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エホバに近づきなさい
近 第13章 128–137ページ
モーセが十戒の書かれた2枚の石板を持っている。

第13章

「エホバの律りっ法ぽうは完かん全ぜん」

1-2. 法ほうを軽けい視しする人ひとが多おおいのはどうしてですか。神かみの律りっ法ぽうについてはどのように感かんじる人ひとがいますか。

「法ほうは底そこなしの穴あな……のように全すべてをのみ込こむ」。これは1712年ねんに発はっ行こうされた本ほんの一いち文ぶんです。この本ほんの著ちょ者しゃは,当とう時じの法ほう制せい度どに苦く言げんを呈ていしました。訴そ訟しょうが長なが引びいて何なん年ねんもかかり,公こう正せいな裁さばきを求もとめて訴うったえた人ひとが破は産さんしてしまうこともあったからです。今いまでも多おおくの国くにで,法ほう律りつや司し法ほう制せい度どが非ひ常じょうに複ふく雑ざつで,不ふ公こう正せいや偏へん見けんや矛む盾じゅんだらけなので,法ほうを軽けい視しする風ふう潮ちょうが広ひろまっています。

2 そうした態たい度どとは対たい照しょう的てきに,ある詩し編へん作さく者しゃは約やく2700年ねん前まえにこう書かきました。「私わたしはあなたの律りっ法ぽうを愛あいしてやまない!」(詩し編へん 119:97)この人ひとがそう強つよく思おもったのはどうしてでしょうか。ここで言いっている法ほうを作つくったのが人にん間げんの政せい府ふではなく,エホバ神かみだからです。あなたもエホバの律りっ法ぽうについて学まなぶと,宇う宙ちゅうで最さい高こうの法ほう律りつ家かである神かみの考かんがえ方かたが分わかって,この詩し編へん作さく者しゃと同おなじ気き持もちになることでしょう。

法ほうを定さだめる至し高こうの方かた

3-4. エホバが確たしかに法ほうを定さだめる方かたであることは,どんな例れいから分わかりますか。

3 聖せい書しょによると,「法ほうを定さだめる方かた,裁さばく方かたはただひとりです」。(ヤコブ 4:12)宇う宙ちゅう全ぜん体たいのための法ほうを定さだめる権けん利りがあるのは,創そう造ぞう者しゃであるエホバだけです。「天てん体たいを統とう御ぎょする法ほう則そく」も作つくりました。(ヨブ 38:33)無む数すうの聖せいなる天てん使したちも,神かみの法ほうの下もとにいます。幾いくつかの階かい級きゅうがあって,エホバの命めい令れいに従したがって奉ほう仕ししています。(詩し編へん 104:4。ヘブライ 1:7,14)

4 エホバは人にん間げんにも法ほうを与あたえています。一人ひとり一人ひとりが持もっている良りょう心しんは,いわば心こころの中なかにある法ほうのようです。良りょう心しんにはエホバの公こう正せいの感かん覚かくが表あらわれていて,何なにが正ただしくて何なにが間ま違ちがっているかを見み分わけるのに役やく立だちます。(ローマ 2:14)完かん全ぜんな良りょう心しんを与あたえられていたアダムとエバには,多おおくの法ほうは必ひつ要ようありませんでした。(創そう世せい記き 2:15-17)しかし,不ふ完かん全ぜんな人にん間げんは,エホバの望のぞむことを行おこなえるように,もっと多おおくの法ほうを必ひつ要ようとしています。ノア,アブラハム,ヤコブなどの族ぞく長ちょうたちは,エホバ神かみから法ほうを与あたえられ,家か族ぞくに伝つたえました。(創そう世せい記き 6:22; 9:3-6; 18:19; 26:4,5)そして,モーセを通とおしてイスラエル国こく民みんに律りっ法ぽうが与あたえられた時とき,エホバが法ほうを定さだめる方かたであることがかつてなくはっきりと示しめされました。その律りっ法ぽうから,エホバにとって公こう正せいとはどういうものかがよく分わかります。

