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エホバに近づきなさい
近 第2章 16–25ページ
女性が聖書で読んだことについて考えている。

第2章

本ほん当とうに神かみに近ちかづける?

1-2. (ア)多おおくの人ひとは,どんなことはあり得えないと言いいますか。聖せい書しょによるとどうですか。(イ)アブラハムは神かみとどんな関かん係けいになりましたか。そうなれたのはどうしてですか。

天てん地ちの創そう造ぞう者しゃがあなたのことを「私わたしの友とも」と呼よんでくれたら,どういう気き持もちになりますか。多おおくの人ひとは,そんなことはあり得えないと言いいます。単たんなる人にん間げんがエホバ神かみと友とも達だちになるなんて考かんがえられない,というわけです。でも聖せい書しょによると,神かみと友ゆう情じょうを育はぐくむことは可か能のうです。

2 遠とおい昔むかしにアブラハムは,神かみととても親したしくなりました。エホバはアブラハムを「私わたしの友とも」と呼よびました。(イザヤ 41:8)アブラハムがエホバの友ともになれたのは,「エホバに信しん仰こうを持も」ったからです。(ヤコブ 2:23)現げん代だいでも,エホバは自じ分ぶんに仕つかえる人ひとたちと友とも達だちになって「愛あいを示しめし」たいと思おもっています。(申しん命めい記き 10:15)聖せい書しょは私わたしたちにこう勧すすめています。「神かみに近ちかづいてください。そうすれば,神かみは近ちかづいてくださいます」。(ヤコブ 4:8)この言こと葉ばには,神かみの約やく束そくも含ふくまれています。

3. エホバは私わたしたちにどんなことを勧すすめていますか。どんな約やく束そくもしてくれていますか。

3 エホバは,自じ分ぶんに近ちかづくよう私わたしたちに勧すすめています。ぜひとも自じ分ぶんと友とも達だちになってほしいと思おもっているのです。そして,私わたしたちの側がわが近ちかづくなら,自じ分ぶんの方ほうからも近ちかづくと約やく束そくしてくれています。ですから私わたしたちは,素す晴ばらしいことに「エホバ[の]親したしい友とも」になることができます。(詩し編へん 25:14)「親したしい友とも」という表ひょう現げんには,何なんでも話はなせる特とく別べつな相あい手てという意い味み合あいがあります。

4. 親しん友ゆうとはどういう人ひとですか。エホバはどんな親しん友ゆうになってくれますか。

4 何なんでも打うち明あけられる親しん友ゆうがいるのは,幸しあわせなことです。その人ひとはあなたのことを大だい事じに思おもってくれます。あなたもその人ひとのことを心こころから信しん頼らいしています。いつも支ささえてくれるからです。その人ひとといると,喜よろこびは2倍ばいになり,悲かなしみは半はん分ぶんになります。ほかの誰だれも分わかってくれないように思おもえても,その人ひとだけは分わかってくれます。エホバ神かみも,そのような特とく別べつな友とも達だちになってくれます。あなたのことを大だい事じに思おもい,深ふかく気き遣づかい,誰だれよりも分わかってくれます。(詩し編へん 103:14。ペテロ第だい一いち 5:7)エホバは決けっして裏うら切ぎったりせず,いつも支ささえてくれるので,心こころの底そこから信しん頼らいできます。(詩し編へん 18:25)エホバの方ほうから友ゆう情じょうを育はぐくめるようにしてくれたからこそ,私わたしたちはエホバと親したしい友とも達だちになれるので,本ほん当とうにうれしい気き持もちになります。

エホバは友ゆう情じょうの扉とびらを開ひらいてくれた

5. 私わたしたちが近ちかづけるように,エホバは何なにをしてくれましたか。

5 私わたしたちは生うまれつき罪つみ人びとなので,自じ分ぶんの力ちからだけで神かみに近ちかづくことはできません。(詩し編へん 5:4)「しかしキリストは,私わたしたちがまだ罪つみ人びとだった間あいだに,私わたしたちのために死しんでくださいました。そのことにより,神かみはご自じ分ぶんの愛あいを私わたしたちに示しめしてくださっています」と,使し徒とパウロは書かいています。(ローマ 5:8)エホバは,イエスが「多おおくの人ひとと引ひき換かえる贖あがないとして自じ分ぶんの命いのちを与あたえる」ようにしてくれました。(マタイ 20:28)その贖あがないの犠ぎ牲せいに信しん仰こうを持もつ人ひとは,神かみに近ちかづくことができます。「神かみがまず愛あいしてくださった」からこそ,私わたしたちは神かみとの友ゆう情じょうを育はぐくむことができるのです。(ヨハネ第だい一いち 4:19)

