祭司
(さいし)(Priest)
クリスチャン会衆が形成される前,エホバの真の崇拝者たちの間では,祭司が自分たちの仕える民に対して正式に神を代表し,神と神の律法について民を教えました。逆に祭司は神のみ前で民を代表し,犠牲をささげると同時に,民のために執り成しをし,民のために願い出ました。ヘブライ 5章1節はこう説明しています。「人の中から取られる大祭司は皆,人々のため,神にかかわる事柄の上に任命されます。供え物や罪のための犠牲をささげるためです」。「祭司」と訳されているヘブライ語はコーヘーン,ギリシャ語はヒエレウスです。
初期の時代において 族長時代には家長が家族のための祭司として奉仕し,家長が死ぬとその務めは長子に受け継がれました。例えば,ごく初期の時代に,ノアは祭司の立場で自分の家族を代表していました。(創 8:20,21)家長のアブラハムは大家族を持っており,その家族と共に各地を旅行し,さまざまな宿営地で祭壇を築き,エホバに犠牲をささげました。(創 14:14; 12:7,8; 13:4)神はアブラハムについてこう言われました。「わたしが彼を親しく知ったのも,彼が自分の後の子らと家の者たちとに命じてエホバの道を守らせ,こうして義と公正を行なわせるためであ(る)」。(創 18:19)イサクとヤコブも同じ型に従いました。(創 26:25; 31:54; 35:1-7,14)また,イスラエル人ではないものの,アブラハムの遠縁に当たると思われるヨブも,「もしかすると,わたしの息子たちは罪をおかし,その心の中で神をのろったかもしれない」と言って,自分の子供たちのためにエホバへの犠牲を定期的にささげました。(ヨブ 1:4,5。ヨブ 42:8も参照。)しかし聖書は,これらの男子を明確にコーヘーンもしくはヒエレウスと呼んでいるわけではありません。一方,家長でありモーセのしゅうとであったエテロは,「ミディアンの祭司[コーヘーン]」と呼ばれています。―出 2:16; 3:1; 18:1。
サレムの王メルキゼデクは異例な祭司(コーヘーン)でした。聖書には彼の先祖や誕生や死について何も記されていません。メルキゼデクの祭司職は世襲のものではなく,その職の前任者も後継者もいませんでした。メルキゼデクは王の職務と祭司の職務を兼ねていました。その祭司職はレビ族の祭司職よりも偉大でした。というのは,アブラハムがメルキゼデクに什一を差し出し,メルキゼデクから祝福された時,レビはまだアブラハムの腰にあったので,レビがメルキゼデクに什一を支払ったも同然だからです。(創 14:18-20; ヘブ 7:4-10)これらの事柄においてメルキゼデクは,「メルキゼデクのさまにしたがって永久に祭司である」イエス・キリストを予表していました。―ヘブ 7:17。
神がレビ族の祭司職を制定されるまで,ヤコブ(イスラエル)の子孫の間では家長が祭司として行動したようです。神がシナイ山まで民を導いた時,「常々エホバに近づく祭司たちも自分の身を神聖なものとしなさい。エホバがにわかに彼らに臨むことのないためである」とお命じになったのはそのためです。(出 19:22)これはレビ族の祭司職が制定される前のことでした。しかしアロンは,まだ祭司として指名されていなかったにもかかわらず,モーセと共に山の途中まで行くことを許されました。この状況は,後にアロンとその子孫が祭司として任命されたことと調和しています。(出 19:24)振り返ってみると,これは(家長による祭司職の)古い取り決めをアロンの家系の祭司職で置き換えることを神が考えておられた初期の兆候と言えます。
律法契約のもとで イスラエル人がエジプトで奴隷状態にあった時に,エホバは十番目の災いによってエジプトの初子を滅ぼされましたが,その際,イスラエルのすべての長子をご自分のために神聖なものとして取り分けられました。(出 12:29; 民 3:13)そのため,それらの初子はエホバのものとなり,専らエホバへの特別な奉仕のために用いられることになりました。神はそれらイスラエルの初子の男子すべてを,聖なる所の祭司ならびに管理人として指名することもできました。しかしその代わりに神の目的にかなったのは,レビの部族の男子の成員をこの奉仕にあてがうことでした。そのような理由で神は,イスラエル国民がレビ族の男子を他の12部族(ヨセフの息子のエフライムとマナセの子孫が二つの部族として数えられている)の初子である男子の代わりとすることをお許しになりました。人口調査の結果,レビ人でない生後1か月以上の長子である男子は,レビ人の男子よりも273人多かったので,神はその273人一人一人につき5シェケル(11㌦)の贖いの代価を要求されました。その金はアロンとその子らに渡されました。(民 3:11-16,40-51)こうした取り扱いに先立ち,エホバはすでにイスラエルの祭司職を構成する人たちとして,レビの部族のアロンの家系の男子の成員を取り分けておられました。―民 1:1; 3:6-10。
