ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • イ倣 記事4
  • 「私は死ぬまで忠誠を貫く!」

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 「私は死ぬまで忠誠を貫く!」
  • その信仰に倣う
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • ヨブが知らなかったこと
  • 「彼はきっと……あなたを侮辱します」
  • 慰めにならなかった
  • 忠誠心が攻撃される!
  • 忠誠を貫く
  • ヨブの信仰に倣う
  • ヨブの忠誠 ― ひときわ注目に値するのはなぜか
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1986
  • ヨブはエホバの名を尊んだ
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 2009
  • ヨブは忍耐しました ― わたしたちも忍耐できます!
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1994
  • 聖書の18番目の書 ― ヨブ記
    『聖書全体は神の霊感を受けたもので,有益です』
もっと見る
その信仰に倣う
イ倣 記事4
腫れ物に覆われたヨブはつえをつかんで天を見上げている。

その信仰に倣う | ヨブ

「私わたしは死しぬまで忠ちゅう誠せいを貫つらぬく!」

男だん性せいがぽつんと地じ面めんに座すわっているところを想そう像ぞうしてください。頭あたまから爪つま先さきまで,痛いたみの伴ともなう腫はれ物もの(潰かい瘍よう)に覆おおわれています。うなだれて肩かたを落おとし,飛とび回まわるハエを追おい払はらう気き力りょくもありません。悲かなしみを表あらわすために灰はいの中なかに座すわり,皮ひ膚ふにできた腫はれ物ものを土ど器きのかけらでかくことしかできません。多おおくの物ものを失うしない,落おちぶれてしまいました。友ゆう人じんや近きん所じょの人ひとや親しん戚せきに見み捨すてられ,幼おさない子こ供どもたちにもばかにされます。自じ分ぶんの神かみにまで見み捨すてられたと考かんがえますが,それは間ま違ちがっていました。(ヨブ 2:8; 19:18,22)

この男だん性せいはヨブです。エホバ神かみはヨブについてこう言いいました。「地ち上じょうに彼かれのような人ひとはほかにいない」。(ヨブ 1:8)何なん世せい紀きも後のちに,エホバは正ただしいことを行おこなった立りっ派ぱな人ひとたちの中なかにヨブを挙あげました。(エゼキエル 14:14,20)

あなたは今いまつらいことや不ふ幸こうを経けい験けんしていますか。ヨブの物もの語がたりを読よむと,本ほん当とうに慰なぐさめられます。また,神かみに忠ちゅう実じつに仕つかえる人ひとたち全すべてに必ひつ要ようなもの,つまり忠ちゅう誠せいについていっそう理り解かいできます。忠ちゅう誠せいを尽つくす人ひとは神かみへの奉ほう仕しに全まったく専せん心しんしていて,逆ぎゃっ境きょうに立たたされても神かみの望のぞむことを行おこない続つづけます。ヨブからさらに何なにを学まなべるでしょうか。

ヨブが知しらなかったこと

ヨブの生しょう涯がいについて記き録ろくしたのはモーセです。ヨブの死し後ごしばらくして書かいたようです。神かみの聖せいなる力ちからに導みちびかれたモーセは,ヨブが経けい験けんした事こと柄がらだけでなく,天てんで起おきた出で来き事ごとについても明あきらかにしています。

ヨブ記きは,ヨブが充じゅう実じつした幸しあわせな日ひ々びを過すごしているところから始はじまります。ヨブはアラビア北ほく部ぶにあったと思おもわれるウツに住すんでいます。裕ゆう福ふくで,広ひろく知しられていて,尊そん敬けいされています。貧まずしい人ひとに物ものを快こころよく分わけ与あたえ,社しゃ会かい的てき弱じゃく者しゃを助たすけています。10人にんの子こ供どもにも恵めぐまれました。何なによりも,神かみに導みちびきを求もとめる人ひとでした。遠とおい親しん戚せきのアブラハム,イサク,ヤコブ,ヨセフのように,エホバが喜よろこぶことをしたいと思おもっています。これら族ぞく長ちょうたちと同おなじく,家か族ぞくのために祭さい司しとして奉ほう仕しし,いつも子こ供どもたちのために動どう物ぶつの犠ぎ牲せいを捧ささげています。(ヨブ 1:1-5; 31:16-22)