6-7. (ア)エホバが謎なぞめいた神かみではないと分わかるのはどうしてですか。(イ)エホバはどのように自じ分ぶんのことを知しらせてきましたか。

6 エホバはほかにもどんなことをしてくれたでしょうか。自じ分ぶんのことを私わたしたちに知しらせてくれました。誰だれかと親したしい友とも達だちになるには,相あい手てのいいところや考かんがえ方かたなどをよく知しる必ひつ要ようがあります。もしエホバがどんな方かたか全まったく分わからない謎なぞめいた神かみだったら,親したしくなることはできないでしょう。でもエホバはそうではなく,自じ分ぶんのことを知しってほしいと思おもっています。(イザヤ 45:19)そして,地ち位いや立たち場ばなどに関かん係けいなくあらゆる人ひとに自じ分ぶんのことを知しらせています。(マタイ 11:25)

エホバについて知らせているものの写真。1. 花とチョウ。2. 南国の海岸から見える夕焼け。3. 開かれた聖書。

エホバは,創そう造ぞうしたものと聖せい書しょによって,自じ分ぶんがどんな神かみかを知しらせている

7 エホバはどのように自じ分ぶんのことを知しらせてきたのでしょうか。例たとえば,創そう造ぞうしたものから,自じ分ぶんの強きょう大だいな力ちからや,豊ゆたかな知ち恵え,深ふかい愛あいなどが人にん間げんに分わかるようにしました。(ローマ 1:20)それだけでなく,聖せい書しょに自じ分ぶんのことが記しるされるようにしました。そのおかげで,聖せい書しょを読よむ人ひとはエホバについていろいろなことを理り解かいできます。

聖せい書しょからエホバについてどんなことが分わかるか

8. 聖せい書しょを読よむとエホバが私わたしたちを愛あいしてくれていることが分わかるのはどうしてですか。

8 聖せい書しょを読よむと,エホバが私わたしたちを本ほん当とうに愛あいしてくれていることが分わかります。自じ分ぶんのことを,私わたしたちに分わかるように伝つたえてくれているからです。私わたしたちがエホバを知しって愛あいするようになることを,エホバは望のぞんでいるのです。聖せい書しょを読よんで学まなぶと,エホバに近ちかづいて絆きずなを強つよめることができます。(詩し編へん 1:1-3)聖せい書しょからエホバについてどんなことが分わかるか,少すこし考かんがえてみましょう。きっと感かん動どうすることでしょう。

9. 聖せい書しょには,神かみがどのような方かたかを示しめすどんな言こと葉ばがありますか。

9 聖せい書しょには,神かみがどのような方かたかを示しめす言こと葉ばがたくさんあります。例たとえば次つぎのようなものです。「エホバは公こう正せいを愛あいする方かた」。(詩し編へん 37:28)「神かみは偉い大だいな力ちからを持もって[いる]」。(ヨブ 37:23)「『私わたしは……揺ゆるぎない愛あいを抱いだいている……』と,エホバは宣せん言げんする」。(エレミヤ 3:12)「神かみは心こころが賢かしこ[い]」。(ヨブ 9:4)「憐あわれみ深ぶかく,思おもいやりがある神かみ,すぐに怒いからず,揺ゆるぎない愛あいに満みち,常つねに信しん頼らいできる」。(出しゅつエジプト記き 34:6)「エホバ,あなたは善よい方かたで,快こころよく許ゆるしてくださいます」。(詩し編へん 86:5)そして,前まえの章しょうで取とり上あげたように,神かみの最もっとも素す晴ばらしい面めんは愛あいです。「神かみは愛あい」なのです。(ヨハネ第だい一いち 4:8)エホバ神かみがいかに魅み力りょく的てきな方かたであるかを考かんがえると,友とも達だちになりたいと思おもうのではないでしょうか。エホバのような方かたはほかにいません。

10-11. (ア)私わたしたちがエホバについて一いっ層そうよく分わかるように,エホバは何なにを聖せい書しょに載のせてくれていますか。(イ)どんな例れいから,エホバの力ちからについて一いっ層そうはっきりとイメージできますか。