イスラエルは長期間にわたり,「祭司の王国,聖なる国民」の成員を供給する機会を独占していました。(出 19:6)しかしその独占的な機会は,国民として神のみ子を退けたために終わりを告げました。―マタ 21:43; ペテ一 2:7-10と比較。
当初,イスラエルの王はエホバでした。後代になってエホバは,王権がダビデの家系に与えられることを指示されました。エホバは依然として彼らの目に見えない王であられましたが,世俗的な支配権に関しては,ご自分の代表者としてダビデの家系をお用いになりました。それら地上の王たちは,そのような資格において「エホバの王座」に座すと言われました。(代一 29:23)しかし,祭司職は依然としてアロンの家系に分離されていました。ですから,エホバ神の王国も,「神聖な奉仕」を伴うエホバ神の祭司職も,その国民だけに属していました。―ロマ 9:3,4。
祭司職の発効 祭司の任命は神からのものでなければなりません。人は自分の意志でその職務に就くわけではありません。(ヘブ 5:4)したがってエホバご自身,アロンとその家系の者たちを「定めのない時に至る」まで祭司職に任命され,レビの部族の三つの主要な分かれの一つであるコハト人の家族から分けられました。(出 6:16; 28:43)しかし最初は,律法契約の仲介者であるレビ人のモーセが,神を代表してアロンとその子らを神聖なものとし,祭司として奉仕するための力を彼らの手に満たしました。その手順は出エジプト記 29章とレビ記 8章に述べられています。彼らの任職は西暦前1512年のニサン1-7日までの7日間に行なわれたようです。(「任職」を参照。)新たに職に任じられた祭司団は翌ニサン8日からイスラエルに対する奉仕を始めました。
資格 エホバは神の祭壇で奉仕することになるアロンの家系の者たちの資格を定められました。人が祭司となるためには,身体的に健全でなければならず,外見に異常があってはなりませんでした。その条件にかなっていない人は,捧げ物を持って祭壇に近寄ることも,幕屋の聖所と至聖所という二つの区画の間にある垂れ幕に近づくこともできませんでした。しかしそのような人であっても,什一からの支えを得る権利を持ち,祭司職のための食物として備えられた「聖なるもの」にあずかることができました。―レビ 21:16-23。
祭司団に加わることができる年齢は明確に規定されていません。とはいえ,シナイ山で行なわれたコハト人に関する人口調査は,30歳から50歳までの人々を対象にしていました。(民 4:3)聖なる所でのレビ人の奉仕は25歳から始まりました(ダビデ王の時代には20歳に引き下げられた)。(民 8:24; 代一 23:24)祭司ではないレビ人は50歳になると聖なる所における務めとしての奉仕から引退しましたが,祭司に関する引退の取り決めはありませんでした。―民 8:25,26。「引退」を参照。
生活の維持 レビの部族は相続分としての一区画の土地を受けることなく,『イスラエルの中に散らされ』,48の都市を与えられて家族や家畜と共にそこに住みました。そのうち13の都市は祭司にあてがわれました。(創 49:5,7; ヨシュ 21:1-11)避難都市の一つであるヘブロンは祭司の都市でした。(ヨシュ 21:13)レビ人が部族の相続分としての領地を受けなかったのは,エホバが言われたように,「イスラエルの子らの中にあってわたしがあなたの受け分,あなたの相続分」だったからです。(民 18:20)レビ人は自分たちの奉仕の務めである割り当てられた仕事を行ない,自分たちにあてがわれた都市の家と牧草地を管理しました。また,イスラエル人が聖なる所での使用のためにささげる他の土地の世話も行なうことになっていました。(レビ 27:21,28)エホバは,レビ人が他の12部族の生産した土地の産物すべての什一を受けるよう取り決めることにより,レビ人を養われました。(民 18:21-24)次いでレビ人はこの什一つまり10分の1のうちの最上のものを什一として祭司団に与えることになっていました。(民 18:25-29; ネヘ 10:38,39)このように祭司団は国の産物の1%を与えられたので,自分の時間すべてを,割り当てられた神への奉仕にささげることができました。