ここで場ば面めんが天てんに切きり替かわり,私わたしたちはヨブが知しらなかった天てんでの出で来き事ごとについて学まなべます。エホバに忠ちゅう実じつに仕つかえる天てん使したちが集あつまり,反はん逆ぎゃくした天てん使しサタンも登とう場じょうします。サタンにとって正ただしい人ひとヨブは目め障ざわりな存そん在ざいでした。それに気き付づいていたエホバは,ヨブの揺ゆるぎない忠ちゅう誠せい心しんに注ちゅう目もくさせます。サタンは厚あつかましくもこう反はん論ろんします。「ヨブは本ほん当とうに純じゅん粋すいな気き持もちで神かみを畏おそれているのでしょうか。彼かれも家か族ぞくも全すべての持もち物ものも,あなたが柵さくで囲かこんで守まもったのではありませんか」。サタンは忠ちゅう誠せいを尽つくす人ひとを憎にくんでいます。人ひとがエホバ神かみへの揺ゆるぎない専せん心しんを示しめすとき,自じ分ぶんが冷れい酷こくな裏うら切ぎり者ものだと暴あばかれてしまうからです。それでサタンは,ヨブは都つ合ごうのいいときだけ神かみに仕つかえていると主しゅ張ちょうします。もしヨブが全すべてのものを失うしなうなら,面めんと向むかってあなたを侮ぶ辱じょくする,と言いったのです! (ヨブ 1:6-11)

そうしたやり取とりをヨブは知しりませんでしたが,エホバはヨブに大おおきな信しん頼らいを寄よせ,サタンのうそを証しょう明めいする機き会かいを与あたえます。サタンにはヨブが持もつもの全すべてを奪うばうことが許ゆるされます。ただし,ヨブ自じ身しんに手てを出だしてはなりませんでした。サタンは容よう赦しゃなくヨブを痛いためつけます。1日にちのうちに,ヨブの身みに悲ひ惨さんな出で来き事ごとが嵐あらしのように降ふり掛かかります。突とつ然ぜん,自じ分ぶんの家か畜ちくが全ぜん滅めつしたという知しらせが届とどきます。牛うしとロバ,羊ひつじ,ラクダが相あい次ついで殺ころされたのです。家か畜ちくを世せ話わする召めし使つかいたちも殺ころされます。その一いち部ぶは「神かみの火ひ」に襲おそわれたと知しらされますが,これは稲いな妻ずまだったのかもしれません。家か畜ちくや召めし使つかいを失うしなったことを悲かなしむ間まもなく,さらにつらい出で来き事ごとが起おきます。10人にんの子こ供どもたちが長ちょう男なんの家いえに集あつまっていた時とき,強きょう風ふうが吹ふき付つけて家いえが倒とう壊かいし,子こ供どもたち全ぜん員いんが死しんでしまったのです! (ヨブ 1:12-19)

この時とき,ヨブはどんな気き持もちだったでしょう。ヨブは衣い服ふくを引ひき裂さき,髪かみを切きり落おとし,地じ面めんに座すわり込こみます。神かみが与あたえ,神かみが取とり去さったのだと考かんがえます。ずる賢がしこいサタンは,災さい難なんを招まねいたのは神かみであるかのように見みせ掛かけます。しかしサタンの予よ告こくに反はんして,ヨブは神かみを侮ぶ辱じょくしたりせず,こう言いいます。「エホバの名なが引ひき続つづき賛さん美びされますように」。(ヨブ 1:20-22)