10 愛あい情じょう深ぶかいエホバは,自じ分ぶんがどんな方かたかを言いうだけでなく,行こう動どうによっても示しめしていて,幾いくつもの例れいを聖せい書しょに載のせてくれています。そうした記き録ろくを読よんで情じょう景けいを思おもい描えがくと,エホバのいろいろな面めんについて一いっ層そうよく分わかり,エホバへの親したしみがどんどん湧わいてきます。1つの例れいを考かんがえてみましょう。

聖せい書しょはエホバに近ちかづくのに役やく立だつ

11 聖せい書しょによると,神かみは「驚きょう異い的てきな力ちからを持もって」います。(イザヤ 40:26)神かみがイスラエル人じんに紅こう海かいを渡わたらせて救きゅう出しゅつしたことや,40年ねんもの間あいだ荒こう野やでイスラエル人じんを守まもったことについて読よむと,神かみがどのように力ちからを発はっ揮きするかを一いっ層そうはっきりとイメージできます。逆さか巻まく水みずが2つに分わかれていく様よう子すを想そう像ぞうしてください。約やく300万まん人にんのイスラエル人じんが,乾かわいた海かい底ていを歩あるいて渡わたっていきます。両りょう側がわには,水みずが巨きょ大だいな壁かべのようになってそそり立たっています。(出しゅつエジプト記き 14:21; 15:8)神かみが荒こう野やでどのようにイスラエル人じんを保ほ護ごし,世せ話わしたかも思おもい描えがいてみましょう。岩いわから水みずが流ながれ出でます。白しろい種たねのような食たべ物ものが地じ面めんに現あらわれます。(出しゅつエジプト記き 16:31。民みん数すう記き 20:11)こうした例れいから,エホバに力ちからがあることだけでなく,その力ちからを自じ分ぶんの民たみのために使つかってくれることが分わかります。そのような力ちから強づよい神かみが祈いのりを聞きいてくれることを考かんがえると,心こころ強づよく感かんじるのではないでしょうか。エホバは「私わたしたちの避ひ難なん所じょ,力ちから」であり,「苦く難なんの時とき,すぐに助たすけになってくださる」のです。(詩し編へん 46:1)

12. エホバはどのように,私わたしたちが理り解かいできる表ひょう現げんを使つかって自じ分ぶんのことを伝つたえてくれていますか。

12 目めに見みえない方かたであるエホバは,ほかにもどのように自じ分ぶんについて知しらせてくれているでしょうか。私わたしたち人にん間げんは,天てんや天てんにいる存そん在ざいを見みることはできません。もし神かみが自じ分ぶんのことを,天てんにいる者ものにしか分わからない表ひょう現げんで説せつ明めいするとしたら,どうでしょうか。それは,生うまれつき目めが見みえない人ひとに,誰だれかの目めの色いろやそばかすといった外がい見けん上じょうの特とく徴ちょうを詳くわしく説せつ明めいしようとするようなものかもしれません。エホバはそのようにはせず,私わたしたちが理り解かいできる表ひょう現げんを使つかって自じ分ぶんのことを伝つたえてくれています。例たとえば隠いん喩ゆや直ちょく喩ゆなどを使つかって,自じ分ぶんを私わたしたちが知しっているものになぞらえています。また,人にん間げんと同おなじ特とく徴ちょうを持もっているかのように自じ分ぶんを描びょう写しゃすることもあります。a

13. イザヤ 40章しょう11節せつでエホバはどんなものに例たとえられていますか。そのことから,あなたはどう感かんじますか。

13 エホバについてイザヤ 40章しょう11節せつに書かかれていることに注ちゅう目もくしましょう。「神かみは羊ひつじ飼かいのようにご自じ分ぶんの群むれを世せ話わする。腕うでで子こ羊ひつじを集あつめ,懐ふところに抱だいて運はこぶ」。ここでエホバは,「腕うで」で子こ羊ひつじを抱だき上あげる羊ひつじ飼かいに例たとえられています。自じ分ぶんのか弱よわい民たみを守まもり,支ささえてくれることがよく伝つたわります。私わたしたちはいわば,神かみの力ちから強づよい腕うでの中なかで安あん心しんできます。私わたしたちが神かみから離はなれなければ,神かみに見み捨すてられることは決けっしてないからです。(ローマ 8:38,39)偉い大だいな羊ひつじ飼かいであるエホバは,子こ羊ひつじを「懐ふところに抱だいて」運はこびます。聖せい書しょ時じ代だいの羊ひつじ飼かいは,生うまれて間まもない子こ羊ひつじを懐ふところの辺あたりに入いれて運はこぶことがありました。このイメージから,エホバが私わたしたちのことを大たい切せつにし,優やさしく世せ話わしてくださると確かく信しんできます。本ほん当とうに近ちかづきたいと思おもえる方かたです。

