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その信仰に倣う
イ倣 記事5
ヨブは病気になって皮膚が黒くなり,苦しんでいる。

その信仰に倣う | ヨブ

エホバはヨブの苦く痛つうを取とり除のぞく

ついに3人にんの男だん性せいは静しずかになりました。聞きこえる音おとといえば,アラビア砂さ漠ばくから吹ふいてくるそよ風かぜぐらいです。ヨブはもう話はなす言こと葉ばが出でてきません。3人にんとの長ながい話はなし合あいで疲つかれ果はてています。ヨブは,知ち人じんのエリパズ,ビルダド,ツォファルをにらみ付つけ,まだ何なにか話はなせるのかと言いわんばかりです。でも,3人にんはヨブと目めを合あわせようとしません。巧たくみな論ろん法ぽうや強つよい「風かぜのような」言こと葉ばを使つかい,痛つう烈れつな皮ひ肉にくを浴あびせても,うまくいかなかったからです。(ヨブ 16:3,脚きゃく注ちゅう)さらに何なにかを話はなせば,ヨブは忠ちゅう誠せいを貫つらぬく決けつ意いをいっそう固かためたでしょう。

ヨブは自じ分ぶんに残のこされているのは忠ちゅう誠せい心しんだけだ,と感かんじていたのかもしれません。富とみや10人にんの子こ供どもたちを奪うばわれ,友ゆう人じんや隣りん人じんからの支ささえや敬けい意い,さらには自じ分ぶんの健けん康こうまで失うしないました。皮ひ膚ふは黒くろくなってかさぶたに覆おおわれ,うじがはっています。吐はく息いきでさえ嫌いやな臭においがします。(ヨブ 7:5; 19:17; 30:30)そんな状じょう況きょうの中なかで3人にんから批ひ判はんを受うけ,激はげしい怒いかりがこみ上あげてきます。そして,自じ分ぶんは3人にんが言いうようなどうしようもない罪つみ人びとではない,と反はん論ろんします。ヨブの最さい後ごの言こと葉ばを聞きいて,3人にんは黙だまってしまいます。3人にんの矢や継つぎ早ばやな糾きゅう弾だんの言こと葉ばは収おさまりましたが,ヨブの苦く痛つうはなくなっていません。助たすけを切せつ実じつに必ひつ要ようとしていたのです。

無む理りもないことですが,ヨブは極きょく端たんな考かんがえ方かたをしていました。導みちびきや矯きょう正せいが必ひつ要ようでした。何なによりも,例れいの知ち人じんたちからは得えられなかった,慰なぐさめや励はげましを必ひつ要ようとしていました。あなたは導みちびきや慰なぐさめがとにかく欲ほしいと思おもったことがありますか。友とも達だちだと思おもっていた人ひとからがっかりさせられたことがあるでしょうか。エホバ神かみがヨブをどのように助たすけ,ヨブがそれにどのように応おうじたかを学まなぶなら,希き望ぼうを持もつことができ,問もん題だいに対たい処しょする力ちからが得えられます。

賢かしこくて親しん切せつな助じょ言げん者しゃ

ヨブの物もの語がたりは意い外がいな展てん開かいを迎むかえます。実じつはエリフという若わかい男だん性せいが近ちかくにずっといて,年ねん長ちょう者しゃたちの会かい話わを静しずかに聞きいていました。でも,エリフは話はなしの内ない容ようを快こころよく思おもいませんでした。

エリフは怒いかりに燃もえました。正ただしい人ひとヨブが感かん情じょうに任まかせて「神かみの正ただしさよりも自じ分ぶんの正ただしさを証しょう明めいしようとした」ことに心こころを痛いためていました。それでも,ヨブの気き持もちに寄より添そいます。ヨブの苦くるしみや誠せい実じつな態たい度ど,助たすけや慰なぐさめが切せつ実じつに必ひつ要ようだったことを見みて取とったのでしょう。3人にんの“友ゆう人じん”に我が慢まんできなくなったのも当とう然ぜんです。3人にんはヨブに痛つう烈れつな言こと葉ばを浴あびせ,ヨブの信しん仰こうや尊そん厳げん,忠ちゅう誠せいを奪うばおうとしました。さらには,神かみが邪じゃ悪あくだと思おもわせるような発はつ言げんもしました。エリフは居いても立たってもいられず,話はなし始はじめます。(ヨブ 32:2-4,18)

