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繁栄は信仰を試みることがあるものみの塔 1993 | 7月15日
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アサフはエホバの善良さを認めていましたが,その足は義の道筋からもう少しでそれて行くところでした。それは,きついマラソンの途中に凍った路面で滑っているような状態でした。アサフの信仰がそれほど弱くなってしまったのはなぜでしょうか。本人はこう説明しています。「わたしは邪悪な者たちが平安でいるのを見るたびに,誇る者たちがねたましくなったからだ。彼らには死の激痛もなく,その下腹は肥えているからだ。彼らは死すべき人間の難儀に遭うことも,ほかの人間のように災厄に遭うこともない」― 詩編 73:3-5。
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繁栄は信仰を試みることがあるものみの塔 1993 | 7月15日
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邪悪な人たちの多くは健康の問題がなかったので,たくさん蓄えた食べ物を存分に楽しむことができました。「その下腹は肥えて」,つまり腹が出ていました。そのうえ,彼らは一般大衆とは違って「死すべき人間の難儀に遭うことも」なく,生活必需品を手に入れるために奮闘する必要もありませんでした。アサフは邪悪な者が「ほかの人間のように災厄に遭うこともない」と結論しました。特に彼らは,神の民がサタンの邪悪な世の中でエホバの義の規準に付き従うために経験する試みを受けることはありません。―ヨハネ第一 5:19。
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