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  • 口外厳禁の秘密
    目ざめよ! 2000 | 3月8日
    • 口外厳禁の秘密

      「何人も,奴隷にされ,又は苦役に服することはない。奴隷制度及び奴隷売買は,いかなる形においても禁ずる」。世界人権宣言。

      この次,コーヒーに砂糖を入れる時は,ハイチ人プレボのことを考えてください。プレボは,カリブ海沿岸の別の国で良い仕事に就けると約束されましたが,8㌦で売られてしまいました。

      プレボは非常に多くの同国人と同じ境遇に置かれました。つまり,奴隷のように拘束され,わずかな賃金で,あるいは無報酬で六,七か月サトウキビの刈り取りをさせられるのです。これら囚人のような人たちは,人がひしめき合う不潔な環境に置かれます。所持品が取り上げられた後,この地域独特のなた,つまりマチェーテが手渡されます。食べ物を得るには働かなければなりません。逃亡を企てようものなら,打ちたたかれるかもしれません。

      東南アジア出身のリンリンという少女のことを考えてください。リンリンは13歳の時に母親を亡くしました。職業斡旋業者は480㌦でリンリンを父親から買い取り,リンリンには良い仕事を世話すると約束しました。リンリンのために支払われた代価は,「賃金の前払い」という名目になっていますが,これは新しい所有者たちが自分の元にリンリンをずっとつなぎ止めておく確実な方法なのです。リンリンは,まともな仕事を与えられる代わりに売春宿に連れて行かれ,客はリンリンのために1時間当たり4㌦を所有者に支払うのです。リンリンは囚人同然です。借金を返済するまでそこを出ることができないからです。借金には,売春宿の所有者がリンリンのために支払った代価のほか,利子や諸経費が含まれます。リンリンが雇い主の意向に従おうとしないなら,打ちたたかれるか拷問にかけられるかもしれません。もっと悪いことに,逃亡を試みたりすれば殺される場合もあります。

      万人に自由?

      大抵の人は,奴隷制などもはや存在しないと思っています。確かに,数多くの条約や宣言,法令などがもたらした結果として,ほとんどの国では正式に奴隷制の廃止が宣言されています。至る所で奴隷制を憎悪する見解が声高に唱えられています。国の法律は奴隷制を禁じていますし,先に挙げたように,奴隷制の廃止は国際合意文書,つまり1948年に採択された有名な世界人権宣言の第4条の中に記されています。

      それでも奴隷制は生き続け,繁栄しています。もっとも,そのことは一部の人々にとって,口外厳禁の秘密です。プノンペンからパリに至るまで,またムンバイからブラジリアに至るまで,何億という仲間の人間 ― 男女子ども ― が奴隷として,あるいは奴隷のような状況下で生活し,働くことを強いられています。ロンドンに本部を置き,強制労働の監視団体として世界で最も古い歴史を持つアンチ・スレイバリー・インターナショナルは,隷属状態にある人の数を数億としています。事実,今日の世界には,かつてないほど多くの奴隷が存在するかもしれません。

      確かに,手かせや足かせ,むち,競売といったお馴染みのイメージは,現代の奴隷制の特徴ではありません。現代の奴隷制としてもっとよく知られているのは,強制労働,隷属結婚,債務奴隷,児童労働などです。売春も多くの場合それに含まれます。これらはほんの数例にすぎません。めかけ,ラクダの乗り手,サトウキビの刈り入れ作業者,じゅうたんを織る人,道路建設作業員なども奴隷のような生活を送っている場合があります。確かにその大多数は競売にかけられたわけではありませんが,生活は昔の奴隷と全く変わらない状態であり,場合によってはもっと悲惨なこともあります。

      だれが奴隷になるのでしょうか。どのようにして奴隷になるのでしょうか。こうした人々を救済するために,どのようなことが行なわれていますか。奴隷制が完全になくなるときは近づいていますか。

      [4ページの囲み記事/図版]