「私わたしは若わかく,皆みなさんはお年としを召めしています。それで私わたしは敬けい意いを込こめて身みを引ひき,自じ分ぶんが知しっている事ことを述のべませんでした」。エリフはもう黙だまっていられません。こう続つづけます。「ただ年としを取とれば賢かしこくなるのでも,ただ年としを重かさねれば正ただしい事ことを理り解かいするのでもありません」。(ヨブ 32:6,9)そして,この点てんを裏うら付づける長ながい話はなしをします。エリフの話はなしの切きり口くちは,エリパズ,ビルダド,ツォファルがした話はなしとは大おおきく異ことなっています。エリフはヨブを安あん心しんさせるため,けなしたり,プレッシャーを加くわえたりはしないと述のべます。また,名な前まえで呼よび掛かけ,あざけりを受うけたヨブに理り解かいを示しめします。a 敬けい意いを込こめて「ヨブ,私わたしの言こと葉ばを聞きいてください」と語かたり掛かけます。(ヨブ 33:1,7; 34:7)

エリフは親切と敬意を示しながら,ヨブに話している。3人の偽りの友人たちは後ろの方で座っている。

エリフはヨブに名な前まえで呼よび掛かけ,親しん切せつや敬けい意いを示しめした。

エリフははっきりとこう言いいます。「あなたの言こと葉ばが私わたしの耳みみに入はいりました。……『私わたしは清きよく,違い反はんがない。私わたしは清きよく,過あやまちがない。それなのに神かみは,私わたしに敵てき対たいする理り由ゆうを見みつけ[る]』」。エリフは問もん題だいの核かく心しんを突ついて,こう尋たずねます。「あなたは『私わたしは神かみよりも正ただしい』と言いいました。それほどまでに自じ分ぶんが正ただしいと確かく信しんしているのですか」。ヨブのこのような発はつ言げんを見み過すごすことができず,「あなたがそう言いったのは正ただしくありません」と言いいます。(ヨブ 33:8-12; 35:2)ヨブは多おおくのものを失うしなったことや,3人にんの“友ゆう人じん”に苦くるしめられたことに憤いきどおっていました。エリフはそれを知しっていましたが,「憤いきどおりのままに恨うらみを抱いだくことがないよう気きを付つけてください」と言いいます。(ヨブ 36:18)

エリフはエホバの親しん切せつを際きわ立だたせる

エリフは何なによりもエホバ神かみを擁よう護ごするため,簡かん潔けつながらも重じゅう要ような真しん理りを力ちから強づよく伝つたえます。「真しんの神かみが悪あくを行おこなったり,全ぜん能のう者しゃが不ふ正せいを行おこなったりすることなどあり得えません! ……全ぜん能のう者しゃは絶ぜっ対たいに公こう正せいを曲まげません」。(ヨブ 34:10,12)エホバは公こう正せいで憐あわれみ深ぶかい方かたなので,軽けい率そつで不ふ敬けいな発はつ言げんをしたヨブをあえて処しょ罰ばつしなかった,とエリフは述のべます。(ヨブ 35:13-15)エホバについて何なんでも知しっているというふりをせず,謙けん遜そんに「神かみの偉い大だいさは私わたしたちの理り解かいをはるかに超こえています」と言いいます。(ヨブ 36:26)

