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家庭から非行をしめ出すにはどうすればよいかものみの塔 1963 | 1月15日
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子供に教えたりいましめを与える時は,言ったことが無意味にならないようにしましょう。なじるような口調で子供に命令するなら,あなたは子供に反抗することを教えているのです。というのは子供はその命令を無視できることを知っており,あなたは命令をくりかえさねばならないからです。しかし,あなたの言動が一致していることを実証するなら,子供はすぐにいいつけを聞くでしょう。多くの場合に,命令したり禁止する理由を教えるのはいうまでもなく賢明なことです。自分が命令する理由など子供に話す必要はないとあなたは考えているかも知れません。しかし,ある道は「なぜ」賢明な道であるか,または賢明な道でないかを理解していると,子供はあなたがいない時でも,賢明な道を選ぶ当然の理由をもっているでしょう。聖書が絶えず,ある道の良いあるいは悪い理由を教えていることに注目して,そのよい模範に従いましょう。―箴言 23:20,21; 24:15,16,19,20。
あなたがよく教えているにもかかわらず,子供が愚かなことをしたなら,箴言 22章15節を思い出してください。「愚かなことが子供の心の中につながれている,懲らしめのむちは,これを遠く追いだす」。エホバは,小さな子供にこらしめを加えることをひかえないようにあなたに勧めておられます。(箴言 23:13,14)あなたには,子供がはめをはずしている時がわかります。そして,子供も恐らくそれを知っているでしょう。ひとりの非行者は,新聞記者にこう言いました,「私は,むちで打たれるのがほんとうだと自分で思ったことはなんべんもありましたが,実際に打たれたことは一度もありませんでした」。「規則」を絶えず変加えたり,ある日は言うことをきかないと罰をえ,次の日には言うことをきかなくても罰しないというような調子で,子供をいらだたせないようにしましょう。エホバに見習って,言葉に恥じない行動をし,言行を終始一貫させ,愛の心からこらしめを与えましょう。―箴言 13:24。ヘブル 12:6。
多くの者が愛情をもっていないこの悪い時代において,あなたの子どもが,自分は愛され,大切にされているということを知るのは重要なことです。(テモテ後 3:3)友だちの選択,夜起きている時間などに,適当な制限をもうけて,それを厳重に守らせるなら,あなたは,ほんとうに子供のためを思っている愛のある親であることを示しています。どこかへ行く時には必ず親の許しを得,まただれと行くかを親に知らせるようにさせるならば,当座はあまりありがたく思われないかも知れませんが,ついにはあなたの愛がわかってくるでしょう。子供が万引などをして問題を引き起こす時に,親が子供のい場所を知らないことはよくあることです。あなたが子供のことをほんとうに気にかけているなら,子供がどこにいるかを知るように努力されるでしょう。そしてまた,嘲笑したり威圧したりして,その子供の神のみ旨,あるいは両親の希望にそむくように誘惑する者に近づかないように教えるでしょう。神の信用を得ることこそ,実際に価値のあるものであることを教えてください。あなたの家族が逆境に見舞われたなら,慰めと導きをどのように神に求めるかを子供に教えて,禍を福に変えてください。これらのことはみな,永遠の生命を得るためにあなたの子供が歩まねばならない道において,あなたが子供に与える,はかり知れない価値のある訓練の一部です。―箴言 22:6。
もしあなたが,御国を子供の目標として与えたなら,そして,神の御言葉に導きを求めるように教え,責任をもって事を行なうように訓練したなら,子供は,暴力行為,盗み,不道徳,その他どんな形の非行にせよ,それらはみな,生命に通ずる道から自分を取り去り得るものであることを悟るでしょう。(マタイ 7:14)エホバの権威ある助言にかたくつき従った家庭生活をいとなむことにより,あなたの家庭に非行をよせつけないようにしてください。「家は知恵によって建てられ,悟りによって堅くせられ…」。―箴言 24:3,新口。
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一牧師の不満ものみの塔 1962 | 11月1日
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一牧師の不満
J・A・デイビッドソン牧師は,昨春カナダ連合教会の会議に1週間出席したのち,トロントの「グローブ・アンド・メイル」に寄稿し,その中で「これらたくさんの敬虔ぶった決議」と述べて,彼の不満を表わしていた。彼は英国教会,バプテスト派,長老教会派などに属する彼の友人たちと話し合って,「それぞれの教会の会合で敬神に名をかりた決議が一層多く作られても,それらはみなせいぜい人の心を無感覚なものにするにすぎない」,と言う事に気付いた。結論として彼は次のように勧めた,「『もし私がクリスチャンに,また教会員になっていなかったとすれば,他の何よりも教会員としての責任を引きうける事からしりごみさせるものは,どうにも救いようのない教会の退屈さであろう』と語ったステファン,ネイル牧師の言葉の意味を1日か2日ゆっくり考えてみればいいだろう」。
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