ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 塔研18 11月号 28–30ページ
  • 親切 言葉と行ないに表われる

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 親切 言葉と行ないに表われる
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2018
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • エホバはすべての人に親切
  • イエスは豊かな親切を示した
  • 親切は行動に表われる
  • 親切な人になる
  • 親切は人々を引き寄せる
  • 親切を示すことで得られる祝福
  • 人に親切にする
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1967
  • 神の民は親切を愛さねばならない
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2004
  • 親切を示すことによりエホバを喜ばせなさい
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1991
  • 「親切の律法」に従いましょう
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2022
もっと見る
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2018
塔研18 11月号 28–30ページ

親しん切せつ 言こと葉ばと行おこないに表あらわれる

  • 愛あい

  • 喜よろこび

  • 平へい和わ

  • 辛しん抱ぼう強づよさ

  • 親しん切せつ

  • 善ぜん良りょう

  • 信しん仰こう

  • 温おん和わ

  • 自じ制せい

親しん切せつな行おこないには,人ひとを元げん気きづける力ちからがあります。だれかが気きにかけてくれていることを知しると,うれしくなります。人ひとは皆みな,親しん切せつに接せっしてほしいと願ねがうものです。では,どうすれば親しん切せつを身みに着つけられるでしょうか。

親しん切せつとは,他たの人ひとへの誠せい実じつな気き遣づかいを言こと葉ばと行おこないで示しめすことです。うわべだけの礼れい儀ぎではなく,深ふかい愛あいと思おもいやりに動うごかされて行こう動どうすることです。親しん切せつは神かみの霊れいの実みの一いち面めんであり,クリスチャンが身みに着つけるべきものです。(ガラ 5:22,23)では,エホバとイエスはどのように親しん切せつを示しめしてこられたでしょうか。どうすればその手て本ほんに倣ならえますか。

エホバはすべての人ひとに親しん切せつ

エホバは,「感かん謝しゃしない邪じゃ悪あくな者もの」を含ふくめ,すべての人ひとに対たいして親しん切せつで思おもいやり深ぶかい方かたです。(ルカ 6:35)「邪じゃ悪あくな者ものの上うえにも善ぜん良りょうな者ものの上うえにもご自じ分ぶんの太たい陽ようを昇のぼらせ,義ぎなる者ものの上うえにも不ふ義ぎなる者ものの上うえにも雨あめを降ふらせてくださ」います。(マタ 5:45)ですから,エホバを創そう造ぞう者しゃとして認みとめない人ひとも,エホバの親しん切せつによって生いき,ある程てい度どの幸こう福ふくを味あじわっています。

エホバはアダムとエバに親しん切せつを示しめしました。2人ふたりは罪つみを犯おかした後のち,「いちじくの葉はをつづり合あわせて自じ分ぶんたちのために腰こし覆おおいを作つく[り]」ました。しかしエホバは,エデンの外そとで生せい活かつしていくのに適てきした服ふくが必ひつ要ようなことをご存ぞんじでした。地ちはのろわれ,「いばらとあざみ」が生はえていたからです。それでエホバは親しん切せつにも,「皮かわの長ながい衣ころも」を作つくって2人ふたりにお与あたえになりました。(創そう 3:7,17,18,21)

エホバは「邪じゃ悪あくな者もの」にも「善ぜん良りょうな者もの」にも親しん切せつですが,ご自じ分ぶんに忠ちゅう実じつに仕つかえる人ひとには特とくに親しん切せつを示しめしたいと願ねがっておられます。預よ言げん者しゃゼカリヤの時じ代だい,ある天てん使しはエルサレムの神しん殿でん再さい建けんが中ちゅう断だんしてしまったのを見みて,悲かなしみました。エホバはその天てん使しの声こえに耳みみを傾かたむけ,「良よい[または,親しん切せつな]言こと葉ば,慰なぐさめの言こと葉ば」で答こたえられました。(ゼカ 1:12,13)エホバは預よ言げん者しゃエリヤにも親しん切せつを示しめしました。ある時とき,エリヤは気き分ぶんが落おち込こみ,死しなせてほしいとエホバに嘆たん願がんしました。エホバはエリヤの気き持もちを思おもいやり,天てん使しを遣つかわして力ちからづけました。エリヤが独ひとりではないことも知しらせました。その親しん切せつな言こと葉ばや助たすけのおかげで,エリヤは務つとめを果はたせました。(王おう一いち 19:1-18)では,エホバの親しん切せつに倣ならう点てんで最さい高こうの手て本ほんを示しめしたのはだれでしょうか。

イエスは豊ゆたかな親しん切せつを示しめした

イエスは地ち上じょうにいた時とき,人ひと々びとに親しん切せつや思おもいやりを示しめしました。厳きびしい態たい度どや威い圧あつ的てきな態たい度どは取とりませんでした。むしろ,思おもいやり深ぶかくこう述のべました。「すべて,労ろう苦くし,荷にを負おっている人ひとよ,わたしのところに来きなさい。そうすれば,わたしがあなた方がたをさわやかにしてあげましょう。……わたしのくびきは心ここ地ちよ[い]のです」。(マタ 11:28-30)人ひと々びとはイエスの親しん切せつに心こころを動うごかされ,どこへでも付ついて行いきました。イエスは彼かれらを「哀あわれに思おも[い]」,食たべ物ものを与あたえ,病びょう気きを治なおし,エホバについて「多おおくのこと」を教おしえました。(マル 6:34。マタ 14:14; 15:32-38)

