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  • 塔研21 02月号 26–31ページ
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  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2021
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2021
塔研21 02月号 26–31ページ

研究記事8

試し練れんに遭あっても喜よろこびを失うしなわない

「私わたしの兄きょう弟だいたち,さまざまな試し練れんに遭あう時とき,それを喜よろこばしいことと考かんがえましょう」。ヤコブ 1:2

111番ばんの歌うた 喜よろこびはあふれる

何なにを学まなぶかa

1-2. マタイ 5章しょう11節せつによると,私わたしたちは試し練れんに遭あってもどう感かんじることができますか。

イエスは弟で子したちが幸しあわせになると約やく束そくしましたが,試し練れんに遭あうとも言いいました。(マタ 10:22,23。ルカ 6:20-23)私わたしたちはキリストの弟で子しであることに喜よろこびを感かんじますが,大たい変へんなことが起おこる場ば合あいもあります。家か族ぞくから反はん対たいされたり,政せい府ふから迫はく害がいされたり,同どう僚りょうやクラスメートから悪わるいことをするように圧あつ力りょくをかけられたりすることを考かんがえると,不ふ安あんになるかもしれません。

2 普ふ通つう,迫はく害がいされて喜よろこぶ人ひとはいません。しかし聖せい書しょは,喜よろこぶようにと言いっています。例たとえばイエスの弟で子しヤコブは,試し練れんに遭あう時ときに参まいってしまうのではなく,それを喜よろこばしいことと考かんがえるよう勧すすめました。(ヤコ 1:2,12)イエスも,迫はく害がいされても幸こう福ふくだと言いっています。(マタイ 5:11を読よむ。)試し練れんに遭あっても,どうすれば喜よろこびを失うしなわずに済すむでしょうか。ヤコブが初しょ期きクリスチャンたちに書かいた手て紙がみの幾いくつかの点てんから,多おおくのことを学まなべます。まず,当とう時じのクリスチャンがどんな問もん題だいにぶつかったか考かんがえましょう。

1世せい紀きのクリスチャンはどんな試し練れんに遭あったか

3. ヤコブがイエスの弟で子しになって間まもなく,どんなことが起おきましたか。

3 イエスの異い父ふ兄きょう弟だいヤコブが弟で子しになって間まもなく,エルサレムにいたクリスチャンたちは反はん対たいを受うけるようになりました。(使し徒と 1:14; 5:17,18)ステファノが殺ころされると,多おおくのクリスチャンがエルサレムから逃にげ,「ユダヤとサマリアの全ぜん域いきに散ちらされ」ました。キプロスやアンティオキアまで行いった人ひとたちもいました。(使し徒と 7:58–8:1; 11:19)クリスチャンたちはとても大たい変へんな経けい験けんをしたことでしょう。それでも,行いった先さき々ざきで熱ねっ心しんに良よい知しらせを伝つたえ,ローマ帝てい国こく全ぜん域いきに幾いくつもの会かい衆しゅうができました。(ペテ一いち 1:1)しかし,もっと大たい変へんなことが待まち受うけていました。

4. 初しょ期きクリスチャンたちは,ほかにどんな試し練れんに遭あいましたか。

4 初しょ期きクリスチャンたちは,さまざまな試し練れんに遭あいました。例たとえば西せい暦れき50年ねんごろ,ローマ皇こう帝ていクラウディウスが全すべてのユダヤ人じんに,ローマから出でていくよう命めいじました。それで,クリスチャンになったユダヤ人じんたちは,家いえを捨すててどこかに移い住じゅうしなければなりませんでした。(使し徒と 18:1-3)西せい暦れき61年ねんごろ,使し徒とパウロは,仲なか間まのクリスチャンが人ひと々びとの前まえで非ひ難なんされたり,捕とらわれたり,持もち物ものを奪うばわれたりしたと書かきました。(ヘブ 10:32-34)また,貧ひん困こんや病びょう気きという問もん題だいもありました。(ロマ 15:26。フィリ 2:25-27)