      現代の奴隷制とは何か

        これは,国際連合でさえ答えに窮し,解答に多年を要した質問です。奴隷制の一つの定義は,1926年の奴隷条約の中で次のように下されました。「奴隷制とは,所有権を有する者に付与されている権限のいずれか,もしくはすべてが行使されている人の状態ないしは状況のことである」。それでも,この語は様々に解釈できます。ジャーナリストのバーバラ・クロセットによると,「奴隷制とは,海外の衣料もしくはスポーツウエア産業,さらには米国の諸都市の劣悪な環境の工場で長時間働かされる低賃金労働者に貼られるレッテルであり,セックス産業や囚人労働を糾弾するために使われて」います。

        アンチ・スレイバリー・インターナショナルの会長マイク・ドットリッジは,「奴隷制が新たな形を取っているかに思える今,あるいはこの語が以前より多くの状況に適用されている今,その意味が弱められる危険だけでなく,存在しなくなる危険性さえある」と考えています。また,「奴隷制は,他の人の生活を所有あるいは管理するという要素によって同定できる」とも感じています。それには,移動を強制したり制限したりすることが含まれます。つまり,「雇い主の元を去ったり,雇い主を変えたりする自由がない」ということです。

        ニューヨーク・タイムズ紙(英語)の中で,A・M・ローザンタールはこう書いています。「奴隷は,殺人的な労働,レイプ,飢え,拷問,生活の全面的低下など,奴隷特有の経験をする」。さらに,「奴隷一人は50㌦で買えるため,奴隷の遺体が川に投げ込まれるまで奴隷がどれほど生き延びられるかは,[所有者にとって]どうでもよいことなのである」と付け加えています。

      [クレジット]

      Ricardo Funari

  • 今日,どんな人が奴隷となっているか
    目ざめよ! 2000 | 3月8日
    • 今日,どんな人が奴隷となっているか

      その数について考えてみてください。起きている時間のほとんどを労働に費やしている15歳以下の子どもは,2億人から2億5,000万人と推定されています。1995年と1996年だけでも,25万人の子どもたちが武力闘争に引きずり込まれており,その中にはわずか7歳の子どもたちも含まれています。その結果として,戦争奴隷になる子もいます。毎年,推定100万人を超える女性や子どもが奴隷として売られています。

      しかし,無味乾燥な数字では,個々の人たちの絶望を伝えることはできないでしょう。例えば,作家のエリナー・バーケットはアフリカ北部のある国で,冷酷な主人から何とか逃れてきたファタマという少女と会いました。しかしバーケットはファタマと話した後,この少女が「自分はいつまでたっても奴隷であると考えている」ことに気づきました。せめてより良い将来を夢見ることもできないのでしょうか。バーケットはこう言います。「この少女は,夜が明けた後のことを計画できない。この少女に欠けている多くの抽象概念の一つは,将来という概念である」。

      今この瞬間にも幾億人もの仲間の人間が,無力な奴隷の状態にあります。それらの人たちはなぜ,またどのように奴隷となるのでしょうか。どんな形の奴隷制に陥るのでしょうか。

      人間を売り買いする人たち

      米国で出回っている次の観光パンフレットの露骨さは他に例を見ません。「タイへのセックスツアー。本物の少女。本物のセックス。本当に格安。……ご存じでしたか,わずか200㌦で本当に処女が買えます」。パンフレットに述べられてはいませんが,それらの「処女たち」はたいてい誘拐されたか強制的に売春宿に売られた人たちで,毎日平均10人から20人の客の相手をしています。性的なサービスをしないと打ちたたかれます。タイ南部のリゾート地プーケット島のある売春宿が火事になった際,5人の売春婦が焼死しました。なぜでしょうか。逃げ出さないようにと,所有者がこの女性たちをベッドに鎖でつないでおいたからです。

      これらの少女はどこからやって来るのでしょうか。伝えられるところによれば,このセックス産業に世界の何百万もの様々な年齢の女性が従事しています。誘拐され,脅され,売春婦として売り渡された女性たちです。発展途上国の貧しさ,富んだ国々の豊かさ,それに国際的な密売や年季奉公人を黙認する法律が相まって,国際的なセックス産業が繁栄しているのです。

      東南アジアの女性団体は,1970年代半ばから1990年代初頭にかけて,世界中で3,000万人の女性が売買されたものと推定しています。人間を密売する者たちは,鉄道の駅や貧しい村々や都会の街路をくまなく回り,無防備に見える少女や若い女性を物色します。普通,犠牲となるのは,教育を受けていない人,孤児,捨てられた人,ひどく貧しい人です。仕事に関するでたらめな約束をされ,国境の外に連れ出されて,売春宿に売り飛ばされてしまいます。

