エリヤがついに預言者としての任務を終える時がやってきます。どうするでしょうか。エリヤはエリシャと一緒にギルガルの町を去ろうとする時,エリシャにそこに残るよう勧め,1人で11㌔ほど離れたベテルに行こうとします。エリシャはきっぱりとこう答えます。「エホバは生きておられ,あなたの魂も生きています。私はあなたを離れません」。2人がベテルに到着すると,エリヤはエリシャに,自分は22㌔ほど離れたエリコに1人で行くと言います。エリシャはきっぱりと前と同じ返事をします。3度目にエリコでも同じようなやり取りがあった後に,2人は8㌔ほど離れたヨルダン川に向かいます。今回も,エリシャは断固としてエリヤを離れようとはしません。(列王第二 2:1-6)
エリシャは,エリヤに対して揺るぎない愛を示していました。このたいへん重要な特質は,ルツがナオミに対して示した愛と似ています。その対象に固く付き,絶対に離れない強い愛です。(ルツ 1:15,16)神の僕たちすべては今日,これまで以上にこの特質を必要としています。わたしたちは,その重要性をエリシャのようにはっきりと理解しているでしょうか。
若い仲間の揺るぎない愛を感じ,エリヤは心を打たれたことでしょう。それで,エリシャはエリヤの最後の奇跡を目撃するという機会に恵まれます。ヨルダン川は所々で流れが速く,深くなっていますが,そのほとりで,エリヤは自分の職服で水を打ちます。すると,水が2つに分かれます。「預言者の子ら五十人」もこの奇跡を見ます。その人たちは,その地で清い崇拝を率先して行なうよう訓練を受けた一団と思われます。(列王第二 2:7,8)エリヤはその訓練を監督していたようです。ほんの数年前,彼は国内に神の忠実な僕は自分しか残っていないと思っていた時がありました。しかしエホバはエリヤの忍耐に報われます。神の崇拝者たちが増加している様子をお見せになったのです。(列王第一 19:10)
ヨルダン川を渡ると,エリヤはエリシャにこう言います。「わたしがあなたから取られる前に,あなたのためにすべきことを求めなさい」。エリヤは自分の旅立ちの時が来たことを知っていました。若いエリシャが特権や名声を得るようになることを嫌がりません。むしろ,エリヤはできる限りエリシャを助けたいと思っています。エリシャは唯一,こう求めます。「どうか,あなたの霊の二つの分が私に臨みますように」。(列王第二 2:9)エリシャは,エリヤが受けていた聖霊の2倍が欲しいと言っていたのではありません。長男が受ける相続分を求めていたのです。律法では長男が家族の頭としての新しい責任をしっかり担えるよう,最も多い,つまり2倍の相続物を受けることになっていました。(申命記 21:17)エリヤの霊的な相続人として務めを果たすには,エリヤのような勇敢さが必要だということを理解していたのでしょう。
エリヤは謙遜にも,その答えをエホバの手に委ねます。神が年老いたエリヤを取り去られる時に,エリシャがその様子を見るなら,神はエリシャの願いをかなえてくださるでしょう。やがて,長年の友である2人が一緒に「歩きながら話して」いると,不思議なことが起きます!(列王第二 2:10,11)
固い友情があったので,エリヤとエリシャは,困難な時代を耐え忍べたに違いない。
空に浮かんだ不思議な光がどんどん近づいてきます。その情景をイメージしてみてください。突然暴風が起こり,すさまじい音とともに,その輝くものが2人に向かってきます。2人はびっくりして後ずさりしたのでしょう,引き離されてしまいます。それは,火のように輝く兵車でした。エリヤは別れの時が来たことを知ります。エリヤはその兵車に乗り込んだのでしょうか。聖書には何も述べられていません。いずれにせよ,暴風にさらわれ,空中を高く,高く上って行きます。
エリシャは恐れに打たれて立ち尽くします。驚嘆すべき光景を見たので,エリヤの勇気の霊の「二つの分」をエホバが確かに与えてくださるということを知ります。しかし,そのことを考えるのは悲しいことでもありました。大切な旧友がどこに行ったか分かりませんが,恐らく二度と会えないでしょう。エリシャは「我が父,我が父,イスラエルの戦車とその騎手たちよ!」と叫びます。尊敬するエリヤが遠く離れていくのを見て,悲しみのあまり衣を2つに裂きました。(列王第二 2:12)
エリヤは空に上って行きながら,若い友の悲痛な叫びを聞いて涙を流したかもしれません。きっと,そのような友がいたからこそ様々な苦境を耐え忍べたと感じていたはずです。わたしたちもエリヤの手本から教訓を得て,神を愛し,神のご意志を行なおうとしている人たちとの友情を築きましょう。