「子こが進すすんで父ちちを啓けい示じする」

14. イエスについて読よむことが,エホバのことを知しる最もっとも良よい方ほう法ほうだと言いえるのはどうしてですか。

14 エホバは聖せい書しょの中なかに,愛あいする子こイエスのことが記しるされるようにしました。そのイエスについて読よむことが,エホバのことを知しる最もっとも良よい方ほう法ほうです。イエスは神かみと同おなじように考かんがえたり感かんじたりし,誰だれよりも生いき生いきと神かみについて説せつ明めいしました。初はつ子ごとして,他たの天てん使しや宇う宙ちゅうが創そう造ぞうされる前まえから父ちちエホバのそばにいたので,誰だれよりもエホバのことをよく知しっています。(コロサイ 1:15)それで,次つぎのように言いうことができました。「子こがどのような者ものかを知しっているのは父ちちだけであり,父ちちがどのような方かたかを知しっているのは,子こと,子こが進すすんで父ちちを啓けい示じする者ものたちだけです」。(ルカ 10:22)イエスは人にん間げんとして地ち上じょうにいた時とき,2つの方ほう法ほうで「父ちちを啓けい示じ」しました。

15-16. イエスはどんな2つの方ほう法ほうで「父ちちを啓けい示じ」しましたか。

15 1つ目めに,イエスは教おしえによって「父ちちを啓けい示じ」しました。エホバがどんな方かたかについてのイエスの説せつ明めいは,私わたしたちの心こころに響ひびきます。例たとえばイエスは,エホバが悔くい改あらためた罪つみ人びとを迎むかえ入いれる憐あわれみ深ぶかい神かみだということを示しめすために,エホバを寛かん大だいな父ちち親おやに例たとえました。その父ちち親おやは,放ほう蕩とう息子むすこが戻もどってきたのを見みて深ふかく心こころを動うごかされ,走はしっていって息子むすこを抱だき締しめ,優やさしく口くちづけします。(ルカ 15:11-24)さらにイエスによると,エホバは誠せい実じつな人ひとたち一人ひとり一人ひとりを愛あいして「引ひき寄よせ」る神かみです。(ヨハネ 6:44)また,地じ面めんに落おちる小ちいさなスズメ1羽わさえ見み逃のがすことはなく,気きに掛かけています。それでイエスはこう言いいました。「恐おそれることはありません。あなたたちはたくさんのスズメより価か値ちがあるのです」。(マタイ 10:29,31)このように深ふかく気き遣づかってくれる神かみと,ぜひとも親したしくなりたいと思おもうことでしょう。

16 2つ目めに,イエスは行おこないによって「父ちちを啓けい示じ」しました。イエスは父ちちエホバに完かん璧ぺきに倣ならっていたので,「私わたしを見みた人ひとは,父ちちをも見みたのです」と言いうことができました。(ヨハネ 14:9)ですから,私わたしたちは福ふく音いん書しょの中なかでイエスについて読よむ時とき,あたかもエホバの感かん情じょうの表あらわし方かたや人ひととの接せっし方かたを見みているかのようです。エホバが自じ分ぶんについて知しらせる上うえで,これ以い上じょうに良よい方ほう法ほうはなかったでしょう。どうしてそう言いえるのでしょうか。

17. エホバは,自じ分ぶんがどんな神かみかを私わたしたちが理り解かいしやすいように,どんなことをしてくれましたか。

17 例たとえば,親しん切せつとはどういうことかをあなたが説せつ明めいしようとしているとします。言こと葉ばでいろいろ説せつ明めいすることもできますが,実じっ際さいに親しん切せつなことをしている人ひとを指ゆびさして,「親しん切せつってああいうことだよ」と言いえるならどうでしょうか。手て本ほんを見みた相あい手ては,「親しん切せつ」という言こと葉ばの意い味みを一いっ層そうよく理り解かいできるのではないでしょうか。エホバは,自じ分ぶんがどんな神かみかを私わたしたちが理り解かいしやすいように,同おなじようなことをしてくれました。自じ分ぶんについて言こと葉ばで説せつ明めいするだけでなく,イエスという手て本ほんを見みせてくれたのです。イエスの言げん動どうに神かみのいろいろな性せい質しつが表あらわれているので,いわばエホバが福ふく音いん書しょの記き録ろくを通とおして詳くわしい自じ己こ紹しょう介かいをしているかのようです。では,神かみの聖せいなる力ちからに導みちびかれて書かかれた福ふく音いん書しょから,地ち上じょうにいた時ときのイエスについてどんなことが分わかるでしょうか。

