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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2022
塔研22 03月号 14–19ページ

研究記事12

あなたはゼカリヤが見みたものを見みていますか

「『私わたしの聖せいなる力ちからによるのである』と大たい軍ぐんを率ひきいるエホバは言いう」。ゼカリヤ 4:6

73番ばんの歌うた 私わたしたちに大だい胆たんさを与あたえてください

何なにを学まなぶかa

1. バビロンで捕ほ囚しゅうになっていたユダヤ人じんが喜よろこびに包つつまれたのはなぜですか。

ユダヤ人じんは喜よろこびに包つつまれていました。エホバ神かみがペルシャの「キュロス王おうの心こころを奮ふるい立たたせ」たので,ユダヤ人じんは何なん十じゅう年ねんも捕ほ囚しゅうになっていたバビロンから解かい放ほうされることになったのです。キュロスはユダヤ人じんに対たいして,故こ国こくに戻もどり,「イスラエルの神かみである真しんの神かみエホバの家いえを建たて直なおす」ように,との布ふ告こくを出だしました。(エズ 1:1,3)それを聞きいたユダヤ人じんは,本ほん当とうにうれしかったことでしょう。真しんの神かみエホバがご自じ分ぶんの民たみに与あたえた土と地ちで,エホバへの崇すう拝はいがついに回かい復ふくされるのです。

2. エルサレムに帰き還かんした人ひとたちは,まずどんなことを行おこないましたか。

2 紀き元げん前ぜん537年ねん,バビロン捕ほ囚しゅうから帰き還かんした人ひとたちの第だい1陣じんが,南みなみのユダ王おう国こくの首しゅ都とだったエルサレムに到とう着ちゃくしました。それらの人ひとたちは,すぐに神しん殿でん再さい建けんに取とり掛かかり,紀き元げん前ぜん536年ねんにはすでに土ど台だいを据すえていました。

3. ユダヤ人じんはどんな反はん対たいに直ちょく面めんしましたか。

3 ユダヤ人じんは神しん殿でんの再さい建けんを始はじめましたが,すぐに激はげしい反はん対たいに直ちょく面めんしました。周しゅう辺へんの国くに々ぐにの人ひとたちが,「絶たえずユダの民たみの士し気きをくじき,建たてる意い欲よくを失うしなわせようとした」のです。(エズ 4:4)そして,状じょう況きょうはさらに悪わるくなっていきます。紀き元げん前ぜん522年ねんにアルタクセルクセスがペルシャの王おうになりました。b 反はん対たい者しゃたちはこれを絶ぜっ好こうの機き会かいと考かんがえ,「法ほうの名なの下もとに問もん題だいを巻まき起おこして」,神しん殿でんの建けん設せつをやめさせようとたくらみました。(詩し 94:20)王おうに対たいして,ユダヤ人じんは反はん逆ぎゃくを企くわだてている,といううその内ない容ようの手て紙がみを送おくったのです。(エズ 4:11-16)アルタクセルクセスはこの話はなしを信しんじ,神しん殿でんの建けん設せつを禁きんじる命めい令れいを出だしました。(エズ 4:17-23)こうして,喜よろこびのうちに始はじまった神しん殿でん建けん設せつはストップしてしまいました。(エズ 4:24)

4. 神しん殿でんの建けん設せつが禁きんじられた後あと,エホバはどんなことをしましたか。(イザヤ 55:11)

4 その土と地ちに住すむエホバを崇すう拝はいしていない人ひとたちや,ペルシャの政せい府ふの一いち部ぶの役やく人にんたちは,神しん殿でんの建けん設せつをやめさせようと決けつ意いしていました。でも,エホバは神しん殿でんが再さい建けんされることを望のぞんでいました。そして,エホバはご自じ分ぶんが望のぞむことを必かならず成なし遂とげる方かたです。(イザヤ 55:11を読よむ。)エホバはゼカリヤを預よ言げん者しゃに選えらび,印いん象しょう的てきな幻まぼろしを8つ見みせました。そして,ゼカリヤはその幻まぼろしについてユダヤ人じんに話はなし,励はげみを与あたえました。それを聞きいた人ひとたちは,反はん対たい者しゃたちを恐おそれる必ひつ要ようがないことを理り解かいし,エホバから命めいじられた活かつ動どうを続つづけるよう動うごかされました。ゼカリヤは5番ばん目めの幻まぼろしの中なかで,ランプ台だいと2本ほんのオリーブの木きを見みました。

5. この記き事じでは,どんなことを考かんがえますか。

5 私わたしたちも,時ときには気き落おちすることがあります。それで,エホバがゼカリヤに見みせた5番ばん目めの幻まぼろしから,ユダヤ人じんと同おなじように励はげみを得えることができます。この幻まぼろしについて理り解かいするなら,反はん対たいに直ちょく面めんしたり,変へん化かを経けい験けんしたり,理り解かいできないような指し示じを受うけたりする時ときにも,エホバに忠ちゅう実じつに仕つかえる助たすけを得えられるでしょう。

反はん対たいに直ちょく面めんする時とき

ゼカリヤは幻まぼろしの中なかで,7つのランプがあるランプ台だいに2本ほんのオリーブの木きから油あぶらが供きょう給きゅうされている様よう子すを見みた。(6節せつを参さん照しょう。)

6. ゼカリヤ 4章しょう1-3節せつにある,ランプ台だいと2本ほんのオリーブの木きの幻まぼろしが,ユダヤ人じんに勇ゆう気きを与あたえるものだったと言いえるのはなぜですか。(表ひょう紙しの絵えを参さん照しょう。)

6 ゼカリヤ 4:1-3を読よむ。ランプ台だいと2本ほんのオリーブの木きの幻まぼろしは,反はん対たいに立たち向むかうようユダヤ人じんに勇ゆう気きを与あたえるものでした。なぜそう言いえるでしょうか。ランプ台だいには,絶たえることなく油あぶらが供きょう給きゅうされていました。2本ほんのオリーブの木きから,鉢はちのようなものに油あぶらが注そそがれ,そこから7つのランプそれぞれに油あぶらが供きょう給きゅうされていました。そのおかげで,ランプの火ひは消きえることなく燃もえ続つづけていました。ゼカリヤが,「これらのものは何なにを表あらわしているのでしょうか」と尋たずねると,天てん使しはこう答こたえました。「『軍ぐん隊たいによるのでも,人にん間げんの力ちからによるのでもなく,私わたしの聖せいなる力ちからによるのである』と大たい軍ぐんを率ひきいるエホバは言いう」。(ゼカ 4:4,6)油あぶらは,エホバの強きょう力りょくな聖せいなる力ちからを表あらわしていました。聖せいなる力ちからは尽つきることがありません。そして,ペルシャ帝てい国こくの軍ぐん隊たい全すべてをもってしても,足あし元もとにも及およばないほど強きょう力りょくなものです。そのような力ちからを持もっているエホバが共ともにいてくださるのですから,ユダヤ人じんは反はん対たいがあっても神しん殿でんの再さい建けんを成なし遂とげることができるのです。こうしたことを聞きいて,ユダヤ人じんは大おおいに励はげまされたことでしょう。ユダヤ人じんに求もとめられていたのは,エホバを信しん頼らいし,神しん殿でんの建けん設せつに再ふたたび取とり掛かかることでした。そして実じっ際さい,禁きん止し令れいが出だされていた中なかでも工こう事じを再さい開かいしたのです。

7. 神しん殿でんを再さい建けんしていたユダヤ人じんにとって追おい風かぜとなるどんな変へん化かが生しょうじましたか。

7 やがて,神しん殿でんを再さい建けんしていたユダヤ人じんにとって追おい風かぜとなる変へん化かが生しょうじました。どんな変へん化かでしょうか。当とう時じペルシャを治おさめていたダリウス1世せいが,その治ち世せいの第だい2年ねん(紀き元げん前ぜん520年ねん)に,神しん殿でんの再さい建けんに対たいする禁きん令れいは違い法ほうであるということを知しったのです。そして,神しん殿でんを完かん成せいさせるようにという布ふ告こくを出だしました。(エズ 6:1-3)これだけでも驚おどろくべきニュースでしたが,この布ふ告こくにはさらに続つづきがありました。ダリウスは周まわりの国くに々ぐにの人ひとたちに対たいして,神しん殿でんの再さい建けんを邪じゃ魔ますることを禁きんじ,資し金きんや資し材ざいを提てい供きょうするようにと命めいじたのです。(エズ 6:7-12)そして4年ねん余あまり後のち,紀き元げん前ぜん515年ねんについに神しん殿でんが完かん成せいしました。(エズ 6:15)

投獄されている兄弟が,7つのランプがあるランプ台に2本のオリーブの木から油が供給されている様子をイメージしている。

反はん対たいに直ちょく面めんした時ときには,エホバの力ちからに頼たよる。(8節せつを参さん照しょう。)

8. 反はん対たいに直ちょく面めんしても勇ゆう気きを出だせるのはなぜですか。

8 現げん代だいでも,エホバに仕つかえる人ひとたちの多おおくが反はん対たいに直ちょく面めんしています。例たとえば,エホバの証しょう人にんの活かつ動どうが制せい限げんされている国くにでは,兄きょう弟だい姉し妹まいが逮たい捕ほされ,「総そう督とくや王おうの前まえに連つれていかれ」ることがあります。そうした人ひとたちに証しょう言げんするためです。(マタ 10:17,18)時ときには,政せい権けんが変かわって,これまでよりも自じ由ゆうにエホバを崇すう拝はいできるようになることもあります。また,公こう正せいを愛あいする裁さい判ばん官かんがエホバの証しょう人にんに対たいして好こう意い的てきな判はん決けつを下くだすということもあります。別べつの反はん対たいに直ちょく面めんしている人ひとたちもいます。エホバを比ひ較かく的てき自じ由ゆうに崇すう拝はいできる所ところに住すんでいても,家か族ぞくや親しん族ぞくが,エホバに仕つかえるのをやめさせようとして激はげしく反はん対たいするかもしれません。(マタ 10:32-36)でも多おおくの場ば合あい,どれだけ反はん対たいしてもやめさせることができないと気き付づくと,反はん対たいするのをやめます。激はげしく反はん対たいしていた人ひとが,熱ねっ心しんなエホバの証しょう人にんになったということさえあります。ですから,反はん対たいに直ちょく面めんするとしても諦あきらめてはいけません。勇ゆう気きを出だしてください。エホバが共ともにいて聖せいなる力ちからを与あたえてくださるのですから,何なにも恐おそれる必ひつ要ようはありません。

変へん化かを経けい験けんする時とき

9. 神しん殿でんの土ど台だいが据すえられた時とき,悲かなしくなったユダヤ人じんがいたのはなぜですか。

9 神しん殿でんの土ど台だいが据すえられた時とき,それを見みた年とし老おいたユダヤ人じんの中なかには泣ないた人ひとたちがいました。(エズ 3:12)それらの人ひとたちは,ソロモンが建たてた立りっ派ぱな神しん殿でんを見みたことがあったので,今いま建たてている神しん殿でんは「かつてと比くらべると,ないに等ひとしい」と感かんじました。(ハガ 2:2,3)それで悲かなしくなったのです。とはいえ,そうした人ひとたちにとって,ゼカリヤに与あたえられた幻まぼろしは喜よろこびを取とり戻もどす助たすけになったでしょう。どのようにでしょうか。

10. ゼカリヤ 4章しょう8-10節せつにある天てん使しの言こと葉ばは,ユダヤ人じんが喜よろこびを取とり戻もどす上うえでどのように助たすけになりましたか。

10 ゼカリヤ 4:8-10を読よむ。天てん使しはどういう意い味みで,ユダヤ人じんは「[総そう督とく]ゼルバベルの手てに下さげ振ふりがあるのを見みて,喜よろこぶ」と言いったのでしょうか。下さげ振ふりとは,何なにかが完かん璧ぺきに垂すい直ちょくに建たっているかどうかを確たしかめるための道どう具ぐです。ですから,天てん使しは神かみの民たみに対たいして,再さい建けん中ちゅうの神しん殿でんがそれほど立りっ派ぱに思おもえないとしても,それは必かならず完かん成せいし,エホバの基き準じゅんを満みたすことになる,ということを保ほ証しょうしていました。エホバが再さい建けんされた神しん殿でんを喜よろこぶのであれば,ユダヤ人じんも同おなじように喜よろこぶべきでした。エホバにとって重じゅう要ようだったのは,再さい建けんされた神しん殿でんでご自じ分ぶんの基き準じゅんを満みたす崇すう拝はいが行おこなわれることです。ですからユダヤ人じんは,エホバに受うけ入いれられる崇すう拝はいを行おこなうことや,エホバに喜よろこんでいただくことに思おもいを向むけるなら,喜よろこびを取とり戻もどすことができました。

年長の兄弟が,病院のベッドで聖書を読みながら,下げ振りをイメージしている。

変へん化かに対たいして前まえ向むきな見み方かたをする。(11-12節せつを参さん照しょう。)c

11. 現げん代だい,エホバに仕つかえている人ひとたちの中なかには,どんなことに難むずかしさを感かんじる人ひとがいますか。

11 変へん化かに順じゅん応のうするのは大たい変へんなことがあります。例たとえば,特とく別べつ全ぜん時じ間かん奉ほう仕しを長なが年ねん行おこなってきた人ひとが割わり当あての変へん更こうを経けい験けんすることがあります。また,一いっ定ていの年ねん齢れいになると,それまで大たい切せつにしてきた奉ほう仕しの立たち場ばから離はなれなければならなくなるかもしれません。こうした変へん化かを経けい験けんする時ときに,がっかりするのは自し然ぜんなことです。初はじめのうちは,なかなか受うけ入いれにくく感かんじるかもしれません。昔むかしの方ほうが良よかった,と思おもうこともあるでしょう。前まえほどエホバに十じゅう分ぶんお仕つかえできなくなった,と感かんじてがっかりするかもしれません。(格かく 24:10)もしそうであれば,ゼカリヤが見みた幻まぼろしは,エホバに精せい一いっ杯ぱい仕つかえていく上うえで助たすけになります。どのようにでしょうか。

12. 状じょう況きょうが変へん化かして落らく胆たんを経けい験けんする時とき,ゼカリヤが見みた幻まぼろしはどのように助たすけになりますか。

12 エホバと同おなじ見み方かたをするよう努ど力りょくするなら,変へん化かに順じゅん応のうしやすくなります。現げん代だい,エホバは素す晴ばらしいことを行おこなっています。そして私わたしたちには,エホバと共ともに働はたらくという貴き重ちょうな機き会かいがあります。(コリ一いち 3:9)私わたしたちに与あたえられている責せき任にんや立たち場ばは変かわるかもしれませんが,私わたしたちに対たいするエホバの愛あいは決けっして変かわりません。ですから,組そ織しきの決けっ定ていによって何なにかの変へん化かを経けい験けんするとしても,その理り由ゆうについてあれこれ考かんがえないようにしましょう。「昔むかしの方ほうが良よかった」と思おもうのではなく,良よい面めんを探さがすことができるようエホバに助たすけを求もとめて祈いのりましょう。(伝でん 7:10)できないことではなく,できることに目めを向むけてください。ゼカリヤが見みた幻まぼろしから,前まえ向むきな見み方かたを持もつことの大たい切せつさが分わかります。前まえ向むきな見み方かたを保たもつなら,変へん化かを経けい験けんするとしても喜よろこびを保たもち,エホバに忠ちゅう実じつに仕つかえていけるのです。

指し示じに従したがうのを難むずかしく感かんじる時とき

13. 工こう事じを再さい開かいするという決けっ定ていは良よくない,と思おもったユダヤ人じんがいたのはなぜですか。

13 民たみを導みちびく責せき任にんを委ゆだねられていた大だい祭さい司しエシュア(ヨシュア)と総そう督とくゼルバベルは,神しん殿でんの再さい建けんが禁きん止しされていたにもかかわらず,「神かみの家いえを建たて直なおし始はじめ」ました。(エズ 5:1,2)この決けっ定ていは良よくない,と感かんじたユダヤ人じんもいたことでしょう。「工こう事じを再さい開かいすれば反はん対たい者しゃたちにそのことが分わかり,あらゆる手てを使つかって邪じゃ魔ましてくるだろう」と思おもったのです。ですから,ヨシュアとゼルバベルは,自じ分ぶんたちにはエホバからの支ささえがあるという確かく信しんを必ひつ要ようとしていました。そして,エホバはそのことを2人ふたりに確かく信しんさせました。どのようにでしょうか。

14. ゼカリヤ 4章しょう12,14節せつからすると,大だい祭さい司しヨシュアと総そう督とくゼルバベルはどんなことを確かく信しんできましたか。

14 ゼカリヤ 4:12,14を読よむ。この幻まぼろしの中なかで,天てん使しはゼカリヤに対たいして,2本ほんのオリーブの木きは「2人ふたりの選えらばれた者もの」を表あらわしていると述のべました。つまり,ヨシュアとゼルバベルのことです。この2人ふたりは,いわば「全ぜん世せ界かいの主しゅ[エホバ]のそばに立た」っていました。これは本ほん当とうに名めい誉よなことでした。エホバは2人ふたりを信しん頼らいしていたのです。エホバがヨシュアとゼルバベルに民たみを導みちびく責せき任にんを委ゆだねていたのですから,ユダヤ人じんは2人ふたりから与あたえられるどんな指し示じにも信しん頼らいを置おいて従したがうべきでした。

15. 聖せい書しょを通とおして与あたえられるエホバからの指し示じに従したがいたいと思おもっていることを,どうすれば示しめせますか。

15 現げん代だい,エホバは私わたしたちを導みちびくために聖せい書しょを用もちいています。聖せい書しょには,どうすればエホバに受うけ入いれられる崇すう拝はいを行おこなうことができるかが載のせられています。では,聖せい書しょを通とおして与あたえられるエホバからの指し示じに従したがいたいと思おもっていることを,どうすれば示しめせるでしょうか。時じ間かんを取とって聖せい書しょを読よみ,理り解かいするよう努ど力りょくすることによってそうできます。次つぎのように考かんがえてみましょう。「聖せい書しょや出しゅっ版ぱん物ぶつを読よむ時とき,時じ間かんを取とってじっくり考かんがえるようにしているだろうか。聖せい書しょの中なかで,『理り解かいしにくい箇か所しょ』があったなら,よく調しらべるようにしているだろうか。それとも,さっと目めを通とおすだけになってしまっているだろうか」。(ペテ二に 3:16)エホバが教おしえてくださっていることを時じ間かんを取とってじっくり考かんがえるなら,エホバからの指し示じに従したがい,伝でん道どう活かつ動どうを最さい後ごまでやり遂とげることができるでしょう。(テモ一いち 4:15,16)

1人の姉妹がJW Broadcastingを見ながら,神殿を再建しているユダヤ人にヨシュアとゼルバベルが指示を与えている様子をイメージしている。

「忠ちゅう実じつで思し慮りょ深ぶかい奴ど隷れい」を信しん頼らいして,その指し示じに従したがう。(16節せつを参さん照しょう。)d

16. 「忠ちゅう実じつで思し慮りょ深ぶかい奴ど隷れい」からの指し示じをよく理り解かいできないと思おもう時とき,それに従したがう上うえで何なにが助たすけになりますか。

16 エホバは私わたしたちを導みちびくために「忠ちゅう実じつで思し慮りょ深ぶかい奴ど隷れい」も用もちいています。(マタ 24:45)時ときには,奴ど隷れいから与あたえられる指し示じをよく理り解かいできないと思おもうこともあるかもしれません。例たとえば,自じ分ぶんが住すんでいる地ち域いきでは起おきそうにない災さい害がいに備そなえるように,と言いわれることがあるでしょう。また,忠ちゅう実じつで思し慮りょ深ぶかい奴ど隷れいは感かん染せん症しょう対たい策さくの面めんで慎しん重ちょうすぎる,と感かんじることもあるかもしれません。では,そのように感かんじる時とき,どうしたらよいでしょうか。ユダヤ人じんがヨシュアやゼルバベルから与あたえられた指し示じに従したがった時とき,どんな良よい結けっ果かになったかを考かんがえることができます。聖せい書しょに載のせられているほかの記き述じゅつについて考かんがえるのも良よいことです。神かみの民たみは,理り解かいできないような指し示じを与あたえられることがありましたが,それに従したがった時とき,命いのちを救すくわれました。(裁さば 7:7; 8:10)

ゼカリヤが見みたものを見みる

17. ランプ台だいと2本ほんのオリーブの木きの幻まぼろしは,ユダヤ人じんにとってどのように助たすけとなりましたか。

17 ゼカリヤが見みた5番ばん目めの幻まぼろしは短みじかいものだったかもしれませんが,神しん殿でんの再さい建けんやエホバへの崇すう拝はいに対たいして前まえ向むきな見み方かたを持もつよう,ユダヤ人じんを助たすけるものでした。ユダヤ人じんは,この幻まぼろしから学まなんだことに沿そって行こう動どうした時とき,エホバが愛あい情じょう深ぶかく支ささえ,指し示じを与あたえてくれていることを感かんじることができました。エホバは強きょう力りょくな聖せいなる力ちからを用もちいて,彼かれらが建けん設せつを続つづけ,喜よろこびを取とり戻もどせるように助たすけていたのです。(エズ 6:16)

18. ゼカリヤが見みた幻まぼろしは,私わたしたちにとってどのように助たすけとなりますか。

18 ゼカリヤが見みたランプ台だいと2本ほんのオリーブの木きの幻まぼろしは,私わたしたちにとっても,大おおいに助たすけになるものです。この記き事じで考かんがえた通とおり,それは問もん題だいに立たち向むかうための力ちからや変へん化かに順じゅん応のうするための喜よろこびを得えること,また,理り解かいしにくく思おもえるような指し示じに従じゅう順じゅんに従したがう上うえで必ひつ要ような信しん頼らいを培つちかうことに役やく立だちます。では,何なにかの問もん題だいにぶつかった時とき,何なにができるでしょうか。まず,ゼカリヤが見みたものを見みるようにしましょう。つまり,エホバがご自じ分ぶんに仕つかえる人ひとたちを気き遣づかっていることに目めを向むけます。そして,見みたことに基もとづいて行こう動どうしましょう。エホバを信しん頼らいし,心こころを尽つくしてエホバを崇すう拝はいするのです。(マタ 22:37)こうしたことを行おこなうなら,エホバからの助たすけを得えて,いつまでも喜よろこびを持もってエホバに仕つかえていくことができるでしょう。(コロ 1:10,11)

ゼカリヤが見みた幻まぼろしはどのように助たすけになりますか

  • 反はん対たいに直ちょく面めんする時とき

  • 変へん化かを経けい験けんする時とき

  • 指し示じを受うけた時とき

7番ばんの歌うた エホバは私わたしたちの力ちから

a エホバは預よ言げん者しゃゼカリヤに印いん象しょう的てきな幻まぼろしを幾いくつも見みせました。これらの幻まぼろしは,清きよい崇すう拝はいを回かい復ふくさせるために奮ふん闘とうしていた,ゼカリヤとエホバの民たみに力ちからを与あたえるものでした。そして,難むずかしい状じょう況きょうの中なかでもエホバに忠ちゅう実じつに仕つかえている現げん代だいの私わたしたちにとっても,助たすけになります。この記き事じでは,ゼカリヤが見みたランプ台だいとオリーブの木きの幻まぼろしからどんな大たい切せつな点てんを学まなべるかを考かんがえます。

b 何なん十じゅう年ねんも後あと,ネヘミヤが総そう督とくだった時じ代だいに王おうだったアルタクセルクセスは別べつ人じんで,ユダヤ人じんに対たいしてとても親しん切せつでした。

c 写しゃ真しんや挿さし絵え: 1人ひとりの兄きょう弟だいが,年ねん齢れいや健けん康こうの問もん題だいに伴ともなう状じょう況きょうの変へん化かに順じゅん応のうする必ひつ要ようを感かんじている。

d 写しゃ真しんや挿さし絵え: 1人ひとりの姉し妹まいが,「忠ちゅう実じつで思し慮りょ深ぶかい奴ど隷れい」にはヨシュアやゼルバベルと同おなじようにエホバからの支ささえがあるということを思おもい巡めぐらしている。

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