9. 正 ただ しいことを愛 あい する上 うえ で,どんなことが助 たす けとなりますか。
9 (1) 基 き 準 じゅん を 定 さだ める 方 かた エホバを 愛 あい する。 正 ただ しいことを愛 あい するためには,正 せい 邪 じゃ の基 き 準 じゅん を定 さだ める方 かた エホバへの愛 あい を深 ふか める必 ひつ 要 よう があります。エホバへの愛 あい が深 ふか まれば深 ふか まるほど,エホバの正 ただ しい基 き 準 じゅん に従 したが って生 い きたいという気 き 持 も ちが強 つよ くなります。アダムとエバのことを考 かんが えてみましょう。もしエホバを愛 あい していたなら,2人 ふたり はエホバのおきてを破 やぶ るようなことはしなかったはずです。(創 そう 3:1-6,16-19 )
10. アブラハムはエホバへの理 り 解 かい を深 ふか めるためにどんなことをしましたか。
10 私 わたし たちは誰 だれ も,アダムとエバと同 おな じ間 ま 違 ちが いをしたいとは思 おも いません。そうならないためには,エホバについて学 まな び,エホバの考 かんが え方 かた や素 す 晴 ば らしい性 せい 質 しつ についての理 り 解 かい を深 ふか めていく必 ひつ 要 よう があります。そうすれば,エホバをいっそう愛 あい するようになります。アブラハムの例 れい を考 かんが えてみましょう。アブラハムは,エホバを心 こころ から愛 あい していました。エホバの決 けっ 定 てい を理 り 解 かい できないこともありましたが,エホバに背 せ を向 む けるのではなく,エホバのことをもっと知 し るように努 ど 力 りょく しました。例 たと えば,ソドムとゴモラを滅 ほろ ぼすというエホバの決 けっ 定 てい について知 し った時 とき ,アブラハムは,「地 ち 上 じょう の人 ひと 全 すべ てを裁 さば く方 かた 」が正 ただ しい人 ひと と邪 じゃ 悪 あく な人 ひと を一 いっ 緒 しょ に滅 ほろ ぼしてしまうのではないか,と心 しん 配 ぱい になりました。でも,そんなことはエホバに限 かぎ ってあり得 え ないと思 おも いました。それで,エホバに対 たい して丁 てい 寧 ねい に繰 く り返 かえ し質 しつ 問 もん しました。エホバはその質 しつ 問 もん に辛 しん 抱 ぼう 強 づよ く答 こた えました。その結 けっ 果 か ,アブラハムは,エホバが一人 ひとり 一人 ひとり の心 こころ をご覧 らん になる方 かた で,正 ただ しい人 ひと と邪 じゃ 悪 あく な人 ひと を一 いっ 緒 しょ に罰 ばっ することは決 けっ してない,ということを理 り 解 かい できました。(創 そう 18:20-32 )
11. アブラハムは,エホバを愛 あい し信 しん 頼 らい していることをどのように示 しめ しましたか。
11 アブラハムは,ソドムとゴモラの町 まち についてエホバと会 かい 話 わ して,大 おお いに心 こころ を動 うご かされました。お父 とう さんエホバへの愛 あい と敬 けい 意 い が深 ふか まったに違 ちが いありません。何 なん 年 ねん も後 あと ,エホバに対 たい するアブラハムの信 しん 頼 らい は大 おお いに試 ため されました。愛 あい する息子 むすこ イサクを犠 ぎ 牲 せい として捧 ささ げるようにと命 めい じられたのです。でもアブラハムは,エホバのことを前 まえ よりもよく知 し るようになっていました。それで,エホバに何 なに も尋 たず ねることなく,その通 とお りにするために準 じゅん 備 び を始 はじ めました。この時 とき ,アブラハムは心 こころ が引 ひ き裂 さ かれるような思 おも いだったに違 ちが いありません。それでも,エホバについて学 まな んだことをじっくり考 かんが えたことでしょう。エホバが正 ただ しくないことや愛 あい のないことを行 おこな うはずはない,ということを理 り 解 かい していました。パウロによれば,アブラハムは,エホバがイサクを生 い き返 かえ らせることができると考 かんが えました。(ヘブ 11:17-19 )エホバはイサクの子 し 孫 そん が1つの国 こく 民 みん となると約 やく 束 そく していましたが,この時 とき イサクにはまだ子 こ 供 ども がいませんでした。アブラハムは,お父 とう さんエホバを愛 あい していて,エホバが正 ただ しいことを行 おこな うと信 しん じていました。それで,難 むずか しい命 めい 令 れい ではありましたが,信 しん 仰 こう を示 しめ し,その通 とお りに行 おこな いました。(創 そう 22:1-12 )
12. どうすればアブラハムに倣 なら えますか。(詩 し 編 へん 73:28 )
12 どうすればアブラハムに倣 なら えるでしょうか。エホバについて学 まな び続 つづ けることです。そうすれば,エホバとの絆 きずな を強 つよ め,いっそうエホバを愛 あい するようになります。( 詩 し 編 へん 73:28 を 読 よ む。) そして,良 りょう 心 しん をエホバの考 かんが えにいっそう合 あ ったものとすることができます。(ヘブ 5:14 )そうなれば,何 なに か間 ま 違 ちが ったことをするように誘 さそ われても,それを退 しりぞ けることができます。また,エホバが悲 かな しむことやエホバとの絆 きずな を弱 よわ めることを行 おこな うことについて考 かんが えることすらしません。では,正 ただ しいことを愛 あい していることを示 しめ すために,ほかにも何 なに ができるでしょうか。
13. 正 ただ しいことを行 おこな うには何 なに が必 ひつ 要 よう ですか。(格 かく 言 げん 15:9 )
13 (2) 正 ただ しいことに 対 たい する 愛 あい を 強 つよ めるよう 毎 まい 日 にち 努 ど 力 りょく する。 正 ただ しさに関 かん するエホバの基 き 準 じゅん への愛 あい を強 つよ めることは,筋 きん 肉 にく を鍛 きた えることと似 に ています。どちらも,毎 まい 日 にち 努 ど 力 りょく する必 ひつ 要 よう があります。エホバは分 ふん 別 べつ のある方 かた で,私 わたし たちにできないことを求 もと めたりはしません。(詩 し 103:14 )そして,「正 ただ しく 生 い きようとする 人 ひと を愛 あい する」と約 やく 束 そく しています。( 格 かく 言 げん 15:9 を 読 よ む。) 私 わたし たちは,エホバに仕 つか える面 めん で何 なに か目 もく 標 ひょう を立 た てたなら,それを達 たっ 成 せい するために努 ど 力 りょく を続 つづ けます。同 おな じように,正 ただ しいことを行 おこな う面 めん でも努 ど 力 りょく を続 つづ ける必 ひつ 要 よう があります。エホバは,私 わたし たちが着 ちゃく 実 じつ に進 しん 歩 ぽ していけるよう辛 しん 抱 ぼう 強 づよ く助 たす けてくださいます。(詩 し 84:5,7 )
14. 「正 せい 義 ぎ の胸 むね 当 あ て」とは何 なん ですか。それが私 わたし たちにとって欠 か かせないのはなぜですか。
14 エホバは,正 ただ しいことを行 おこな うことは重 おも 荷 に ではない,と愛 あい 情 じょう 深 ぶか く教 おし えてくれています。(ヨハ一 いち 5:3 )それは重 おも 荷 に ではなく保 ほ 護 ご となります。私 わたし たちが生 い きていくのに一 いち 日 にち たりとも欠 か かせないものです。パウロが述 の べた,神 かみ からの武 ぶ 具 ぐ について考 かんが えてみましょう。(エフェ 6:14-18 )兵 へい 士 し の心 しん 臓 ぞう を守 まも っているのはどの武 ぶ 具 ぐ でしょうか。「胸 むね 当 あ て」です。胸 むね 当 あ てが心 しん 臓 ぞう を保 ほ 護 ご するのと同 おな じように,「正 せい 義 ぎ の胸 むね 当 あ て」つまりエホバの正 ただ しい基 き 準 じゅん は,心 こころ つまり私 わたし たちの内 ない 面 めん を守 まも ってくれます。ですから,正 せい 義 ぎ の胸 むね 当 あ てを着 つ けることを決 けっ して忘 わす れてはいけません。(格 かく 4:23 )
15. どうすれば正 せい 義 ぎ の胸 むね 当 あ てを着 つ けることができますか。
