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ダリウス聖書に対する洞察,第2巻
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3. ネヘミヤ 12章22節によれば,「エルヤシブの時代に……ヨヤダ,ヨハナン,ヤドアは」レビ人の父方の家の頭として「ペルシャ人ダリウスの王の統治に至るまで」記録されたと言われています。エルヤシブはネヘミヤがエルサレムに戻った時に大祭司であり(ネヘ 3:1),ネヘミヤが同市を二度目に訪れるまでに(アルタクセルクセスの第32年[西暦前443年]の後)ヨヤダの息子は結婚していましたから(ネヘ 13:28),ここで言及されている「ダリウス」は西暦前423年から405年まで支配したダリウス・オクス(ノトスとも呼ばれた)であったと思われます。
西暦前5世紀末のものとされるエレファンティン・パピルスの一つとして見つかった手紙は,「ヨハナン」のことを当時のエルサレムの大祭司として述べています。
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エジプト,エジプト人聖書に対する洞察,第1巻
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ペルシャ人の支配下で 後にエジプトは,台頭してきた強国メディア-ペルシャに敵対してバビロンを支持しました。しかし,エジプトは西暦前525年までにはキュロス大王の子カンビュセス2世に服従させられ,こうしてペルシャ帝国の支配下に置かれました。(イザ 43:3)多くのユダヤ人が故国に戻るためにエジプトを去ったことは間違いありませんが,(イザ 11:11-16; ホセ 11:11; ゼカ 10:10,11),エジプトにとどまった人々もいました。ですから,カイロの南約690㌔の所にあるアスワン付近のナイル川の島エレファンティン(エジプト語,エブ)にはユダヤ人居留地がありました。発見された貴重なパピルス写本は,エズラやネヘミヤがエルサレムで活動していたのと大体同じ時代である西暦前5世紀ごろ,その地方に広く見られた状況を明らかにしています。アラム語で書かれたそれらの文書には,サマリアのサンバラテや(ネヘ 4:1,2),大祭司ヨハナン(ネヘ 12:22)の名前が含まれています。興味深いのは,居留民は「無酵母パンの祭り」(出 12:17; 13:3,6,7)を祝うようにという,ダリウス2世の治世中(西暦前423-405年)に出された公式の命令です。異教の崇拝が確かに浸透していたことを示す,かなり多くの証拠もあるとはいえ,エホバ(もしくは,ヤハウェ。イザ 19:18と比較)というみ名の一つの形である,ヤーフーという名がしばしば使われていたことも注目に値します。
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