5. これからどんな点てんを考かんがえますか。

5 ヤコブは,西せい暦れき62年ねんより前まえに手て紙がみを書かいた時とき,兄きょう弟だい姉し妹まいがどんな試し練れんに遭あっているかよく知しっていました。エホバに導みちびかれてクリスチャンたちに手て紙がみを書かき,試し練れんに遭あっても喜よろこびを失うしなわないためのアドバイスを与あたえました。ヤコブの手て紙がみを調しらべて次つぎの点てんを考かんがえましょう。ヤコブはどんな喜よろこびについて書かいていましたか。どんなものによってその喜よろこびが奪うばわれることがありますか。どんな試し練れんに遭あっても喜よろこびを失うしなわないために,知ち恵えと信しん仰こうと勇ゆう気きはどのように役やく立だつでしょうか。

クリスチャンの喜よろこびの理り由ゆう

1. 風雨にさらされているランプの中で火が燃えている。2. 年配の兄弟が聖書を開いて持っている。

ランプの中なかで燃もえ続つづける火ひのように,エホバが与あたえてくださる深ふかい喜よろこびはクリスチャンの心こころの中なかで燃もえ続つづける。(6節せつを参さん照しょう。)

6. ルカ 6章しょう22,23節せつによると,クリスチャンが試し練れんに遭っても喜よろこべるのはどうしてですか。

6 病びょう気きだったり,貧まずしかったり,家か族ぞくと考かんがえ方かたが違ちがったりすると幸しあわせになれない,と思おもう人ひとたちもいます。しかし,ヤコブが手て紙がみに書かいた喜よろこびは,状じょう況きょうに左さ右ゆうされるものではありません。神かみの聖せいなる力ちからが生うみ出だすものです。(ガラ 5:22)クリスチャンが深ふかい喜よろこびや幸しあわせを感かんじるのは,自じ分ぶんがイエスの手て本ほんに倣ならっていて,エホバに喜よろこばれていることを知しっているからです。(ルカ 6:22,23を読よむ。コロ 1:10,11)そのような喜よろこびは,ランプの中なかで燃もえる火ひのように,クリスチャンの心こころの中なかで燃もえ続つづけます。病びょう気きになったり貧まずしくなったりしても,消きえそうにはなりません。家か族ぞくやほかの人ひとたちからばかにされたり反はん対たいされたりしても,消きえません。反はん対たいする人ひとたちがその火ひを消けそうとしても,ますます燃もえ上あがります。信しん仰こうのゆえに試し練れんに遭あうのは,私わたしたちがまさしくキリストの弟で子しであることの証しょう拠こです。(マタ 10:22; 24:9。ヨハ 15:20)だからこそ,ヤコブはこう書かきました。「私わたしの兄きょう弟だいたち,さまざまな試し練れんに遭あう時とき,それを喜よろこばしいことと考かんがえましょう」。(ヤコ 1:2)

1. 鋼の剣が炎の中で熱せられている。2. 剣が水で冷やされている。3. ある兄弟が自宅で逮捕され,2人の警察官に連行されている。その様子を妻と娘が見ている。4. 妻と娘が仲間と一緒に家族の崇拝をしている。1人の兄弟が窓の外を確認している。5. 妻と娘が一緒に祈っている。

試し練れんは鋼はがねの剣つるぎを鍛きたえるのに使つかわれる炎ほのおのようなもの。そう言いえるのはなぜか。(7節せつを参さん照しょう。)b

7-8. 試し練れんに遭あうと,信しん仰こうはどうなりますか。

7 ヤコブは,クリスチャンが厳きびしい試し練れんに遭あっても喜よろこべる別べつの理り由ゆうも挙あげています。「信しん仰こうの質しつが試ためされると,忍にん耐たい力りょくが身みに付つく」と書かいています。(ヤコ 1:3)試し練れんは,鋼はがねの剣つるぎを鍛きたえるのに使つかわれる炎ほのおのようなものです。炎ほのおで熱ねっして打うった剣つるぎを冷ひやすと,鋼はがねは強つよくなります。同おなじように,私わたしたちが試し練れんを忍にん耐たいすると,信しん仰こうが強つよくなります。それで,ヤコブはこう書かきました。「忍にん耐たいするのをやめないでください。忍にん耐たいがその役やく割わりを果はたす時とき,皆みなさんは完かん全ぜんになり,全すべての点てんで健けん全ぜんな……人ひとになります」。(ヤコ 1:4)試し練れんによって信しん仰こうが強つよくなることが分わかると,喜よろこんで忍にん耐たいできます。