イエスの親しん切せつさは,人ひと々びとへの思おもいやり深ぶかい接せっし方かたに表あらわれています。イエスは休きゅう息そくを取とりたいと思おもっていた時ときでも,誠せい実じつな気き持もちで自じ分ぶんを探さがしに来きた人ひとたちを皆みな「親しん切せつに」迎むかえました。(ルカ 9:10,11)ある時とき,儀ぎ式しき上じょう汚けがれた女じょ性せいがイエスの外がい衣いに触さわりました。血ちの流りゅう出しゅつを治なおしてほしいと思おもったのです。しかし,イエスはおびえるその女じょ性せいを叱しかったりしませんでした。(レビ 15:25-28)12年ねん苦くるしんできた女じょ性せいに対たいして,思おもいやり深ぶかくこう言いいました。「娘むすめよ,あなたの信しん仰こうがあなたをよくならせました。平へい安あんのうちに行ゆきなさい。そして,あなたの悲ひ痛つうな病びょう気きから解とかれて健すこやかに過すごしなさい」。(マル 5:25-34)何なんと親しん切せつなのでしょう。

親しん切せつは行こう動どうに表あらわれる

これまでの例れいから分わかるように,親しん切せつは行こう動どうに表あらわれます。イエスは,親しん切せつなサマリア人じんのたとえ話ばなしでそのことを説せつ明めいしました。あるユダヤ人じんの男だん性せいが強ごう盗とうに襲おそわれ,殴おう打だされ,半はん殺ごろしにされて道みちに置おき去ざりにされました。サマリア人じんとユダヤ人じんは憎にくみ合あっていましたが,このサマリア人じんは男だん性せいを哀あわれに思おもい,親しん切せつ心しんに動うごかされて行こう動どうしました。傷きずの手て当あてをし,宿やど屋やに連つれて行いきました。宿やど屋やの主しゅ人じんにお金かねを渡わたして世せ話わを依い頼らいし,さらに費ひ用ようがかかるなら後あとで払はらうと述のべました。(ルカ 10:29-37)

親しん切せつは,励はげみを与あたえる思おもいやり深ぶかい言こと葉ばによっても示しめされます。「人ひとの心こころの煩わずらい事ごとはこれをかがませ」ますが,「良よい言こと葉ばはこれを歓よろこばせ」ます。(箴しん 12:25)親しん切せつで善ぜん良りょうな人ひとは,良よいことを述のべて人ひとを元げん気きづけます。a 親しん切せつな言こと葉ばは気き遣づかいの表あらわれです。生せい活かつ上じょうの様さま々ざまな問もん題だいに対たい処しょする力ちからになります。(箴しん 16:24)

親しん切せつな人ひとになる

すべての人ひとは「神かみの像かたちに」創そう造ぞうされたので,親しん切せつを身みに着つけることができます。(創そう 1:27)ユリウスという士し官かんは,囚しゅう人じんである使し徒とパウロと共ともにローマに向むかっていました。そしてシドンに着ついた時とき,「パウロを人にん間げん味みのある親しん切せつさをもって扱あつかい,自じ分ぶんの友ゆう人じんたちのところに行いって世せ話わを受うけることを彼かれに許きょ可かし」ました。(使し徒と 27:3)その後ご,パウロたちは旅たびの途と中ちゅうで難なん船せんし,マルタ島とうにたどり着つきました。すると,島しまの人ひとたちは火ひをたいてみんなを迎むかえ,「人にん間げん味みのある親しん切せつを一ひと方かたならず」示しめしてくれました。(使し徒と 28:1,2)それは本ほん当とうにりっぱな行おこないでした。とはいえ,時とき々どき親しん切せつな行おこないをすればよい,というわけではありません。

神かみに十じゅう分ぶん喜よろこんでいただくためには,親しん切せつを人じん格かくの一いち部ぶにし,生せい活かつ全ぜん体たいで示しめす必ひつ要ようがあります。エホバは親しん切せつを「身みに着つけ[る]」よう勧すすめておられます。(コロ 3:12)しかし,そうするのは簡かん単たんではありません。内うち気きだったり,自じ信しんがなかったり,反はん対たいに遭あったり,利り己こ心しんが残のこっていたりして,親しん切せつを示しめせないことがあります。ですから,聖せい霊れいに頼たより,エホバの親しん切せつに倣ならうよう懸けん命めいに努ど力りょくすることが必ひつ要ようです。(コリ一いち 2:12)