15 どうすれば正 せい 義 ぎ の胸 むね 当 あ てを着 つ けることができるでしょうか。毎 まい 日 にち の決 けっ 定 てい をエホバの基 き 準 じゅん に沿 そ ったものにすることによって,そうできます。どんなことを話 はな すか,どんな音 おん 楽 がく を聞 き くか,どんな本 ほん を読 よ むか,どんなテレビや動 どう 画 が を見 み るかについて決 き める時 とき には,まず次 つぎ のように考 かんが えましょう。「どんなものを心 こころ に取 と り入 い れることになるだろうか。これはエホバの基 き 準 じゅん にかなったものだろうか。それとも,不 ふ 道 どう 徳 とく や暴 ぼう 力 りょく や貪 どん 欲 よく や利 り 己 こ 心 しん といった,エホバが正 ただ しくないと考 かんが えているものに思 おも いを傾 かたむ けさせるものだろうか」。(フィリ 4:8 )自 じ 分 ぶん の決 けっ 定 てい をエホバの考 かんが えに沿 そ ったものとするなら,エホバの正 ただ しい基 き 準 じゅん によって心 こころ を守 まも ることができます。
あなたの正 ただ しい行 おこな いは「海 うみ の波 なみ のように多 おお くなる」。(16-17節 せつ を参 さん 照 しょう 。)
16-17. イザヤ 48章 しょう 18節 せつ からすると,私 わたし たちはいつまでもエホバの基 き 準 じゅん に従 したが って生 い きていくことができます。なぜそう言 い えますか。
16 「自 じ 分 ぶん はこれから,来 く る日 ひ も来 く る日 ひ も,来 く る年 とし も来 く る年 とし も,エホバの正 ただ しい基 き 準 じゅん に従 したが って生 い きていけるだろうか」と心 しん 配 ぱい になることがありますか。イザヤ 48 章 しょう 18 節 せつ にあるエホバの例 たと えに注 ちゅう 目 もく してみましょう。( 読 よ む。) そこでエホバは,私 わたし たちの正 ただ しい行 おこな いが,「海 うみ の波 なみ のように多 おお くなる」と述 の べています。自 じ 分 ぶん が広 ひろ 々 びろ とした浜 はま 辺 べ に立 た っていて,寄 よ せては返 かえ す波 なみ を見 み ているところを想 そう 像 ぞう してみてください。そうした穏 おだ やかな環 かん 境 きょう で,「いつか波 なみ がやって来 こ なくなるのではないか」と心 しん 配 ぱい になったりするでしょうか。そんなことはないはずです。あなたが知 し っている通 とお り,海 うみ の波 なみ は何 なん 千 ぜん 年 ねん にもわたって打 う ち寄 よ せてきましたし,これからも打 う ち寄 よ せるからです。
17 あなたの正 ただ しい行 おこな いも,海 うみ の波 なみ のように多 おお くなります。そのためにどんなことができるでしょうか。何 なに かの決 けっ 定 てい を下 くだ す時 とき には,まずエホバがどんなことを望 のぞ んでいるかを考 かんが えるようにしましょう。そして,それを実 じっ 行 こう してください。そうするのがとても難 むずか しく感 かん じることもあるかもしれませんが,愛 あい 情 じょう 深 ぶか いお父 とう さんエホバはいつもあなたのそばにいて,力 ちから を与 あた え,毎 まい 日 にち 正 ただ しいことを行 おこな えるように助 たす けてくださいます。(イザ 40:29-31 )
18. 自 じ 分 ぶん の基 き 準 じゅん でほかの人 ひと を裁 さば いてはいけないのはなぜですか。
18 (3) 裁 さば くことをエホバに 委 ゆだ ねる。 私 わたし たちはエホバの正 ただ しい基 き 準 じゅん に従 したが って生 い きるよう努 ど 力 りょく するとはいえ,ほかの人 ひと を裁 さば いたり独 どく 善 ぜん 的 てき になったりしてはいけません。私 わたし たちには,自 じ 分 ぶん の基 き 準 じゅん でほかの人 ひと を裁 さば く権 けん 利 り は与 あた えられていません。エホバが「地 ち 上 じょう の人 ひと 全 すべ てを裁 さば く方 かた 」であることを覚 おぼ えておく必 ひつ 要 よう があります。(創 そう 18:25 )エホバは,裁 さば くことを私 わたし たちに委 ゆだ ねてはいません。この点 てん についてイエスは,「裁 さば くのをやめなさい。裁 さば かれないためです」と言 い っています。(マタ 7:1 )