8 ヤコブは手て紙がみの中なかで,私わたしたちが喜よろこびを失うしなう原げん因いんになり得えるものについても書かいています。どんな問もん題だいが生しょうじることがあるでしょうか。どうすれば乗のり越こえられるでしょうか。

喜よろこびを奪うばいかねない問もん題だいを乗のり越こえる

9. 知ち恵えが必ひつ要ようなのはどうしてですか。

9 問もん題だい: どうしたらいいか分わからない。試し練れんに遭あった時ときには,良よい決けっ定ていをしたいと思おもうことでしょう。エホバに喜よろこばれることを行おこない,兄きょう弟だい姉し妹まいのためになり,エホバに忠ちゅう実じつに仕つかえ続つづけるためです。良よい決けっ定ていができるよう,エホバに助たすけを求もとめたいと思おもいます。(エレ 10:23)何なにを行おこない,反はん対たいする人ひとたちに何なにを言いうべきかを知しるには,知ち恵えが必ひつ要ようです。どうしたらいいか分わからないと,無む力りょく感かんに襲おそわれ,喜よろこびを失うしなってしまうかもしれません。

10. ヤコブ 1章しょう5節せつによると,知ち恵えを得えるために何なにをする必ひつ要ようがありますか。

10 解かい決けつ策さく: エホバに祈いのって知ち恵えを求もとめる。喜よろこんで試し練れんを忍にん耐たいするには,まずエホバに祈いのり,良よい決けっ定ていができるように知ち恵えを求もとめる必ひつ要ようがあります。(ヤコブ 1:5を読よむ。)エホバがなかなか祈いのりに答こたえてくれないと感かんじる場ば合あい,どうしたらいいでしょうか。ヤコブは,神かみに「求もとめ続つづけてください」と言いっています。私わたしたちが知ち恵えを求もとめ続つづけても,エホバはいら立だったり怒いかったりしません。試し練れんを忍にん耐たいするための知ち恵えを「惜おしみなく与あたえて」くださいます。(詩し 25:12,13)私わたしたちが試し練れんに遭あっていることを知しっていて,感かん情じょう移い入にゅうし,助たすけたいと思おもっています。そう考かんがえると喜よろこびが湧わいてきます。では,エホバはどのように知ち恵えを与あたえてくださるのでしょうか。

11. 知ち恵えを得えるために,ほかにどんなことをする必ひつ要ようがありますか。

11 エホバはご自じ分ぶんの言こと葉ばを通とおして知ち恵えを与あたえてくださいます。(格かく 2:6)その知ち恵えを得えるには,聖せい書しょと聖せい書しょに基もとづく出しゅっ版ぱん物ぶつを学まなばなければなりません。でも,知ち識しきを蓄たくわえるだけでは不ふ十じゅう分ぶんです。エホバのアドバイスに従したがうことによって,学まなんだ知ち恵えを生せい活かつの中なかで生いかす必ひつ要ようがあります。ヤコブは,「神かみの言こと葉ばを実じっ践せんする人ひとになってください。聞きくだけの人ひとになってはなりません」と書かいています。(ヤコ 1:22)神かみの助じょ言げんの通とおりにするなら,私わたしたちは平へい和わを求もとめるようになり,分ふん別べつがあって憐あわれみ深ぶかい人ひとになれます。(ヤコ 3:17)そういう人ひとは喜よろこびを失うしなうことなく,試し練れんに立たち向むかえます。

12. 聖せい書しょをよく知しることが大たい切せつなのはどうしてですか。

12 神かみの言こと葉ばは鏡かがみのような働はたらきをし,自じ分ぶんの直なおすべきところに気き付づかせてくれます。(ヤコ 1:23-25)例たとえば,神かみの言こと葉ばを学まなんで,気きが短みじかいところを直なおす必ひつ要ようがあることに気き付づくかもしれません。誰だれかや何なにかのせいで腹はらを立たてそうになっても,エホバの助たすけによって温おん和わでいることができます。温おん和わな人ひとは,いろいろな問もん題だいとうまく向むき合あえます。落おち着ついて考かんがえて,良よい決けっ定ていができます。(ヤコ 3:13)聖せい書しょをよく知しることは本ほん当とうに大たい切せつです。