祭司団を養うためのこの備えは,豊かであったとはいえ,異教諸国の祭司団のぜいたくな暮らしや財力とは対照的でした。例えばエジプトでは,祭司(神官)たちは幾らかの土地を所有し(創 47:22,26),巧みな方法を駆使して,やがてはエジプトで最も裕福かつ有力な人たちになりました。ジェームズ・H・ブレステッドは「古代エジプト人の歴史」(1908年,355,356,431,432ページ)の中で,いわゆる第20王朝の時代にファラオは単なるロボットに成り下がったと述べています。その祭司団はヌビアの黄金地帯と上ナイルの広い地域を所有しました。大祭司は国の会計官吏の中で収入役の頭に次ぐ重要な地位を占め,軍全体に命令を下し,財宝を手中に収めていました。さまざまな記念碑を見ると,大祭司にはファラオ以上に卓越した表現が用いられています。
イスラエルが崇拝の手を緩め,什一の支払いを怠るようになって初めて,祭司団は祭司ではないレビ人共々苦難を経験し,自分自身や家族を養うために他の仕事を探さなければならなくなりました。次いで,聖なる所とその維持に対するこの悪い態度によって,同国民は霊性とエホバに関する知識の欠如のゆえにさらに苦難を味わうことになりました。―ネヘ 13:10-13。マラ 3:8-10も参照。
祭司団には次のようなものが与えられました。(1)正規の什一。(2)初子である人間の男子もしくは獣の雄を請け戻すためのお金。雄牛,雄の子羊,雄やぎの初子の場合,彼らには食物として肉が与えられました。(民 18:14-19)(3)聖なるものとして神聖にされた人や物の請け戻し金,およびエホバにささげられた物。(レビ 27章)(4)民が持って来たさまざまな捧げ物の特定の部分,および供えのパン。(レビ 6:25,26,29; 7:6-10; 民 18:8-14)(5)穀物,ぶどう酒,油の熟した初物の最良の捧げ物からの給付分。(出 23:19; レビ 2:14-16; 22:10[最後の聖句にある「よそ人」は,祭司ではない人のこと]; 申 14:22-27; 26:1-10)祭司だけが食べることのできる明示された特定の部分以外は(レビ 6:29),祭司の息子や娘,場合によっては祭司の家の者も ― 奴隷でさえ ― 正当にあずかることができました。(レビ 10:14; 22:10-13)(6)恐らく,レビ人や貧しい人々のため3年目に支払われた什一の受け分。(申 14:28,29; 26:12)(7)戦利のもの。―民 31:26-30。
服装 聖なる所は聖なる地であるという事実と調和して,祭司は正式な務めを果たすに際して,はだしで奉仕しました。(出 3:5と比較。)祭司のための特別な衣の作り方の指示の中に,サンダルのことは出て来ません。(出 28:1-43)彼らは道徳上の礼儀として,「その裸の肉を覆うため……彼らがとがを来たらせて死ぬことのないため」,腰から股までを覆う亜麻の股引きを着用しました。(出 28:42,43)祭司はその上に上等の亜麻布でできた長い衣を着て,亜麻の飾り帯でその衣を縛りました。彼らは頭包みを頭に「巻き」ました。(レビ 8:13; 出 28:40; 39:27-29)この頭飾りは大祭司のターバンとは少し異なっていたようです。ターバンの方は頭をすっぽり包み込む形に縫い上げられ,大祭司の頭に置かれたのかもしれません。(レビ 8:9)従属の祭司たちが時々亜麻のエフォドを着るようになったのは,後代のことと思われます。ただし,彼らのエフォドの刺しゅうは大祭司のエフォドほど豪華ではありませんでした。―サム一 2:18と比較。
さまざまな規定と働き 祭司には個人として肉体的な清さと高い道徳規準を保つことが要求されました。会見の天幕に入る時,また祭壇に捧げ物を差し出す前,彼らは「死ぬことのないように」するため,中庭の水盤で手と足を洗わなければなりませんでした。(出 30:17-21; 40:30-32)同様の警告として,聖なる所で奉仕する時にはぶどう酒や酔わせる酒を飲んではならないという命令もありました。(レビ 10:8-11)祭司たちは死体に触れたり死者を悼んだりして自分の身を汚してもなりませんでした。そのようなことをすれば,奉仕に関して一時的に汚れた者となりました。しかし,従属の祭司(大祭司ではない)が,母,父,息子,娘,兄弟,あるいは自分の身近な(恐らく自分と同居しているか自分の近くに住んでいると思われる)処女の姉妹など,非常に近い家族関係にある人のためにそうすることは許されていました。また,妻も身近な人の一人に含められたようです。(レビ 21:1-4)らい病,漏出,死体その他の汚れたものによって汚れた者となった祭司はだれであれ,清められるまで,聖なるものを食べたり聖なる所での奉仕を行なったりすることができませんでした。この命令に従わない祭司は必ず死に処されました。―レビ 22:1-9。
