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「事を正そう」イザヤの預言 ― 全人類のための光 I
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9,10 わたしたちのエホバへの崇拝において清さはどれほど重要ですか。
9 思いやりのある神エホバは,今度はもっと温かくて心に訴える口調に切り替えて話します。「身を洗い,身を清め,わたしの目の前からあなた方の行ないの悪を除け。悪を行なうことをやめよ。善を行なうことを学び,公正を尋ね求め,虐げる者を正し,父なし子のために裁きを行ない,やもめの言い分を弁護せよ」。(イザヤ 1:16,17)ここには一連の九つの命令が述べられています。前半の四つは罪を除くことと関係があるという意味で消極的なものですが,後半の五つはエホバの祝福を受けることにつながる積極的な行動です。
10 これまでいつの時代にも,洗うことと清さは,清い崇拝の重要な部分となってきました。(出エジプト記 19:10,11; 30:20。コリント第二 7:1)しかしエホバは,清めがもっと深いところに,崇拝者たちの心そのものの中に及ぶことを望んでおられます。最も重要なのは道徳的および霊的な清さであり,エホバが述べておられるのはそのことです。16節の最初の二つの命令は単なる繰り返しではありません。あるヘブライ語文法学者によれば,初めの『身を洗う』は清めの行為の第一歩を指しており,次の『身を清める』はその清さを保つための継続的な努力を指しているようです。
11 罪と闘うには何をすべきですか。決して何をすべきではありませんか。
11 わたしたちは,エホバからは何も隠せません。(ヨブ 34:22。箴言 15:3。ヘブライ 4:13)ですから,「わたしの目の前からあなた方の行ないの悪を除け」という神の命令が意味するものは,一つしかありません。つまり,悪を行なうのをやめよ,ということです。そして,それは重大な罪を隠そうとしないことを意味します。罪を隠そうとすること自体が罪だからです。箴言 28章13節は,「自分の違犯を覆い隠している者は成功しない。しかし,それを告白して捨てている者は憐れみを示される」と訓戒しています。
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「事を正そう」イザヤの預言 ― 全人類のための光 I
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14 イザヤ 1章16,17節はどんな積極的なメッセージを伝えていますか。
14 これら九つの命令を通して,エホバは実に確固たる積極的なメッセージを伝えておられます。人は罪に巻き込まれると,自分には正しいことを行なう力が全くないと思い込むことがあります。そうした考え方は元気を失わせるだけでなく,間違いでもあります。エホバは,どんな罪人も神の助けにより罪深い歩みをやめ,身を転じて正しい事柄を行なうようになれることをご存じであり,わたしたちもそれを知るよう望んでおられます。
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