12)パウロは,アポロが会かい衆しゅうを分ぶん裂れつさせていたと感かんじていたなら,そんなことはしなかったはずです。アポロは自じ分ぶんの能のう力りょくを正ただしく用もちいていました。良よい知しらせを広ひろめたり,兄きょう弟だいたちを強つよめたりしていたのです。また,アポロは謙けん遜そんな人ひとだったに違ちがいありません。例たとえば,アクラとプリスキラがアポロに「神かみの道みちをより正せい確かくに説せつ明めいした」時とき,アポロが腹はらを立たてたという記き録ろくはありません。(使し徒と 18:24-28)

17. パウロはどのようにして平へい和わを求もとめましたか。

17 パウロは,アポロの立りっ派ぱな働はたらきを認みとめていました。しかし,アポロのせいで自じ分ぶんの立たち場ばが危あぶなくなる,とは考かんがえませんでした。パウロがコリントの会かい衆しゅうに与あたえた助じょ言げんから,パウロが謙けん遜そんで,慎つつしみ深ぶかく,物もの分わかりの良よい人ひとだったことが分わかります。「私わたしはパウロに従したがう」と言いわれていい気きになるのではなく,皆みなの注ちゅう意いがエホバ神かみとイエス・キリストに向むくようにしました。(コリ一いち 3:3-6)

18. コリント第だい一いち 4章しょう6,7節せつからすると,アポロとパウロからどんなことを学まなべますか。

18 アポロとパウロからどんなことを学まなべますか。私わたしたちはエホバのために一いっ生しょう懸けん命めい働はたらいて,バプテスマを受うけるよう多おおくの人ひとを助たすけるかもしれません。それでも,全すべてはエホバの祝しゅく福ふくのおかげであることを認みとめます。2人ふたりから学まなべる別べつの点てんは,会かい衆しゅうで委ゆだねられている責せき任にんが大おおきければ大おおきいほど,会かい衆しゅうをさらに平へい和わなところとするために一いっ層そう貢こう献けんできる,ということです。長ちょう老ろうや援えん助じょ奉ほう仕し者しゃたちは,会かい衆しゅうの平へい和わと一いっ致ちのために,聖せい書しょに基もとづく助じょ言げんを与あたえ,自じ分ぶん自じ身しんではなく手て本ほんであるキリスト・イエスに注ちゅう意いを向むけるようにしています。そのことに本ほん当とうに感かん謝しゃできるのではないでしょうか。(コリント第だい一いち 4:6,7を読よむ。)

19. 私わたしたち一人ひとり一人ひとりには何なにができますか。(「競きょう争そう心しんをあおらないようにしましょう」という囲かこみも参さん照しょう。)

19 私わたしたち一人ひとり一人ひとりには,神かみから与あたえられた才さい能のうや能のう力りょくがあります。その能のう力りょくを生いかして「仕つかえ合あってください」。(ペテ一いち 4:10)自じ分ぶんには大たいしたことはできないと感かんじるかもしれません。それでも,一いっ致ちに貢こう献けんする小ちいさな行おこないの一ひとつ一ひとつは,服ふくを縫ぬい合あわせる一ひと針はり一ひと針はりのように大たい切せつなものです。それで,人ひとと競きそい合あおうとするどんな傾けい向こうも自じ分ぶんの中なかから取とり除のぞくよう努ど力りょくしましょう。そして,会かい衆しゅうの平へい和わと一いっ致ちに貢こう献けんするためにできることは何なんでも行おこなうようにしましょう。(エフェ 4:3)

競きょう争そう心しんをあおらないようにしましょう

私わたしたちは気き付づかないうちに,会かい衆しゅう内ないで競きょう争そう心しんをあおってしまうことがあります。例たとえば,誰だれが一いち番ばん上じょう手ずに話はなしをするか,誰だれが一いち番ばんいいコメントをするか,誰だれが最もっとも優すぐれた開かい拓たく者しゃか,といったことを話はなしてしまうかもしれません。また,自じ分ぶんにとって素す晴ばらしいと思おもえる能のう力りょくを持もっているかどうかで,2人ふたりの長ちょう老ろうを比ひ較かくしてしまうこともあるでしょう。長ちょう老ろうも人にん間げんなので,いつも比くらべられていると,その人ひとをライバルと見みるようになるかもしれません。そうなると,会かい衆しゅうに良よくない影えい響きょうが及およんでしまいます。

どのように答こたえますか

  • 自じ分ぶんの動どう機きを分ぶん析せきすべきなのはなぜですか。

  • どうすれば競きょう争そう心しんをあおることを避さけられますか。

  • ギデオン,ハンナ,アポロ,パウロから,どんなことを学まなべましたか。

80番ばんの歌うた 「エホバが善よい神かみであること」を味あじわい知しる

a 小ちいさなひびが陶とう器きを割われやすくするように,競きょう争そう心しんは会かい衆しゅうの絆きずなを弱よわめます。会かい衆しゅうの絆きずなが弱よわくなり,一いっ致ちが失うしなわれると,私わたしたちは平へい和わのうちに神かみを崇すう拝はいすることができなくなります。この記き事じでは,競きょう争そう心しんを避さけるべき理り由ゆうと,会かい衆しゅうをもっと平へい和わなところにするためにできることを考かんがえます。

b 名な前まえは変かえてあります。

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