ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 清 第3章 30–41ページ
  • 「私は神の幻を見始めた」

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 「私は神の幻を見始めた」
  • エホバの清い崇拝 ついに回復される!
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 当時の状況
  • 見たこともないような乗り物
  • 「車輪よ!」
  • 兵車を制御している方
  • 兵車とあなた
  • エホバの天の兵車は前進する
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1991
  • エホバは他のあらゆる神々とどのように異なっておられるか
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1972
  • 親しく神を知り平和を保ちなさい
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1970
  • 聴け ― エホバの見張りの者が語る
    エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1988
もっと見る
エホバの清い崇拝 ついに回復される!
清 第3章 30–41ページ
エゼキエルが最初の幻を見ている。風が吹き,巨大な雲の中で火がきらめいている。

第3章

「私わたしは神かみの幻まぼろしを見み始はじめた」

エゼキエル 1:1

ポイント: エゼキエルが見みた天てんの兵へい車しゃの幻まぼろしの主おもな点てん

1-3. (ア)エゼキエルはどんなものを見みて,どんな音おとを聞ききましたか。(冒ぼう頭とうの挿さし絵えを参さん照しょう。)(イ)どんな力ちからがエゼキエルに働はたらきましたか。エゼキエルはどう反はん応のうしましたか。

エゼキエルは,砂すなぼこりが舞まう広こう大だいな平へい野やのはるか向むこうを見みつめています。目めを細ほそめ,それから大おおきく見み開ひらきます。何なんという光こう景けいでしょう。地ち平へい線せんの近ちかくで嵐あらしが生しょうじていますが,普ふ通つうの嵐あらしではありません。風かぜが北きたから激はげしく吹ふき付つける中なか,そびえ立たつ巨きょ大だいな雲くもが見みえます。その雲くもの中なかでは火ひがきらめいており,溶とけた貴き金きん属ぞくの輝かがやきを思おもわせます。a 雲くもがすごい速はやさで近ちかづいてくるにつれ,音おとがどんどん大おおきくなります。まるで大おおきな軍ぐん勢ぜいが移い動どうする時ときのようなごう音おんです。(エゼ 1:4,24)

2 およそ30歳さいだったエゼキエルは,これを皮かわ切きりに忘わすれられない体たい験けんをしていくことになります。この時とき初はじめて,抗こうし難がたい「エホバの力ちから」が自じ分ぶんに働はたらくのを感かんじます。その聖せいなる力ちからにより,驚おどろくような事こと柄がらを見み聞ききします。特とく殊しゅ効こう果かを使つかった現げん代だいの映えい画がも比くらべものになりません。エゼキエルは幻まぼろしを見みて圧あっ倒とうされてしまい,思おもわず地じ面めんにひれ伏ふします。(エゼ 1:3,28)

3 しかし,エホバは単たんにエゼキエルに畏おそれの気き持もちを抱いだかせようとしたわけではありません。エゼキエルが見みた最さい初しょの幻まぼろしは,この感かん動どう的てきな預よ言げん書しょに記しるされている他たの幻まぼろしと同おなじように,多おおくの情じょう報ほうを含ふくんでいます。エゼキエルにとっても,今いまエホバに忠ちゅう実じつに仕つかえている人ひとたちにとっても,非ひ常じょうに意い味み深ぶかいものです。では,エゼキエルが見み聞ききした事こと柄がらを詳くわしく調しらべましょう。

当とう時じの状じょう況きょう

4,5. エゼキエルが幻まぼろしを見みた当とう時じの状じょう況きょうはどのようなものでしたか。

4 エゼキエル 1:1-3を読よむ。まず,当とう時じの状じょう況きょうを考かんがえてみましょう。紀き元げん前ぜん613年ねんのことです。前まえの章しょうで学まなんだように,エゼキエルはバビロンにいて,一いっ緒しょに捕ほ囚しゅうにされた人ひとたちと共ともにケバル川がわのほとりに住すんでいました。ケバル川がわは,ユーフラテス川がわから分わかれて再ふたたび合ごう流りゅうする,船ふねも通とおれる運うん河がだったようです。

エゼキエルが住んでいた,ケバル川のほとりの居住地

エゼキエルは一いっ緒しょに捕ほ囚しゅうにされた人ひとたちと共ともにケバル川がわのほとりに住すんでいた。(4節せつを参さん照しょう)

