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悲嘆から良き日への変化ものみの塔 1971 | 7月1日
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17 アダル13日の対型となる日はいつ到来しましたか。何が起こりましたか。
17 その時は第二次世界大戦の期間に来ました。あらゆる証拠は,神の民の敵がエホバの証人を敗北させ,かつ滅ぼすため,戦争事態とそれに伴う愛国主義,国家主義,偏見につけ込み,また一方では共産主義,他方ではナチズムであるとの偽りの告発を行なったという結論をさし示しています。モルデカイおよびエステル級と,それまでに彼らに加わりはじめた仲間たちの全世界にわたる伝道のわざを,完全に撲滅してしまうかに見える攻撃が全地に繰り広げられるにいたりました。d それは確かにわびしい悲嘆の日になりかねなかったのですが,それら忠実な神のしもべたちは手をこまねいてこうした共同一致の行為に甘んずるようなことはしませんでした。アダルの13日によって表わされたこの時期の間,エホバの証人はかつてなかったほど激しく戦いました。彼らは全世界にわたって自分たちの霊的な命を守るため霊的な戦いをし,中枢をなす本部から敵に対して組織的な戦線を張って戦いました。犠牲者も出ましたが,エホバの証人が肉的な武器を用いて戦うことはありませんでした。(コリント後 10:3,4)強制収容所においてさえエホバはご自分の証人たちの示した勇気を祝福され,その戦いの結果,僧職者が前にもまして神に敵対し,キリストの王国に敵対しているものであることを自らあらわにするのを見,キリスト教世界の中で嘆き悲しんでいる人たちにぬぐい去ることのできない印象が与えられました。e (テサロニケ後 1:4,5)心の正直な人々の目から見て僧職者が引き続き霊的に死んでいる状態は,アダル13日に殺されたハマンの10人のむすこたちの死によってよく表わされています。彼らとともに,神の敵500人がシュシャンで,領国の残り全土にわたっては7万5,000人が殺されました。アダルの14日になっても王城の所在地シュシャンでは戦いが続けられ,ユダヤ人の敵がさらに300人殺されました。一方,郊外の地域ではユダヤ人が自分たちの勝利を祝っていました。―エステル 9:1-19。
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悲嘆から良き日への変化ものみの塔 1971 | 7月1日
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19,20 最終的にどんな結果になることは確実ですか。わたしたちはその成就に,アハシュエロス王の課した「強制労働」を見ます。どのようにですか。
19 すでに古代と現代の両方の歴史的な記録の一部をなしている,エホバの救出の十分な証拠を手にしているわたしたちは,ハマン級のすべての者とその支持者たちが自分たちのまいてきたものを文字どおりに刈り取る時となる,目前に迫った「大かん難」を自信と強い期待とをもって,待ち望んでいます。それはアハシュエロス王がハマンについて宣告したとおりです。『ハマンがユダヤ人を害せんとはかりしその悪き謀計をしてハマンのかうべに帰らしめよ』。(エステル 9:25。マタイ 24:21,22,新)その時が来ると,より大いなるアハシュエロスは自分の敵すべてに文字どおり終わりをもたらし,モルデカイとエステル両級を,メシアによる王国の,彼らのために保留されている地位に高めるでしょう。―テサロニケ後 1:6-10。
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