祭司たちは異教の祭司たちの間では普通に行なわれていた習慣,つまり頭をそったり,あごひげの端をそったり,自分の身に切り傷をつけたりすることがないよう命令されていました。(レビ 21:5,6; 19:28; 王一 18:28)大祭司は処女である娘としか結婚できませんでしたが,従属の祭司はやもめとも結婚できました。しかし,離婚された女や遊女と結婚することはできませんでした。(レビ 21:7,8。レビ 21:10,13,14と比較。)明らかに,大祭司の家族の成員すべては,高い道徳規準と,祭司の職にふさわしい威厳を保たなければなりませんでした。そのため,売春婦となった祭司の娘は死に処され,その後,神にとって忌むべきものとして火で焼かれました。―レビ 21:9。
荒野で宿営を移動する際,アロンとその子らには,他のコハト人が入って来て会見の天幕の中にある聖なる備品と器具を運べるようになる前に,そうした備品や器具を覆ってそれらのコハト人が死なないようにする務めがありました。またアロンとその子らは,新しい宿営地の天幕においてそれらの物の覆いを取り,それらの物を設置しました。(民 4:5-15)行進の際,祭司たちは契約の箱を担いました。―ヨシュ 3:3,13,15,17; 王一 8:3-6。
祭司たちには聖なるラッパを吹く責任がありました。宿営を設置したり解いたりすること,集会を召集すること,戦いを行なわせること,エホバに対する何かの祭りを祝うことなど,そのいずれにおいても,ラッパを吹いて民に対する明確な指導を与えました。(民 10:1-10)祭司とレビ人は軍務を免除されていたものの,軍隊の前でラッパを吹き,歌うたいとして奉仕しました。―民 1:47-49; 2:33; ヨシュ 6:4; 代二 13:12。
祭司が聖なる所での割り当てを果たす時の務めには,民が持って来た犠牲をほふり,祭壇に血を振り掛け,犠牲を切り裂き,祭壇の火が燃え続けるようにし,肉を調理し,穀物の捧げ物のような他のすべての捧げ物を受け取ることが含まれていました。彼らは個人が身に招いた汚れや,そのような人の特別な誓約などに関連した問題を取り扱うことになっていました。(レビ 1-7章; 12:6; 13-15章; 民 6:1-21; ルカ 2:22-24)祭司とレビ人は朝と夕方の焼燔の捧げ物,また大祭司がささげるべき犠牲を除いた,聖なる所で定期的にささげられる他のすべての犠牲を取り扱いました。彼らは金の祭壇で香をたきました。(出 29:38-42; 民 28:1-10; 代二 13:10,11)彼らはともしびの心を切り,ともしびに油が絶えず補給されるようにし(出 27:20,21),聖なる油と香の管理も行ないました。(民 4:16)彼らは民数記 6章22-27節に略述されている手順に従い,聖会で民を祝福しました。しかし,贖罪をするために大祭司が至聖所に入る時には,他のどんな祭司も聖なる所にいることはできませんでした。―レビ 16:17。
祭司たちに与えられたおもな特権は神の律法を説明することであり,彼らはイスラエルの司法制度において重要な役割を果たしました。祭司たちは割り当てられた都市で裁き人を補佐するための求めに応じることができ,地方法廷には決定できないような特に難しい訴訟において,裁き人と共に奉仕しました。(申 17:8,9)殺人事件が起きてもそれが解決しない場合,祭司たちはその都市の年長者たちと一緒にその事件を扱い,都市から血の罪を除くための適正な手順に従って,確実に事が進められるようにしなければなりませんでした。(申 21:1,2,5)もし嫉妬深いある夫が,ひそかに姦淫を犯したとして自分の妻を訴えたなら,妻は聖なる所に連れて来られ,そこで祭司が定めの儀式を執り行なわなければなりませんでした。それは,女が無罪か有罪かに関する答えを,真実を知っておられるエホバに問い尋ね,エホバに直接の裁きを求める儀式でした。(民 5:11-31)どんな場合であっても,祭司や任命された裁き人が下す裁きは尊重されなければなりませんでした。故意に不敬な態度や不従順を示す人たちは死刑に処されました。―民 15:30; 申 17:10-13。
祭司たちは民にとって律法の教師であり,崇拝のために聖なる所にやって来る人たちに律法を読んで説明しました。また,割り当てられた務めに携わっていないときでも,聖なる所の領域その他,国のどの場所にいようとも,そうした教えを与えるための幅広い機会が与えられていました。(申 33:10; 代二 15:3; 17:7-9; マラ 2:7)祭司エズラはバビロンからエルサレムに帰還した時,他の祭司たちやレビ人の助けを借りながら,民を集めて何時間も彼らに律法を読み,説明しました。―ネヘ 8:1-15。
祭司による管理は,身体の健康に関しても宗教上の清さに関しても,国民を保護するものとして役立ちました。祭司は,人や衣服や家のらい病があったときに,それが清いものか汚れたものかを判断することになっていました。また,隔離に関する法的な規定が実施されたかどうかを見届けました。祭司は,死体によって汚された人たちや,病的な漏出物などのために汚れた人たちを清める儀式を執り行ないました。―レビ 13-15章。