モーセの律りっ法ぽうの概がい要よう

5. モーセの律りっ法ぽうは複ふく雑ざつで難むずかし過すぎるものではない,と言いえるのはどうしてですか。

5 多おおくの人ひとがモーセの律りっ法ぽうは複ふく雑ざつで難むずかし過すぎると思おもっているようですが,それは事じ実じつとは懸かけ離はなれています。600余あまりの法ほうが収おさめられているので多おおいと感かんじるかもしれませんが,次つぎの点てんを考かんがえてみてください。20世せい紀き末まつの時じ点てんで,米べい国こくの連れん邦ぽう法ほうを収おさめた法ほう律りつ書しょは15万まんページを超こえていました。しかも,2年ねんごとに600ほどの法ほうが加くわえられています。ですから,人にん間げんが作つくった膨ぼう大だいな量りょうの法ほう律りつと比くらべると,モーセの律りっ法ぽうにはごくわずかな法ほうしかありません。とはいえ神かみの律りっ法ぽうは,現げん代だいの法ほう律りつでは全まったく触ふれられていないような分ぶん野やでもイスラエル人じんに指し針しんを与あたえていました。概がい要ようを考かんがえてみましょう。

6-7. (ア)モーセの律りっ法ぽうはどんな点てんで人にん間げんの法ほう律りつとは全まったく違ちがいますか。律りっ法ぽうの最もっとも重じゅう要ような法ほうは何なんですか。(イ)イスラエル人じんたちはどうすればエホバの主しゅ権けんを受うけ入いれていることを示しめせましたか。

6 律りっ法ぽうは主しゅ権けん者しゃであるエホバに従したがうよう教おしえた。この点てんで,モーセの律りっ法ぽうは人にん間げんが作つくったどんな法ほう律りつとも全まったく違ちがいます。最もっとも重じゅう要ような法ほうはこう述のべています。「聞ききなさい,イスラエル,私わたしたちの神かみエホバはただひとりのエホバです。あなたは,心こころを尽つくし,力ちからを尽つくし,自じ分ぶんの全すべてを尽つくして,あなたの神かみエホバを愛あいさなければなりません」。神かみの民たみは,神かみへの愛あいをどのように表あらわしたのでしょうか。主しゅ権けん者しゃである神かみに従したがい,仕つかえることによってです。(申しん命めい記き 6:4,5; 11:13)

7 イスラエル人じんがエホバの主しゅ権けんを受うけ入いれていることを示しめすには,エホバから権けん威いを与あたえられている人ひとたちに従したがう必ひつ要ようがありました。例たとえば,親おや,長ちょう,裁さばき人びと,祭さい司し,また後こう代だいの王おうたちなどです。そのような人ひとたちに反はん抗こうするなら,エホバに反はん抗こうしていると見みなされました。一いっ方ぽう,権けん威いを与あたえられた人ひとたちは,自じ分ぶんに従したがう人ひとたちを不ふ当とうに扱あつかうなら,エホバの怒いかりを買かうことになりました。(出しゅつエジプト記き 20:12; 22:28。申しん命めい記き 1:16,17; 17:8-20; 19:16,17)ですから,どちらの側がわにも責せき任にんがあり,皆みなが神かみの主しゅ権けんを支し持じしなければなりませんでした。

8. 律りっ法ぽうは,イスラエル人じんが神しん聖せいさに関かんするエホバの基き準じゅんを守まもるのにどう役やく立だちましたか。

8 律りっ法ぽうは神しん聖せいさに関かんするエホバの基き準じゅんを守まもるよう教おしえた。「神しん聖せい」や「聖せいなる」という言こと葉ばは,モーセの律りっ法ぽうの中なかに280回かい以い上じょう出でてきます。律りっ法ぽうには汚けがれの原げん因いんとなる事こと柄がらが70ほど挙あげられていて,何なにが清きよくて何なにが汚けがれているかを見み分わけるのに役やく立だちました。法ほうの中なかには,身しん体たい衛えい生せい,食しょく生せい活かつ,廃はい棄き物ぶつについて指し示じしているものもあり,イスラエル人じんの健けん康こうを守まもりました。a しかし,そうした法ほうにはもっと重じゅう要ような目もく的てきがありました。民たみが周しゅう囲いの堕だ落らくした国くに々ぐにの罪つみ深ぶかい行おこないから離はなれて,エホバに喜よろこばれるようにするということです。1つの例れいを考かんがえましょう。