13. 聖せい書しょに出でてくる人ひとたちの例れいを調しらべるとよいのはどうしてですか。

13 何なにかをしてしまってから,それが間ま違ちがいだったと分わかることがあります。失しっ敗ぱいから学まなぶのはつらいことです。知ち恵えを得えるもっと良よい方ほう法ほうは,他たの人ひとの成せい功こうや失しっ敗ぱいから学まなぶことです。それでヤコブは,聖せい書しょに出でてくるアブラハム,ラハブ,ヨブ,エリヤの例れいについて考かんがえるように勧すすめています。(ヤコ 2:21-26; 5:10,11,17,18)その人ひとたちはエホバに仕つかえ続つづけ,喜よろこびを奪うばいかねない試し練れんを忍にん耐たいすることができました。私わたしたちもエホバの助たすけによって同おなじように忍にん耐たいできる,ということが分わかります。

14-15. 疑うたがいの気き持もちを持もつのが危き険けんなのはどうしてですか。

14 問もん題だい: 疑うたがいの気き持もち。聖せい書しょの中なかに,よく理り解かいできない箇か所しょがありますか。あるいは,エホバが期き待たい通どおりに祈いのりに答こたえてくれないと感かんじていますか。そういうことが原げん因いんで,疑うたがいの気き持もちが生しょうじる場ば合あいがあります。疑うたがいの気き持もちを持もっていると,信しん仰こうが弱よわくなり,エホバとの関かん係けいが損そこなわれます。(ヤコ 1:7,8)将しょう来らいへの希き望ぼうも失うしなってしまうかもしれません。

15 使し徒とパウロは,将しょう来らいへの希き望ぼうをいかりに例たとえました。(ヘブ 6:19)いかりは,嵐あらしの時ときに船ふねが流ながされて座ざ礁しょうするのを防ふせぎます。しかし,鎖くさりで船ふねとしっかりつながっていなければ役やくに立たちません。さびがいかりの鎖くさりをもろくするように,疑うたがいの気き持もちは私わたしたちの信しん仰こうを弱よわくします。疑うたがいの気き持もちがある人ひとは,反はん対たいされると,エホバが必かならず約やく束そくを果はたすという信しん仰こうを失うしなってしまうかもしれません。信しん仰こうを失うしなうと,希き望ぼうも失うしなってしまいます。ヤコブが書かいているように,疑うたがう人ひとは「風かぜに吹ふかれて揺ゆれ動うごく海うみの波なみのようです」。(ヤコ 1:6)そういう状じょう態たいだと,全まったく喜よろこびを感かんじられないでしょう。

16. 疑うたがいの気き持もちがあるならどうすべきですか。

16 解かい決けつ策さく: 疑うたがいの気き持もちを晴はらし,信しん仰こうを強つよくする。優ゆう柔じゅう不ふ断だんであってはなりません。預よ言げん者しゃエリヤの時じ代だいに,エホバの民たみは優ゆう柔じゅう不ふ断だんになっていました。エリヤは民たみにこう言いいました。「あなたたちはいつまでどっち付つかずの態たい度どを取とっているのですか。もしエホバが真しんの神かみなら,その方かたに従したがいなさい。しかし,もしバアルがそうなら,バアルに従したがいなさい」。(王おう一いち 18:21)私わたしたちにも同おなじことが言いえます。エホバが神かみであり,聖せい書しょが神かみの言こと葉ばであり,エホバの証しょう人にんが神かみの民たみであることを,調しらべて確かく信しんする必ひつ要ようがあります。(テサ一いち 5:21)そうすれば疑うたがいの気き持もちはなくなり,信しん仰こうが強つよくなるでしょう。なかなか疑うたがいの気き持もちが晴はれないなら,長ちょう老ろうに助たすけを求もとめてください。エホバに仕つかえる喜よろこびを失うしなわないように,すぐに行こう動どうしなければなりません。