イスラエルの祭司が行なう神殿での奉仕の割り当ては,どのように決定されましたか
ダビデ王によって制定された祭司の24の組もしくは班のうち,16組はエレアザルの家によって,8組はイタマルの家によって構成されていました。(代一 24:1-19)しかし,少なくとも最初は,バビロンでの流刑から帰還したのは4組の祭司だけでした。(エズ 2:36-39)中には,以前の組織上の取り決めを継続するため,帰還していた4家族が分割され,再び24の班ができたと提唱する人もいます。アルフレッド・エダーシェイムは「神殿」(1874年,63ページ)の中で,帰還しなかった人たちのために各家族が五つのくじを引くことによって彼らのグループからさらに20の班が形成され,彼らはそれらの班に当初の名を付けたという考えを提唱しています。バプテスマを施す人ヨハネの父ゼカリヤは第8組,アビヤの組の祭司でした。しかし,もし上記の見解が真実であるとしたら,ゼカリヤはアビヤの子孫ではなく,単にアビヤという名の付いた組に属していただけだったのかもしれません。(代一 24:10; ルカ 1:5)この点に関しては,十分な情報がないので確かな結論を出すことはできません。
祭司たちは神殿の奉仕において,様々なつかさ人のもとで組織されました。特定の奉仕を割り当てる際には,くじが引かれました。24組の各々は一度に1週間ずつ奉仕し,年に2回,割り当てられた務めに携わりました。神殿の献納の時のように,民が幾千幾万という犠牲をささげる祭りの時期には,祭司団全体が奉仕したようです。(代一 24:1-18,31; 代二 5:11。代二 29:31-35; 30:23-25; 35:10-19と比較。)祭司は,務めとして割り当てられた奉仕に支障が出ない範囲で,他の時にも奉仕したようです。ラビの伝承によると,イエスが地上で生活しておられた時には祭司たちの数が大変多かったので,週の奉仕は組を構成していた様々な家族の間で分割され,各家族は人数に応じて1日ないしはそれ以上の日数奉仕したということです。
日々の奉仕の中で最も誉れ高いものとみなされたのは,恐らく金の祭壇で香をたくことだったでしょう。これは犠牲がささげられた後に行なわれました。香がたかれている間,民は聖なる所の外側で集まって祈りました。ラビの伝承によると,この奉仕のためにくじが引かれましたが,かつてこの奉仕を執り行なった人は,その場所にいる人全員が以前一通りその奉仕を経験したのでなければ,あずかることを許されませんでした。(「神殿」,135,137,138ページ)もしそうであるなら,祭司は通常,生涯に一度だけこの誉れを担ったことになります。み使いガブリエルがゼカリヤに現われ,彼とその妻エリサベツに息子ができることを発表した時,ゼカリヤが行なっていたのはこの奉仕でした。彼が聖なる所から出て来た時,集まっていた群衆はゼカリヤの外見やゼカリヤがものを言えないのを見て,彼が聖なる所で超自然の光景を見たことを察知できました。そのようにしてこの出来事は広く知れ渡るようになりました。―ルカ 1:8-23。
祭司には安息日ごとに供えのパンを換える特権があったようです。その週の祭司の組が奉仕を終え,新しい班が翌週の務めを始めるのも安息日でした。このような務め,また他の必要な務めは,安息日を冒すことなく,祭司によって行なわれました。―マタ 12:2-5。サム一 21:6; 王二 11:5-7; 代二 23:8と比較。
忠節さ 十部族がレハベアムの支配する王国から離反し,ヤラベアムのもとで北の王国を設立した時,レビの部族は忠節を保ち,ユダとベニヤミンの二部族から成る王国に堅く付きました。ヤラベアムはレビ人ではない男子を祭司に任命して金の子牛の崇拝のために奉仕させ,アロンの子らであるエホバの祭司たちを追放しました。(王一 12:31,32; 13:33; 代二 11:14; 13:9)その後のユダを見ると,祭司たちの多くは神に対して不忠実になりましたが,祭司団はイスラエルがエホバへの忠実を保てるよう,時々強力な影響力を行使しました。(代二 23:1,16; 24:2,16; 26:17-20; 34:14,15; ゼカ 3:1; 6:11)イエスや使徒たちの宣教の時代までに大祭司の職は非常に腐敗していましたが,イエスの死後ほどなくして,「非常に大勢の祭司たちがこの信仰に対して従順な態度を取るようになった」という事実から明らかなように,エホバに対する良い心を持った祭司は大勢いました。―使徒 6:7。
