栄光の王キリストを歓呼して迎え入れなさい!
「あなたの光輝をもって成功を収めよ」。―詩 45:4。
「わたしの心は良い事でわき立った」
3,4. (イ)わたしたちに関係のある「良い事」とは何ですか。それは,わたしたちにどんな影響を与えますか。(ロ)「わたしの業は王についてである」とはどういうことですか。わたしたちの舌はどういう意味で尖筆のようになりますか。
3 詩編 45:1を読む。詩編作者の心を感動させ,「わき立」たせた「良い事」とは,ある王に関係した事柄でした。「わき立った」と訳されているヘブライ語動詞には,「泡立つ」あるいは「沸騰する」という意味があります。その良い事は,詩編作者の心を熱意で沸騰させ,舌を「熟練した写字生の尖筆」のようにしました。
4 わたしたちの場合はどうですか。メシアの王国に関する良いたよりは,心を感動させる「良い事」と言えます。王国の音信は,1914年にとりわけ「良い」ものとなりました。それ以来,その音信はもはや将来の王国に関するものではなく,すでに天で機能し始めた現実の政府に関するものになったからです。その音信こそ,「あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で」宣べ伝えられている「王国の……良いたより」なのです。(マタ 24:14)わたしたちはその音信で心が「わき立っ」ているでしょうか。良いたよりを熱心に宣べ伝えているでしょうか。詩編作者と同様,わたしたちの「業は王について」のものです。王はイエス・キリストです。わたしたちはキリストを,天のメシアの王国の即位した王として宣明しています。地上の支配者たちを含めすべての人たちに,キリストの王権に従うよう勧めています。(詩 2:1,2,4-12)わたしたちの舌は,宣べ伝える業において聖書を広範に用いるという意味で,「熟練した写字生の尖筆」のようになっています。
わたしたちは,王イエス・キリストに関する良いたよりを喜んで宣明する
「麗しさがあなたの唇に注ぎ出された」
5. (イ)イエスはどのような意味で「美しい」人でしたか。(ロ)イエスはどのように,麗しく宣べ伝えましたか。どのように,その手本に倣えますか。
5 詩編 45:2を読む。聖書は,イエスの外見についてはほとんど述べていません。完全な人間だったので「美しい」人だったに違いありませんが,その際立った美しさは,エホバへの忠実と,確固たる忠誠から出ていました。それに加えイエスは,王国の音信を麗しく宣べ伝え,人々の心を引きつける言葉を用いました。(ルカ 4:22。ヨハ 7:46)わたしたちは,宣べ伝える業においてその手本に倣うよう努力していますか。人々の心を引きつける言葉を用いるようにしているでしょうか。―コロ 4:6。
6. 神はどのように,「定めのない時に至るまで」イエスを祝福されましたか。
6 エホバは,イエスの心からの専心ゆえに地上におけるその宣教を祝福し,イエスが犠牲の死を遂げた後,報いをお与えになりました。使徒パウロはこう書いています。「人の姿でいた時,彼[イエス]は自分を低くして,死,それも苦しみの杭の上での死に至るまで従順になりました。まさにこのゆえにも,神は彼をさらに上の地位に高め,他のあらゆる名に勝る名を進んでお与えになったのです。それは,天にあるもの,地にあるもの,地の下にあるもののすべてのひざがイエスの名によってかがみ,すべての舌が,イエス・キリストは主であると公に認めて,父なる神に栄光を帰するためでした」。(フィリ 2:8-11)エホバはイエスを不滅の命へと復活させることにより,「定めのない時に至るまで」イエスを祝福されました。―ロマ 6:9。
王は「仲間」にもまして大いなる者とされる
7. 神がイエスをその「仲間」にもまして油そそがれたとは,どういう意味ですか。
7 詩編 45:6,7を読む。エホバは,イエスの,義に対する深い愛とみ父の名誉を汚す事柄すべてに対する憎しみゆえに,イエスをメシアの王国の王として油そそぎました。イエスはご自分の「仲間」たち,つまりダビデの家系のユダの王たちにもまして「歓喜の油」で油そそがれました。なぜそう言えますか。まず,イエスはエホバご自身によって油そそがれました。さらに,王および大祭司として油そそがれました。(詩 2:2。ヘブ 5:5,6)それに加え,文字通りの油ではなく聖霊によって油そそがれました。また,その王権は地的なものではなく,天的なものでした。
8. 『神はイエスの王座』であると言えるのはなぜですか。その王権が義にかなっていることを,なぜ確信できますか。