エリフははっきりと助じょ言げんしましたが,親しん切せつでした。エホバがやがてヨブの健けん康こうを回かい復ふくさせてくださるという明あかるい希き望ぼうを語かたります。神かみは自じ分ぶんに尽つくす人ひとについて,「彼かれの肉にく体たいを若わかい頃ころよりも元げん気きにし,彼かれを活かつ力りょくにあふれた若わかい日ひ々びに戻もどそう」と述のべています。エリフは別べつの面めんでも親しん切せつでした。一いっ方ぽう的てきに説せっ教きょうをするのではなく,ヨブ自じ身しんが話はなせるように優やさしく促うながし,こう言いいます。「話はなしてください。あなたの正ただしさを証しょう明めいしたいのです」。(ヨブ 33:25,32)でも,ヨブは答こたえません。親しん切せつで励はげみのある言こと葉ばを掛かけられたので,弁べん明めいしなくても大だい丈じょう夫ぶだと感かんじたのでしょう。エリフが自じ分ぶんのことを本ほん当とうに気き遣づかってくれているのが分わかり,泣ないていたのかもしれません。

この忠ちゅう実じつな2人ふたりから,たくさんのことを学まなべます。エリフからは,苦くるしんでいる人ひとにどのように助じょ言げんし,慰なぐさめることができるかを学まなべます。本ほん当とうの友ともは,重じゅう大だいな過あやまちや危き険けんな行こう動どうについて恐おそれずに指し摘てきしてくれます。(格かく言げん 27:6)そのような友ともになりましょう。相あい手てが感かん情じょう的てきになって何なにかひどいことを言いうとしても,親しん切せつに接せっし,励はげまし続つづけましょう。ヨブのように助じょ言げんを受うける場ば合あいには,それを退しりぞけたりせず,謙けん遜そんに聞ききましょう。助じょ言げんや矯きょう正せいの要いらない人ひとはいません。それを受うけ入いれるなら,自じ分ぶんの命いのちを救すくうことになります。(格かく言げん 4:13)

「暴ぼう風ふうの中なかから」

エリフは,風かぜや雲くも,雷かみなりや稲いな妻ずまについて何なん度ども述のべています。そして,「とどろく神かみの声こえをよく聞きいてください」と言いい,「暴ぼう風ふう」にも言げん及きゅうします。(ヨブ 37:2,9)エリフが話はなしているうちに,風かぜが徐じょ々じょに激はげしくなり,嵐あらしになっていきます。やがて大だい暴ぼう風ふうになり,驚おどろくようなことが起おきます。エホバの声こえがします! (ヨブ 38:1)

宇う宙ちゅうを創そう造ぞうした方かたから自し然ぜん界かいの講こう義ぎを受うけられるのは本ほん当とうに光こう栄えいなこと。

ヨブ記きを読よんで,エホバがヨブに語かたる壮そう大だいな章しょうまで来くると,本ほん当とうに感かん動どうします。暴ぼう風ふうのように力ちから強づよい真しん実じつの言こと葉ばが,エリパズ,ビルダド,ツォファルの語かたった無む意い味みな話はなし,偽いつわりの言こと葉ば全すべてを吹ふき飛とばすかのようです。エホバはしばらくの間あいだ,この3人にんには何なにも話はなし掛かけません。ヨブだけに注ちゅう意いを向むけます。エホバは息子むすこを正ただす父ちち親おやのように,毅き然ぜんとした態たい度どで愛あいするヨブに語かたり掛かけます。

エホバはヨブの苦く痛つうを理り解かいしていました。そして,かわいそうだと思おもいました。エホバは自じ分ぶんの大たい切せつな子こ供どもたちが苦くるしむ時ときには,いつでもそのように思おもってくださいます。(イザヤ 63:9。ゼカリヤ 2:8)とはいえ,ヨブが「知しらないのに言こと葉ばを発はっし」,問もん題だいを悪あっ化かさせていることも知しっていました。それで,ヨブを正ただすために次つぎのように問とい掛かけます。「私わたしが大だい地ちを据すえた時とき,あなたはどこにいたのか。教おしえてほしい。もし理り解かいしていると言いうのなら」。「明あけの星ほし」である神かみの天てん使したちは,創そう造ぞうの際さいに称しょう賛さんの叫さけび声ごえを上あげました。(ヨブ 38:2,4,7)ヨブはこうしたことを何なにも知しりませんでした。