バビロニア帝国の一部を示した地図

囲かこみ 3A: バビロンへの長ながい道みちのり

5 故こ郷きょうのエルサレムは約やく800㌔のかなたにありました。b かつてエゼキエルの父ちち親おやが祭さい司しとして奉ほう仕ししていた神しん殿でんは,間ま違ちがった崇すう拝はいや偶ぐう像ぞうによって汚けがされていました。ダビデやソロモンが統とう治ちしていた頃ころに栄えい光こうに輝かがやいていた王おう座ざは,恥ち辱じょくのもとになっています。信しん仰こうのないエホヤキン王おうは,捕ほ囚しゅうの民たみと共ともにバビロンにいます。代かわりに王おうとなったゼデキヤは邪じゃ悪あくな人ひとで,バビロンの王おうの操あやつり人にん形ぎょうにすぎません。(王おう二に 24:8-12,17,19)

6,7. エゼキエルにとって当とう時じがいっそう暗あん黒こくの時じ代だいに思おもえたのは,周しゅう囲いの人ひとたちがどんな反はん応のうをしたからかもしれませんか。

6 エゼキエルのように信しん仰こうの強つよい人ひとには,まさに暗あん黒こくの時じ代だいに思おもえたことでしょう。捕ほ囚しゅうの民たみの中なかには,次つぎのように考かんがえた人ひとたちもいたかもしれません。「私わたしたちはエホバに見み捨すてられたのだ。無む数すうの偽にせの神かみ々がみを崇すう拝はいする,この邪じゃ悪あくな強きょう国こくバビロンは,エホバの清きよい崇すう拝はいを拭ぬぐい去さり,地ち上じょうからエホバの支し配はい権けんを除のぞき去さってしまうだろう」。

7 こうした背はい景けいを念ねん頭とうに置おきながら,エゼキエルが見みた最さい初しょの幻まぼろしについて学まなんでいきましょう。手て始はじめに,その幻まぼろしの生いき生いきとした描びょう写しゃを読よんでください。(エゼ 1:4-28)エゼキエルが見みたり聞きいたりしたことを,自じ分ぶんもその場ばにいるかのように感かんじてみましょう。

カルケミシュの近くを流れるユーフラテス川

カルケミシュの近ちかくを流ながれるユーフラテス川がわ(5-7節せつを参さん照しょう)

見みたこともないような乗のり物もの

8. エゼキエルは幻まぼろしで何なにを見みましたか。それは何なにを表あらわしていますか。

8 エゼキエルが見みたものは,いったい何なんだったのでしょうか。それは巨きょ大だいで荘そう厳ごんな乗のり物もののようなもので,兵へい車しゃと呼よばれています。4つの非ひ常じょうに大おおきな車しゃ輪りんがあり,その傍かたわらには4つの不ふ思し議ぎな生いき物ものがいます。後あとで分わかることですが,それはケルブと呼よばれる天てん使しです。(エゼ 10:1)ケルブたちの頭ず上じょうには氷こおりにも似にた壮そう大だいな台だい座ざがあり,その上うえには栄えい光こうに輝かがやく王おう座ざがあって,エホバ神かみが座すわっています。この兵へい車しゃは何なにを表あらわしているのでしょうか。エホバの輝かがやかしい宇う宙ちゅう的てきな組そ織しきの,天てんにある部ぶ分ぶんに違ちがいありません。なぜそう言いえるか,3つの理り由ゆうを考かんがえましょう。