9-10. 律りっ法ぽう契けい約やくには性せい関かん係けいや出しゅっ産さんに関かんするどんな法ほう令れいが含ふくまれていましたか。そうした法ほうはどのように役やく立だちましたか。

9 律りっ法ぽうによると,人ひとは夫ふう婦ふ間かんの性せい関かん係けいや出しゅっ産さんによって,しばらくの間あいだ汚けがれた人ひととなりました。(レビ記き 12:2-4; 15:16-18)とはいえ,夫ふう婦ふ間かんの性せい関かん係けいや出しゅっ産さんが神かみからの清きよい贈おくり物ものであることに変かわりはありませんでした。(創そう世せい記き 1:28; 2:18-25)そうした法ほうは,エホバの神しん聖せいさの基き準じゅんを守まもれるように民たみを助たすけ,悪あく影えい響きょうから守まもりました。イスラエルの周しゅう囲いの国くに々ぐにでは多おおくの場ば合あい,神かみ々がみを崇すう拝はいする時ときに多た産さんを願ねがう儀ぎ式しきを行おこない,性せい関かん係けいを持もっていました。カナン人じんの宗しゅう教きょうでは,男だん性せいも女じょ性せいも売ばい春しゅんを行おこない,大おお勢ぜいの人ひと々びとが非ひ常じょうにみだらな行こう為いをしていました。対たい照しょう的てきに,律りっ法ぽうのおかげで,エホバへの崇すう拝はいに性せい的てきな事こと柄がらが入はいり込こむ余よ地ちはありませんでした。b 性せい関かん係けいや出しゅっ産さんに関かんする法ほうは,別べつの面めんでも役やくに立たちました。

10 それらの法ほうは,民たみに重じゅう要ような真しん理りを教おしえました。c アダムの罪つみは,性せい関かん係けいと出しゅっ産さんによって子し孫そんに受うけ継つがれていきます。(ローマ 5:12)ですから神かみの律りっ法ぽうは,民たみに自じ分ぶんたちが罪つみ深ぶかいことを常つねに意い識しきさせました。全すべての人ひとは,生うまれながらに罪つみ人びとです。(詩し編へん 51:5)聖せいなる神かみに近ちかづくには,罪つみを許ゆるしてもらい,贖あがなってもらう必ひつ要ようがあります。

11-12. (ア)律りっ法ぽうには公こう正せいに関かん係けいするどんな原げん則そくが見みられますか。(イ)律りっ法ぽうには不ふ公こう正せいを防ぼう止しするどんな規き定ていがありましたか。

11 律りっ法ぽうはエホバの完かん全ぜんな公こう正せいがどういうものかを教おしえた。モーセの律りっ法ぽうは,処しょ罰ばつが犯はん罪ざいに見み合あったものでなければならないことを示しめしていました。「命いのちには命いのち,目めには目め,歯はには歯は,手てには手て,足あしには足あしです」と書かかれています。(申しん命めい記き 19:21)等ひとしい価か値ちのものを差さし出だすというこの原げん則そくは,律りっ法ぽう全ぜん体たいに見みられます。それは神かみの公こう正せいの重じゅう要ような一いち面めんであり,キリスト・イエスの贖あがないの犠ぎ牲せいについて理り解かいするのに欠かかせません。そのことは第だい14章しょうで取とり上あげます。(テモテ第だい一いち 2:5,6)