暴風が吹く中,ヨブは天を見上げ,エホバの言うことに耳を傾けている。

エホバは暴ぼう風ふうの中なかから語かたり掛かけ,愛あい情じょう深ぶかくヨブの考かんがえ方かたを正ただした。

エホバは創そう造ぞうについて話はなし始はじめます。いわば自し然ぜん科か学がくを巡めぐる旅たびにヨブを連つれていき,天てん文もん学がく,生せい物ぶつ学がく,地ち質しつ学がく,物ぶつ理り学がくなどの分ぶん野やに触ふれます。さらに,当とう時じヨブが住すんでいた場ば所しょにいたたくさんの動どう物ぶつについて解かい説せつします。その中なかには,ライオン,ワタリガラス,山やまヤギ,野のロバ,野や牛ぎゅう,ダチョウ,馬うま,ハヤブサ,ワシ,ベヘモト(恐おそらくカバ),レビヤタン(恐おそらくワニ)などがいます。宇う宙ちゅうを創そう造ぞうした方かたから自し然ぜん界かいの講こう義ぎを受うけられるのは本ほん当とうに光こう栄えいなことです。b

謙けん遜そんさと愛あいについて教おしえる

話はなしの要よう点てんは何なんでしょうか。ヨブはもっと謙けん遜そんになる必ひつ要ようがある,ということです。ヨブはエホバのせいでひどい目めに遭あっていると言いいましたが,それはいっそう自じ分ぶんを苦くるしめ,愛あい情じょう深ぶかい父ちちエホバから自じ分ぶんを引ひき離はなすだけでした。それでエホバは何なん度どもヨブに,こうした素す晴ばらしいものが存そん在ざいするようになった時ときあなたはどこにいたのか,あなたは私わたしが造つくった動どう物ぶつを養やしない,従したがわせることができるのか,と問とい掛かけます。創そう造ぞうされたものを従したがわせることができないのであれば,どうして創そう造ぞうした方かたに偉えらそうなことを言いえるでしょうか。ヨブの狭せまい見み方かたよりも,エホバの方ほう法ほうや考かんがえ方かたの方ほうがはるかに優すぐれていないでしょうか。

ヨブはエホバと言いい争あらそったり,自じ己こ弁べん護ごしたり,言いい訳わけしたりはしなかった。

エホバの発はつ言げん全すべてに,ヨブへの深ふかい愛あいが込こめられています。こう訴うったえているかのようです。「息子むすこよ,私わたしはこれら全すべてのものを創そう造ぞうし,世せ話わしている。それなのに,私わたしがあなたを助たすけられないと本ほん当とうに思おもっているのか。あなたを見み捨すてたり,平へい和わな暮くらしや子こ供どもたち,健けん康こうを奪うばったりするだろうか。私わたしこそ,あなたが失うしなったものを取とり戻もどし,つらい痛いたみを癒いやせるのではないか」。

エホバの考かんがえさせる問とい掛かけに,ヨブは2回かいしか答こたえません。言いい争あらそったり,自じ己こ弁べん護ごしたり,言いい訳わけしたりはしません。ほとんど何なにも知しらなかったことを正しょう直じきに認みとめ,軽けい率そつに話はなしたことを悔くい改あらためます。(ヨブ 40:4,5; 42:1-6)ここにヨブの信しん仰こうの強つよさが表あらわれています。さまざまな苦くるしみに遭あいながらも,信しん仰こうが揺ゆらぐことはなかったのです。ヨブはエホバの矯きょう正せいを受うけ入いれ,心こころに留とめました。私わたしたちも次つぎの点てんを真しん剣けんに考かんがえたいと思おもいます。「私わたしは矯きょう正せいや助じょ言げんを受うけたとき,謙けん遜そんに受うけ入いれるだろうか」。そのような矯きょう正せいは誰だれにとっても必ひつ要ようです。それを受うけ入いれるなら,ヨブの信しん仰こうに倣ならっていることになります。

「私わたしについて真しん実じつを語かたらなかった」

エホバは今いま,ヨブの苦く痛つうを和やわらげるために行こう動どうします。3人にんの“友ゆう人じん”の中なかで恐おそらく最さい年ねん長ちょうだったエリパズに対たいし,こう言いいます。「私わたしの怒いかりは,あなたとあなたの2人ふたりの友ゆう人じんに対たいして燃もえている。あなたたちは,私わたしに仕つかえるヨブとは異ことなり,私わたしについて真しん実じつを語かたらなかった」。(ヨブ 42:7)この発はつ言げんについて考かんがえてみてください。エホバは,3人にんの言いったことは全ぜん部ぶ間ま違ちがいだとか,ヨブの発はつ言げん全すべてが正ただしかった,と言いっていたのでしょうか。いいえ。c それでも,ヨブと,ヨブをとがめた3人にんとの間あいだには大おおきな違ちがいがあります。ヨブは心こころが折おれて悲かなしみに暮くれ,不ふ当とうな批ひ判はんを浴あびせられました。時とき々どき軽けい率そつに発はつ言げんしてしまったのも無む理りはありません。一いっ方ぽう,エリパズとほかの2人ふたりはヨブのような苦く痛つうを味あじわっていませんでした。それなのに,信しん仰こうが弱よわく,傲ごう慢まんな態たい度どで悪あく意いのある発はつ言げんをしました。無む実じつなヨブを非ひ難なんしただけでなく,エホバが厳きびしくて邪じゃ悪あくな神かみだというレッテルを貼はることさえしました。

エホバが代だい償しょうを支し払はらうよう3人にんに求もとめたのも当とう然ぜんです。7頭とうの雄お牛うしと7匹ひきの雄お羊ひつじを捧ささげるという大おおきな犠ぎ牲せいが求もとめられました。後のちにモーセの律りっ法ぽうは,大だい祭さい司しが罪つみを犯おかし,国こく民みん全ぜん体たいにも罪つみがあると見みなされた場ば合あいに,雄お牛うしの犠ぎ牲せいを捧ささげることを規き定ていしました。(レビ 4:3)これは律りっ法ぽうの中なかで一いち番ばん高こう価かな動どう物ぶつの犠ぎ牲せいでした。エホバは,まずヨブが3人にんのために祈いのってからでなければ3人にんの捧ささげ物ものを受うけ入いれない,と言いいます。d (ヨブ 42:8)ヨブは神かみが擁よう護ごしてくれたこと,エホバが物もの事ごとを公こう正せいに扱あつかってくださることを見みて,本ほん当とうに救すくわれたでしょう。

「私わたしに仕つかえるヨブがあなたたちのために祈いのる」。 ヨブ 42:8

エホバは,ヨブが言いわれたことを実じっ行こうし,自じ分ぶんを深ふかく傷きずつけた人ひとたちをきっと許ゆるしてくれると確かく信しんしていました。ヨブはその信しん頼らいに応こたえます。(ヨブ 42:9)従じゅう順じゅんに行こう動どうしたことは,ヨブの忠ちゅう誠せい心しんの紛まぎれもない証しょう拠こです。口くちで言いうことよりもはるかに説せっ得とく力りょくがあります。従じゅう順じゅんな行こう動どうにより,ヨブは人じん生せい最さい高こうの祝しゅく福ふくを経けい験けんすることになります。