9. エホバと天てん使しの関かん係けいを考かんがえると,エホバはどういう意い味みで兵へい車しゃに乗のっていると言いえますか。

9 エホバと天てん使しの関かん係けい。この幻まぼろしの中なかで,エホバの王おう座ざがケルブたちの上うえにあることに注ちゅう目もくしてください。聖せい書しょの他たの箇か所しょでも,エホバはケルブたちの上うえや間あいだに王おうとして座すわっていると述のべられています。(列れつ王おう第だい二に 19:15を読よむ。出しゅつ 25:22。詩し 80:1)もちろんエホバは,力ちから強づよいケルブたちに運はこんでもらう必ひつ要ようがあるかのように,文も字じ通どおりケルブたちの上うえに座すわっているわけではありません。文も字じ通どおりの兵へい車しゃに乗のる必ひつ要ようがないのと同おなじです。ケルブたちはエホバの主しゅ権けんを支し持じしており,エホバはご自じ分ぶんの望のぞむことを行おこなわせるために宇う宙ちゅうのどこにでもケルブを遣つかわすことができます。ケルブは,他たの天てん使しと同おなじように,エホバの奉ほう仕し者しゃとしてエホバの決けっ定ていを実じっ行こうします。(詩し 104:4)エホバは主しゅ権けん者しゃとして,天てん使したち全すべてを指し揮きしています。そういう意い味みで,天てん使したちで構こう成せいされる巨きょ大だいな兵へい車しゃに乗のっているのです。

10. 天てんの兵へい車しゃが表あらわしているものは,4人にんのケルブたちだけではありません。そう言いえるのはなぜですか。

10 兵へい車しゃが表あらわしているものは,ケルブたちだけではない。エゼキエルが見みたケルブは4人にんいました。聖せい書しょの中なかで4という数すう字じは多おおくの場ば合あい,釣つり合あいが取とれていることや全ぜん部ぶがそろっていること,全すべてを包ほう含がんしていることを示しめしています。ですから,4人にんのケルブは,エホバに仕つかえる天てん使したち全すべてを表あらわしています。車しゃ輪りんやケルブがたくさんの目めで覆おおわれていることにも注ちゅう目もくできます。そのことは,4人にんのケルブ以い外がいにも多おおくの天てん使しが油ゆ断だんなく見み張はっていることを示し唆さしています。また,エゼキエルによれば兵へい車しゃは巨きょ大だいなので,それと比くらべると,堂どう々どうとしたケルブも小ちいさく見みえます。(エゼ 1:18,22; 10:12)同おなじように,エホバの組そ織しきの天てんにある部ぶ分ぶんは非ひ常じょうに大おおきく,4人にんのケルブよりもはるかに多おおくを包ほう含がんしています。

エゼキエルが幻の中で見たエホバの天の兵車

エゼキエルはエホバの天てんの兵へい車しゃの幻まぼろしを見みて驚きょう嘆たんした。(8-10節せつを参さん照しょう)

11. ダニエルは似にたような幻まぼろしの中なかで何なにを見みましたか。どう考かんがえるのは筋すじの通とおったことですか。

11 ダニエルが見みた天てんの幻まぼろし。バビロンでの長ながい捕ほ囚しゅうの期き間かんを生いき抜ぬいた預よ言げん者しゃダニエルも,天てんに関かんする似にたような幻まぼろしを見みました。興きょう味み深ぶかいことに,その幻まぼろしの中なかでもエホバの王おう座ざには車しゃ輪りんがありました。ダニエルが見みた幻まぼろしは,エホバの天てんの家か族ぞくがいかに大おおきいかを際きわ立だたせています。ダニエルは,「千せんの千せん倍ばい……1万まんの1万まん倍ばい」の天てん使したちがエホバの前まえに立たっているのを見みました。それぞれが天てんの法ほう廷ていの一いち員いんとして,割わり当あてられた場ば所しょにいたようです。(ダニ 7:9,10,13-18)エゼキエルが見みた幻まぼろしも同おなじ輝かがやかしい集しゅう団だんを表あらわしていると考かんがえるのは,筋すじの通とおったことではないでしょうか。

12. エゼキエルが見みた天てんの兵へい車しゃの幻まぼろしなどの情じょう報ほうについてよく考かんがえることは身みの守まもりとなります。なぜですか。

12 エホバは,使し徒とパウロの言いう「見みえないもの」,つまり神かみに関かん係けいする事こと柄がらについて考かんがえ続つづけることが,人にん間げんにとって身みの守まもりとなることをご存ぞんじです。生なま身みの体からだを持もつ私わたしたちは,「見みえるもの」つまりお金かねや物ものなどに心こころを奪うばわれがちだからです。それらは一いち時じ的てきで,はかないものです。(コリント第だい二に 4:18を読よむ。)サタンは私わたしたちのそういう傾けい向こうに付つけ入いり,利り己こ的てきな欲よく望ぼうのままに行こう動どうさせようとします。そのような圧あつ力りょくに抵てい抗こうできるよう,エホバは愛あい情じょう深ぶかくもこのエゼキエル書しょの預よ言げんにあるような情じょう報ほうを与あたえ,エホバの天てんの家か族ぞくの荘そう厳ごんさを感かん動どう的てきな仕し方かたで思おもい起おこさせてくださいます。