12 律りっ法ぽうには,不ふ公こう正せいを防ぼう止しする規き定ていもありました。例たとえば,誰だれかを有ゆう罪ざいとするには少すくなくとも2人ふたりの証しょう人にんが必ひつ要ようでした。偽ぎ証しょうは厳きびしく罰ばっせられました。(申しん命めい記き 19:15,18,19)賄わい賂ろを贈おくったり受うけ取とったりすることも厳きびしく禁きんじられていました。(出しゅつエジプト記き 23:8。申しん命めい記き 27:25)商しょう売ばいをする時ときにも,民たみはエホバの公こう正せいの高たかい基き準じゅんを守まもらなければなりませんでした。(レビ記き 19:35,36。申しん命めい記き 23:19,20)このように公こう正せいな優すぐれた律りっ法ぽうにより,イスラエル人じんは善よい生いき方かたをするよう助たすけられました。

律りっ法ぽうの特とく徴ちょうは憐あわれみと公こう平へいさ

13-14. 律りっ法ぽうでは,泥どろ棒ぼうも被ひ害がい者しゃもどのように公こう平へいに扱あつかわれましたか。

13 モーセの律りっ法ぽうは,憐あわれみに欠かけた厳きびしい規き則そく集しゅうではありません。ダビデ王おうは聖せいなる力ちからに導みちびかれて,「エホバの律りっ法ぽうは完かん全ぜん」と書かきました。(詩し編へん 19:7)ダビデもよく知しっていた通とおり,律りっ法ぽうは憐あわれみを示しめすことや人ひとを公こう平へいに扱あつかうことの大たい切せつさを教おしえています。そのことについて考かんがえましょう。

14 現げん在ざい,国くにによっては,法ほう律りつによって被ひ害がい者しゃよりも犯はん罪ざい者しゃの方ほうが守まもられているように思おもえるかもしれません。例たとえば,泥どろ棒ぼうが衣い食しょく住じゅうのそろった刑けい務む所しょで過すごす中なか,被ひ害がい者しゃは財ざい産さんを失うしなったまま,税ぜい金きんを納おさめて犯はん罪ざい者しゃを支し援えんしなければならない,ということがあります。モーセの律りっ法ぽうでは,被ひ害がい者しゃも犯はん罪ざい者しゃも公こう平へいに扱あつかわれました。古こ代だいイスラエルには現げん代だいのような刑けい務む所しょはありませんでした。また,処しょ罰ばつが厳きびしくなり過すぎないように限げん度どが定さだめられていました。(申しん命めい記き 25:1-3)とはいえ,泥どろ棒ぼうは盗ぬすんだ物ものの弁べん償しょうをしなければなりませんでした。さらに追つい加かの支し払はらいも科かされましたが,その額がくは場ば合あいによって異ことなりました。裁さい判ばん人にんたちが,罪つみ人びとの悔くい改あらための度ど合あいなど幾いくつかの要よう素そを考こう慮りょに入いれて決けっ定ていしたようです。レビ記き 6章しょう1-7節せつで泥どろ棒ぼうに求もとめられている賠ばい償しょう額がくが,出しゅつエジプト記き 22章しょう7節せつで言いわれている額がくよりずっと少すくないのはそのためでしょう。

15. 誤あやまって誰だれかを死しなせてしまった人ひとは,律りっ法ぽうによってどのように憐あわれみ深ぶかく公こう正せいな扱あつかいを受うけましたか。

15 律りっ法ぽうには,意い図とせずに罪つみを犯おかしてしまった場ば合あいについての規き定ていもありました。これもエホバの憐あわれみの表あらわれです。例たとえば,誤あやまって誰だれかを死しなせてしまった人ひとは,イスラエルに点てん在ざいする避ひ難なんの町まちに逃にげれば,「命いのちには命いのち」という原げん則そくに基もとづいて死し刑けいにされずに済すみました。裁さい判ばん人にんたちによる審しん理りの後あと,その人ひとは大だい祭さい司しが死しぬまで避ひ難なんの町まちにとどまらなければなりませんでした。その後ごは,どこでも自じ由ゆうに暮くらせました。このようにして,その人ひとは神かみの憐あわれみの恩おん恵けいを受うけました。そしてこの法ほうは,人にん間げんの命いのちがとても大たい切せつであることをはっきり示しめすものでもありました。(民みん数すう記き 15:30,31; 35:12-25)

