12. 律法には,個々の人へのエホバの思いやりがどのように表れていますか。
12 神がイスラエル国民に与えた律法には,個々の人への思いやりが表れています。一例として,貧しい人に関するおきてについて考えてみましょう。エホバは,予期しない状況が生じて誰かが貧しくなってしまう場合もあることを踏まえて,イスラエル人に次のように命じていました。「その貧しい兄弟に冷淡になったり出し惜しみしたりしてはなりません。兄弟に気前よく与えるべきであり,嫌々与えるべきではありません。このような理由で,あなたの神エホバは,あなたの全ての行いと働きを祝福してくださるのです」。(申命記 15:7,10)エホバはさらに,畑の端まで刈り尽くすことや,収穫の後に残った物を拾うことを禁じました。恵まれない人たちが落ち穂を拾えるようにするためです。(レビ記 23:22。ルツ 2:2-7)この規定をイスラエル国民が守っている限り,貧しい人たちは物乞いをする必要がありませんでした。まさにエホバの温かい思いやりの表れと言えます。
13-14. (ア)ダビデの言葉から,エホバが私たち一人一人を深く気遣っていることがどのように分かりますか。(イ)どんな実話から,エホバが「心が傷ついた人」や「打ちのめされた人」のそばにいてくれると確信できますか。
13 愛情深い神は今でも私たち一人一人を深く気遣っています。私たちはどんな大変なことがあっても,エホバが寄り添ってくれることを確信できます。ダビデはこう書きました。「エホバは正しい人に目を留め,助けを求める彼らの叫びに耳を傾ける。エホバは心が傷ついた人のそばにいる。打ちのめされた人を救ってくださる」。(詩編 34:15,18)この聖句に出てくる人たちについて,ある聖書学者はこう述べています。「彼らは心が傷つき,悔恨の情を抱いている。罪のゆえに謙虚になり,むなしさを感じているのである。自分は卑しい人間だと考え,自分の価値に自信を持てないでいる」。そのような人は,エホバを遠くに感じ,自分のようなちっぽけな人間を神が気に掛けてくれるはずがないと考えるかもしれません。でも,決してそんなことはありません。ダビデの言葉から,自分は駄目だと思っている人をエホバが見捨てることはないと確信できます。思いやり深い神は,そういう時こそ私たちが助けを必要としていることをよく理解していて,そばにいてくれます。
14 1つの実話を考えてみましょう。米国のある母親が,2歳の息子を急いで病院に連れていきました。ひどい気管支炎で苦しんでいたからです。その子を診察した医師は,1晩入院させる必要があると母親に告げました。その晩,母親はどこで過ごしたでしょうか。病室で,息子のベッドのすぐ隣に置いた椅子にずっと座っていました。幼いわが子が病気なので,離れたくなかったのです。神に似た者として造られた人間がそのような思いやりを示すのですから,まして私たちの愛情深い天の父はそれ以上のことをしてくれるに違いありません。(創世記 1:26)詩編 34編18節の感動的な言葉の通り,私たちが傷ついたり打ちのめされたりするとき,エホバは愛情深い親のように「そばに」いてくれます。いつも私たちを思いやり,すぐに助けてくれるのです。
15. エホバは私たち一人一人をどのように助けてくれますか。
15 では,エホバは私たち一人一人をどのように助けてくれるのでしょうか。必ずしも苦しみの原因を取り除くわけではありませんが,いろいろな方法で支えてくれます。例えば,聖書の中に役立つアドバイスを収めてくれています。また,信頼できるクリスチャンの監督たちに会衆を見守らせています。その監督たちは,エホバに倣って思いやり深く仲間を助けるように努力しています。(ヤコブ 5:14,15)「祈りを聞く方」であるエホバは,「ご自分に求めている人に聖なる力を与えて」くれます。(詩編 65:2。ルカ 11:13)そのおかげで,神の王国があらゆる問題を解決するまで忍耐するための「普通を超えた力」を持てます。(コリント第二 4:7)こうしたエホバの助けに本当に感謝したいと思うのではないでしょうか。それらは全て,エホバの温かい思いやりの表れです。
16. エホバの思いやりはどんなことに一番よく表れていますか。あなたがそれに感謝しているのはどうしてですか。
16 もちろん,エホバの思いやりは,最愛の子を私たちのための贖いとして与えてくれたことに一番よく表れています。エホバは私たちを深く愛してそれほどの犠牲を払ってくれたのであり,そのおかげで私たちは救われるという希望を持てます。贖いは,私たち一人一人へのエホバからの贈り物です。バプテストのヨハネの父親であるゼカリヤによれば,贖いによって「神の温かい思いやり」がはっきり示されることになっていました。(ルカ 1:78)