「祭司」という語の他の適用 モーセはその仲介者としての役割と,聖なる所で聖化に関連した奉仕を行なうよう指名されたことのゆえに,詩編 99編6節で祭司と呼ばれています。そのような奉仕の際,アロンとその子らは祭司職に就けられました。モーセはエホバのみ名を呼んでイスラエルのために執り成しをしました。(民 14:13-20)「祭司」という語は「副官」,「奉仕者の頭,または,つかさの頭」を指して用いられることもありました。ダビデ王のもとで奉仕した,つかさの頭たちの一覧表の中に,「ダビデの子らは,祭司になった」と記されています。―サム二 8:18。サム二 20:26; 王一 4:5; 代一 18:17と比較。
クリスチャンの祭司職 エホバは,もしイスラエルが神の契約を守るなら,彼らはご自分にとって「祭司の王国,聖なる国民」となると約束しておられました。(出 19:6)ところが,アロンの家系の祭司職は,その祭司職が予表していた大いなる祭司職が到来する時までしか続かないことになっていました。(ヘブ 8:4,5)アロンの家系の祭司職は,律法契約が終わり,新しい契約が発効する時まで続きます。(ヘブ 7:11-14; 8:6,7,13)神の約束された王国の取り決めの中でエホバの祭司として奉仕するようにとの招きは,最初イスラエルだけに差し伸べられましたが,やがてこの招きは異邦人にも差し伸べられました。―使徒 10:34,35; 15:14; ロマ 10:21。
キリストを受け入れたのはユダヤ人の残りの者だけだったので,イスラエル国民は真の意味での祭司の王国,聖なる国民の成員を備えることに失敗しました。(ロマ 11:7,20)イスラエルが不忠実であったため,神は幾世紀も前からそのことについて,ご自分の預言者ホセアを通し,次のように警告しておられました。「知識をあなたが退けたゆえに,わたしもあなたを退けて,祭司としてわたしに仕えることをやめさせる。あなたが自分の神の律法をいつも忘れているゆえに,このわたしもあなたの子らを忘れるであろう」。(ホセ 4:6)それに対応して,イエスはユダヤ人の指導者たちに,「神の王国はあなた方から取られ,その実を生み出す国民に与えられるのです」と言われました。(マタ 21:43)それでもイエス・キリストは,地上にいる間は律法のもとにおられ,アロンの祭司職が有効であることを認めておられました。そして,ご自分がいやしたらい病人たちに対し,祭司のところへ行って,必要な捧げ物をするよう指示されました。―マタ 8:4; マル 1:44; ルカ 17:14。
西暦33年のペンテコステの日に律法契約は終結し,「勝った契約」つまり新しい契約が発効しました。(ヘブ 8:6-9)その日に神は聖霊を注ぐことによってこの変化を明らかにされました。その時,使徒ペテロは,多くの国から来てその場にいたユダヤ人たちに,彼らの唯一の救いは,今や悔い改めてイエス・キリストを受け入れることにある,と説明しました。(使徒 2章; ヘブ 2:1-4)後にペテロは,隅石であるイエス・キリストを退けたユダヤ人の建築者たちについて述べてから,クリスチャンたちに,「しかしあなた方は,『選ばれた種族,王なる祭司,聖なる国民,特別な所有物となる民』であ(る)」と言いました。―ペテ一 2:7-9。
ペテロはまた,新しい祭司職は「聖なる祭司職のための霊的な家」であって,「それは,神に受け入れられる霊的な犠牲をイエス・キリストを通してささげるためのもの」であると説明しました。(ペテ一 2:5)イエス・キリストは彼らの偉大な大祭司であって,彼らはアロンの子らと同様,従属の祭司職を構成します。(ヘブ 3:1; 8:1)しかし,王権にあずからないアロンの祭司職とは異なり,このキリストおよびその共同の相続人の「王なる祭司」の職においては,王権と祭司職が結び合わされています。聖書の「啓示」の書の中で,使徒ヨハネはイエス・キリストの追随者たちを,『彼ご自身の血によって罪から解かれた』者たちとし,この方は「わたしたちを,ご自分の神また父に対して王国とし,祭司としてくださった」と述べています。―啓 1:5,6。
聖書巻末のこの書は,従属の祭司の一団を構成する人の数をも明らかにしています。イエス・キリストが「わたしたちの神に対して王国また祭司」とされた人たちは,新しい歌を歌い,その歌の中で,自分たちはキリストの血によって買い取られたと述べている様子が示されています。(啓 5:9,10)さらに,新しい歌を歌っている人たちの数は,「神と子羊に対する初穂として人類の中から買い取られた」14万4,000人であることも示されています。(啓 14:1-5)最後に,この従属の祭司たちは天に復活させられ,イエス・キリストに加わってその支配にあずかること,「神およびキリストの祭司」となること,キリストの千年統治の間,キリストと共に「王として」支配することなどが示されています。―啓 20:4,6。