      1991年に共産主義陣営が崩壊して以来,様々な年齢の女性から成る全く新たな貧困層が生み出されてきました。規制の撤廃,民営化,増大する階級的不平等は,犯罪の増加や,貧困ならびに失業の深刻化をもたらしています。今では,国際的な組織売春が,ロシアと東ヨーロッパに住む様々な年齢の大勢の女性によってもうけを得ています。「麻薬の密売より人間を密売するほうが危険は少ない」と,ヨーロッパ司法委員だったアニタ・グラディンは述べています。

      子ども時代の喪失

      アジアのある小さなカーペット工場では,わずか5歳の子どもたちが朝4時から夜11時までただ働きさせられています。多くの場合こうした児童労働者たちは,危険な機械を扱ったり,暗くて換気の悪い所に長時間いたり,仕事で使う危険な化学薬品にさらされたりと,深刻な健康上の危険に直面しています。a

      子どもたちがこれほど働き手として求められているのはなぜでしょうか。一つには,児童労働は賃金が安いからです。また子どもは生来,御しやすく,容易に訓練でき,おびえていて不満など言わないからです。無節操な雇い主にとって,子どもの小さい体と器用な指は,カーペット織りなどの仕事にうってつけなのです。多くの場合,そうした子どもたちには仕事が与えられますが,親たちのほうは仕事もなく家でぶらぶらしています。

      さらに悲惨なことに,家事労働に従事する子どもは,とりわけ性的・身体的虐待を受けやすい立場にあります。多くの子どもは誘拐され,人里離れた所に閉じ込められ,夜になると逃げ出さないように鎖でつながれます。日中は,道路の建設や採石の仕事に従事させられるかもしれません。

      子ども時代は隷属結婚によっても奪われます。アンチ・スレイバリー・インターナショナルは,その典型的なケースを次のように説明しています。「12歳のある少女は,家族の者が60歳の男性との婚姻を取り決めたことを聞かされた。表向きは,少女には拒否する権利があるが,実際にはその権利を行使する機会もなければ,そうできることも知らない」。

      債務奴隷

      自分や親たちがこしらえた借金のために雇い主や職場に縛りつけられている労働者は数十万人に上ります。主に農業地域には,借金の形に使用人や農民として働かせる債務奴隷労働というものが昔から存在します。ある場合,借金は一つの世代から次の世代へと受け継がれ,必然的に家族の者たちは永久に束縛された状態に置かれます。金銭の支払いを受けるべき雇い主が別の人にその立場を売り渡すケースもあります。極端な場合,債務奴隷労働をさせられる人たちには賃金が全く支払われません。あるいは,比較的少額の賃金の前払いを絶えず願い出たために,雇い主に拘束されてしまう場合もあります。

      儀式のための奴隷

      西アフリカの12歳の少女ビンティは,トロコシとして仕えている非常に多くの少女の一人です。トロコシは,エウェ語で「神々の奴隷」を意味しています。ビンティは,自分が犯したわけではない犯罪,つまりレイプが原因で奴隷と請け戻しの生活を余儀なくされました。ビンティは母親がレイプされて生まれた子なのです。現在,ビンティに課せられている仕事は,地元の呪物崇拝の祭司のために家事を行なうことだけですが,これからは所有者である祭司に性的なサービスも行なうことになります。その後ビンティは中年になるまでに捨てられます。祭司はビンティの代わりにトロコシとして仕える別の魅力的な少女たちを見つけるのです。

      ビンティのように儀式のための奴隷となっている大勢の人たちは,罪と解釈された行為や神聖な布告に対する違反を贖うために,事実上の奴隷として働くよう,家族によって差し出されました。世界の幾つかの場所で様々な年齢の女性が,神と結婚したのだから,という口実のもとに,宗教的職務を果たしたり祭司などに性的なサービスを行なうことを余儀なくされています。女性が無給で他のサービスを行なう場合も少なくありません。住む家や仕事を変える自由はなく,長年にわたり奴隷のような状態に置かれることも珍しくありません。

