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より良い世界の実現を科学に期待していますかものみの塔 1972 | 12月15日
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7 エホバ神はそのみことば聖書の中に,このことに関するご自分の考え方や,それをどう処置するかを示す事がらを書きしるさせました。それは,西暦前607にエルサレムが滅びるわずか5年ほど前,同市の神の民と称する人たちのただ中で行なわれていた事がらに関する預言者エゼキエルの報告に見いだせます。エゼキエルは幻の中で見たことを次のように詳述しました。
8 『[エホバ]また我をひきてエホバの家の内庭にいたるにエホバの〔神殿〕の入口にて廊と〔祭壇〕の間に二十五人ばかりの人その後ろをエホバの〔神殿〕にむけ顔を東にむかいて日の前に身をかがめおる 彼われに言いたもう人の子よ汝これを見るやユダの家はそのここにおこなうところの憎むべき事どもをもて小さき事となすにや また暴逆を国にみたして大いに我を怒らす 彼らは〔若枝〕を〔わたしの〕鼻につくるなり されば我また怒りをもて事をなさん わが目はかれらを惜しみ見ず我彼らをあわれまじ彼ら大声にわが耳に呼ばわるとも我かれらに聴かじ』― エゼキエル 8:15-18〔新世界訳(英文),1971年版脚注参照〕〔新〕。
9,10 あるイスラエル人たちはどのようにして自分たちの背をエホバに向けていましたか。それはどんな命令を破る行為でしたか。
9 この幻の中で,それらイスラエル人はエホバにささげられた神殿の内庭にいました。彼らは神殿そのものの入口のそば,つまりその廊と内庭の中央の犠牲の祭壇との間にいました。しかし恐ろしいことに,彼らはその場所でエホバを拝していたのでもなければ,彼らの東に位置するエホバの祭壇に向かって頭を下げていたのでもありません。彼らは西,つまり神殿に面しているべきでした。なぜですか。
10 ところで,その神殿の一番奥の仕切り室,つまり至聖所には神聖な契約の箱が安置されており,その上には,エホバの臨在を表わす奇跡的なシエキナの光がとどまっていました。しかし,それら25人の人びとは,神のこの象徴的な住まいの方を見るどころか,神の臨在を表わす所に背を向けて東に面していました。彼らは神を代表していると唱えながら,その神を無視し,こともあろうに空の太陽を拝して頭をさげていたのです。それは申命記 4章15-19節にある神の命令に真向から背く行為でした。
11 太陽を崇拝するそれら25人のユダヤ人はどのようにしてさらにエホバを侮辱しましたか。
11 それらの人はこうしたはなはだしい違反行為だけで満足せず,さらに恥を加えました。ですから,エホバは,『彼らは枝〔あるいは若枝〕を〔わたしの〕鼻につくるなり』と述べました。(エゼキエル 8:17〔新〕)その若枝もしくは枝は,偶像崇拝に用いられており,人間の男子の性器を表わすある種の形に彫られていたのかもしれません。少なくともそれは,エホバがそのにおいを嗅いで喜ばれるかのように,エホバの鼻もとに差し出すには非常に不快,もしくは卑わいなものだったに違いありません。それら25人の者たちは,「暴逆を国に」満たしたうえに,こうした太陽の偶像崇拝を行なったのです。
現代の神の侮辱者たち
12,13 同様に,キリスト教世界はどのようにしてエホバに背を向けてきましたか。
12 はたしてキリスト教世界はそれらユダヤ人がしたほどの悪事を実際に行なってきましたか。それに対応する現代の例がありますか。あります。
13 現代科学は,尊崇の念をもって,また聖書よりも神よりも重視されねばならない「神聖で侵すべからざるもの」のように取り扱われてきました。科学者の「進んだ」知性とされるものが,彼らのあらゆる理論とともに,聖書を「時代おくれの遺物」とする最新の啓発を与えるものとして扱われてきました。しかし現実には,人間は科学技術を用いて単にある限度で神の法則の世界を掘り下げることができるにすぎず,また単にそうした法則の枠内および限界内で科学技術を運用できるにすぎません。ところが,ニュース機関はほとんどいつも,科学技術を可能にした神よりもむしろ科学技術そのものを賞賛しています。そして,人間のことを,『自然の神秘を探り出し』,宇宙の支配者になりつつあるかのように述べています。
14 (イ)被造物を崇拝するこうした態度は目新しいことですか。(ロ)このような態度は今日なぜ非常に危険ですか。
14 こうした態度,つまり人間という被造物を注目の的にすること,神が創造した人間にすべての誉れを帰すことは目新しい事がらですか。いいえ,何世紀も昔に使徒たちのひとりは人間のこうした傾向を説明して,こう書きました。『自ら智しととなえて愚かとなり,朽つることなき神の栄光をかえて朽つべき鳥獣・はうものに似たる像となす』。しかしながら,それが昔と違って非常に重大な問題となっているのは,今や問題が頂点に達し,永遠にわたって決着をつける時が到来したからです。―ロマ 1:22,23。
15 最近行なわれた月面着陸は,科学者が太陽崇拝に影響されていることをどのように示していますか。
15 現代科学を偶像視することを含め,偽りの神々の崇拝を行なって汚されているキリスト教世界は,おのずとその本性を現わしています。たとえば,1969年7月20日,人間の宇宙飛行士が初めて月面に降り立ったとき,その宇宙飛行の責任を持つ科学者の一団が打ち上げた関係のある事物に名称を付した仕方からすれば,その壮挙によってだれがほめたたえられましたか。月の創造者エホバでなかったことは確かです。ほめたたえられたのは,神話に出てくる太陽神でした。どうしてですか。なぜなら,その飛行(それ以後成功した他の月面着陸の場合同様)に用いられた人間製の宇宙船は「アポロ」と名命されていたからです。名称の由来として考えられるあらゆるものの中から,偶像崇拝と結びついているギリシア神話が選ばれたのです。フォイボス・アポロンは古代ギリシア人の太陽神で,月の女神アルテミス(もしくはディアナ)のふた子の兄弟でした。
16 そうした宇宙探検の成果に異教的名称を冠したのは愚かなことです。なぜですか。キリスト教世界は,自らが科学の「太陽」の崇拝者であることを,さらにどのように示していますか。
16 聡明な人びとが神の定めた法則を活用して偉業を成し遂げながら,どうして,実際には神でも何でもない古代の太陽神の名を広め,有名なものにしなければならないのでしょうか。明らかに神よりも人間が重視されているのです。そのうえ,キリスト教世界が未証明の進化論を広く受け入れていることは,同世界が科学者の「太陽」の崇拝者としての本性を現わしている一つの証拠です。
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より良い世界の実現を科学に期待していますかものみの塔 1972 | 12月15日
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19 キリスト教世界は事実上,どのようにして『卑わいな技をエホバの鼻もとにつき出し』てきましたか。
19 淫行や姦淫また同性愛などをさえ大目に見,それを法的に許容する新しい道徳観が取り入れられており,キリスト教世界の僧職者は,そうした行為を非とする聖書の教えを述べようとはしません。事実,多数の著名な僧職者は,そうした不道徳な汚れた行為をする人の処罰を免除する立法措置に対して公に賛成意見を表明してきました。その結果,性病は増加の一途をたどり,事実,疫病の様相をさえ呈しています。もしこれが今日,神を恐れる多くの人びとにとって不快なことであれば,神ご自身にとってはまさに不快そのものであるに違いないでしょう。それはエルサレムのエホバの神殿で25人の崇拝者たちが卑わいなことにエホバの鼻もとに『枝をつき』出したのと全く同様,不快なことです。
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