「優やさしい愛あい情じょうにあふれ[る]」

「エホバは優やさしい愛あい情じょうにあふれ,憐あわれみ深ぶかい方かた」です。(ヤコブ 5:11)エホバはヨブの健けん康こうを回かい復ふくさせました。エリフが予よ告こくした通とおり,ヨブは肉にく体たいが「若わかい頃ころよりも元げん気きに」なるのを感かんじた時とき,どんな思おもいだったでしょう。ついに親しん族ぞくや友ゆう人じんが周まわりに集あつまってきて,ヨブに同どう情じょうし,贈おくり物ものを差さし出だしました。エホバはヨブが以い前ぜんに持もっていた物ものを2倍ばいにして,富とみを与あたえました。とりわけヨブが深ふかく心こころを痛いためた,子こ供どもたちの死しについてはどうなりましたか。ヨブと妻つまは再ふたたび10人にんの子こ供どもの親おやになることができ,いくらか慰なぐさめられたでしょう。エホバの奇き跡せきにより,ヨブの寿じゅ命みょうは延のびました。ヨブはさらに140年ねん生いき,4世せ代だいにわたる繁はん栄えいを見みました。「ヨブは長なが生いきして充じゅう実じつした日ひ々びを送おくり,やがて生しょう涯がいを終おえた」とあります。(ヨブ 42:10-17)ヨブと最さい愛あいの妻つまは,サタンに奪うばわれた10人にんの子こ供どもたちと楽らく園えんで再さい会かいし,家か族ぞくが一ひとつになることでしょう。(ヨハネ 5:28,29)

なぜエホバはこれほど豊ゆたかな祝しゅく福ふくを与あたえたのでしょうか。「皆みなさんはヨブの忍にん耐たいについて聞きき」ました,と聖せい書しょは答こたえています。(ヤコブ 5:11)ヨブは,私わたしたちが想そう像ぞうもできないほど多おおくの困こん難なんに耐たえました。「忍にん耐たい」という語ごは,ヨブがそうした試し練れんを生いき延のびた以い上じょうのことを伝つたえています。ヨブはエホバへの強つよい信しん仰こうと愛あいを保たもちつつ,忍にん耐たいしました。故こ意いに自じ分ぶんを傷きずつけた人ひとたちに怒いかりや恨うらみを持もつのではなく,進すすんで許ゆるしました。希き望ぼうを決けっして失うしなわず,忠ちゅう誠せいを貫つらぬきました。(ヨブ 27:5)

私わたしたちは皆みな,忍にん耐たいする必ひつ要ようがあります。サタンはヨブの時ときと同どう様よう,私わたしたちを落らく胆たんさせようとするでしょう。でも,信しん仰こうを持もって忍にん耐たいし,謙けん遜そんであり続つづけ,進すすんで人ひとを許ゆるし,忠ちゅう誠せいを貫つらぬく決けつ意いをするなら,希き望ぼうを失うしなうことは決けっしてありません。(ヘブライ 10:36)ヨブの信しん仰こうにぜひとも倣ならいましょう。そうするなら,サタンは非ひ常じょうに腹はらを立たてますが,愛あい情じょう深ぶかいエホバは心こころから喜よろこんでくださいます。

a エリパズ,ビルダド,ツォファルは,聖せい書しょの9つの章しょうに上のぼるほど多おおくの言こと葉ばを語かたりました。しかし,ヨブを名な前まえで呼よんだ箇か所しょは一ひとつもありません。

b ある箇か所しょでエホバは,具ぐ体たい的てきで現げん実じつに沿そった描びょう写しゃから,より詩し的てきで比ひ喩ゆ的てきな表ひょう現げんに切きり替かえています。(例たとえば,ヨブ 41:1,7,8,19-21をご覧らんください。)いずれの場ば合あいもエホバの意い図とは,ヨブが創そう造ぞう者しゃに深ふかい敬けい意いを持もつよう助たすけることでした。

c 後のちに使し徒とパウロは,エリパズの言こと葉ばを真しん実じつなものとして引いん用ようしました。(ヨブ 5:13。コリント第だい一いち 3:19)エリパズは真しん理りを語かたりましたが,間ま違ちがった仕し方かたでヨブに当あてはめました。

d ヨブは妻つまのために同おなじような犠ぎ牲せいを捧ささげることを求もとめられませんでした。

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