      昔ながらの奴隷制

      大抵の国は,法律によって奴隷制は廃止されたと主張しますが,ある地域では最近,昔ながらの奴隷制が復活しています。それは大抵,内乱や武力紛争によって引き裂かれた地域で生じています。アンチ・スレイバリー・インターナショナルは次のように伝えています。「紛争地域では事実上,無法状態に陥っているため,兵士や武装した市民軍は処罰される恐れもなく……人々を無報酬で働かせることができる。そうした行為はおもに,国際的には認められていない武装グループが支配する地域で報告されている」。しかし,この同じ団体によれば,「最近,どんな法的枠組みからも逸脱して,政府軍が民間人を奴隷として働かせているとの報告もなされている。兵士や市民軍が人身売買にかかわっており,人々を誘拐しては,他の人のために働くよう売り飛ばしているとも報告されている」とのことです。

      残念なことに,呪わしいこの奴隷制は,様々な形態を取って,人の目を欺きながら,今なお人間社会を悩ましています。立ち止まってもう一度その数を考えてみてください。奴隷となって苦しんでいる人が世界中に何億といるのです。では,この一連の記事で読んだ現代の奴隷の一人か二人,例えばリンリンかビンティの経験について考えてください。あなたは現代の奴隷制という犯罪が終わるのを見たいと思われますか。奴隷制は本当に撤廃されるでしょうか。そうなるには,根本的な変化が必要です。その点については,次の記事をお読みください。

      [脚注]

      a 「目ざめよ!」誌,1999年5月22日号の「児童労働 ― その終わりは近い!」という記事をご覧ください。

      [6ページの囲み記事/図版]

      解決のための努力

        国連児童基金や国際労働機関など,様々な公的機関が,現代の奴隷制の廃止に向け,懸命に方策を練り,それを実践しています。さらに,アンチ・スレイバリー・インターナショナルや人権監視団といった数多くの非政府組織は,現代の奴隷制に対する人々の意識の高揚,ならびにその犠牲者の解放を目指して努力を続けています。それらの組織の中には,ある商品が奴隷や児童労働とは無関係に生産されたことを示す特別なラベルを取り入れようとしているところもあります。“セックスツアー”を行なっている国々において,子どもと性行為をする人たちが帰国した際,彼らを起訴できる法律を制定するよう要求している機関もあります。一部の人権擁護活動家は,奴隷商人や奴隷の所有者に多額の金銭を支払い,可能な限り多くの奴隷を買い戻すことまでしています。そうした行為は,金になる奴隷市場を生み出し,奴隷の値をつり上げる可能性があるため,物議を醸しています。

  • 現代の奴隷制 ― その終わりは近い!
    目ざめよ! 2000 | 3月8日
    • 現代の奴隷制 ― その終わりは近い!

      「個人の自由は,全世界の自由のかなめである。一方を危険にさらせば,必ず他方を脅かすことになる」。フランスのジャーナリスト 兼 政治家ビクトル・シェルシェール,1848年。

      「人間のこの暗黒面,つまり仲間の人間を常に侮蔑し,隷属させ,おとしめようとする傾向は一体何なのか。人権はすでに確立されているというのに,人間性に対するこのような犯罪が処罰されないのはなぜなのか」。ユネスコ・クーリエ誌の編集者はそう問いかけています。

      その答えは複雑です。安くつく児童労働の採用や,債務奴隷という現象の動機となっているのは,貪欲です。少女たちが売春や隷属結婚のために売り渡されるのは,貧困や教育の不足が原因です。儀式上の奴隷の背後にあるのは,宗教的な規範と文化的概念です。また,エイズにかかっていない幼い少年少女を見つけようとバンコクやマニラを訪れる男たちの場合は,あからさまな性倒錯と不道徳が動機です。このすべては,1世紀の律法の学徒であった使徒パウロの言葉にあるとおり,人々が「自分を愛する者,金を愛する者,……自然の情愛を持たない者,……自制心のない者,粗暴な者」となっている世界の一部を成しています。(テモテ第二 3:1-5)その世界は,古代のソロモンという政治家の言葉を借りるなら,「曲がっているものは,まっすぐにすることはできない。欠けているものは,到底数えることはできない」ところなのです。―伝道の書 1:15。

      思いの変化

      これは,昔ながらの形であれ,もっと最近の形態であれ,奴隷制を永久に終わらせるために打つ手が何もない,あるいは何も行なわれないという意味でしょうか。そのようなことは決してありません。

      国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)は,奴隷状態とは「思いの状態である」と述べ,こう続けています。「奴隷制が廃止されたとしても,その痕跡は残る。奴隷制が正式に姿を消したずっと後も,犠牲者やその子孫,また奴隷制を利用していた人の後継者たちの間で,思いの中に存続し得る」。

      ですから,奴隷制を廃止する一つの方法は,世界的な規模で思考の変化,つまり心の変化を生じさせることです。これには,教育の変化 ― 人々に,互いに愛し合い,互いの尊厳を重んじるよう教えること ― が関係しています。それは,貪欲を心の中から全く取り除き,高い道徳規準を固守するよう人々を援助することを意味しています。だれがそうした教育を行なえるのでしょうか。OHCHRは,「これ以上非人道的な搾取を容認しない世界秩序を確立するために,一人一人が貢献できる」と述べています。

      クリスチャンの共同体であるエホバの証人が世界中で実施している教育プログラムについて考えてください。このプログラムは,非人道的な搾取行為を黙認したり容認したりしないよう,心の正直な人々に教える点で成功を収めてきました。この教育プログラムを通して,230以上の国や地域に住む幾百万という人たちは,相手が尊厳を保てるように仲間の人間すべてを扱うことを教えられてきました。このプログラムはなぜ成功を収めているのでしょうか。

      それは,人間の創造者の霊感による書物,つまり聖書に基づいているからです。聖書は人間の尊厳を擁護する本です。エホバの証人の教育プログラムを通して聖書を教えられる人々は,創造者であられるエホバご自身が,尊厳を帯びた神であることを学びます。(歴代第一 16:27)神はすべての被造物の尊厳を認めておられます。それには,あらゆる人種や社会的背景,経済状態の男女が含まれます。―「人間の自由と尊厳 ― どこからもたらされますか」という囲み記事をご覧ください。

      尊厳に関する平等と敬意

      聖書は,神が「一人の人からすべての国の人を造って地の全面に住まわせ(た)」と教えています。(使徒 17:26)ですから,仲間の人間に対する優位性や,他の人を虐げたり搾取したりする権利を主張できる人は一人もいません。進んで学ぶ人は,「神が不公平な方ではなく,どの国民でも,神を恐れ,義を行なう人は神に受け入れられる」ということを理解するようになります。(使徒 10:34,35)神の愛が包括的なものであることに気づくようになります。すべての人が神との親密な関係という特権を得ることができるからです。実際,「神は世を深く愛してご自分の独り子を与え,だれでも彼に信仰を働かせる者が滅ぼされないで,永遠の命を持てるようにされ」ました。―ヨハネ 3:16。

      聖書に基づくこの教育は,人格に非常に大きな影響を及ぼします。そうした教育によって人々は,心や思いを「すっかり新たにされ」ることができます。(エフェソス 4:22-24,「今日の英語訳」)相手の尊厳が保たれるように,また敬意を抱いて仲間の人間を扱うように,人々を動かします。そうした人々は,『すべての人に対して良いことを行なう』ことを決意しています。(ガラテア 6:10)真のクリスチャンが,仲間の人間を無情に搾取したり虐げたりすることなどできません。エホバの証人は,「ユダヤ人もギリシャ人もなく,奴隷も自由人もなく,……皆キリスト・イエスと結ばれて一人の人となってい(た)」1世紀のクリスチャン会衆のようなクリスチャンの共同体であることをうれしく思っています。―ガラテア 3:28。

      政府の変化

      しかし,あらゆる形態の奴隷制を永久に終わらせるには,人間社会の徹底的な変化が必要です。国際労働機関は,人間に対する搾取を終わらせるには,そうした習わしを「許容かつ黙認している状況を変化させる」必要がある,と述べています。同機関はさらに,国際行動や国際協力,世界共同体などを提言しています。

      論理的に言って,これには地球を広範に制御できる力,つまり世界的規模の自由を確実にもたらし得る力が求められます。元国連事務総長ブトロス・ブトロス・ガリは,地球を悩ませている深刻な問題は「地球的レベルで」解決しなければならない,と述べました。しかし皆が皆,そのように解決できると考えているわけではありません。過去の経験が示すように,権力を握る人々の多くが甚だしく利己的で自分本位に利益と目標を求めているため,そうした国際協力を実現することはできません。

      しかし,聖書 ― 幾百万もの人々に,仲間の人間の尊厳を重んじるように教えている本 ― は,そうした世界政府の設立が神の目的であることを明らかにしています。聖書には,義の新しい世に関する数多くの約束が収められています。(イザヤ 65:17。ペテロ第二 3:13)神の目的は,神と隣人を愛さない者たちを地から一掃することです。神は,人類を治める世界的な政府を設立し,義をもって地を支配するというご自身の目的を明らかにしておられます。一般に主の祈り,あるいは主祷文と呼ばれる祈りの中で,イエスはその政府を祈り求めるよう勧めておられます。―マタイ 6:9,10。

      この政府が支配する時,人間による搾取も,どんな形態の奴隷制もなくなります。王なるキリストは,「公正と義とによって」支配するからです。(イザヤ 9:7)キリストの公正な支配の下で,虐げられた人々は解放されます。聖書はこう述べているからです。「助けを叫び求める貧しい者,また,苦しんでいる者や助け手のない者を彼が救い出(しま)す。彼は立場の低い者や貧しい者をふびんに思い,貧しい者たちの魂を救います。彼は虐げと暴虐から彼らの魂を請け戻し……ます」。―詩編 72:12-14。

      奴隷制 ― あらゆる形態の奴隷状態 ― の終わりを是非とも見たいと思う方には,解放をもたらすこの世界政府を設立するという神の目的について,さらに学ばれるようお勧めいたします。お近くに住むエホバの証人が喜んでお手伝いいたします。

      [11ページの囲み記事/図版]

      人間の自由と尊厳 ― どこからもたらされますか

        わたしたちは皆,尊厳と自由を必要とする者として,またそれらを欲する者として生まれました。国連事務総長コフィー・アナンの発した問いには,普遍的な考えが反映されています。「人間は恐れや拷問や差別のない生活を求めているということを,だれが否定できるだろうか。……あなたはいつ,自由人が自由の終わりを要求する声を聞いただろうか。あなたはどこで,奴隷が奴隷制を擁護するのを聞いただろうか」。

        そうした考えは今に始まったものではありません。1世紀のローマの哲学者セネカは「ルキリウスへの手紙」の中で,奴隷に生まれついた人たちがいるという考えを否定して,こう書きました。「どうかよく考えてもらいたい。あなたが奴隷と呼ぶ者も,同じ人間として生まれ,同じ空の下に住み,あなたと同じように呼吸し,生き,死ぬのだということを」。

        マホメット後の第4代カリフとして崇められているイマームのアリーは,人は皆「同等に創造されている」と述べました。13世紀のペルシャの詩人サディーは,「アダムの子孫は互いに肢体であり,創造されたという意味において一つの物質から出ている。世が一人を苦しめるなら他の成員には安堵感がない」と言明しました。

        聖書中に見いだされる,神の霊感を受けた歴史的な記録は,すべての人の尊厳を強調しています。例えば,創世記 1章27節は人間の創造に関して,「神は人をご自分の像に創造してゆき,神の像にこれを創造された。男性と女性にこれを創造された」と述べています。人間の創造者は自由の神です。「エホバの霊のある所には自由があります」と,使徒パウロは述べています。(コリント第二 3:17)エホバはご自分の像と様に人を創造した際,ある程度の価値,自尊心,および尊厳を人間に付与されました。また,ご自分の創造物を「腐朽への奴隷状態」から自由にすることにより,人々が必ずそのような自由と尊厳を永久に享受できるようにされます。―ローマ 8:21。

      [9ページの図版]

      すべての人には,尊厳と自由を得る権利がある

      [10ページの図版]

      聖書教育は,人間の尊厳を重んじることを強調し,将来に訪れる新しい世の希望を伝えている

      ベニンでの家族の聖書研究

      エチオピアを流れるこの青ナイルの瀑布の美しさは,回復されたパラダイスの予告編

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