16. 律りっ法ぽうによってどのように個こ人じんの権けん利りが守まもられましたか。

16 律りっ法ぽうによって個こ人じんの権けん利りも守まもられました。負ふ債さいを抱かかえる人ひとがどのように保ほ護ごされたかを考かんがえてみましょう。貸かしたお金かねの担たん保ぽとなる物ものを取とるために相あい手ての家いえに入はいることは,律りっ法ぽうで禁きんじられていました。お金かねを貸かした人ひとは,借かりた人ひとが担たん保ぽにする物ものを持もってくるのを外そとで待またなければなりませんでした。このように,誰だれも他たの人ひとの家いえに無む理りやり入はいることはできませんでした。お金かねを貸かした人ひとが担たん保ぽとして外がい衣いを預あずかった場ば合あいには,日ひが沈しずんだら相あい手てに返かえさなければなりませんでした。夜や間かんに体からだを温あたためるのに外がい衣いが必ひつ要ようだったからです。(申しん命めい記き 24:10-14)

17-18. 戦せん争そうに関かんして,イスラエルは他たの国くに々ぐにとどのように違ちがっていましたか。

17 律りっ法ぽうには,戦せん争そうに関かん係けいする規き定ていもありました。神かみの民たみは,単たんに権けん力りょく欲よくや征せい服ふく欲よくを満まん足ぞくさせるために戦たたかうのではなく,それが「エホバの戦たたかい」だということを意い識しきすべきでした。(民みん数すう記き 21:14)多おおくの場ば合あい,イスラエル人じんはまず降こう伏ふく条じょう件けんを提てい示じしなければなりませんでした。相あい手てが降こう伏ふくしない場ば合あい,町まちを攻こう囲いすることができましたが,神かみの命めい令れいに従したがってそうする必ひつ要ようがありました。昔むかしや今いまの多おおくの兵へい士したちとは違ちがって,イスラエル軍ぐんの人ひとたちは,女じょ性せいを暴ぼう行こうしたり住じゅう民みんを虐ぎゃく殺さつしたりしてはなりませんでした。環かん境きょうに配はい慮りょすることも求もとめられていて,敵てきの果か樹じゅを伐ばっ採さいすることは禁きんじられていました。d そのような制せい限げんを課かされた軍ぐん隊たいはほかにありません。(申しん命めい記き 20:10-15,19,20; 21:10-13)

18 幼おさない子こ供どもたちが兵へい士しとして訓くん練れんされている国くにもあると聞きくと,ぞっとすることでしょう。古こ代だいイスラエルでは,20歳さい未み満まんの男だん性せいは徴ちょう兵へいされませんでした。(民みん数すう記き 1:2,3)成せい人じんした男だん性せいでも,恐きょう怖ふで戦たたかえない場ば合あいには免めん除じょされました。新しん婚こんの男だん性せいも兵へい役えきを1年ねん間かん免めん除じょされ,「家いえにいて,妻つまを喜よろこばせる」ことができました。それにより,危き険けんな任にん務むに出で掛かける前まえに跡あと継つぎの誕たん生じょうを見みることもできたでしょう。(申しん命めい記き 20:5,6,8; 24:5)

19. 律りっ法ぽうによって,女じょ性せい,子こ供ども,家か族ぞく,やもめ,孤こ児じはどのように守まもられましたか。

19 律りっ法ぽうによって,女じょ性せいや子こ供どもや家か族ぞくも守まもられました。親おやは,子こ供どもをいつも見み守まもり,エホバについて教おしえるよう命めいじられていました。(申しん命めい記き 6:6,7)あらゆる近きん親しん姦かんが禁きんじられ,行おこなった人ひとは死し刑けいになりました。(レビ記き 18章しょう)姦かん淫いんも禁きんじられていました。家か族ぞくをひどく傷きずつけ,家か庭ていを崩ほう壊かいさせるからです。やもめや孤こ児じのための法ほうもあって,そうした人ひとたちを苦くるしめてはならないと強つよい言こと葉ばで警けい告こくされていました。(出しゅつエジプト記き 20:14; 22:22-24)

20-21. (ア)モーセの律りっ法ぽうで一いっ夫ぷ多た妻さいが認みとめられていたのはどうしてですか。(イ)離り婚こんに関かんして,律りっ法ぽうで認みとめられていたこととイエスが教おしえたことが違ちがっているのはどうしてですか。

20 「家か族ぞくを守まもるはずの律りっ法ぽうが,一いっ夫ぷ多た妻さいを認みとめていたのはなぜだろう」と考かんがえる人ひともいます。(申しん命めい記き 21:15-17)この点てんを正ただしく理り解かいするには,今いまの時じ代だいや文ぶん化かに基もとづいてモーセの律りっ法ぽうを見みるのではなく,当とう時じの状じょう況きょうを考こう慮りょに入いれる必ひつ要ようがあります。(格かく言げん 18:13)はるか昔むかしにエデンでエホバが定さだめた結けっ婚こんは,1人ひとりの夫おっとと1人ひとりの妻つまが永えい続ぞくする絆きずなで結むすばれるものでした。(創そう世せい記き 2:18,20-24)しかし,エホバがイスラエルに律りっ法ぽうを与あたえた頃ころまでには,すでに何なん世せい紀きにもわたって一いっ夫ぷ多た妻さいが定てい着ちゃくしていました。エホバは,「民たみが強ごう情じょう」で,おそらく偶ぐう像ぞう崇すう拝はいの禁きん止しといった基き本ほん的てきな命めい令れいにさえ従したがわない場ば合あいが多おおい,ということをよく分わかっていました。(出しゅつエジプト記き 32:9)それで賢けん明めいにも,その時じ代だいには結けっ婚こんに関かん係けいする間ま違ちがった慣かん習しゅうを全すべて正ただすことはしませんでした。とはいえ,覚おぼえておきたいこととして,エホバが一いっ夫ぷ多た妻さい制せいを導どう入にゅうしたわけではありません。むしろエホバは一いっ夫ぷ多た妻さいを規き制せいし,女じょ性せいたちが守まもられるようにしました。

21 モーセの律りっ法ぽうでは,妻つまに恥はずべき点てんがある場ば合あい,夫おっとが妻つまと離り婚こんすることも認みとめられていました。(申しん命めい記き 24:1-4)イエスはそのことについて,神かみがユダヤ人じんの「頑がん固こさを考かんがえて」譲じょう歩ほしたと説せつ明めいしています。そうした譲じょう歩ほは一いち時じ的てきなものでした。イエスは弟で子したちに,結けっ婚こんに関かんするエホバの当とう初しょの基き準じゅんを守まもるよう教おしえました。(マタイ 19:8)

律りっ法ぽうは愛あいを強きょう調ちょうしている

22. モーセの律りっ法ぽうではどのように愛あいが強きょう調ちょうされていますか。誰だれに愛あいを表あらわすことになっていましたか。

22 現げん代だいの法ほう律りつで,人ひとを愛あいするようにと規き定ていしているものはまずないでしょう。しかしモーセの律りっ法ぽうは,何なによりも愛あいを強きょう調ちょうしています。申しん命めい記きだけでも,ヘブライ語ごで「愛あい」を意い味みする言こと葉ばが20回かい余あまり出でてきます。律りっ法ぽうの中なかで2番ばん目めに重じゅう要ようなおきては,「仲なか間まを自じ分ぶん自じ身しんのように愛あいさなければならない」というものでした。(レビ記き 19:18。マタイ 22:37-40)神かみの民たみは,そのような愛あいを互たがいに表あらわすだけでなく,外がい国こく人じん居きょ住じゅう者しゃにも表あらわすことになっていました。自じ分ぶんたちもかつては外がい国こく人じん居きょ住じゅう者しゃだったことを思おもい出だして,愛あいを表あらわすべきでした。また,貧まずしい人ひとや立たち場ばの弱よわい人ひとにも愛あいを表あらわして,その人ひとたちが必ひつ要ようなものを得えられるようにし,弱よわみに付つけ込こんではなりませんでした。家か畜ちくにさえ優やさしくし,気きを配くばるよう指し示じされていました。(出しゅつエジプト記き 23:6。レビ記き 19:14,33,34。申しん命めい記き 22:4,10; 24:17,18)