ヨブは妻や子供たちと幸せに生活している。サタンが天での忠実な天使たちの集まりに来る。

ヨブは,サタンが神かみの前まえで自じ分ぶんを中ちゅう傷しょうしていることを知しらなかった。

「彼かれはきっと……あなたを侮ぶ辱じょくします」

サタンは激げき怒どし,諦あきらめません。天てん使したちが集あつまっている時ときに,再ふたたびエホバの前まえに出でます。エホバは今こん回かいもヨブの忠ちゅう誠せい心しんを褒ほめます。ヨブが度たび重かさなる攻こう撃げきに面めんしても忠ちゅう誠せいを貫つらぬいているからです。いら立だったサタンは次つぎのように口くち答ごたえします。「誰だれでも自じ分ぶんの身みが一いち番ばんです。人ひとは自じ分ぶんの命いのちを守まもるために,自じ分ぶんが持もつもの全すべてを差さし出だします。試ためしに,あなたの手てを出だして,彼かれの体からだに傷きずを負おわせてください。彼かれはきっと面めんと向むかってあなたを侮ぶ辱じょくします」。ヨブが重おもい病びょう気きになれば神かみを侮ぶ辱じょくするはずだと考かんがえています。ヨブを全ぜん面めん的てきに信しん頼らいしているエホバは,サタンが病びょう気きを引ひき起おこすことを許ゆるします。しかし,ヨブを殺ころしてはなりませんでした。(ヨブ 2:1-6)

間まもなく,ヨブは冒ぼう頭とうで述のべた悲ひ惨さんな状じょう態たいに陥おちいります。ヨブの妻つまはどれほど悲かなしんだでしょう。10人にんの子こ供どもを亡なくした上うえ,夫おっとがひどく苦くるしんでいます! 彼かの女じょはなすすべもなく見みていることしかできません。苦く悩のうのあまり,「こうなってもまだ神かみに忠ちゅう誠せいを尽つくそうとするの? 神かみを侮ぶ辱じょくして死しんでしまいなさい!」と叫さけびます。ヨブのよく知しっている,愛あいする妻つまとは思おもえない発はつ言げんです。ヨブは,まるで正しょう気きを失うしなった人ひとのようだ,としか返かえせません。それでも,神かみを侮ぶ辱じょくしませんでした。言こと葉ばで罪つみを犯おかすことはなかったのです。(ヨブ 2:7-10)

この悲かなしい実じつ話わはあなたにも関かん係けいがあります。サタンがヨブだけでなく,人じん類るい一いっ般ぱんのことも中ちゅう傷しょうしていたことに注ちゅう目もくしてください。サタンは「人ひとは自じ分ぶんの命いのちを守まもるために,自じ分ぶんが持もつもの全すべてを差さし出だします」と言いいました。忠ちゅう誠せいを貫つらぬく人ひとは誰だれもいないと思おもっています! あなたは本ほん当とうは神かみを愛あいしていない,自じ分ぶんの身みが危あやうくなればすぐに神かみを捨すてる,と主しゅ張ちょうしているのです。いわば「あなたも私わたしと同おなじだ」と言いっています。サタンのうそを暴あばきたいと思おもいませんか。私わたしたちにはそうする機き会かいがあります。(格かく言げん 27:11)ヨブが次つぎにどんな問もん題だいに直ちょく面めんしたかを見みてみましょう。

慰なぐさめにならなかった

3人にんの男だん性せいがヨブの苦く難なんを聞きき,慰なぐさめようとしてやって来きます。聖せい書しょは彼かれらをヨブの友ゆう人じん,または知ち人じんと呼よんでいます。ヨブは遠とお目めでは本ほん人にんとは分わからないほど,変かわり果はてています。ひどい痛いたみに苦くるしみ,病びょう気きのせいで皮ひ膚ふが黒くろずみ,過か去この面おも影かげはありません。友ゆう人じんのエリパズ,ビルダド,ツォファルは声こえを上あげて泣なき,頭ず上じょうに土つちを放ほうり上あげることで,悲かなしみを大おおげさに表あらわします。それからヨブのそばに座すわりますが,一ひと言ことも発はっしません。丸まる1週しゅう間かん,昼ひるも夜よるも黙だまって座すわっています。慰なぐさめるために黙だまっていたのではありません。ヨブの状じょう況きょうに無む関かん心しんで,何なにも尋たずねたりしません。3人にんはヨブがつらそうなことに気き付づいてはいましたが,それは誰だれが見みても分わかることでした。(ヨブ 2:11-13; 30:30)