わたしたちは,イスラエルの祭司職,また同国の民に対するその機能と益について比較することにより(ヘブ 8:5),イエス・キリストとその従属の祭司の一団が千年間地に対する共同統治を行なう間,彼らの完全で永遠の祭司職から地の民が受ける益と祝福について,ある程度理解することができます。彼らは特権を与えられて神の律法を民に教え(マラ 2:7),偉大な大祭司の贖いの犠牲に基づいて罪の完全な許しを成し遂げ(キリストの犠牲の益を実際に及ぼす),すべての疾患のいやしをもたらし(マル 2:9-12; ヘブ 9:12-14; 10:1-4,10),神の目に清いものと汚れたものを区別してあらゆる汚れを取り除き(レビ 13-15章),義をもって民を裁き,エホバの義にかなった律法が全地に施行されるようにします(申 17:8-13)。
荒野における古代の会見の天幕が,神が人と共に住むところであり,人が神に近づくことのできる聖なる場所だったように,神の天幕は千年の間,以前よりも一層親密な仕方で,また一層永続的かつ有益な仕方で,再び人間と共にあるでしょう。神はご自分の偉大な大祭司イエス・キリストを通して,また,神聖な幕屋によって予表されていた偉大な霊的神殿で従属の祭司としてキリストと共に奉仕する14万4,000人を通して,象徴的な仕方で彼らを扱われるからです。(出 25:8; ヘブ 4:14; 啓 1:6; 21:3)このような王なる祭司をいただいているので,人々は必ず幸福になります。それは王国と祭司職が神に忠実であって,『ユダとイスラエルは,おびただしさの点で海辺にある砂粒のように多くて,食べたり飲んだりして,歓び』,「皆おのおの自分のぶどうの木の下や,いちじくの木の下で安らかに」住んでいた時のイスラエルの場合と同じです。―王一 4:20,25。
異教の祭司たち 古代の諸国民は祭司を擁しており,民は祭司を通して自分たちの神々に近づきました。それらの祭司は大抵,支配階級に属しているか,支配者の側近の助言者であって,人々の尊敬を集め,常に大きな影響力を振るっていました。祭司職は最も教養のある階級であり,人々を無知のままにしておくのが常でした。そのようにして彼らは,人々の迷信や,未知のものに対する恐れを利用して,人々を食い物にすることができました。例えばエジプトの場合,人々はナイル川を神として崇拝し,彼らの祭司には,民の作物を左右するナイル川の季節的な洪水を統御する神通力があるとみなすよう指導されていました。
このように,迷信にとらわれた無知を助長する状況は,国民全体に律法を絶えず読んで教えたイスラエルの祭司たちとは際立った対照をなしていました。一人一人が神とその律法について知らなければなりませんでした。(申 6:1-3)民自身,神の律法を自分の子供たちに読み,教えるようエホバから命じられていたので,読み書きができました。―申 6:4-9。
イスラエルの祭司職の原型ではない これらの事実にもかかわらず,イスラエルの祭司職とその規定の多くをまとめた系統的論述は,エジプトのものを原型としていると主張する人々がいます。律法契約の仲介者であるモーセはエジプトでの生活やファラオの宮廷で受けた訓練,さらには「エジプト人の知恵をことごとく」教授されたことから大きな影響を受けたというのが彼らの論議です。(使徒 7:22)しかし彼らの論議の筋は,イスラエルに律法を伝えるためにモーセが用いられたとしても,モーセは決して律法制定者ではなかったという事実を無視しています。イスラエルの律法授与者はエホバ神でした。(イザ 33:22)神は仲介者モーセの手を通して律法を伝達するために,み使いたちを用いられました。―ガラ 3:19。
神はイスラエルの崇拝に関する詳細な点すべてをはっきりお示しになりました。会見の天幕に関する計画がモーセに与えられ(出 26:30),また,モーセに対して「あなたは山で示されたその型どおりにすべての物を造るように注意しなさい」と命令されたことが記されています。(ヘブ 8:5; 出 25:40)聖なる所での奉仕はすべてエホバが考え出されたもの,エホバの指示によるものでした。記録は次のように繰り返しそのことをわたしたちに保証しています。モーセとイスラエルの子らは「すべてエホバがモーセに命じたとおりにしていった。彼らはまさにそのとおりに行なった」。「すべてエホバがモーセに命じた事柄にしたがい,イスラエルの子らはそのとおりにすべての奉仕を行なった。そしてモーセがすべての仕事を見ると,見よ,彼らはそれをエホバの命じたとおりに行なったのであった。そのとおりに彼らは行なったのである」。「それでモーセはすべてエホバが命じたとおりにしていった。彼はまさにそのとおりに行なった」。―出 39:32,42,43; 40:16。
