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「来て,私の弟子になりなさい」
追 第13章 129–138ページ

第13章

「父ちちを愛あいしている」

1-2. 使し徒とヨハネによると,イエスが悲ひ惨さんな死しを迎むかえることを決けつ意いしていたのはどうしてですか。

年とし老おいた男だん性せいが,ペン先さきをインクに浸ひたします。過か去この記き憶おくが鮮せん明めいによみがえってきます。この人ひとは,イエス・キリストの使し徒とのうち唯ゆい一いつ生いき残のこっているヨハネです。100歳さいほどになった今いま,約やく70年ねん前まえの印いん象しょう的てきな晩ばんのことを思おもい返かえしています。自じ分ぶんや他たの使し徒とたちがイエスと過すごした最さい後ごの晩ばんのことです。ヨハネは聖せいなる力ちからに導みちびかれて細こまかいことまで思おもい出だし,書かいていきます。

2 その晩ばんイエスは,自じ分ぶんが間まもなく処しょ刑けいされることを弟で子したちに伝つたえました。イエスがそのような悲ひ惨さんな死しを迎むかえることを決けつ意いしていたのはどうしてか,ヨハネだけが明あきらかにしています。ヨハネによるとイエスはこう言いいました。「私わたしが父ちちを愛あいしていることを世よの人ひと々びとが知しるために,父ちちが命めいじた通とおりにしています。立たちなさい。出で掛かけましょう」。(ヨハネ 14:31)

3. イエスは父ちちを愛あいしていることをどのように示しめしましたか。

3 イエスにとって,お父とうさんへの愛あいは何なによりも大だい事じなことでした。聖せい書しょの中なかでイエスが「父ちちを愛あいしている」とはっきり言いっているのはヨハネ 14章しょう31節せつだけですが,イエスは常つねに自じ分ぶんの生いき方かたによって父ちちを愛あいしていることを示しめしました。イエスが来くる日ひも来くる日ひも勇ゆう気きや従じゅう順じゅんや忍にん耐たいを示しめしたのも,宣せん教きょうに打うち込こんだのも,神かみを愛あいしているからこそでした。

4-5. 聖せい書しょはどんな愛あいを育はぐくむよう教おしえていますか。イエスはどれほどエホバを愛あいしていますか。

4 現げん代だいでは,愛あいと聞きくと浮うわついた軽かるい感かん情じょうをイメージする人ひともいます。恋れん愛あいをテーマにした物もの語がたりや歌うたなどでも,そういう愛あいがよく描えがかれます。聖せい書しょにも異い性せい間かんの愛あいについて書かかれていますが,愛あいを軽かる々がるしく扱あつかってはいません。(格かく言げん 5:15-21)そして,聖せい書しょに繰くり返かえし出でてくるのは,もっと深ふかい種しゅ類るいの愛あいです。その愛あいは,単たんなる情じょう熱ねつや一いち時じ的てきな感かん情じょうでも,感かん情じょうの伴ともなわない冷つめたい理り念ねんのようなものでもありません。心こころの底そこから湧わき上あがるもので,神かみの正ただしい基き準じゅんに基もとづいていて,善よい行こう動どうに表あらわれます。決けっして薄うすっぺらいものではありません。聖せい書しょによると,その「愛あいは決けっして絶たえません」。(コリント第だい一いち 13:8)

5 イエスほどエホバを深ふかく愛あいした人ひとは,これまで誰だれもいません。イエスは,神かみが与あたえた一いち番ばん大だい事じな命めい令れいとして次つぎの言こと葉ばを引いん用ようしました。「あなたは,心こころを尽つくし,知ち力りょくを尽つくし,力ちからを尽つくし,自じ分ぶんの全すべてを尽つくして,あなたの神かみエホバを愛あいさなければならない」。(マルコ 12:30)イエス以い上じょうにこの命めい令れいに沿そって生いきた人ひとはいません。イエスはどうしてそれほどまでにエホバを愛あいするようになったのでしょうか。地ち上じょうにいる間あいだも神かみへの強つよい愛あいを持もち続つづけることができたのはどうしてでしょうか。私わたしたちはどうすればイエスに見み習ならえるでしょうか。

一いち番ばん強つよい愛あいの絆きずな

6-7. 格かく言げん 8章しょう22-31節せつに書かかれているのは文も字じ通どおりの知ち恵えのことではなく,神かみの子このことだと分わかるのはどうしてですか。

6 あなたは友とも達だちと一いっ緒しょに何なにかをして友ゆう情じょうが深ふかまったという経けい験けんがありますか。エホバと独ひとり子ごイエスの間あいだの愛あいも,そのようにして深ふかまったに違ちがいありません。すでに何なん度どか取とり上あげた格かく言げん 8章しょう30節せつについて,文ぶん脈みゃくも見みながらさらに詳くわしく考かんがえてみましょう。22節せつから31節せつには,擬ぎ人じん化かされた知ち恵えについて書かかれています。それが神かみの子このことだとどうして分わかるのでしょうか。

7 22節せつで知ち恵えはこう言いっています。「エホバが,創そう造ぞうの初はじめとして,昔むかしの偉い業ぎょうの最さい初しょとして私わたしを生うみ出だした」。これが文も字じ通どおりの知ち恵えのことではないのは明あきらかです。知ち恵えが「生うみ出だ」されたことはないからです。知ち恵えには始はじまりがありません。知ち恵えを持もつエホバが永えい遠えんの昔むかしから存そん在ざいしているからです。(詩し編へん 90:2)一いっ方ぽう,神かみの子こは「全ぜん創そう造ぞう物ぶつの中なかの初はつ子ご」です。エホバの偉い業ぎょうの最さい初しょとして生うみ出だされたのです。(コロサイ 1:15)「格かく言げんの書しょ」に書かかれているように,神かみの子こは天てんや地ちよりも前まえから存そん在ざいしていました。そして神かみの代だい弁べん者しゃである「言こと葉ば」なので,イエスが語かたることには常つねにエホバの知ち恵えが完かん璧ぺきに表あらわれています。(ヨハネ 1:1)

8. 神かみの子こは人にん間げんになる前まえに何なにをしていましたか。素す晴ばらしい創そう造ぞう物ぶつを見みる時とき,どんなことをイメージできますか。

8 地ち上じょうに来くる前まえの非ひ常じょうに長ながい期き間かん,神かみの子こは何なにをしていたのでしょうか。30節せつによると,「優すぐれた働はたらき手て」として神かみのそばにいました。それはどういうことでしょうか。コロサイ 1章しょう16節せつにこう説せつ明めいされています。「他たの全すべてのものは,天てんのものも地ち上じょうのものも,神かみの子こを通とおして創そう造ぞうされ[ました]。それらは全すべて,神かみの子こを通とおして,神かみの子このために創そう造ぞうされました」。創そう造ぞう者しゃであるエホバは,優すぐれた働はたらき手てであるイエスを使つかって,他たの全すべてのものを創そう造ぞうしたのです。そのようにして,天てん使したち,広こう大だいな宇う宙ちゅう,地ち球きゅうと多た種しゅ多た様ような動どう植しょく物ぶつ,そして地ち上じょうの創そう造ぞう物ぶつの最さい高こう傑けっ作さくである人にん間げんが存そん在ざいするようになりました。父ちちと子こがそのように協きょう力りょくして働はたらいたことは,ある意い味みで建けん築ちく士しと建けん設せつ業ぎょう者しゃの関かん係けいに似にています。建けん設せつ業ぎょう者しゃは,建けん築ちく士しの設せっ計けい通どおりに建たて物ものを建たてます。その建たて物ものを見みる人ひとは,建けん築ちく士しの良よいデザインに感かん心しんします。同おなじように,私わたしたちは創そう造ぞう物ぶつを見みる時とき,偉い大だいな建けん築ちく家かであるエホバのデザインの素す晴ばらしさに感かん動どうします。(詩し編へん 19:1)そして,「優すぐれた働はたらき手て」が長ながい期き間かんにわたって創そう造ぞう者しゃと一いっ緒しょに喜よろこんで働はたらいた様よう子すをイメージできます。

9-10. (ア)エホバとイエスの絆きずなはどのようにして強つよくなりましたか。(イ)私わたしたちはどうすれば天てんの父ちちとの絆きずなを強つよめることができますか。

9 2人ふたりの不ふ完かん全ぜんな人にん間げんが一いっ緒しょに働はたらく場ば合あい,仲なか良よくやっていくのが難むずかしいこともあります。でも,エホバとイエスは決けっしてそのようなことはありませんでした。イエスは想そう像ぞうもつかないほど長ながい間あいだエホバと一いっ緒しょに働はたらきましたが,「いつも神かみの前まえで喜よろこんだ」と言いっています。(格かく言げん 8:30)エホバと一いっ緒しょにいられることを幸しあわせに感かんじていたのです。エホバも同おなじように感かんじていました。イエスは神かみの良よいところに倣ならい,ますますお父とうさんに似にていきました。そのようにして,父ちちと子こは非ひ常じょうに強つよい絆きずなを育はぐくみました。最もっとも古ふるくから存そん在ざいする,一いち番ばん強つよい愛あいの絆きずなです。

10 私わたしたちはイエスのような特とく別べつな立たち場ばにはありませんが,それでもエホバとの絆きずなを育はぐくむことができます。イエスはお父とうさんと一いっ緒しょに働はたらくことによって絆きずなを強つよめましたが,愛あい情じょう深ぶかいエホバは私わたしたちにも「共ともに働はたらく」機き会かいを与あたえてくれています。(コリント第だい一いち 3:9)イエスの手て本ほんに倣ならって伝でん道どうする時とき,自じ分ぶんが神かみと共ともに働はたらいているということを忘わすれないようにしましょう。神かみと共ともに働はたらけば働はたらくほど,私わたしたちとエホバとの愛あいの絆きずなは強つよくなっていきます。それ以い上じょうに素す晴ばらしいことはありません。

イエスはエホバへの強つよい愛あいを持もち続つづけた

11-13. (ア)愛あいは植しょく物ぶつとどのように似にていますか。イエスは少しょう年ねんの頃ころ,エホバへの強つよい愛あいを持もち続つづけるために何なにをしましたか。(イ)イエスは人にん間げんになる前まえも,後のちに大人おとなになってからも,エホバから学まなびたいと思おもっていることをどのように示しめしましたか。

11 愛あいはある意い味みで植しょく物ぶつのようなものです。美うつくしい鉢はち植うえのように,愛あいが生いき生いきと育そだつには養よう分ぶんと世せ話わが必ひつ要ようです。放ほうっておかれ,養よう分ぶんを与あたえられないと,弱よわって枯かれてしまいます。イエスは地ち上じょうにいる間あいだずっと,エホバへの愛あいが弱よわくなってしまわないように努ど力りょくを怠おこたりませんでした。強つよい愛あいを持もち続つづけるためにイエスが何なにをしたか考かんがえてみましょう。

12 イエスが少しょう年ねんの頃ころ,エルサレムの神しん殿でんで教きょう師したちと話はなしていた時ときのことをもう一いち度ど思おもい起おこしてください。心しん配ぱいした両りょう親しんにイエスはこう言いいました。「なぜ捜さがされたのですか。私わたしが父ちちの家いえにいるはずだと思おもわれなかったのですか」。(ルカ 2:49)少しょう年ねん時じ代だいのイエスは,人にん間げんになる前まえの記き憶おくがまだなかったようです。それでも,天てんの父ちちエホバを熱ねつ烈れつに愛あいしていました。そして,エホバを崇すう拝はいすることによって愛あいを表あらわせるということも分わかっていました。ですから,清きよい崇すう拝はいが行おこなわれる神しん殿でんは,イエスにとって世せ界かいで一いち番ばん魅み力りょく的てきな場ば所しょでした。ずっとそこにいたい,帰かえりたくないと思おもっていました。さらに,ただそこにいるのではなく,エホバについて学まなびたい,自じ分ぶんの知しっていることを話はなしたいと強つよく願ねがっていました。そういう気き持もちになったのはこの12歳さいの時ときが最さい初しょではなく,もちろん最さい後ごでもありませんでした。

13 人にん間げんになる前まえも,イエスはお父とうさんから意い欲よく的てきに学まなんでいました。イザヤ 50章しょう4-6節せつに書かかれている預よ言げんから分わかるように,エホバはイエスにメシアとしてどんな役やく割わりを果はたすことになるのかを教おしえました。イエスはエホバから選えらばれた者ものとして苦くるしい目めに遭あうことも知しりましたが,熱ねっ心しんに学まなび続つづけました。地ち上じょうに来きて大人おとなになってからも,父ちちの家いえに行いってエホバが望のぞんでいる通とおりに崇すう拝はいを行おこなったり学まなんだりする意い欲よくを持もち続つづけました。イエスが日ひ頃ごろから神しん殿でんや会かい堂どうに通かよっていたことが聖せい書しょに書かかれています。(ルカ 4:16; 19:47)私わたしたちも,エホバへの強つよい愛あいを持もち続つづけるには,集しゅう会かいにいつも出しゅっ席せきする必ひつ要ようがあります。集しゅう会かいは,エホバを崇すう拝はいし,エホバのことをもっと知しり,エホバとの友ゆう情じょうを深ふかめる大たい切せつな場ばだからです。

イエスが山で祈っている。

「イエスは……祈いのりをするため自じ分ぶんだけで山やまに登のぼった」

14-15. (ア)イエスが1人ひとりの時じ間かんを取とったのはどうしてですか。(イ)イエスの祈いのりのどんなところに,天てんの父ちちへの親したしみと敬けい意いが表あらわれていますか。

14 イエスはまた,エホバへの強つよい愛あいを持もち続つづけるために,日ひ頃ごろからよく祈いのっていました。人ひとが好すきでたくさん友ともがいましたが,1人ひとりの時じ間かんも大たい切せつにしていました。例たとえば,ルカ 5章しょう16節せつには,「イエスは人ひとけのない場ば所しょに行いっては祈いのっていた」と書かかれています。マタイ 14章しょう23節せつにも,「群ぐん衆しゅうを解かい散さんさせた後あと,祈いのりをするため自じ分ぶんだけで山やまに登のぼった。日ひが暮くれても,1人ひとりでそこにいた」とあります。このようにイエスがよく1人ひとりの時じ間かんを取とったのは,人ひとと関かかわるのを避さけるためではなく,エホバと自じ分ぶんだけになって,思おもっていることを何なんでも話はなしたかったからです。

15 イエスは祈いのりの中なかで,「アバ,父ちちよ」と神かみに呼よび掛かけることがありました。(マルコ 14:36)「アバ」というのは父ちち親おやに話はなし掛かけるときに使つかわれていた言こと葉ばで,子こ供どもが最さい初しょに覚おぼえる言こと葉ばの1つでした。親したしみと敬けい意いの両りょう方ほうがこもっています。イエスがこの言こと葉ばを使つかって祈いのったことから,天てんの父ちちととても親したしかったことや,父ちちエホバに深ふかい敬けい意いを持もっていたことが分わかります。聖せい書しょに書かかれているイエスのどの祈いのりにも,それが表あらわれています。その1つの例れいは,ヨハネ 17章しょうにある,イエスが亡なくなる前まえの最さい後ごの晩ばんに捧ささげた,心こころからの長ながい祈いのりです。その祈いのりをじっくり読よむと心こころに響ひびきます。私わたしたちもイエスのような祈いのりをしたいものです。イエスの言こと葉ばを一いち字じ一いっ句くまねることはしませんが,天てんの父ちちにどのように心こころから語かたり掛かけたらよいかをイエスから学まなべます。イエスに見み習ならっていつも祈いのるなら,エホバへの強つよい愛あいを持もち続つづけることができます。

16-17. (ア)イエスは天てんの父ちちへの愛あいを込こめて,どんなことを語かたりましたか。(イ)イエスはエホバが良よいものを惜おしみなく与あたえてくれることをどのように示しめしましたか。

16 この章しょうの初はじめの方ほうで考かんがえた通とおり,イエスは「父ちちを愛あいしている」と何なん度ども言いったわけではありませんが,イエスが語かたった多おおくのことに天てんの父ちちへの愛あいが表あらわれていました。例たとえばどんなことでしょうか。イエスは「天てん地ちの主しゅである父ちち……を大おおいに賛さん美び」しました。(マタイ 11:25)イエスが天てんの父ちちを賛さん美びした方ほう法ほうの1つは,この本ほんのセクション2で学まなんだように,父ちちがどれほど素す晴ばらしい方かたかを人ひと々びとに伝つたえることでした。ある話はなしの中なかではエホバを,息子むすこを許ゆるしたいと心こころから思おもっている父ちち親おやに例たとえています。その父ちち親おやは,道みちを踏ふみ外はずした息子むすこが悔くい改あらためて帰かえってくるのを待まっていて,遠とおくに息子むすこを見みつけるとすぐに走はしっていって迎むかえ,抱だき締しめました。(ルカ 15:20)エホバが愛あいし許ゆるしてくださることをイエスがこのように教おしえてくれたので,私わたしたちは温あたたかい気き持もちになってエホバに引ひき付つけられます。

17 イエスは,エホバが良よいものをたくさん与あたえてくれることについてもよく語かたり,エホバを賛さん美びしました。ある時ときには,不ふ完かん全ぜんな人にん間げんの父ちち親おやを例れいに挙あげて,天てんの父ちちが私わたしたちに必ひつ要ような聖せいなる力ちからを必かならず与あたえてくれることを示しめしました。(ルカ 11:13)また,エホバが与あたえてくれている素す晴ばらしい希き望ぼうについても語かたりました。例たとえば,自じ分ぶんには天てんの父ちちのそばに戻もどるという希き望ぼうがあると話はなしました。(ヨハネ 14:28; 17:5)弟で子したちには,エホバがキリストの「小ちいさな群むれ」を天てんに住すまわせて,メシアである王おうと共ともに治おさめられるようにしてくれるということを伝つたえました。(ルカ 12:32。ヨハネ 14:2)死しを目もく前ぜんにした犯はん罪ざい者しゃには,パラダイスで生いきられることを約やく束そくしました。(ルカ 23:43)イエスは,エホバが惜おしみなく与あたえてくれる良よいものについてこのように語かたることで,エホバへの強つよい愛あいを持もち続つづけることができました。キリストの弟で子したちにとっても,エホバについて語かたり,エホバが与あたえてくださっている希き望ぼうを伝つたえることは,エホバへの愛あいと信しん仰こうを強つよめるために大たい切せつです。

イエスのようにエホバを愛あいする

18. イエスの後あとに従したがって生いきていく中なかで一いち番ばん大たい切せつなのはどんなことですか。どうしてですか。

18 イエスの後あとに従したがって生いきていく中なかで一いち番ばん大たい切せつなのは,心こころ,力ちから,知ち力りょく,自じ分ぶんの全すべてを尽つくしてエホバを愛あいすることです。(ルカ 10:27)そのようにエホバを愛あいする人ひとは,エホバへの強つよい愛あいを感かんじるだけでなく,行こう動どうします。イエスは,天てんの父ちちへの愛あいを感かんじたり,「父ちちを愛あいしている」と言いったりすれば十じゅう分ぶんだとは考かんがえませんでした。そのことは,「私わたしが父ちちを愛あいしていることを世よの人ひと々びとが知しるために,父ちちが命めいじた通とおりにしています」という言こと葉ばにも表あらわれています。(ヨハネ 14:31)サタンは,エホバを心こころから愛あいしてエホバに仕つかえる人ひとなどいないと言いいました。(ヨブ 2:4,5)イエスは,サタンのその中ちゅう傷しょうじみた主しゅ張ちょうが間ま違ちがっていることをはっきりさせるために,勇ゆう気きある行こう動どうを取とり,どれほど天てんの父ちちを愛あいしているかを皆みなに示しめしました。自じ分ぶんの命いのちを失うしなうことになっても神かみに従したがい通とおしたのです。あなたはイエスに見み習ならいますか。エホバ神かみを心こころから愛あいしていることを,行こう動どうによってはっきり示しめしますか。

19-20. (ア)クリスチャンの集しゅう会かいにいつも出しゅっ席せきすることが大たい切せつなのはどうしてですか。(イ)個こ人じん的てきに聖せい書しょをじっくり学まなんだり祈いのったりすることも欠かかせないのはどうしてですか。

19 私わたしたちは,神かみを愛あいし神かみとの絆きずなを強つよめる必ひつ要ようのあるものとして造つくられています。エホバはそんな私わたしたちのために崇すう拝はいの場ばを設もうけ,どのように崇すう拝はいしたらよいかを教おしえてくれています。クリスチャンの集しゅう会かいに出しゅっ席せきする時とき,神かみを崇すう拝はいし神かみへの愛あいを深ふかめるために集あつまっているということを忘わすれないようにしましょう。集しゅう会かいで神かみを崇すう拝はいするには,心こころから祈いのりに加くわわり,歌うたで神かみを賛さん美びし,話はなされる事こと柄がらをよく聞きき,できるときにはコメントすることが大たい切せつです。仲なか間まの兄きょう弟だい姉し妹まいを励はげますこともできます。(ヘブライ 10:24,25)集しゅう会かいにいつも出しゅっ席せきしてエホバを崇すう拝はいするなら,神かみへの愛あいがますます強つよくなっていきます。

20 個こ人じん的てきに聖せい書しょをじっくり学まなぶことや祈いのることも,エホバへの愛あいを深ふかめるために欠かかせません。そうしたことをする時とき,エホバと自じ分ぶんだけの時じ間かんを持もつことができるからです。神かみの言こと葉ばである聖せい書しょを読よみ,じっくり考かんがえると,エホバの考かんがえや気き持もちが伝つたわってきます。祈いのる時ときには,自じ分ぶんの考かんがえや気き持もちを何なんでもエホバに話はなすことができます。とはいえ,してほしいことばかり言いうような祈いのりにならないようにしましょう。エホバがしてくれたことに感かん謝しゃしたり,エホバが行おこなったことの素す晴ばらしさをたたえたりすることもできます。(詩し編へん 146:1)忘わすれてはいけないこととして,エホバへの感かん謝しゃを表あらわし,エホバを愛あいしていることを示しめす一いち番ばんの方ほう法ほうは,エホバについてほかの人ひとに生いき生いきと語かたることです。

21. エホバを愛あいすることはどれほど重じゅう要ようですか。続つづく幾いくつかの章しょうではどんなことを考かんがえますか。

21 神かみを愛あいする人ひとの前まえには,いつまでも幸しあわせに暮くらす道みちが開ひらかれています。アダムとエバも神かみを愛あいしさえすれば幸しあわせになれたのに,神かみを愛あいそうとしませんでした。神かみを愛あいするなら,どんな試し練れんや誘ゆう惑わくに遭あってもそれを乗のり越こえて,強つよい信しん仰こうを持もち続つづけることができます。イエスの弟で子しにとって,神かみへの愛あいは一いち番ばん大だい事じなものです。そして,神かみを愛あいする人ひとは周まわりの人ひとをも愛あいします。(ヨハネ第だい一いち 4:20)続つづく幾いくつかの章しょうで,イエスがどのようにさまざまな人ひとを愛あいしたかを取とり上あげます。まず次つぎの章しょうで,多おおくの人ひとがイエスに引ひき付つけられたのはどうしてかを考かんがえましょう。

イエスの弟で子しとして考かんがえたいこと

  • 祈いのる時とき,イエスのようにエホバを信しん頼らいしていることをどのように示しめせますか。(ヨハネ 11:41,42。ヘブライ 11:6)

  • エホバを心こころから愛あいしている人ひとは,エホバの名なについてどうしたいと思おもいますか。(ヨハネ 17:6-8)

  • エホバを愛あいする人ひとは,イエスに見み習ならって世よの人ひと々びととは違ちがっている必ひつ要ようがあります。どうしてですか。(ヨハネ 17:14-16。ヤコブ 4:8)

  • エホバを熱ねつ烈れつに愛あいし続つづけるようにというイエスの助じょ言げんに従したがって,どんなことができますか。(啓けい示じ 2:1-5)

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