8 エホバは1914年にみ子をメシアなる王として天で即位させました。その「王権の笏は廉直の笏」なので,イエスの統治には確かに義と公平が伴います。その権威は合法的です。『神はイエスの王座』だからです。イエスの王権の土台はエホバなのです。さらに,イエスの王座は「定めのない時に至るまで,まさに永久に」続きます。神に任命されたそうした強力な王のもとで仕えるのは,誇らしいことではないでしょうか。
王は『剣を帯びる』
9,10. (イ)キリストはいつ,剣を帯びましたか。剣を最初,何のために用いましたか。(ロ)キリストはその剣を,今後どのように用いますか。
9 詩編 45:3を読む。エホバは王に,「剣を股に帯び」るよう指示し,イエスが神の主権に反対する者たちすべてと戦い,裁きを執行するための権威をお与えになります。(詩 110:2)キリストは不屈の戦士なる王なので,「力ある者よ」と呼びかけられています。この王が剣を帯びたのは1914年であり,サタンと配下の悪霊たちに勝利を収め,その者たちを天から地の近くに投げ落としました。―啓 12:7-9。
10 それは,乗り進む王の勝利の始まりにすぎませんでした。王は「征服を完了」しなければなりません。(啓 6:2)これから地上のサタンの体制の勢力すべてにエホバの裁きが執行されることになっています。サタンと悪霊たちは制圧されなければなりません。最初になくなるのは,偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンです。エホバは,政治支配者たちを用いてこの邪悪な「娼婦」を滅ぼすよう意図しておられます。(啓 17:16,17)次いで,戦士なる王はサタンの政治組織を攻撃し,消滅させます。「底知れぬ深みの使い」とも呼ばれているキリストは,それからサタンと悪霊たちを底知れぬ深みに投げ込んで征服を完了します。(啓 9:1,11; 20:1-3)では,詩編 45編がそれらの劇的な出来事をどのように預言しているかを見てみましょう。
王は「真理……のために」乗り進む
11. キリストはどのように,「真理……のために」乗り進みますか。
11 詩編 45:4を読む。戦士なる王が行なう征服の目的は,領土を占領して民を服従させることではありません。その戦いには崇高な目的があります。それは義なる戦いであり,王は「真理と謙遜と義のために」乗り進みます。擁護すべき最大の真理は,エホバの宇宙主権に関する真理です。サタンはエホバに反逆した際,エホバの主権の正当性に異議を唱えました。それ以来,悪霊も人間も,エホバの宇宙主権は正当であるという基本的な真理に反対してきました。しかし,エホバの油そそがれた王が,エホバの主権に関する真理を一度限り永遠に確立すべく乗り進む時が到来します。
12. 王はどのようにして,「謙遜……のために」乗り進みますか。
12 王は「謙遜……のために」も乗り進みます。神の独り子キリストは,謙遜の模範となられました。また,み父の主権に対する忠節な服従に関しても際立った手本を示されました。(イザ 50:4,5。ヨハ 5:19)王の忠節な臣民は皆,キリストの手本に従い,すべてのことにおいてエホバの主権に謙遜に服さなければなりません。そうする人だけが,神の約束された新しい世で生活することを許されます。―ゼカ 14:16,17。
13. キリストが「義のために」出て行くとは,どのような意味ですか。
13 キリストは「義のために」も出て行かれます。王が擁護する義は「神の義」,つまり正邪に関するエホバの規準です。(ロマ 3:21。申 32:4)王イエス・キリストについてイザヤは,「ひとりの王が義のために治める」と預言しました。(イザ 32:1)イエスの統治は,約束された「新しい天と新しい地」をもたらします。そこには「義が宿ります」。(ペテ二 3:13)その新しい世の住民すべてには,エホバの規準に従うことが求められます。―イザ 11:1-5。
王は「畏怖の念を起こさせること」を成し遂げる
14. キリストの右手が「畏怖の念を起こさせること」を成し遂げるとは,どのような意味ですか。(冒頭の挿絵を参照。)