18. イエスは,力ちから,公こう正せい,知ち恵えをどのように表あらわしましたか。

18 イエスは神かみの4つの主おもな性せい質しつを見み事ごとに表あらわしました。イエスは力ちからを持もっていたので,病びょう気きを治なおしたり,おなかをすかせた大おお勢ぜいの人ひとたちに食たべ物ものを与あたえたり,死しんだ人ひとを生いき返かえらせたりできました。でも,力ちからを乱らん用ようする利り己こ的てきな人ひとたちとは違ちがい,奇き跡せきを行おこなう力ちからを自じ分ぶんのために使つかったり,その力ちからで人ひとを傷きずつけたりはしませんでした。(マタイ 4:2-4)イエスは公こう正せいを愛あいしていたので,貪どん欲よくな商しょう人にんたちが人ひと々びとを食くい物ものにしているのを見みて正せい当とうな怒いかりを感かんじました。(マタイ 21:12,13)貧まずしい人ひとたちや虐しいたげられていた人ひとたちにも公こう平へいに接せっし,その人ひとたちが「爽さわやかさを感かんじ」られるようにしました。(マタイ 11:4,5,28-30)「ソロモンを上うわ回まわる者もの」だったイエスの教おしえには,ずばぬけた知ち恵えが表あらわれていました。(マタイ 12:42)でもイエスは自じ分ぶんの知ち恵えを見みせつけたりはしませんでした。役やく立だつことをシンプルに分わかりやすく教おしえたので,イエスの言こと葉ばは一いっ般ぱんの人ひと々びとの心こころに響ひびきました。

19-20. (ア)イエスが愛あいを表あらわす点てんで際きわ立だっていたと言いえるのはどうしてですか。(イ)イエスの手て本ほんについて読よんで考かんがえる時とき,どんなことを覚おぼえておくとよいですか。

19 イエスは特とくに,愛あいを表あらわす点てんで際きわ立だっていました。宣せん教きょうを行おこなった間あいだずっと,感かん情じょう移い入にゅうや思おもいやりなど,愛あいのさまざまな面めんを表あらわしました。苦くるしんでいる人ひとたちを見みるとかわいそうに思おもい,助たすけたいという気き持もちが行こう動どうに表あらわれました。(マタイ 14:14)病びょう気きの人ひとたちを癒いやし,おなかをすかせた人ひとたちに食たべ物ものを与あたえただけでなく,もっと重じゅう要ようなこととして神かみの王おう国こくについて教おしえました。その王おう国こくによって,もう苦くるしむことはなくなり,いつまでも幸しあわせに暮くらせるようになるという希き望ぼうを,人ひと々びとが持もてるように助たすけたのです。(マルコ 6:34。ルカ 4:43)何なによりもイエスは,全すべての人ひとのために自じ分ぶんの命いのちをなげうつことによって,自じ己こ犠ぎ牲せい的てきな愛あいを示しめしました。(ヨハネ 15:13)

20 イエスは本ほん当とうに優やさしくて温あたたかく,思おもいやり深ぶかい方かただったので,子こ供どもからお年とし寄よりまであらゆる人ひとたちがイエスに引ひき付つけられたのはもっともなことです。(マルコ 10:13-16)イエスの素す晴ばらしい手て本ほんについて読よんで考かんがえる時とき,イエスの言げん動どうには父ちちエホバがどのような方かたかがはっきり表あらわれている,ということを覚おぼえておきましょう。(ヘブライ 1:3)

エホバについて学まなぶのに役やく立だつ本ほん

21-22. エホバを探さがし求もとめるとはどういうことですか。この本ほんはどのように役やく立だちますか。

21 エホバは聖せい書しょの中なかで自じ分ぶんについてたくさんのことを知しらせているので,自じ分ぶんに近ちかづいてほしいと思おもっていることがはっきり分わかります。とはいえ,自じ分ぶんと親したしくなるよう私わたしたちに強きょう制せいしたりはしません。「見みいだせるうちにエホバを探さがし求もとめ」るかどうかは,私わたしたち次し第だいです。(イザヤ 55:6)エホバを探さがし求もとめるとは,エホバがどんな方かたで,どのように考かんがえたり感かんじたりするかを,聖せい書しょを読よんで学まなんでいくことです。この本ほんは,そうするのに役やく立だちます。

22 この本ほんには4つのセクションがあり,エホバの4つの主おもな性せい質しつである力ちから,公こう正せい,知ち恵え,愛あいを取とり上あげています。各かくセクションではまず,そこで取とり上あげる性せい質しつを概がい観かんします。続つづく幾いくつかの章しょうで,エホバがその性せい質しつをどのように表あらわしているかを学まなびます。また,各かくセクションには,イエスがどのようにその性せい質しつを表あらわしたかを説せつ明めいする章しょうと,私わたしたちがそれをどのように表あらわせるかを考かんがえる章しょうもあります。

23-24. (ア)「じっくり考かんがえたいこと」という囲かこみにはどんな特とく徴ちょうがありますか。(イ)じっくり考かんがえることは,エホバとの友ゆう情じょうを深ふかめるのにどう役やく立だちますか。

23 この章しょう以い降こうには,「じっくり考かんがえたいこと」と題だいする囲かこみがあります。一いち例れいとして,24ページをご覧らんください。囲かこみにある聖せい句くや質しつ問もんは,章しょうを復ふく習しゅうするためのものではありません。その章しょうのテーマと関かん係けいがある重じゅう要ような点てんについてさらにじっくり考かんがえるためのものです。囲かこみを役やく立だてるにはどうしたらいいでしょうか。挙あげられている聖せい句くを開ひらいて,注ちゅう意い深ぶかく読よんでください。それから,質しつ問もんにどう答こたえられるかじっくり考かんがえましょう。他たの資し料りょうを調しらべることもできます。さらに,次つぎのようなことも考かんがえてみましょう。「ここからエホバについてどんなことが分わかるだろう。自じ分ぶんとどんな関かん係けいがあるだろう。ほかの人ひとを助たすけるのにどう役やく立だつだろう」。

24 そうしたことをじっくり考かんがえることは,エホバとの友ゆう情じょうを深ふかめるのに役やく立だちます。どうしてでしょうか。聖せい書しょの中なかで,黙もく想そうは心こころと結むすび付つけられています。(詩し編へん 19:14)神かみについて学まなんだことをじっくり考かんがえると,その内ない容ようが心こころに染しみ込こみます。そうすると,考かんがえ方かたが変かわり,気き持もちが奮ふるい立たち,行こう動どうしたくなります。神かみへの愛あいが深ふかまり,その最さい高こうの親しん友ゆうに喜よろこばれることをしたいという気き持もちになるのです。(ヨハネ第だい一いち 5:3)エホバとのそのような友ゆう情じょうを育はぐくむためにも,エホバがどんな方かたかを詳くわしく考かんがえていきましょう。4つのセクションに入はいる前まえに,まず神かみの神しん聖せいさについて取とり上あげます。神かみがどれほど聖せいなる方かたかを知しると,神かみに近ちかづきたいという気き持もちが強つよくなるでしょう。

a 例たとえば聖せい書しょには,神かみの顔かお,目め,耳みみ,鼻はな,口くち,腕うで,足あしについて書かかれています。(詩し編へん 18:15; 27:8,脚きゃく注ちゅう; 44:3。イザヤ 60:13。マタイ 4:4。ペテロ第だい一いち 3:12)これらは比ひ喩ゆ的てきな表ひょう現げんであり,文も字じ通どおり神かみに顔かおや手て足あしがあるということではありません。エホバが文も字じ通どおり「岩いわ」や「盾たて」ではないのと同おなじです。(申しん命めい記き 32:4。詩し編へん 84:11)

じっくり考かんがえたいこと

  • 詩し編へん 15:1-5 エホバは自じ分ぶんと友とも達だちになりたいと思おもう人ひとたちにどんなことを期き待たいしていますか。

  • 詩し編へん 34:1-18 エホバはどんな人ひとのそばにいますか。そういう人ひとは,エホバがどんなことをしてくれると確かく信しんできますか。

  • 詩し編へん 145:18-21 どんなことをすればエホバに近ちかづけますか。

  • コリント第だい二に 6:14–7:1 エホバと友とも達だちでいるためには,どんなことが大たい切せつですか。

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