23. 詩し編へん 119編へんを書かいた人ひとは,どういう気き持もちになりましたか。あなたはどうしたいと思おもいますか。

23 イスラエル人じんに与あたえられた律りっ法ぽうは確たしかに素す晴ばらしいものでした。詩し編へん作さく者しゃが,「私わたしはあなたの律りっ法ぽうを愛あいしてやまない!」と書かいたのもうなずけます。詩し編へん作さく者しゃは単たんに愛あいを感かんじただけでなく,律りっ法ぽうに従したがって生いきるよう努ど力りょくすることによって愛あいを表あらわしたいと思おもいました。そして,こう続つづけています。「[私わたしはあなたの律りっ法ぽうを]一いち日にち中じゅうじっくり考かんがえる」。(詩し編へん 119:11,97)この人ひとは,時じ間かんを取とってエホバの律りっ法ぽうを学まなんでいました。その結けっ果か,律りっ法ぽうを愛あいする気き持もちが強つよくなっていったに違ちがいありません。同どう時じに,律りっ法ぽうを与あたえてくださったエホバ神かみへの愛あいも深ふかまったことでしょう。あなたも,神かみの律りっ法ぽうを学まなび続つづけるなら,法ほうを定さだめる偉い大だいな方かたであり公こう正せいな神かみであるエホバとの絆きずなを強つよめることができます。

a 例たとえば,人にん間げんの排はいせつ物ぶつを埋うめること,病びょう人にんを隔かく離りすること,死し体たいに触ふれた人ひとが体からだを洗あらうことなどを求もとめる法ほうがありました。そうした法ほうは時じ代だいを何なん世せい紀きも先さき取どりしていました。(レビ記き 13:4-8。民みん数すう記き 19:11-13,17-19。申しん命めい記き 23:13,14)

b カナン人じんの神しん殿でんには性せい的てきな行こう為いをするための部へ屋やがありましたが,モーセの律りっ法ぽうによると人ひとは性せい関かん係けいによってしばらく汚けがれた人ひととなり,神しん殿でんに入はいることさえできませんでした。ですから,エホバの家いえでの崇すう拝はいの一いっ環かんとして性せい行こう為いをすることなど考かんがえられませんでした。

c 教おしえることは,律りっ法ぽうの主おもな目もく的てきの1つでした。「ユダヤ大だい百ひゃっ科か事じ典てん」(英えい語ご)によると,「律りっ法ぽう」と訳やくされているヘブライ語ご「トーラー」には「教おしえ」という意い味みがあります。

d 律りっ法ぽうの中なかで,「あなたは人ひとにするように野の原はらの木きを攻せめるべきでしょうか」と問とい掛かけられています。(申しん命めい記き 20:19)1世せい紀きのユダヤ人じん学がく者しゃフィロンはこの法ほうについて,神かみの考かんがえによれば「人ひとに対たいする怒いかりを何なんの罪つみもない物ものにぶつけるのは不ふ公こう正せいなことだ」と説せつ明めいしています。

じっくり考かんがえたいこと

  • レビ記き 19:9,10。申しん命めい記き 24:19 このような法ほうを作つくった神かみはどんな方かただと思おもいますか。

  • 詩し編へん 19:7-14 ダビデは「エホバの律りっ法ぽう」についてどう感かんじていましたか。神かみの律りっ法ぽうは私わたしたちにとってどれほど大たい切せつなものですか。

  • ミカ 6:6-8 エホバの律りっ法ぽうを重おも荷にと見みなすべきでないのはどうしてですか。

  • マタイ 23:23-39 パリサイ派はの人ひとたちは律りっ法ぽうの本ほん質しつを理り解かいしていませんでした。どうしてそのことが分わかりますか。私わたしたちはどんなことに気きを付つける必ひつ要ようがありますか。

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