17. 勇ゆう気きを失うしなうとどうなりますか。

17 問もん題だい: 落らく胆たんの気き持もち。聖せい書しょにはこうあります。「苦く難なんの時ときに落らく胆たんするなら,力ちからが失うしなわれる」。(格かく 24:10)「落らく胆たんする」と訳やくされているヘブライ語ごには,「勇ゆう気きを失うしなう」という意い味みもあります。勇ゆう気きを失うしなうと,すぐに喜よろこびも失うしなってしまいます。

18. 「忍にん耐たい」という言こと葉ばにはどんな意い味みがありますか。

18 解かい決けつ策さく: エホバに頼たより,忍にん耐たいするための勇ゆう気きをもらう。試し練れんを忍にん耐たいするには,勇ゆう気きが必ひつ要ようです。(ヤコ 5:11)ヤコブが使つかった「忍にん耐たい」と訳やくされている言こと葉ばには,立たっている場ば所しょから動うごかないという意い味みもあります。兵へい士しが自じ分ぶんの持もち場ばで勇ゆう敢かんに立たち続つづけ,敵てきからどんなに激はげしく攻こう撃げきされても一いっ歩ぽも下さがらない様よう子すをイメージできるかもしれません。

19. 使し徒とパウロの手て本ほんからどんなことを学まなべますか。

19 使し徒とパウロは,勇ゆう気きと忍にん耐たいの素す晴ばらしい手て本ほんを残のこしました。自じ分ぶんは弱よわいと感かんじることもありましたが,エホバに頼たよって必ひつ要ような力ちからをもらったので,忍にん耐たいすることができました。(コリ二に 12:8-10。フィリ 4:13)私わたしたちも,エホバの助たすけを必ひつ要ようとしていることを謙けん遜そんに認みとめるなら,力ちからや勇ゆう気きを与あたえていただけます。(ヤコ 4:10)

神かみに近ちかづく人ひとは喜よろこびを失うしなわない

20-21. どんなことを確かく信しんできますか。

20 試し練れんはエホバからの罰ばつではありません。ヤコブはこう書かいています。「試し練れんに遭あう時とき,『神かみから試ためされている』と言いってはなりません。悪わるい事こと柄がらによって神かみが試ためされることはなく,誰だれかを試ためすこともないからです」。(ヤコ 1:13)このことを確かく信しんすると,愛あい情じょう深ぶかい天てんの父ちちにいっそう近ちかづきたくなります。(ヤコ 4:8)

21 エホバは「変へん化かしたりはしません」。(ヤコ 1:17)試し練れんに遭あった1世せい紀きのクリスチャンたちを支ささえたように,現げん代だいの私わたしたちも助たすけてくださいます。エホバに真しん剣けんに祈いのり,知ち恵えと信しん仰こうと勇ゆう気きを持もてるように助たすけを求もとめましょう。エホバは祈いのりに答こたえてくださいます。私わたしたちが喜よろこびを失うしなうことなく試し練れんを忍にん耐たいできるように,必かならず助たすけてくださることを確かく信しんできます。

どのように答こたえますか

  • クリスチャンが喜よろこびを感かんじるのはどうしてですか。

  • 喜よろこびを奪うばいかねないどんな問もん題だいがありますか。

  • 試し練れんに遭あっても,どうすれば喜よろこびを失うしなわずに済すみますか。

128番ばんの歌うた 終おわりまで耐たえ忍しのぶ

a ヤコブの手て紙がみには,試し練れんに遭あった時ときに役やく立だつアドバイスがたくさん書かかれています。この記き事じでは,その幾いくつかを考かんがえます。大たい変へんなことがあっても喜よろこんでエホバに仕つかえ続つづける助たすけになるでしょう。

b 写しゃ真しんや挿さし絵え: ある兄きょう弟だいが自じ宅たくで逮たい捕ほされ,警けい察さつ官かんに連れん行こうされていくのを妻つまと娘むすめが見みている。夫おっとが刑けい務む所しょにいる間あいだ,兄きょう弟だい姉し妹まいたちが親おや子この家か族ぞくの崇すう拝はいに参さん加かしている。親おや子こは頻ひん繁ぱんにエホバに祈いのり,試し練れんを忍にん耐たいするための力ちからを求もとめている。エホバのおかげで穏おだやかな気き持もちになり,勇ゆう気きを持もてているので,信しん仰こうが強つよくなり,喜よろこんで忍にん耐たいすることができている。

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