「車しゃ輪りんよ!」

13,14. (ア)エゼキエルは車しゃ輪りんをどのように描びょう写しゃしていますか。(イ)エホバの王おう座ざに車しゃ輪りんがあるのが適てき切せつなのはなぜですか。

13 エゼキエルはまず4人にんのケルブに注ちゅう目もくしました。この本ほんの第だい4章しょうで,ケルブたちやその並なみ外はずれた姿すがたからエホバについてどんなことが学まなべるかを考かんがえます。ここでは,エゼキエルが見みた4つの車しゃ輪りんに焦しょう点てんを当あてましょう。ケルブたちの横よこにあったその車しゃ輪りんは,大おおきな四し角かく形けいを作つくるように配はい置ちされていたと考かんがえられます。(エゼキエル 1:16-18を読よむ。)車しゃ輪りんはかんらん石せきでできているように見みえ,美うつくしく光ひかっていました。かんらん石せきは透とう明めいもしくは半はん透とう明めいの宝ほう石せきで,色いろは黄き色いろか黄き緑みどり色いろです。

14 エゼキエルが見みた幻まぼろしの中なかで,兵へい車しゃの車しゃ輪りんは際きわ立だっています。王おう座ざに車しゃ輪りんがあるというのは,何なんとも奇き妙みょうな組くみ合あわせではないでしょうか。普ふ通つう,王おう座ざは特とく定ていの場ば所しょに固こ定ていされているものです。地ち上じょうの支し配はい者しゃの権けん力りょくがある程てい度どの範はん囲いまでしか及およばないことを考かんがえれば,それも当とう然ぜんでしょう。しかし,エホバの主しゅ権けんは,人にん間げんの支し配はい権けんとは全まったく異ことなります。エゼキエルもやがて知しることになりますが,主しゅ権けん者しゃとしてのエホバの力ちからには限げん界かいがありません。(ネヘ 9:6)エホバはまさしくどこにでも権けん力りょくを行こう使しできるのです。

15. エゼキエルは車しゃ輪りんの大おおきさや造つくりについてどんなことを述のべていますか。

15 エゼキエルは車しゃ輪りんの大おおきさに驚きょう嘆たんしました。「車しゃ輪りんは非ひ常じょうに大おおきく,圧あっ倒とうされるほどだった」と書かいています。エゼキエルが上うえを見み上あげ,空そらに向むかってそびえる巨きょ大だいな輝かがやく車しゃ輪りんを眺ながめている様よう子すが目めに浮うかびます。さらに興きょう味みをそそられるのは,「4つの車しゃ輪りんの外そと側がわは全すべて,たくさんの目めで覆おおわれていた」という点てんです。そして,最もっとも興きょう味み深ぶかいのは,車しゃ輪りんの不ふ思し議ぎな構こう造ぞうでしょう。エゼキエルによれば,「その構こう造ぞうは,輪わの中なかに輪わがあるかのよう」でした。どういうことでしょうか。

16,17. (ア)輪わの中なかに輪わがあるというのはどういう構こう造ぞうだと考かんがえられますか。(イ)車しゃ輪りんの造つくりからして,エホバの兵へい車しゃはどのような動うごきをするでしょうか。

16 エゼキエルが見みた車しゃ輪りんはそれぞれ2つの輪わが組くみ合あわさったような構こう造ぞうで,2つの輪わが同おなじ縦たて軸じくを中ちゅう心しんにして直ちょっ角かくに交まじわっていたと考かんがえられます。そういう造つくりであれば,エゼキエルが記しるしたように,「車しゃ輪りんは進すすむ時とき,向むきを変かえずに4つのどの方ほう向こうにも行いくことができた」でしょう。これらの車しゃ輪りんから,エゼキエルが見みた天てんの兵へい車しゃについてどんなことが分わかるでしょうか。