ついにヨブが話はなし始はじめます。苦くるしみにあふれた言こと葉ばで話はなし,自じ分ぶんが生うまれた日ひを悪わるく言いいます。そして苦くるしんでいる理り由ゆうを明あかします。神かみのせいで問もん題だいに遭あっていると考かんがえているのです! (ヨブ 3:1,2,23)固かたい信しん仰こうを持もっていましたが,慰なぐさめを切せつ実じつに必ひつ要ようとしていました。例れいの3人にんが話はなし始はじめますが,黙だまってくれていた方ほうがましだったとヨブは思おもいます。(ヨブ 13:5)

まずエリパズが話はなします。ヨブよりもずっと年とし上うえで,3人にんの中なかでも一いち番ばん年とし上うえだったと思おもわれます。ほかの2人ふたりがその後あとに続つづきます。彼かれらはエリパズが話はなした内ない容ようを単たん純じゅんに繰くり返かえしていたようです。3人にんの発はつ言げんの幾いくつかはもっともらしく聞きこえます。神かみは高たかい存そん在ざいで悪あく人にんを処しょ罰ばつし,善ぜん人にんに報むくいてくださるなどと述のべているからです。しかし,彼かれらの発はつ言げんには初はじめから悪あく意いがありました。エリパズは単たん純じゅん明めい快かいな論ろん理りを展てん開かいします。神かみは善よい方かたで悪あく人にんを処しょ罰ばつする,そしてヨブが処しょ罰ばつされていることは明あきらかだ,では何なにが分わかるか,ヨブに落おち度どがあったのではないか,と論ろんじたのです。(ヨブ 4:1,7,8; 5:3-6)

当とう然ぜんのことですが,ヨブはその論ろん法ぽうに強つよく抵てい抗こうします。(ヨブ 6:25)しかし3人にんは,ヨブは何なにかの罪つみを隠いん蔽ぺいしているに違ちがいない,何なにか悪わるいことをしたのでひどい目めに遭あっているのだ,と信しんじ込こむ一いっ方ぽうです。エリパズは,ヨブが悪あく人にんで,思おもい上あがっていて,神かみを畏おそれていないと非ひ難なんします。(ヨブ 15:4,7-9,20-24; 22:6-11)ツォファルは,悪わるいことをするのはやめて罪つみを悔くい改あらためなさい,と言いいます。(ヨブ 11:2,3,14; 20:5,12,13)ビルダドの発はつ言げんはもっと辛しん辣らつです。ヨブの息子むすこたちは何なんらかの罪つみを犯おかしたので死しんだのではないか,と言いったのです! (ヨブ 8:4,13)

ヨブはエリパズ,ビルダド,ツォファルが言ったことを受け入れない。エリフが遠くから見ている。

ヨブの3人にんの友ゆう人じんはヨブを慰なぐさめるどころか,もっと苦くるしめた。

忠ちゅう誠せい心しんが攻こう撃げきされる!

