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火の湖聖書に対する洞察,第2巻
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前述の幾つかの聖句から火の湖が象徴的な性質のものであることは明らかであるにもかかわらず,この表現を文字通りの火と責め苦の場所に関する信条の裏付けとして用いてきた人たちがいます。引き合いに出されるのは啓示 20章10節です。そこでは,悪魔と野獣と偽預言者が火の湖で「昼も夜も限りなく永久に責め苦に遭う」と言われているからです。しかし,これが実際に体で感じる責め苦を指しているはずはありません。火の湖に投げ込まれる者は「第二の死」を経験します。(啓 20:14)死においては,意識というものはなく,それゆえに苦痛や苦しみを感じることもありません。―伝 9:5。
聖書の中で,火による責め苦は滅びや死と関連づけられています。例えば,ヘブライ語聖書のギリシャ語セプトゥアギンタ訳では,責め苦に相当する語(バサノス)が死による処罰を指して数回用いられています。(エゼ 3:20; 32:24,30)同様に「啓示」の書も大いなるバビロンに関し,「彼女の焼かれる煙を見る時,……地の王たちは,彼女のことで泣き,悲嘆して身を打ちたたくであろう。また,彼女の受ける責め苦[ギ語,バサニスムー]を恐れるあまり,遠く離れたところに立(つ)」と述べています。(啓 18:9,10)この責め苦の意味については,後にひとりのみ使いが,「大いなる都市バビロンはこのように,速い勢いで投げ落とされ,二度と見いだされることはない」と説明しています。(啓 18:21)ですから,ここで言う火による責め苦とは,滅びの同義語であり,大いなるバビロンの場合には永遠の滅びを指しています。―啓 17:16; 18:8,15-17,19と比較。
したがって,火の湖で「永久に責め苦に遭う」(ギ語,バサニゾーに由来)者たちは,復活のない「第二の死」を経験します。それと関連のあるギリシャ語バサニステースは,マタイ 18章34節で「牢番」と訳されています。(改標,新世,ダイアグロット。マタ 18:30と比較。)それで,火の湖に投げ込まれる者たちはとこしえに死によって拘束される,つまり“牢に入れられる”ことになります。―「ゲヘナ」; 「責め苦」を参照。
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