17 それほど巨きょ大だいな車しゃ輪りんであれば,1回かい転てんしただけでかなりの距きょ離りを進すすめます。兵へい車しゃは稲いな妻ずまの速はやさで動うごけるものと思おもわれます。(エゼ 1:14)さらに,4つの方ほう向こうに進すすむ不ふ思し議ぎな車しゃ輪りんによって,この兵へい車しゃは人にん間げんの技ぎ術じゅつ者しゃには到とう底てい実じつ現げんできないような動うごきをします。速そく度どを落おとしたり向むきを変かえたりせずに,進すすむ方ほう向こうを瞬しゅん時じに変かえられるのです。とはいえ,やみくもに動うごくわけではありません。車しゃ輪りんの外そと側がわが目めで覆おおわれていますから,四し方ほうの全すべての状じょう況きょうをつぶさに察さっ知ちできるに違ちがいありません。

エホバの天の兵車の4つの巨大な車輪

車しゃ輪りんは巨きょ大だいで,非ひ常じょうに速はやく動うごいた。(17節せつを参さん照しょう)

18. 車しゃ輪りんが巨きょ大だいで,たくさんの目めで覆おおわれていることから,何なにが分わかりますか。

18 では,エホバはエゼキエルをはじめ忠ちゅう実じつな人ひとたち全すべてに,ご自じ分ぶんの組そ織しきの天てんにある部ぶ分ぶんについて何なにを教おしえようとしていたのでしょうか。これまでに考かんがえてきた事こと柄がらを振ふり返かえってみましょう。車しゃ輪りんの美うつくしい輝かがやきや巨きょ大だいさから,天てんの組そ織しきが栄えい光こうに輝かがやく荘そう厳ごんなものであることが分わかります。車しゃ輪りんがたくさんの目めで覆おおわれていることから,天てんの組そ織しきが全すべてを察さっ知ちしていることが分わかります。エホバご自じ身しんの目めも全すべてを見みています。(格かく 15:3。エレ 23:24)さらに,エホバは何なん億おくもの天てん使しを宇う宙ちゅうのどこにでも遣つかわすことができ,その天てん使したちは物もの事ごとを注ちゅう意い深ぶかく観かん察さつして主しゅ権けん者しゃに伝つたえることができます。(ヘブライ 1:13,14を読よむ。)

エゼキエルが幻の中で見た車輪。輪の中に輪があるかのようで,たくさんの目で覆われている。

車しゃ輪りんの造つくりから,兵へい車しゃが自じ在ざいに動うごくことが分わかる。(17,19節せつを参さん照しょう)

19. エホバの兵へい車しゃが極きわめて速はやく,自じ在ざいに動うごくことから,エホバやエホバの組そ織しきの天てんにある部ぶ分ぶんについて何なにが分わかりますか。

19 また,兵へい車しゃは極きわめて速はやく,自じ在ざいに動うごくということも分わかりました。エホバの組そ織しきの天てんにある部ぶ分ぶんは,人にん間げんの政せい府ふや機き関かんや組そ織しきとは全まったく違ちがいます。人にん間げんの組そ織しきは多おおくの場ば合あい,状じょう況きょうが十じゅう分ぶんに見みえておらず反はん応のうも遅おそいので,変へん化かに対たい応おうできず,大だい失しっ敗ぱいをしたり時じ代だいに合あわなくなったりします。しかし天てんの兵へい車しゃは,それを制せい御ぎょしているエホバの分ふん別べつや柔じゅう軟なんさを完かん全ぜんに反はん映えいしています。エホバという名なが示し唆さしている通とおり,神かみはご自じ分ぶんの目もく的てきを果はたすために,必ひつ要ように応おうじて何なににでもなることができます。(出しゅつ 3:13,14)例たとえば,ご自じ分ぶんの民たみのために戦たたかう強つよい戦せん士しになったかと思おもえば,今こん度どは憐あわれみ深ぶかく罪つみを許ゆるす方かたになって,悔くい改あらためた罪つみ人びとが失しつ意いのどん底ぞこにあっても優やさしく世せ話わして立たち直なおらせることができます。(詩し 30:5。イザ 66:13)