思おもい違ちがいをした3人にんはさらにひどいことをします。彼かれらはヨブの忠ちゅう誠せい心しんだけでなく,忠ちゅう誠せいという考かんがえ自じ体たいに疑ぎ問もんを投なげ掛かけたのです! エリパズは,ぞっとするような体たい験けんを語かたり始はじめます。見みえない“何なにか”に遭そう遇ぐうしてしまい,「神かみはご自じ分ぶんに仕つかえる人ひとのことを信しんじていない。ご自じ分ぶんの天てん使しをとがめる」と結けつ論ろんします。この考かんがえ方かたは極きわめて危き険けんです。これが本ほん当とうなら,単たんなる人にん間げんが神かみを喜よろこばせることはできません! 後のちにビルダドは,人ひとはうじのようだ,忠ちゅう誠せいを尽つくしたところで神かみに何なんの得とくがある,と言いい放はなちます。(ヨブ 4:12-18; 15:15; 22:2,3; 25:4-6)

あなたはひどく苦くるしんでいる人ひとを励はげましたことがありますか。それは簡かん単たんなことではありません。私わたしたちはヨブの厄やっ介かいな知ち人じんたちからたくさんの教きょう訓くんを学まなべます。何なにを言いうべきでないか,という教きょう訓くんです。彼かれらはもっともらしい言こと葉ばと根こん拠きょのない論ろん理りを繰くり返かえし,誰だれもヨブを名な前まえで呼よびませんでした。ヨブの傷きずついた心こころを思おもいやらず,優やさしく接せっする気きもありませんでした。a もしあなたの大たい切せつな人ひとが気き落おちしているなら,その人ひとの気き持もちに寄より添そい,優やさしく穏おだやかに接せっするようにしましょう。信しん仰こうを強つよめて勇ゆう気きを持もてるように励はげまし,親しん切せつや憐あわれみや公こう正せいを必かならず示しめしてくださる神かみを信しん頼らいするよう助たすけましょう。ヨブが逆ぎゃくの立たち場ばだったら,きっとそうしたはずです。(ヨブ 16:4,5)3人にんは絶たえずヨブの忠ちゅう誠せい心しんを攻こう撃げきしました。ヨブはどう反はん応のうしましたか。

忠ちゅう誠せいを貫つらぬく

この長ながい議ぎ論ろんが始はじまる前まえからヨブはずっと苦くるしんでいました。話はなしの冒ぼう頭とうで,自じ分ぶんの「言こと葉ばが過すぎ」,「絶ぜつ望ぼうした人ひと」のように話はなしてしまったことを認みとめます。(ヨブ 6:3,26)深ふかい悲かなしみがヨブの言こと葉ばに表あらわれています。自じ分ぶんの置おかれた状じょう況きょうも十じゅう分ぶんに把は握あくしていません。自じ分ぶんと家か族ぞくの身みに不ふ幸こうが突とつ然ぜん降ふり掛かかり,それが超ちょう自し然ぜんの現げん象しょうにも思おもえたので,問もん題だいを引ひき起おこしているのはエホバだと考かんがえます。ヨブは重じゅう要ような出で来き事ごとが関かん係けいしていたことを知しらなかったため,間ま違ちがった推すい論ろんをしていました。

それでもヨブは固かたい信しん仰こうを持もつ人ひとでした。長ながい議ぎ論ろんの際さいに語かたったヨブの発はつ言げんには信しん仰こうが表あらわれていて,真しん実じつで美うつくしいその発はつ言げんは私わたしたちの励はげみになります。神かみの導みちびきを受うけたヨブは,創そう造ぞう物ぶつの素す晴ばらしさについて語かたり,神かみをたたえました。例たとえば,エホバは「地ち球きゅうを空くう間かんに浮うかせている」と述のべています。この事じ実じつを科か学がく者しゃたちが知しったのは何なん世せい紀きも後あとになってからです。b (ヨブ 26:7)また,将しょう来らいの希き望ぼうについて語かたった時とき,大おおきな信しん仰こうを抱いだいていた他たの人ひと々びとと同どう様ようの確かく信しんを言いい表あらわしました。たとえ死しんでも,神かみがヨブを忘わすれることはなく,また会あいたいと願ねがって生いき返かえらせてくださることを信しんじていました。(ヨブ 14:13-15。ヘブライ 11:17-19,35)