19. ヨセフは,エホバが裁 さば いてくださることを信 しん じていました。なぜそう言 い えますか。
19 正 ただ しいことを行 おこな ったヨセフの例 れい をもう一 いち 度 ど 考 かんが えてみましょう。ヨセフは自 じ 分 ぶん にひどいことをした人 ひと のことも裁 さば いたりはしませんでした。ヨセフの兄 きょう 弟 だい たちはヨセフを捕 つか まえて奴 ど 隷 れい として売 う り飛 と ばし,父 ちち 親 おや のヤコブにはヨセフが死 し んだと思 おも い込 こ ませました。何 なん 年 ねん か後 のち ,ヨセフは家 か 族 ぞく と再 さい 会 かい します。その時 とき までにヨセフは,大 おお きな権 けん 力 りょく を持 も つ支 し 配 はい 者 しゃ になっていたので,兄 きょう 弟 だい たちを厳 きび しく裁 さば いて仕 し 返 かえ しすることもできました。ヨセフの兄 きょう 弟 だい たちは,自 じ 分 ぶん たちがしたことを深 ふか く後 こう 悔 かい していたとはいえ,ヨセフから仕 し 返 かえ しされるのではないかと恐 おそ れていました。でも,ヨセフはこう言 い いました。「恐 おそ れないでください。私 わたし が神 かみ だとでもいうのでしょうか」。(創 そう 37:18-20,27,28, 31-35; 50:15-21 )ヨセフは謙 けん 遜 そん さを示 しめ し,裁 さば くことをエホバに委 ゆだ ねたのです。
20-21. どうすれば独 どく 善 ぜん 的 てき な態 たい 度 ど を避 さ けられますか。
20 私 わたし たちもヨセフに倣 なら って,裁 さば くことをエホバに委 ゆだ ねます。例 たと えば,兄 きょう 弟 だい 姉 し 妹 まい の動 どう 機 き を疑 うたが ったりはしません。私 わたし たちは人 ひと の心 こころ を読 よ むことができないからです。「動 どう 機 き を調 しら べる」ことができるのはエホバだけです。(格 かく 16:2 )エホバは,生 お い立 た ちや文 ぶん 化 か などに関 かか わりなく,どんな人 ひと のことも愛 あい しています。そして,私 わたし たちに対 たい して,「心 こころ を大 おお きく開 ひら 」くようにと教 おし えています。(コリ二 に 6:13 )それで私 わたし たちは,全 すべ ての兄 きょう 弟 だい 姉 し 妹 まい のことを裁 さば くのではなく,愛 あい するように努 ど 力 りょく します。
21 そして,私 わたし たちは兄 きょう 弟 だい 姉 し 妹 まい でない人 ひと のことも裁 さば いたりはしません。(テモ一 いち 2:3,4 )あなたは,エホバの証 しょう 人 にん ではない親 しん 族 ぞく について,「あの人 ひと が真 しん 理 り を聞 き くことは絶 ぜっ 対 たい にない」と言 い ったことがありますか。そのように裁 さば くことは,独 どく 善 ぜん 的 てき で出 で 過 す ぎたことです。エホバは今 いま でも,「あらゆる場 ば 所 しょ の全 すべ ての人 ひと に」悔 く い改 あらた める機 き 会 かい を与 あた えています。(使 し 徒 と 17:30 )独 どく 善 ぜん 的 てき な 態 たい 度 ど はエホバから 見 み て 正 ただ しくない ということを忘 わす れないようにしましょう。
22. 正 ただ しいことを愛 あい していきたいと思 おも うのはなぜですか。
22 正 ただ しさに関 かん するエホバの基 き 準 じゅん を愛 あい するなら,私 わたし たちは幸 こう 福 ふく になることができます。そして,人 ひと 々 びと は私 わたし たちの姿 すがた を見 み て,神 かみ にも私 わたし たちにもいっそう引 ひ き寄 よ せられるようになります。ですから,「正 ただ しいことを切 せつ 望 ぼう 」するのを決 けっ してやめないようにしましょう。(マタ 5:6 )エホバは私 わたし たちの努 ど 力 りょく に目 め を留 と め,私 わたし たちの進 しん 歩 ぽ を見 み て喜 よろこ んでくださいます。世 よ の中 なか には正 ただ しくないことを行 おこな う人 ひと がますます多 おお くなっていますが,安 あん 心 しん してください。「エホバは正 ただ しい人 ひと を愛 あい する」からです。(詩 し 146:8 )