20. エホバの兵へい車しゃに畏おそれの気き持もちを持もつべきなのはなぜですか。

20 エゼキエルが見みた幻まぼろしをここまで調しらべてきて,「自じ分ぶんはエホバの兵へい車しゃに畏おそれの気き持もちを持もっているだろうか」と考かんがえてみることができます。この兵へい車しゃが表あらわすものは現げん実じつに存そん在ざいしている,ということを忘わすれてはなりません。エホバやイエスや天てん使したちが,私わたしたちを落らく胆たんさせている問もん題だいに気き付づいていない,ということは決けっしてありません。また,私わたしたちに必ひつ要ようなものを与あたえる点てんで神かみが遅おそくなることも,不ふ安あん定ていな世よの中なかで生しょうじる問もん題だいに神かみの組そ織しきが対たい応おうできないということもありません。エホバの組そ織しきは絶たえず活かっ発ぱつに動うごいています。エゼキエルは,天てんからの声こえが「車しゃ輪りんよ!」と叫さけぶのを聞ききました。それは,動うごくよう車しゃ輪りんに命めいじる呼よび掛かけだと考かんがえられます。(エゼ 10:13)エホバが動うごかしている天てんの組そ織しきについて思おもい巡めぐらすと,畏おそれの気き持もちが湧ゎいてくるのではないでしょうか。とはいえ,私わたしたちが最もっとも畏おそれを抱いだくべきなのは,エホバです。

兵へい車しゃを制せい御ぎょしている方かた

21,22. 兵へい車しゃの各かく部ぶをつなぎ合あわせているのは何なんですか。

21 エゼキエルは車しゃ輪りんの上うえの方ほうに注ちゅう意いを引ひかれ,「壮そう大だいな氷こおりの塊かたまりのようにきらめ」いている「巨きょ大だいな台だい座ざのようなもの」を見みました。(エゼ 1:22)それはケルブたちのはるか頭ず上じょうに広ひろがっており,透すき通とおって光ひかり輝かがやいていました。ここで,機き械かいに詳くわしい読どく者しゃは,この兵へい車しゃについていろいろな疑ぎ問もんを持もつかもしれません。例たとえば,「台だい座ざはどういう仕し組くみで車しゃ輪りんの上じょう方ほうにあるのか。車しゃ輪りんをつなぐ車しゃ軸じくがないのにうまく動うごくのか」といった疑ぎ問もんです。しかし,考かんがえてみてください。この兵へい車しゃは物ぶつ理り法ほう則そくに縛しばられてはいません。天てんに存そん在ざいするものの象しょう徴ちょうだからです。「生いき物ものに働はたらいている聖せいなる力ちからが車しゃ輪りんの中なかにもあった」という言こと葉ばにも注ちゅう目もくしてください。(エゼ 1:20,21)ケルブたちや車しゃ輪りんに働はたらいていた聖せいなる力ちからとは,どういうものでしょうか。

22 それはエホバから送おくり出だされる力ちからであり,宇う宙ちゅうで一いち番ばん強つよい力ちからです。その力ちからは,兵へい車しゃの各かく部ぶをつなぎ合あわせ,動どう力りょくとなり,兵へい車しゃが整せい然ぜんと動うごくようにします。そのことを念ねん頭とうに置おきながら,エゼキエルがしたように,兵へい車しゃを制せい御ぎょしている方かたに目めを向むけてみましょう。

エゼキエルは,言こと葉ばではとても表ひょう現げんできない光こう景けいを何なんとか説せつ明めいしようとした。

23. エゼキエルはエホバを描びょう写しゃするためにどんな表ひょう現げんを何なん度ども使つかっていますか。なぜですか。

23 エゼキエル 1:26-28を読よむ。この幻まぼろしに関かんする記き述じゅつの中なかで,エゼキエルは「……のような」とか「……のように」といった表ひょう現げんを何なん度ども使つかっていますが,これらの節せつでは特とくにそうです。言こと葉ばではとても表ひょう現げんできない光こう景けいを何なんとか説せつ明めいしようと苦く心しんしたのでしょう。例たとえば,「サファイアの石いしのようなものがあり,それは王おう座ざのようだった」と述のべています。深ふかい青あお色いろの巨きょ大だいなサファイアから切きり出だした王おう座ざを想そう像ぞうできますか。その王おう座ざには「人にん間げんのような姿すがたをした方かた」が座すわっています。

24,25. (ア)エホバの王おう座ざの周まわりの虹にじは何なにを思おもい起おこさせますか。(イ)こうした幻まぼろしを見みた預よ言げん者しゃたちは,どういう影えい響きょうを受うけましたか。