エジプト学者たちは,エジプトの祭司(神官)たちの装いが幾つかの点でイスラエルの祭司たちの装いに似ていたことを指摘しています。エジプト人の祭司が亜麻を用いたこと,レビ人と同じように体をそったこと(ただしイスラエルの祭司はそうしなかった; 民 8:7),衣を洗ったことなどがそうです。しかしこうしたわずかな類似点だけで,起源が同じであるとか,一方が他方から派生したなどということが証明されるのでしょうか。服や家や建物を作る時,また衣などを洗うといった日々の務めを行なう時には,世界中で似たような材料や方法が用いられていますが,様式や方法には大きな相違点もあります。わたしたちは,あるものがほかのものに由来するとか,その装いや行動に同じ宗教的もしくは象徴的な意味があるとは言いません。
装いや機能の特色の大部分に関して言えば,イスラエル人とエジプト人の祭司の間に共通点は全くありません。例えば,イスラエル人の祭司たちははだしで奉仕しましたが,エジプト人の祭司はサンダルを履きました。エジプト人の祭司の長い衣はデザインが全く異なり,彼らの衣服と付属品には,彼らの偽りの神々の崇拝に関係した象徴が付されていました。エジプトの記念碑に見られる碑文によると,エジプト人の祭司はイスラエル人の祭司とは異なって頭をそり(レビ 21:5),かつらを使ったり,イスラエル人の祭司とは似ても似つかぬかぶり物を着けたりしました。さらにエホバは,イスラエルが崇拝の面でも司法上の慣行の面でも,エジプトや他の諸国民の慣行を一切取り入れてはならないことを明らかにされました。―レビ 18:1-4; 申 6:14; 7:1-6。
ですから,イスラエルの祭司職はエジプトからの借り物であるという説の信奉者たちが行なう議論には,根拠がありません。忘れてはならないことですが,犠牲と祭司職に関する考えは元々神に源を発するものであり,最初からアベルやノアのような忠実な男子によって表明されました。また族長社会においては,アブラハムや他の人たちによって実行に移されました。したがって,すべての国民はこの知識を受け継いできました。もっとも,彼らが真の神と清い崇拝を捨てたため,この知識は様々な形にゆがめられました。生来備わっている崇拝への欲求を持ってはいても,エホバの導きを欠いているために,異教諸国民は様々な儀式を発展させてきました。それらの儀式は不義なものであるばかりか,人を堕落させることもあり,それらすべては,諸国民を真の崇拝に敵対するよう仕向けて来ました。
異教の祭司たちによる,嫌悪すべき慣行 モーセの時代のエジプト人の祭司たちはファラオの前でモーセに反対し,魔術の行ないによってモーセとその神エホバの信用を落とそうとしました。(出 7:11-13,22; 8:7; テモ二 3:8)しかし彼らは,敗北と恥辱のうちに屈伏することを余儀なくされました。(出 8:18,19; 9:11)アンモンのモレクの崇拝者たちは自分の息子や娘たちを火で焼くことにより,子供たちを犠牲としてささげました。(王一 11:5; 王二 23:10; レビ 18:21; 20:2-5)カナン人のバアル崇拝者たちも同様の忌むべき慣行に携わり,自分の体を傷つけたり,みだらで嫌悪すべき不道徳な儀式を行なったりしました。(民 25:1-3; 王一 18:25-28; エレ 19:5)フィリスティア人の神ダゴンの祭司と,バビロニア人のマルドゥク,ベル,イシュタルの祭司は魔術と占いを行なっていました。(サム一 6:2-9; エゼ 21:21; ダニ 2:2,27; 4:7,9)彼らは皆,木,石,金属でできた像を崇拝しました。イスラエルの十部族王国のヤラベアム王でさえ,金の子牛と「やぎの形をした悪霊」の崇拝を導くための祭司たちを立て,民がエルサレムで真の崇拝に携わるのを妨げました。―代二 11:15; 13:9。「ミカ,II」1項も参照。
神から非とされた,権威のない祭司職 エホバは一貫して,事実上,悪霊崇拝となるこれらすべての形式や慣行に反対されました。(コリ一 10:20; 申 18:9-13; イザ 8:19; 啓 22:15)それらの神々や,その神々を代表する祭司職がエホバに公然と反抗するようになった時,彼らは必ず辱められました。(サム一 5:1-5; ダニ 2:2,7-12,29,30; 5:15)それらの神々の祭司や預言者たちが死を被ったことも珍しくありませんでした。(王一 18:40; 王二 10:19,25-28; 11:18; 代二 23:17)また,エホバは律法契約が存続する間,アロンの家のもの以外の祭司職を認めておられなかったので,アロンの職務が予表していたもの,つまりメルキゼデクのさまにしたがう大いなる大祭司でもあられるイエス・キリストの祭司職は,エホバに近づくための唯一の道ということになります。(使徒 4:12; ヘブ 4:14; ヨハ一 2:1,2)神の真の崇拝者たちは,神から叙任されたこの王なる祭司とその従属の祭司たちに反対するどんな祭司職も退けなければなりません。―申 18:18,19; 使徒 3:22,23; 啓 18:4,24。
「大祭司」を参照。