では,どうすればもっと親しん切せつを示しめせるでしょうか。こう自じ問もんしてください。「わたしは人ひとの話はなしを思おもいやり深ぶかく聞きいているだろうか。他たの人ひとが何なにを必ひつ要ようとしているかに気きを配くばっているだろうか。最さい近きん,家か族ぞくや親したしい友ゆう人じん以い外がいの人ひとに親しん切せつにしただろうか」。こうしたことを考かんがえた後のち,目もく標ひょうを持もちましょう。例たとえば,兄きょう弟だい姉し妹まいともっとよく知しり合あうという目もく標ひょうです。そのような目もく標ひょうを持もつと,他たの人ひとの状じょう況きょうや必ひつ要ようとしている事こと柄がらが分わかるようになります。それが分わかったなら,自じ分ぶんだったらどうしてほしいかを考かんがえて,それを実じっ行こうします。(マタ 7:12)エホバの助たすけを求もとめることも忘わすれないでください。エホバは祈いのりに答こたえ,親しん切せつを身みに着つける努ど力りょくを祝しゅく福ふくしてくださるでしょう。(ルカ 11:13)

親しん切せつは人ひと々びとを引ひき寄よせる

パウロは,自じ分ぶんが神かみの奉ほう仕し者しゃとして推すい薦せんする根こん拠きょの一ひとつに「親しん切せつさ」を挙あげました。(コリ二に 6:3-6)他たの人ひとへの気き遣づかいを親しん切せつな言こと葉ばと行おこないで示しめしました。人ひと々びとはそのようなパウロに引ひき寄よせられました。(使し徒と 28:30,31)わたしたちも親しん切せつな行おこないをするなら,人ひと々びとを真しん理りに引ひき寄よせられるかもしれません。敵てき対たい的てきな人ひとを含ふくめ,すべての人ひとに親しん切せつを示しめしましょう。そうすれば,相あい手ての心こころは和やわらぎ,敵てき意いが消きえるかもしれません。(ロマ 12:20)聖せい書しょに関かん心しんを持もつようになることさえあります。

将しょう来らい,地ち上じょうのパラダイスで復ふっ活かつする大おお勢ぜいの人ひとたちは,自じ分ぶんたちに示しめされる本ほん当とうの親しん切せつに感かん動どうするに違ちがいありません。感かん謝しゃの気き持もちがわき,自じ分ぶんも他たの人ひとに親しん切せつを示しめしたいと思おもうでしょう。親しん切せつを示しめさず,他たの人ひとを助たすけようとしない人ひとは,神かみの王おう国こくのもとで永えい遠えんに生いきることはできません。新あたらしい世よでは,すべての人ひとが愛あいと親しん切せつを示しめし合あいます。(詩し 37:9-11)そこは平へい和わで安あん全ぜんな素す晴ばらしい場ば所しょになることでしょう。しかし,親しん切せつを示しめすなら,今いまでも様さま々ざまな祝しゅく福ふくを得えられます。

親しん切せつを示しめすことで得えられる祝しゅく福ふく

聖せい書しょには,「愛あいある親しん切せつを抱いだいている人ひとは自じ分ぶんの魂たましいを豊ゆたかな報むくいをもって扱あつかっている」と述のべられています。(箴しん 11:17)人ひと々びとは親しん切せつな人ひとに引ひき寄よせられ,そのような人ひとに親しん切せつを示しめしたいと思おもうものです。イエスはこう言いいました。「あなた方がたが量はかり出だしているその量はかりで,今こん度どは人ひと々びとがあなた方がたに量はかり出だしてくれるのです」。(ルカ 6:38)親しん切せつな人ひとはすぐに友ともを見みつけ,友ゆう情じょうを保たもつことができます。

使し徒とパウロはエフェソス会かい衆しゅうの人ひとたちにこう勧すすめました。「互たがいに親しん切せつにし,優やさしい同どう情じょう心しんを示しめし,……互たがいに惜おしみなく許ゆるし合あいなさい」。(エフェ 4:32)みんなが親しん切せつで思おもいやり深ぶかく,他たの人ひとを進すすんで助たすけようとするなら,会かい衆しゅうは素す晴ばらしい場ば所しょになります。だれもきついことを言いったり,厳きびしく批ひ判はんしたり,嫌いや味みを言いったりしません。人ひとを傷きずつけるうわさ話ばなしを広ひろめたりせず,他たの人ひとを助たすける言こと葉ばを語かたります。(箴しん 12:18)その結けっ果か,兄きょう弟だい姉し妹まいは喜よろこんでエホバに仕つかえることができます。

親しん切せつは言こと葉ばと行おこないに表あらわれます。親しん切せつを示しめすなら,エホバの優やさしさや寛かん大だいさに倣ならっていることになります。(エフェ 5:1)会かい衆しゅうを強つよめ,人ひと々びとを清きよい崇すう拝はいに引ひき寄よせることができます。いつも親しん切せつを示しめす人ひととして知しられるようになりましょう。

a 善ぜん良りょうについては,神かみの聖せい霊れいの実みに関かんするこのシリーズ記き事じで今こん後ご取とり上あげられます。

    日本語出版物(1953-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2026 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする