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あらゆる民のための言語ものみの塔 1973 | 12月1日
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12 ペテロは何について証ししましたか。それはどんな結果を生みましたか。
12 ついでペテロは,神の霊を注ぎ出すことに関するヨエルの預言を引用しつつ,この驚くべきできごとについてヘブライ語で説明しました。彼は,預言者が「終わりの日」について述べたこと,つまり,「エホバの名を呼び求める者はみな救われるであろう」という点をはっきり示して,救いの道を備えてくださるのはエホバであることを強調しました。そして,イエスの行なわれた強力な業,それが彼の死と奇跡的な復活とに至ったことに注意を向けつつ,至高の主権者としてのエホバの卓越した地位に注目させました。彼は,「わたしはエホバを絶えず自分の目の前に見た。わたしが揺り動かされることがないようわたしの右にいてくださるからである」というダビデのことばをイエスに当てはめました。この力強い音信は幾千もの人を動かし,人々は自分と自分の子どもたちの前に呈示された聖書の希望を心から受け入れ,そのゆえにやがて臨んだ反対や迫害にも甘んじたのです。―使行 2:17,21,25,新。ヨエル 2:32。
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あらゆる民のための言語ものみの塔 1973 | 12月1日
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15 ゼパニヤ書 3章9節の中にどんな約束がありますか。それはなぜわたしたちにとって大切なものですか。
15 今日のわたしたちも,エホバから授かった言語の賜物を同じように用いることができますか。もとよりできるはずです。そして,ゼパニヤの預言も,そのとおりに行なわれることを予告しています。その文脈は,エホバが諸国民を集めて,その上にご自分の燃えるような怒りを注ごうと決意しておられること,それが彼らに対するエホバの司法上の決定によるものであることを示しています。この司法上の決定が執行されてエホバの怒りが注がれる時,その怒りを受けないでいる者がいますか。わたしたちがエホバの恵みを受けうることは,次の預言的な保証のことばに示されています。「そのとき[つまり,「終わりの日」の間]わたし[エホバ]はもろもろの民に清い言語への変化を与え,こうして彼らすべてがエホバの名を呼び求め,肩を並べて彼に仕えるようにする」。実際,ペテロが説明したように,清い言語を話してエホバの名を呼び求めないなら,諸国民に対するエホバの糾弾から逃れる道はないでしょう。しかしヨエルはわたしたちにこう保証しています。「エホバののたまひしごとく……救はれし者あるべ(し) そののこれる者のうちにエホバの召したまへるものあらん」。―ゼパニヤ 3:8,9,新。ヨエル 2:32。
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