あなたの忍耐に敬虔な専心を加えなさい
「あなた方の信仰に……忍耐を,忍耐に敬虔な専心を……加えなさい」。―ペテロ第二 1:5-7。
1,2 (イ)子どもにはどんな成長が期待されますか。(ロ)霊的な成長はどれほど重要ですか。
子どもが成長することは重要ですが,ただ身体面で成長すればよいというわけではありません。精神面や感情面の成長も期待されます。子どもはやがて未熟さを脱して,十分に成長した大人になります。使徒パウロはそのことに触れて,こう書きました。「わたしがみどりごであった時には,みどりごのように話し,みどりごのように考え,みどりごのように論じていました。しかし,大人となった今,みどりごの時のことをやめたのです」。―コリント第一 13:11。
2 パウロの言葉は,霊的な成長について重要な点を明らかにしています。クリスチャンは霊的なみどりごの状態から,「理解力の点では十分に成長した」状態へと進歩する必要があるのです。(コリント第一 14:20)「キリストの満ち満ちたさまに属する丈の高さ」に達するよう身を伸ばし,努力しなければなりません。そうすれば,『波によるように振り回されたり,あらゆる教えの風にあちこちと運ばれたりするみどりご』ではなくなります。―エフェソス 4:13,14。
3,4 (イ)霊的に十分成長するためには,何をしなければなりませんか。(ロ)どんな敬虔な特質を発揮すべきですか。それらの特質はどれほど重要ですか。
3 では,どうすれば霊的に十分成長できるでしょうか。身体的な成長は通常の状況下ではほぼ自動的に進行するのに対し,霊的な成長には意識的な努力が要ります。まず,神の言葉の正確な知識を取り入れること,そして,学んだ事柄に調和して行動することが必要です。(ヘブライ 5:14。ペテロ第二 1:3)そのようにすると,敬虔な特質を発揮できるようになります。身体的成長やそれに伴う様々な面と同様に,種々の敬虔な特質も,普通は同時に成長します。使徒ペテロはこう書いています。「真剣な努力をつくして答え応じ,あなた方の信仰に徳を,徳に知識を,知識に自制を,自制に忍耐を,忍耐に敬虔な専心を,敬虔な専心に兄弟の愛情を,兄弟の愛情に愛を加えなさい」。―ペテロ第二 1:5-7。
4 ペテロが挙げた特質は,いずれも非常に重要であり,どれも欠かせません。ペテロはさらにこう述べています。「これらのものがあなた方のうちに在ってあふれるなら,それはあなた方が,わたしたちの主イエス・キリストについての正確な知識に関して無活動になったり,実を結ばなくなったりするのを阻んでくれ(ま)す」。(ペテロ第二 1:8)ここでは特に,忍耐に敬虔な専心を加える必要性について考えましょう。
忍耐の必要性
5 わたしたちに忍耐が必要なのはなぜですか。
5 ペテロもパウロも,敬虔な専心を忍耐と結びつけています。(テモテ第一 6:11)忍耐するとは,単に辛苦を忍んで毅然とした態度を保つだけのことではありません。試練,障害,誘惑,また迫害に面しても希望を失わない,辛抱強さ,勇気,確固たる態度なども関係しています。「キリスト・イエスにあって敬虔な専心」のうちに生活する者として,わたしたちは迫害を予期しています。(テモテ第二 3:12)エホバに対する自分の愛を実証し,救いに必要な種々の特質を身につけるためには,忍耐しなければなりません。(ローマ 5:3-5。テモテ第二 4:7,8。ヤコブ 1:3,4,12)忍耐がなければ,永遠の命は得られないのです。―ローマ 2:6,7。ヘブライ 10:36。
6 終わりまで耐え忍ぶとは,どうすることですか。
6 いかに良いスタートを切ろうと,最終的に意味があるのは忍耐し通すことです。「終わりまで耐え忍んだ人が救われる者です」とイエスは言われました。(マタイ 24:13)そうです,今の命の終わりであれ,この邪悪な事物の体制の終わりであれ,とにかく終わりまで耐え忍ばなければなりません。どちらにせよ,神への忠誠を保たなければなりません。しかし,忍耐に加えて敬虔な専心を働かせなければ,エホバに喜んでいただくことはできず,永遠の命は得られません。では,敬虔な専心とは何でしょうか。
敬虔な専心の意味する事柄
7 敬虔な専心とは何ですか。それは,わたしたちにどんな願いを抱かせますか。
7 敬虔な専心とは,エホバ神の宇宙主権に対する忠節に基づく,神への個人的な崇敬,崇拝,奉仕です。エホバに対して敬虔な専心を実践するには,神とその道についての正確な知識が必要です。わたしたちは,神を個人的に,親しく知りたいという願いを持つべきです。それによって,神に対する心からの愛着が深まります。その愛着は,行動や生き方にはっきり表われます。また,可能なかぎりエホバに似た者となりたい,つまり神の物事の行ない方に倣い,神の特質や性格を反映したい,という気持ちを抱くべきです。(エフェソス 5:1)実際のところ,敬虔な専心は,何を行なう場合にも神に喜んでいただきたいという願いをわたしたちに抱かせます。―コリント第一 10:31。
8 敬虔な専心と全き専心とは,どのように密接に関連していますか。
8 真の敬虔な専心を実践するには,全き心でエホバだけを崇拝し,心の中で他の何ものも神の地位を占めることがないようにしなければなりません。創造者であるエホバは,わたしたちに全き専心を要求する権利をお持ちです。(申命記 4:24。イザヤ 42:8)それでもエホバは,ご自分を崇拝するよう強制したりはされません。内から出た自発的な専心を望まれます。生活を清いものにし,神に無条件で献身し,そのあと献身にふさわしく生きるようにわたしたちを動かすものは,神についての正確な知識に基づく,神への愛です。
神との関係を築く
9,10 どうすれば神との密接な関係を築いて維持することができますか。
9 神への献身の象徴としてバプテスマを受けた後も,神との個人的な関係を常に緊密にしてゆく必要があります。そのようにしたい,またエホバに忠実に仕えたいという気持ちのゆえに,引き続きみ言葉を研究し,み言葉について黙想するのです。自分の思いと心に神の霊が働くようにするにつれ,エホバに対する愛は深まります。神との関係は,生活の中で常に最も重要な事柄です。エホバを自分にとって最良の友と考え,どんな時も神を喜ばせたいと思います。(ヨハネ第一 5:3)神と良い関係にあることの喜びは増し加わり,必要なときに神が愛ゆえに教え諭し,正してくださることに対する感謝も深くなります。―申命記 8:5。
10 エホバとの貴重な関係は,それを強める手段を絶えず講じなければ,弱まってゆく場合があります。そうなってしまっても,それは神のせいではありません。「神は,わたしたちひとりひとりから遠く離れておられるわけでは(ない)」からです。(使徒 17:27)なんと幸いなことでしょう,エホバは人がご自分に近づくことを難しくしてはおられないのです。(ヨハネ第一 5:14,15)もとより,エホバとの個人的な関係を密接に保つためには努力が求められます。しかし神は,わたしたちが敬虔な専心を培って維持するために必要な備えすべてを設けて,ご自分に近づくように助けてくださっています。(ヤコブ 4:8)そうした愛ある備えすべてを,どうすれば十分に活用できるでしょうか。
霊的に強い状態を保つ
11 敬虔な専心の表明の仕方としてどのようなものがありますか。
11 内奥に根ざした神への愛こそ,敬虔な専心の深さを実証させる力となります。パウロはその点に関連して,「自分自身を,是認された者,また真理の言葉を正しく扱う,何ら恥ずべきところのない働き人として神に差し出すため,力を尽くして励みなさい」とも助言しています。(テモテ第二 2:15)このためには,定期的な聖書研究,集会への出席,野外宣教への参加という,日常的な良い習慣を守らなければなりません。また,『絶えず祈る』ことにより,エホバの近くにとどまることができます。(テサロニケ第一 5:17)これらは,敬虔な専心の意味深い表明の仕方です。一つでも怠るなら,霊的な病気になりかねず,またサタンの計略に陥りやすくなります。―ペテロ第一 5:8。
12 どうすれば首尾よく試練に対処できますか。