忠ちゅう誠せいの問もん題だいはどうなりましたか。例れいの3人にんは,人ひとが忠ちゅう誠せいを尽つくしても神かみにとっては無む意い味みだと主しゅ張ちょうしていました。ヨブはこの悪あく質しつな発はつ言げんを受うけ入いれたりはしません。忠ちゅう誠せいは神かみにとって大たい切せつだと反はん論ろんします。確かく信しんを込こめて「神かみは私わたしの忠ちゅう誠せい心しんを知しってくださる」と言いいます。(ヨブ 31:6)また,3人にんの誤あやまった論ろん議ぎの矛ほこ先さきは自じ分ぶんの忠ちゅう誠せい心しんだと見み抜ぬきます。それで黙だまってはいられなくなり,3人にんが黙だまり込こんでしまうほど長ながい話はなしをします。

ヨブは忠ちゅう誠せいには生せい活かつ全ぜん般ぱんが関かん係けいしていることを理り解かいしていました。それで,自じ分ぶんの生いき方かたや行こう動どうの仕し方かたを擁よう護ごします。ヨブはあらゆる偶ぐう像ぞう崇すう拝はいを避さけ,人ひとに親しん切せつと敬けい意いを示しめし,道どう徳とく的てきに清きよく生いき,結けっ婚こん生せい活かつを大たい切せつにし,何なによりも,唯ゆい一いつの真しんの神かみエホバへの奉ほう仕しに専せん心しんしてきました。それで,心こころの底そこからこう言いえました。「私わたしは死しぬまで忠ちゅう誠せいを貫つらぬく!」(ヨブ 27:5; 31:1,2,9-11,16-18,26-28)

ヨブはエリパズ,ビルダド,ツォファルの前に立つ。

ヨブは忠ちゅう誠せいを貫つらぬく決けつ意いを曲まげなかった。

ヨブの信しん仰こうに倣ならう

あなたもヨブのように忠ちゅう誠せいを大たい切せつにしていますか。「大たい切せつにしている」と言いうのは簡かん単たんですが,行こう動どうが伴ともなっていなければなりません。毎まい日にちの生せい活かつで神かみに従したがい,神かみから見みて正ただしいことをして,神かみへの揺ゆるぎない専せん心しんを示しめします。たとえ苦く境きょうに立たたされてもそうします。あなたの忠ちゅう誠せいを見みてエホバは喜よろこんでくださり,敵てきであるサタンは悔くやしがるでしょう。これこそヨブの信しん仰こうに倣ならうベストな方ほう法ほうです!

ヨブの物もの語がたりはこれで終おわりではありません。ヨブはバランスを失うしなって自じ分ぶんの正ただしさを守まもろうと必ひっ死しになり,神かみの名めい誉よを守まもれませんでした。ヨブは矯きょう正せいされ,神かみの物もの事ごとの見み方かたを知しる必ひつ要ようがありました。また,深ふかい苦くるしみが続つづいていて,慰なぐさめが切せつ実じつに必ひつ要ようでした。エホバは信しん仰こうと忠ちゅう誠せいを保たもっているヨブのために何なにをしましたか。そうした点てんは別べつの記き事じで取とり上あげます。

a 不ふ思し議ぎなことに,エリパズは自じ分ぶんたちがヨブに優やさしく語かたり掛かけていると考かんがえていました。声こえを張はり上あげなかったからだと思おもわれます。(ヨブ 15:11)でも,どんなに落おち着ついた口く調ちょうで話はなしても,内ない容ようは身みを切きるような辛しん辣らつなものでした。

b 一いっ般ぱん的てきに,地ち球きゅうが何なんらかの物ぶっ体たいに支ささえられてはいないという理り論ろんを科か学がく者しゃたちが受うけ入いれたのは3000年ねんほど後あとになってからです。宇う宙ちゅうから地ち球きゅうを捉とらえた写しゃ真しんが出でると,ヨブの言こと葉ばの真しん実じつさが世せ間けんに明あきらかになりました。

    日本語出版物(1953-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2026 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする