暴力行為を終わらせるのはだれか
昨年9月,国連事務総長コフィー・アナンは国連の第54回年次総会の出席者たちを歓迎しました。トロント・スター紙(英語)の報告によれば,同事務総長は世界の指導者たちに,いわば挑戦状を発してこう述べました。「国際社会から単なる同情の言葉以上のものを必要としている民族は実に多い。必要なのは,繰り返される暴力行為を終わらせ,繁栄への道を無事に進むよう援助するという確約を履行することである」。
国連とその加盟国は,暴力行為を終わらせるのに必要な「確約を履行する」ことができるのでしょうか。同スター紙の報告の中の引用文によれば,ビル・クリントン米大統領は,「今世紀にはおびただしい流血を見ただけに,『二度とあってはならない』と言うのは易しいが,そうならないようにするのははるかに難しいことだ」と述べ,こう付け加えました。「約束しすぎるなら,気にかけなさすぎるのと同じほど,悲惨な事態を招きかねない」。
2,500年余り前に,預言者エレミヤは人間の努力についてこう述べました。「エホバよ,地の人の道はその人に属していないことをわたしはよく知っています。自分の歩みを導くことさえ,歩んでいるその人に属しているのではありません」。(エレミヤ 10:23)では,暴力行為がなくなるという希望はあるのでしょうか。
イザヤ 60章18節にある通り,神は,「あなたの地で暴虐が聞かれることも,あなたの境界内で奪略や崩壊が聞かれることももはやない」と確約しておられます。この預言が最初に成就したのは,神が流刑に処せられたご自分の民を故国に連れ戻された時のことでした。この預言には,わたしたちの享受できる,より壮大な成就もあるのです。エホバ神は「約束しすぎ」ておられるわけではありません。至高者で,人類の創造者でもあられるエホバは,「繰り返される暴力行為」を終わらせる最も良い立場にある方です。神の王国のもとで,平和は行き渡ります。暴力行為は永久に過去のものとなるのです。―ダニエル 2:44。