12 霊的に強く活発な状態を保つことも,降りかかる多くの試練に立ち向かう助けになります。試練は,わたしたちにとって大いに試みとなる方面から来ることがあります。無関心や反対や迫害は,近しい家族,親族,また近所の人などからの場合,普通以上に耐え難いことがあります。職場や学校で,クリスチャンの原則を曲げさせようとする圧力が知らぬまに高まることもあります。失意,病気,憂うつな気持ちなどを抱えていると,身体的にも弱り,信仰の試みに対処しにくくなりがちです。しかし,たゆむことなく,「聖なる行状と敬虔な専心のうちに,エホバの日の臨在を待ち,それをしっかりと思いに留め」ているなら,どんな試練にも首尾よく対処できます。(ペテロ第二 3:11,12)しかも,神の祝福を確信できるので,そうすることに喜びを保てます。―箴言 10:22。
13 敬虔な専心を実践してゆくためには,何をしなければなりませんか。
13 サタンは敬虔な専心を実践する人たちを標的にしていますが,恐れる必要はありません。なぜでしょうか。「エホバは,敬虔な専心を保つ人々をどのように試練から救い出すか……を知っておられる」からです。(ペテロ第二 2:9,10)試練に耐えてそのような救出を経験するには,「不敬虔と世の欲望とを振り捨て……現存する事物の体制にあって健全な思いと義と敬虔な専心とをもって生活」することが必要です。(テトス 2:12)クリスチャンであるわたしたちは,肉的な欲望や営みに関係したどんな弱さによっても,自分の敬虔な専心が乱されたり損なわれたりすることのないように用心しなければなりません。では,脅威となるそうした事柄を幾つか考察しましょう。
敬虔な専心を脅かすものに気をつけなさい
14 もし物質主義のわなに引き込まれそうになっているなら,どんなことを思い出すべきですか。
14 物質主義は多くの人にとってわな。わたしたちは自分をさえ欺いて「敬虔な専心を利得の手段と考える」かもしれません。そうなると,厚顔にも仲間の信者の信頼につけこむようになりかねません。(テモテ第一 6:5)裕福なクリスチャンに対してなら,返済できそうにない借金を頼み込んでも差し支えない,とさえ考えるかもしれません。(詩編 37:21)しかし,「今の命と来たるべき命との約束を保つ」のは敬虔な専心であって,物質的なものを得ることではありません。(テモテ第一 4:8)「わたしたちは世に何かを携えて来たわけではなく,また何かを運び出すこともできない」のですから,「自ら足りて敬虔な専心を守る」と共に,『命を支える物と身を覆う物で満足する』面でいっそう誠実であるようにしましょう。―テモテ第一 6:6-11。
15 もし快楽を追い求めていて敬虔な専心が締め出されそうなら,何を行なえますか。
15 快楽を追い求めると,敬虔な専心が締め出される。この点で直ちに調整をする必要があるでしょうか。体の訓練やレクリエーションも少しは益がありますが,その報いは,永遠の命に比べればごく小さなものです。(ヨハネ第一 2:25)今日,多くの人が「神を愛するより快楽を愛する者,敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者」となっており,わたしたちはそのような人たちを避けなければなりません。(テモテ第二 3:4,5)敬虔な専心を大切にする人は,「自分のため,将来に対するりっぱな土台を安全に蓄え,こうして真の命をしっかりとらえるように」しているのです。―テモテ第一 6:19。
16 どんな罪深い渇望のために神の義の要求にかなった生き方のできない人がいますか。どうすればそうした欲望を制することができますか。
16 アルコールや薬物の乱用,不道徳,罪深い渇望などは,敬虔な専心を損なう。こうしたことに屈するなら,神の義の要求にかなった生き方ができなくなってしまいます。(コリント第一 6:9,10。コリント第二 7:1)パウロでさえ,罪深い肉との絶えざる葛藤に耐えなければなりませんでした。(ローマ 7:21-25)間違った欲望を除き去るには,強力な措置が必要です。まず,道徳的に清い状態でいようと思い定めなければなりません。パウロはこう述べています。「淫行,汚れ,性的欲情,有害な欲望,また強欲つまり偶像礼拝に関して,地上にあるあなた方の肢体を死んだものとしなさい」。(コロサイ 3:5)そのような罪にかかわる事柄に関して自分の肢体を死んだものとするには,それらの事を排除し,除き去ろうという決意が必要です。神の助けを切に祈り求めるなら,この邪悪な事物の体制の中にあっても,間違った欲望を振り捨てて,義と敬虔な専心を追い求めてゆくことができます。
17 懲らしめをどう見るべきですか。
17 失意すると忍耐力は弱まり,敬虔な専心の妨げとなる。エホバの僕でも失意を経験した人は少なくありません。(民数記 11:11-15。エズラ 4:4。ヨナ 4:3)とりわけ,自分は軽んじられたと感じて,あるいは厳しい懲戒や懲らしめを受けたことで憤慨していると,その失意は破壊的なものとなりがちです。しかし,戒めや懲らしめは,神の関心と愛ある気遣いの証拠です。(ヘブライ 12:5-7,10,11)懲らしめは,ただの処罰とみなすのではなく,義の道に沿ってわたしたちを訓練するための手段と考えるべきです。謙遜であれば,「懲らしめの戒めは命の道」であることを認め,助言を感謝して受け入れるでしょう。(箴言 6:23)これは,敬虔な専心を追い求めつつ,霊的な良い進歩を遂げてゆく助けになります。
18 対人的な摩擦が生じた場合,わたしたちには,どうする責任がありますか。
18 誤解や対人的な摩擦が,敬虔な専心を試みることもある。そうした問題のゆえに,思い煩ったり,霊的な兄弟姉妹から自分を孤立させるという賢くない行動を取ったりする人がいるかもしれません。(箴言 18:1)しかし,だれか他の人に恨みや反感を抱くと,エホバとの関係が危うくなる,ということを忘れないでください。(レビ記 19:18)実際,「自分がすでに見ている兄弟を愛さない者は,見たことのない神を愛することはできない」のです。(ヨハネ第一 4:20)イエスは山上の垂訓の中で,個人間の不和があれば,解決のために直ちに行動すべきことを強調しておられます。聴いていた人たちにこう語りました。「それで,供え物を祭壇に持って来て,兄弟が自分に対して何か反感を抱いていることをそこで思い出したなら,あなたの供え物をそこ,祭壇の前に残しておいて,出かけて行きなさい。まず自分の兄弟と和睦し,それから,戻って来たときに,あなたの供え物をささげなさい」。(マタイ 5:23,24)おわびの言葉を述べれば,思いやりのない言動で生じた傷もいやされやすいでしょう。適正に行動しなかった自分の非を認めて許しを求めれば,裂けめは修復され,平和な関係を取り戻せるでしょう。イエスは,不和の扱い方に関し,他の助言も与えておられます。(マタイ 18:15-17)問題解決の努力が功を奏するのは本当にうれしいものです。―ローマ 12:18。エフェソス 4:26,27。
イエスの手本に倣いなさい
19 イエスの手本に倣うことが非常に重要なのはなぜですか。
19 試練に遭うこと自体は避けられませんが,だからといって永遠の命の競走から外れてしまう必要はありません。忘れないでください,エホバはわたしたちを試練から救い出すことがおできになるのです。ですから,「あらゆる重荷……を捨て,自分たちの前に置かれた競走を忍耐して走(り)」つつ,「わたしたちの信仰の主要な代理者また完成者であるイエスを一心に見つめ」ましょう。(ヘブライ 12:1-3)イエスの手本を綿密に観察し,言葉の面でも行動の面でもイエスに倣うように努めるなら,敬虔な専心を培って,それをいよいよ発揮できるようになります。
20 忍耐し,敬虔な専心を追い求めてゆくなら,どんな報いにあずかれますか。
20 忍耐と敬虔な専心は互いに関連しており,救いを確実なものとするように作用します。わたしたちはこれらの貴重な特質を発揮することにより,神への神聖な奉仕を忠実に果たすことができます。試練に遭っている時でも,忍耐して敬虔な専心を実践するゆえにエホバの優しい愛情と祝福とを経験すると,幸福に感じます。(ヤコブ 5:11)それだけでなく,イエスご自身が,「あなた方は自らの忍耐によって自分の魂を獲得する(でしょう)」と保証してくださっているのです。―ルカ 21:19。
どのように答えますか
• 忍耐が重要なのはなぜですか
• 敬虔な専心とは何ですか。それはどのようにはっきり表われますか
• どうすれば神との密接な関係を築いて維持できますか
• 敬虔な専心を脅かすどんなものがありますか。どうすればそれを避けることができますか
[12,13ページの図版]
敬虔な専心は多くの形で表わされる
[14ページの図版]
敬虔な専心を脅かすものに気をつけなさい