24 この威い厳げんに満みちた方かたの姿すがたは,はっきりとは見みえませんでした。エホバの腰こしの上うえからも下したからも,光ひかり輝かがやく炎ほのおのようなものが出でていたからです。エゼキエルがその栄えい光こうに輝かがやく姿すがたを見みようと,目めを細ほそめて手てをかざしている様よう子すが思おもい浮うかびます。そしてエゼキエルは,幻まぼろしのハイライトとも言いえる点てんに触ふれ,「その方かたの周まわりは光ひかり輝かがやいており,雨あめの日ひに雲くもに懸かかる虹にじのようだった」と述のべました。虹にじを見みて気き分ぶんが高こう揚ようしたことがありますか。色いろ鮮あざやかな虹にじは,創そう造ぞう者しゃの栄えい光こうを思おもい起おこさせます。また,静しずかに空そらを彩いろどる虹にじは,大だい洪こう水ずいの後あとにエホバが結むすんだ平へい和わの契けい約やくも思おもい起おこさせます。(創そう 9:11-16)全ぜん能のう者しゃエホバは強きょう大だいな方かたですが,平へい和わの神かみでもあります。(ヘブ 13:20)その方かたの心こころに満みちている平へい和わは,忠ちゅう実じつな崇すう拝はい者しゃたちの間あいだにも広ひろがっています。

エゼキエルが幻の中で見た,エホバの王座の周りの虹

エホバの王おう座ざの周まわりで光ひかり輝かがやく虹にじは,私わたしたちが平へい和わの神かみに仕つかえていることを思おもい起おこさせる。(24節せつを参さん照しょう)

25 栄えい光こうに輝かがやくエホバ神かみの様よう子すを見みたエゼキエルは,どのような影えい響きょうを受うけたでしょうか。「それを見みた時とき,私わたしはひれ伏ふした」と記しるしています。神かみへの畏おそれの気き持もちでいっぱいになり,思おもわず平へい伏ふくしたのです。エホバからの幻まぼろしを見みた他たの預よ言げん者しゃたちも,同おなじような反はん応のうをしました。圧あっ倒とうされて,自じ分ぶんはちっぽけな存そん在ざいだと感かんじたことでしょう。(イザ 6:1-5。ダニ 10:8,9。啓けい 1:12-17)とはいえ,その人ひとたちはエホバから啓けい示じされた事こと柄がらにとても力ちからづけられました。もちろんエゼキエルもです。では,こうした聖せい書しょの記き述じゅつを読よむ時とき,私わたしたちはどう感かんじるでしょうか。

26. エゼキエルは幻まぼろしによって力ちからづけられたに違ちがいありません。なぜそう言いえますか。

26 エゼキエルは,神かみの民たみのバビロンでの状じょう況きょうを考かんがえて不ふ安あんや疑ぎ念ねんを抱いだいたとしても,幻まぼろしによって力ちからづけられたに違ちがいありません。神かみに忠ちゅう実じつに仕つかえる人ひとたちがエルサレムにいてもバビロンにいても,ほかのどこにいるとしても,心しん配ぱいは要いりません。エホバの堂どう々どうたる兵へい車しゃの力ちからが及およばない場ば所しょなどありません。サタンの配はい下かのどんな勢せい力りょくも,栄えい光こうに輝かがやく天てんの組そ織しきを自じ在ざいに動うごかせる神かみに立たち向むかうことなどできません。(詩し編へん 118:6を読よむ。)また,エゼキエルによると,天てんの兵へい車しゃは人にん間げんから遠とおく離はなれているわけではありませんでした。その車しゃ輪りんは地ち上じょうに接せっしていたのです。(エゼ 1:19)ですから,エホバは捕ほ囚しゅうにされていた忠ちゅう実じつな民たみに深ふかい関かん心しんを払はらっていました。その人ひとたちはどこにいても,天てんの父ちちの愛あい情じょう深ぶかい世せ話わを受うけることができます。