14 乗り進む王は股に剣を帯びています。(詩 45:3)しかし王が剣を取り,右手でそれを振るう時が来ます。詩編作者の預言によれば,王の「右手は畏怖の念を起こさせること」を成し遂げます。(詩 45:4)イエス・キリストはハルマゲドンでエホバの裁きを執行すべく乗り進む時,敵に対して「畏怖の念を起こさせること」を成し遂げます。サタンの体制を滅ぼす際にどんな手段を用いるかは分かっていません。しかし,その行動は,王の支配に従うようにとの神からの警告に留意してこなかった地の住民たちの心をおののかせます。(詩編 2:11,12を読む。)イエスは終わりの時に関する預言の中で,人々は「人の住む地に臨もうとする事柄への恐れと予想から気を失います。天のもろもろの力が揺り動かされるからです」と述べ,こう付け加えました。「そのとき彼らは,人の子が力と大いなる栄光を伴い,雲のうちにあって来るのを見るでしょう」。―ルカ 21:26,27。
15,16. キリストに従って戦闘に加わる「軍勢」を構成するのはだれですか。
15 「啓示」の書は,王が裁きを執行するため「力と大いなる栄光を伴」って来ることについて,こう述べています。「わたしは天が開かれているのを見た。すると,見よ,白い馬がいた。そして,それに乗っている者は忠実また真実ととなえられ,その者は義をもって裁き,また戦う。また,天にある軍勢が白い馬に乗って彼の後に従っていたが,彼らは白くて清い上等の亜麻布をまとっていた。そして,彼の口からは鋭くて長い剣が突き出ている。それによって諸国民を討つためである。また彼は,鉄の杖で彼らを牧する。また,全能者なる神の憤りの怒りのぶどう搾り場も踏む」。―啓 19:11,14,15。
16 天の「軍勢」,つまりキリストに従って戦闘に加わる仲間の戦士たちを構成するのはだれですか。イエスは,サタンと配下の悪霊たちを天から追放するため最初に剣を帯びた時,「その使いたち」を伴っていました。(啓 12:7-9)ですから,ハルマゲドンの戦いの際,キリストの軍勢に聖なるみ使いたちが含まれていると考えるのは,筋の通ったことでしょう。ほかにだれが含まれているでしょうか。イエスは油そそがれた兄弟たちにこう約束されました。「征服する者,わたしの行ないを終わりまで守り通す者には,わたしは諸国民に対する権威を与え,その者は鉄の杖で民を牧し,彼らは粘土の器のように打ち砕かれるであろう。それは,わたしが自分の父から受けたのと同様であ(る)」。(啓 2:26,27)ですから,キリストの天の軍勢には,その時までに天的な報いを受けた油そそがれた兄弟たちも含まれます。キリストの共同支配者たちは,キリストが鉄の杖で諸国民を牧し,「畏怖の念を起こさせること」を成し遂げる際,キリストの側にいるのです。
王は征服を完了する
17. (イ)キリストが乗っている白い馬は何を表わしていますか。(ロ)剣と弓は何を表わしますか。
17 詩編 45:5を読む。王は白い馬に乗っています。それは,この戦いがエホバの目に清く,義にかなっていることを表わしています。(啓 6:2; 19:11)王は剣だけでなく,弓も持っています。こう記されています。「見ると,見よ,白い馬がいた。それに乗っている者は弓を持っていた。そして,彼に冠が与えられ,彼は征服しに,また征服を完了するために出て行った」。剣も弓も,キリストが敵に裁きを執行するために用いる手段を表わしています。
18. キリストの『矢が鋭い』ことは,どうして分かりますか。
18 詩編作者は,王の「矢は鋭く……王の敵の心臓に突き入(り)」,王の「下にもろもろの民は倒れてゆく」と預言しています。倒れてゆく人たちは全地に及びます。エレミヤは,「エホバに打ち殺される者は,その日,地の一方の果てから地の他方の果てにまで及ぶであろう」と預言しています。(エレ 25:33)その並行記述に当たる預言はこう述べています。「わたしはまた,ひとりのみ使いが太陽の中に立っているのを見た。彼は大声で叫び,中天を飛ぶすべての鳥に言った,『さあ,来なさい,神の大きな晩さんに集まれ。王たちの肉,軍司令官たちの肉,強い者たちの肉,馬とそれに乗る者たちの肉,そしてすべての者,すなわち自由人ならびに奴隷および小なる者と大なる者の肉を食べるためである』」。―啓 19:17,18。
19. キリストはどのように「成功を収め」,征服を完了しますか。
19 キリストは地上のサタンの邪悪な体制を滅ぼした後,「光輝をもって成功を収め」ます。(詩 45:4)サタンと悪霊たちを底知れぬ深みに投げ込むことによって征服を完了するのです。(啓 20:2,3)悪魔とその使いたちが千年統治の期間中,そうした死のような無活動の状態に置かれるので,地の住民はサタンの影響から自由にされ,栄光に輝く勝利の王に全く服従した生活を送ることができます。しかし,地上全体が楽園に変えられてゆくのを見る前に,王と天的なその仲間たちと共に歓べることがあります。その喜ばしい出来事については,次の記事で調べましょう。