兵へい車しゃとあなた

27. エゼキエルが見みた幻まぼろしが,現げん代だいの私わたしたちにとって重じゅう要ような意い味みを持もつのはどうしてですか。

27 エゼキエルが見みた幻まぼろしは,確たしかに現げん代だいの私わたしたちにとって重じゅう要ような意い味みを持もっています。サタンは,エホバの清きよい崇すう拝はいに対たいする攻こう撃げきの手てをますます強つよめています。私わたしたちが孤こ独どくで,天てんの父ちちやその組そ織しきの力ちからが及およばない所ところにいる,と思おもい込こませようとしています。そのようなうそにだまされて落おち込こまないようにしてください。(詩し 139:7-12)私わたしたちはこの幻まぼろしにより,エゼキエルのように神かみへの畏おそれに満みたされます。ひれ伏ふすことはしないまでも,驚きょう嘆たんし,感かん動どうを覚おぼえるはずです。エホバの宇う宙ちゅう的てきな組そ織しきの天てんにある部ぶ分ぶんがいかに強きょう大だいで,速はやく進すすみ,自じ在ざいに動うごき,柔じゅう軟なんで,栄えい光こうに輝かがやいているかが分わかるからです。

28,29. 過か去こ100年ねん間かんにエホバの兵へい車しゃが躍やく動どうしてきたことは,どんな事こと柄がらから分わかりますか。

28 エホバの組そ織しきには地ち上じょうの部ぶ分ぶんもあることも忘わすれないでください。その地ち上じょうの部ぶ分ぶんが不ふ完かん全ぜんな人にん間げんによって構こう成せいされているのは事じ実じつです。しかし,エホバは地ち上じょうで驚おどろくべきことを成なし遂とげてきました。世せ界かい中じゅうで人ひと々びとを導みちびき,人ひとの力ちからでは到とう底ていなし得えない事こと柄がらを行おこなわせてきたのです。(ヨハ 14:12)「神かみの王おう国こくは支し配はいしている!」の本ほんをざっと読よむだけで,過か去こ100年ねん間かんに伝でん道どう活かつ動どうが非ひ常じょうに広こう範はん囲いに行おこなわれてきたことを思おもい起おこせるでしょう。真しんのクリスチャンを教きょう育いくし,法ほう的てき勝しょう利りを収おさめる面めんでも,神かみの望のぞまれることを行おこなうために最さい新しんのテクノロジーを利り用ようする面めんでも,エホバの組そ織しきは大おおきく前ぜん進しんしてきました。

29 この腐ふ敗はいした体たい制せいの終おわりの時じ代だいに,清きよい崇すう拝はいの回かい復ふくのために行おこなわれてきた事こと柄がらからすれば,エホバの兵へい車しゃが躍やく動どうしてきたことは明あきらかです。この組そ織しきの中なかで主しゅ権けん者しゃに仕つかえられるのは,何なんと光こう栄えいなことでしょう。(詩し 84:10)

JW Broadcastingの撮影風景。統治体のスティーブン・レットが出演している。

エホバの組そ織しきの地ち上じょうの部ぶ分ぶんは絶たえず活かつ動どうしている。(28,29節せつを参さん照しょう)

30. 次つぎの章しょうではどんなことを考かんがえますか。

30 エゼキエルが見みた幻まぼろしから学まなべることはほかにもあります。次つぎの章しょうでは,4つの不ふ思し議ぎな「生いき物もの」つまりケルブに注ちゅう目もくします。ケルブたちから,栄えい光こうに輝かがやく主しゅ権けん者しゃエホバ神かみについてどんなことを学まなべるでしょうか。

a エゼキエルは,金きんと銀ぎんの合ごう金きんである琥こ珀はく金きんに言げん及きゅうしています。

b これは直ちょく線せん距きょ離りです。捕ほ囚しゅうにされた人ひとたちが通とおったルートは,その2倍ばい近ちかい距きょ離りだったと思おもわれます。

清きよい崇すう拝はいとあなた

  1. エゼキエルが見みた兵へい車しゃは何なにを表あらわしていますか。そう言いえるのはなぜですか。

  2. 兵へい車しゃの車しゃ輪りんや動うごきからどんなことを学まなべますか。

  3. 幻まぼろしを見みたエゼキエルはどのような影えい響きょうを受うけましたか。幻まぼろしについて思おもい巡めぐらすと,あなたはどういう気き持もちになりますか。

  4. エホバの組そ織しきの中なかでエホバに仕つかえられるのは光こう栄えいなことです。そう考かんがえていることをどのように示しめせると思おもいますか。

    日本語出版物(1953-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2026 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする