研究記事12
あなたはゼカリヤが 見 み たものを 見 み ていますか
「『私 わたし の聖 せい なる力 ちから によるのである』と大 たい 軍 ぐん を率 ひき いるエホバは言 い う」。ゼカリヤ 4:6
73 番 ばん の 歌 うた 私 わたし たちに大 だい 胆 たん さを与 あた えてください
何 なに を 学 まな ぶか
1. バビロンで捕 ほ 囚 しゅう になっていたユダヤ人 じん が喜 よろこ びに包 つつ まれたのはなぜですか。
ユダヤ人 じん は喜 よろこ びに包 つつ まれていました。エホバ神 かみ がペルシャの「キュロス王 おう の心 こころ を奮 ふる い立 た たせ」たので,ユダヤ人 じん は何 なん 十 じゅう 年 ねん も捕 ほ 囚 しゅう になっていたバビロンから解 かい 放 ほう されることになったのです。キュロスはユダヤ人 じん に対 たい して,故 こ 国 こく に戻 もど り,「イスラエルの神 かみ である真 しん の神 かみ エホバの家 いえ を建 た て直 なお す」ように,との布 ふ 告 こく を出 だ しました。(エズ 1:1, 3 )それを聞 き いたユダヤ人 じん は,本 ほん 当 とう にうれしかったことでしょう。真 しん の神 かみ エホバがご自 じ 分 ぶん の民 たみ に与 あた えた土 と 地 ち で,エホバへの崇 すう 拝 はい がついに回 かい 復 ふく されるのです。
2. エルサレムに帰 き 還 かん した人 ひと たちは,まずどんなことを行 おこな いましたか。
2 紀 き 元 げん 前 ぜん 537年 ねん ,バビロン捕 ほ 囚 しゅう から帰 き 還 かん した人 ひと たちの第 だい 1陣 じん が,南 みなみ のユダ王 おう 国 こく の首 しゅ 都 と だったエルサレムに到 とう 着 ちゃく しました。それらの人 ひと たちは,すぐに神 しん 殿 でん 再 さい 建 けん に取 と り掛 か かり,紀 き 元 げん 前 ぜん 536年 ねん にはすでに土 ど 台 だい を据 す えていました。
3. ユダヤ人 じん はどんな反 はん 対 たい に直 ちょく 面 めん しましたか。
3 ユダヤ人 じん は神 しん 殿 でん の再 さい 建 けん を始 はじ めましたが,すぐに激 はげ しい反 はん 対 たい に直 ちょく 面 めん しました。周 しゅう 辺 へん の国 くに 々 ぐに の人 ひと たちが,「絶 た えずユダの民 たみ の士 し 気 き をくじき,建 た てる意 い 欲 よく を失 うしな わせようとした」のです。(エズ 4:4 )そして,状 じょう 況 きょう はさらに悪 わる くなっていきます。紀 き 元 げん 前 ぜん 522年 ねん にアルタクセルクセスがペルシャの王 おう になりました。 反 はん 対 たい 者 しゃ たちはこれを絶 ぜっ 好 こう の機 き 会 かい と考 かんが え,「法 ほう の名 な の下 もと に問 もん 題 だい を巻 ま き起 お こして」,神 しん 殿 でん の建 けん 設 せつ をやめさせようとたくらみました。(詩 し 94:20 )王 おう に対 たい して,ユダヤ人 じん は反 はん 逆 ぎゃく を企 くわだ て ている,といううその内 ない 容 よう の手 て 紙 がみ を送 おく ったのです。(エズ 4:11-16 )アルタクセルクセスはこの話 はなし を信 しん じ,神 しん 殿 でん の建 けん 設 せつ を禁 きん じる命 めい 令 れい を出 だ しました。(エズ 4:17-23 )こうして,喜 よろこ びのうちに始 はじ まった神 しん 殿 でん 建 けん 設 せつ はストップしてしまいました。(エズ 4:24 )
4. 神 しん 殿 でん の建 けん 設 せつ が禁 きん じられた後 あと ,エホバはどんなことをしましたか。(イザヤ 55:11 )
4 その土 と 地 ち に住 す むエホバを崇 すう 拝 はい していない人 ひと たちや,ペルシャの政 せい 府 ふ の一 いち 部 ぶ の役 やく 人 にん たちは,神 しん 殿 でん の建 けん 設 せつ をやめさせようと決 けつ 意 い していました。でも,エホバは神 しん 殿 でん が再 さい 建 けん されることを望 のぞ んでいました。そして,エホバはご自 じ 分 ぶん が望 のぞ むことを必 かなら ず成 な し遂 と げる方 かた です。( イザヤ 55:11 を 読 よ む。) エホバはゼカリヤを預 よ 言 げん 者 しゃ に選 えら び,印 いん 象 しょう 的 てき な幻 まぼろし を8つ見 み せました。そして,ゼカリヤはその幻 まぼろし についてユダヤ人 じん に話 はな し,励 はげ みを与 あた えました。それを聞 き いた人 ひと たちは,反 はん 対 たい 者 しゃ たちを恐 おそ れる必 ひつ 要 よう がないことを理 り 解 かい し,エホバから命 めい じられた活 かつ 動 どう を続 つづ けるよう動 うご かされました。ゼカリヤは5番 ばん 目 め の幻 まぼろし の中 なか で,ランプ台 だい と2本 ほん のオリーブの木 き を見 み ました。
5. この記 き 事 じ では,どんなことを考 かんが えますか。
5 私 わたし たちも,時 とき には気 き 落 お ちすることがあります。それで,エホバがゼカリヤに見 み せた5番 ばん 目 め の幻 まぼろし から,ユダヤ人 じん と同 おな じように励 はげ みを得 え ることができます。この幻 まぼろし について理 り 解 かい するなら,反 はん 対 たい に直 ちょく 面 めん したり,変 へん 化 か を経 けい 験 けん したり,理 り 解 かい できないような指 し 示 じ を受 う けたりする時 とき にも,エホバに忠 ちゅう 実 じつ に仕 つか える助 たす けを得 え られるでしょう。
反 はん 対 たい に 直 ちょく 面 めん する 時 とき
ゼカリヤは幻 まぼろし の中 なか で,7つのランプがあるランプ台 だい に2本 ほん のオリーブの木 き から油 あぶら が供 きょう 給 きゅう されている様 よう 子 す を見 み た。(6節 せつ を参 さん 照 しょう 。)
6. ゼカリヤ 4章 しょう 1-3節 せつ にある,ランプ台 だい と2本 ほん のオリーブの木 き の幻 まぼろし が,ユダヤ人 じん に勇 ゆう 気 き を与 あた えるものだったと言 い えるのはなぜですか。(表 ひょう 紙 し の絵 え を参 さん 照 しょう 。)
6 ゼカリヤ 4:1-3 を 読 よ む。 ランプ台 だい と2本 ほん のオリーブの木 き の幻 まぼろし は,反 はん 対 たい に立 た ち向 む かうようユダヤ人 じん に勇 ゆう 気 き を与 あた えるものでした。なぜそう言 い えるでしょうか。ランプ台 だい には,絶 た えることなく油 あぶら が供 きょう 給 きゅう されていました。2本 ほん のオリーブの木 き から,鉢 はち のようなものに油 あぶら が注 そそ がれ,そこから7つのランプそれぞれに油 あぶら が供 きょう 給 きゅう されていました。そのおかげで,ランプの火 ひ は消 き えることなく燃 も え続 つづ けていました。ゼカリヤが,「これらのものは何 なに を表 あらわ しているのでしょうか」と尋 たず ねると,天 てん 使 し はこう答 こた えました。「『軍 ぐん 隊 たい によるのでも,人 にん 間 げん の力 ちから によるのでもなく,私 わたし の聖 せい なる力 ちから によるのである』と大 たい 軍 ぐん を率 ひき いるエホバは言 い う」。(ゼカ 4:4, 6 )油 あぶら は,エホバの強 きょう 力 りょく な聖 せい なる力 ちから を表 あらわ していました。聖 せい なる力 ちから は尽 つ きることがありません。そして,ペルシャ帝 てい 国 こく の軍 ぐん 隊 たい 全 すべ てをもってしても,足 あし 元 もと にも及 およ ばないほど強 きょう 力 りょく なものです。そのような力 ちから を持 も っているエホバが共 とも にいてくださるのですから,ユダヤ人 じん は反 はん 対 たい があっても神 しん 殿 でん の再 さい 建 けん を成 な し遂 と げることができるのです。こうしたことを聞 き いて,ユダヤ人 じん は大 おお いに励 はげ まされたことでしょう。ユダヤ人 じん に求 もと められていたのは,エホバを信 しん 頼 らい し,神 しん 殿 でん の建 けん 設 せつ に再 ふたた び取 と り掛 か かることでした。そして実 じっ 際 さい ,禁 きん 止 し 令 れい が出 だ されていた中 なか でも工 こう 事 じ を再 さい 開 かい したのです。
7. 神 しん 殿 でん を再 さい 建 けん していたユダヤ人 じん にとって追 お い風 かぜ となるどんな変 へん 化 か が生 しょう じましたか。
7 やがて,神 しん 殿 でん を再 さい 建 けん していたユダヤ人 じん にとって追 お い風 かぜ となる変 へん 化 か が生 しょう じました。どんな変 へん 化 か でしょうか。当 とう 時 じ ペルシャを治 おさ めていたダリウス1世 せい が,その治 ち 世 せい の第 だい 2年 ねん (紀 き 元 げん 前 ぜん 520年 ねん )に,神 しん 殿 でん の再 さい 建 けん に対 たい する禁 きん 令 れい は違 い 法 ほう であるということを知 し ったのです。そして,神 しん 殿 でん を完 かん 成 せい させるようにという布 ふ 告 こく を出 だ しました。(エズ 6:1-3 )これだけでも驚 おどろ くべきニュースでしたが,この布 ふ 告 こく にはさらに続 つづ きがありました。ダリウスは周 まわ りの国 くに 々 ぐに の人 ひと たちに対 たい して,神 しん 殿 でん の再 さい 建 けん を邪 じゃ 魔 ま することを禁 きん じ,資 し 金 きん や資 し 材 ざい を提 てい 供 きょう するようにと命 めい じたのです。(エズ 6:7-12 )そして4年 ねん 余 あま り後 のち ,紀 き 元 げん 前 ぜん 515年 ねん についに神 しん 殿 でん が完 かん 成 せい しました。(エズ 6:15 )
反 はん 対 たい に直 ちょく 面 めん した時 とき には,エホバの力 ちから に頼 たよ る。(8節 せつ を参 さん 照 しょう 。)
8. 反 はん 対 たい に直 ちょく 面 めん しても勇 ゆう 気 き を出 だ せるのはなぜですか。
8 現 げん 代 だい でも,エホバに仕 つか える人 ひと たちの多 おお くが反 はん 対 たい に直 ちょく 面 めん しています。例 たと えば,エホバの証 しょう 人 にん の活 かつ 動 どう が制 せい 限 げん されている国 くに では,兄 きょう 弟 だい 姉 し 妹 まい が逮 たい 捕 ほ され,「総 そう 督 とく や王 おう の前 まえ に連 つ れていかれ」ることがあります。そうした人 ひと たちに証 しょう 言 げん するためです。(マタ 10:17,18 )時 とき には,政 せい 権 けん が変 か わって,これまでよりも自 じ 由 ゆう にエホバを崇 すう 拝 はい できるようになることもあります。また,公 こう 正 せい を愛 あい する裁 さい 判 ばん 官 かん がエホバの証 しょう 人 にん に対 たい して好 こう 意 い 的 てき な判 はん 決 けつ を下 くだ すということもあります。別 べつ の反 はん 対 たい に直 ちょく 面 めん している人 ひと たちもいます。エホバを比 ひ 較 かく 的 てき 自 じ 由 ゆう に崇 すう 拝 はい できる所 ところ に住 す んでいても,家 か 族 ぞく や親 しん 族 ぞく が,エホバに仕 つか えるのをやめさせようとして激 はげ しく反 はん 対 たい するかもしれません。(マタ 10:32-36 )でも多 おお くの場 ば 合 あい ,どれだけ反 はん 対 たい してもやめさせることができないと気 き 付 づ くと,反 はん 対 たい するのをやめます。激 はげ しく反 はん 対 たい していた人 ひと が,熱 ねっ 心 しん なエホバの証 しょう 人 にん になったということさえあります。ですから,反 はん 対 たい に直 ちょく 面 めん するとしても諦 あきら めてはいけません。勇 ゆう 気 き を出 だ してください。エホバが共 とも にいて聖 せい なる力 ちから を与 あた えてくださるのですから,何 なに も恐 おそ れる必 ひつ 要 よう はありません。
変 へん 化 か を 経 けい 験 けん する 時 とき
9. 神 しん 殿 でん の土 ど 台 だい が据 す えられた時 とき ,悲 かな しくなったユダヤ人 じん がいたのはなぜですか。
9 神 しん 殿 でん の土 ど 台 だい が据 す えられた時 とき ,それを見 み た年 とし 老 お いたユダヤ人 じん の中 なか には泣 な いた人 ひと たちがいました。(エズ 3:12 )それらの人 ひと たちは,ソロモンが建 た てた立 りっ 派 ぱ な神 しん 殿 でん を見 み たことがあったので,今 いま 建 た てている神 しん 殿 でん は「かつてと比 くら べると,ないに等 ひと しい」と感 かん じました。(ハガ 2:2,3 )それで悲 かな しくなったのです。とはいえ,そうした人 ひと たちにとって,ゼカリヤに与 あた えられた幻 まぼろし は喜 よろこ びを取 と り戻 もど す助 たす けになったでしょう。どのようにでしょうか。
10. ゼカリヤ 4章 しょう 8-10節 せつ にある天 てん 使 し の言 こと 葉 ば は,ユダヤ人 じん が喜 よろこ びを取 と り戻 もど す上 うえ でどのように助 たす けになりましたか。
10 ゼカリヤ 4:8-10 を 読 よ む。 天 てん 使 し はどういう意 い 味 み で,ユダヤ人 じん は「[総 そう 督 とく ]ゼルバベルの手 て に下 さ げ振 ふ りがあるのを見 み て,喜 よろこ ぶ」と言 い ったのでしょうか。下 さ げ振 ふ りとは,何 なに かが完 かん 璧 ぺき に垂 すい 直 ちょく に建 た っているかどうかを確 たし かめるための道 どう 具 ぐ です。ですから,天 てん 使 し は神 かみ の民 たみ に対 たい して,再 さい 建 けん 中 ちゅう の神 しん 殿 でん がそれほど立 りっ 派 ぱ に思 おも えないとしても,それは必 かなら ず完 かん 成 せい し,エホバの基 き 準 じゅん を満 み たすことになる,という ことを保 ほ 証 しょう していました。エホバが再 さい 建 けん された神 しん 殿 でん を喜 よろこ ぶのであれば,ユダヤ人 じん も同 おな じように喜 よろこ ぶべきでした。エホバにとって重 じゅう 要 よう だったのは,再 さい 建 けん された神 しん 殿 でん でご自 じ 分 ぶん の基 き 準 じゅん を満 み たす崇 すう 拝 はい が行 おこな われることです。ですからユダヤ人 じん は,エホバに受 う け入 い れられる崇 すう 拝 はい を行 おこな うことや,エホバに喜 よろこ んでいただくことに思 おも いを向 む けるなら,喜 よろこ びを取 と り戻 もど すことができました。
変 へん 化 か に対 たい して前 まえ 向 む きな見 み 方 かた をする。(11-12節 せつ を参 さん 照 しょう 。)
11. 現 げん 代 だい ,エホバに仕 つか えている人 ひと たちの中 なか には,どんなことに難 むずか しさを感 かん じる人 ひと がいますか。
11 変 へん 化 か に順 じゅん 応 のう するのは大 たい 変 へん なことがあります。例 たと えば,特 とく 別 べつ 全 ぜん 時 じ 間 かん 奉 ほう 仕 し を長 なが 年 ねん 行 おこな ってきた人 ひと が割 わ り当 あ ての変 へん 更 こう を経 けい 験 けん することがあります。また,一 いっ 定 てい の年 ねん 齢 れい になると,それまで大 たい 切 せつ にしてきた奉 ほう 仕 し の立 たち 場 ば から離 はな れなければならなくなるかもしれません。こうした変 へん 化 か を経 けい 験 けん する時 とき に,がっかりするのは自 し 然 ぜん なことです。初 はじ めのうちは,なかなか受 う け入 い れにくく感 かん じるかもしれません。昔 むかし の方 ほう が良 よ かった,と思 おも うこともあるでしょう。前 まえ ほどエホバに十 じゅう 分 ぶん お仕 つか えできなくなった,と感 かん じてがっかりするかもしれません。(格 かく 24:10 )もしそうであれば,ゼカリヤが見 み た幻 まぼろし は,エホバに精 せい 一 いっ 杯 ぱい 仕 つか えていく上 うえ で助 たす けになります。どのようにでしょうか。
12. 状 じょう 況 きょう が変 へん 化 か して落 らく 胆 たん を経 けい 験 けん する時 とき ,ゼカリヤが見 み た幻 まぼろし はどのように助 たす けになりますか。
12 エホバと同 おな じ見 み 方 かた をするよう努 ど 力 りょく するなら,変 へん 化 か に順 じゅん 応 のう しやすくなります。現 げん 代 だい ,エホバは素 す 晴 ば らしいことを行 おこな っています。そして私 わたし たちには,エホバと共 とも に働 はたら くという貴 き 重 ちょう な機 き 会 かい があります。(コリ一 いち 3:9 )私 わたし たちに与 あた えられている責 せき 任 にん や立 たち 場 ば は変 か わるかもしれませんが,私 わたし たちに対 たい するエホバの愛 あい は決 けっ して変 か わりません。ですから,組 そ 織 しき の決 けっ 定 てい によって何 なに かの変 へん 化 か を経 けい 験 けん するとしても,その理 り 由 ゆう についてあれこれ考 かんが えないようにしましょう。「昔 むかし の方 ほう が良 よ かった」と思 おも うのではなく,良 よ い面 めん を探 さが すことができるようエホバに助 たす けを求 もと めて祈 いの りましょう。(伝 でん 7:10 )できないことではなく,できることに目 め を向 む けてください。ゼカリヤが見 み た幻 まぼろし から,前 まえ 向 む きな見 み 方 かた を持 も つことの大 たい 切 せつ さが分 わ かります。前 まえ 向 む きな見 み 方 かた を保 たも つなら,変 へん 化 か を経 けい 験 けん するとしても喜 よろこ びを保 たも ち,エホバに忠 ちゅう 実 じつ に仕 つか えていけるのです。
指 し 示 じ に 従 したが うのを 難 むずか しく 感 かん じる 時 とき
13. 工 こう 事 じ を再 さい 開 かい するという決 けっ 定 てい は良 よ くない,と思 おも ったユダヤ人 じん がいたのはなぜですか。
13 民 たみ を導 みちび く責 せき 任 にん を委 ゆだ ねられていた大 だい 祭 さい 司 し エシュア (ヨシュア)と総 そう 督 とく ゼルバベルは,神 しん 殿 でん の再 さい 建 けん が禁 きん 止 し されていたにもかかわらず,「神 かみ の家 いえ を建 た て直 なお し始 はじ め」ました。(エズ 5:1,2 )この決 けっ 定 てい は良 よ くない,と感 かん じたユダヤ人 じん もいたことでしょう。「工 こう 事 じ を再 さい 開 かい すれば反 はん 対 たい 者 しゃ たちにそのことが分 わ かり,あらゆる手 て を使 つか って邪 じゃ 魔 ま してくるだろう」と思 おも ったのです。ですから,ヨシュアとゼルバベルは,自 じ 分 ぶん たちにはエホバからの支 ささ えがあるという確 かく 信 しん を必 ひつ 要 よう としていました。そして,エホバはそのことを2人 ふたり に確 かく 信 しん させました。どのようにでしょうか。
14. ゼカリヤ 4章 しょう 12, 14節 せつ からすると,大 だい 祭 さい 司 し ヨシュアと総 そう 督 とく ゼルバベルはどんなことを確 かく 信 しん できましたか。
14 ゼカリヤ 4:12, 14 を 読 よ む。 この幻 まぼろし の中 なか で,天 てん 使 し はゼカリヤに対 たい して,2本 ほん のオリーブの木 き は「2人 ふたり の選 えら ばれた者 もの 」を表 あらわ していると述 の べました。つまり,ヨシュアとゼルバベルのことです。この2人 ふたり は,いわば「全 ぜん 世 せ 界 かい の主 しゅ [エホバ]のそばに立 た 」っていました。これは本 ほん 当 とう に名 めい 誉 よ なことでした。エホバは2人 ふたり を信 しん 頼 らい していたのです。エホバがヨシュアとゼルバベルに民 たみ を導 みちび く責 せき 任 にん を委 ゆだ ねていたのですから,ユダヤ人 じん は2人 ふたり から与 あた えられるどんな指 し 示 じ にも信 しん 頼 らい を置 お いて従 したが うべきでした。
15. 聖 せい 書 しょ を通 とお して与 あた えられるエホバからの指 し 示 じ に従 したが いたいと思 おも っていることを,どうすれば示 しめ せますか。
15 現 げん 代 だい ,エホバは私 わたし たちを導 みちび くために聖 せい 書 しょ を用 もち いています。聖 せい 書 しょ には,どうすればエホバに受 う け入 い れられる崇 すう 拝 はい を行 おこな うことができるかが載 の せられています。では,聖 せい 書 しょ を通 とお して与 あた えられるエホバからの指 し 示 じ に従 したが いたいと思 おも っていることを,どうすれば示 しめ せるでしょうか。時 じ 間 かん を取 と って聖 せい 書 しょ を読 よ み,理 り 解 かい するよう努 ど 力 りょく することによってそうできます。次 つぎ のように考 かんが えてみましょう。「聖 せい 書 しょ や出 しゅっ 版 ぱん 物 ぶつ を読 よ む時 とき ,時 じ 間 かん を取 と ってじっくり考 かんが えるようにしているだろうか。聖 せい 書 しょ の中 なか で,『理 り 解 かい しにくい箇 か 所 しょ 』があったなら,よく調 しら べるようにしているだろうか。それとも,さっと目 め を通 とお すだけになってしまっているだろうか」。(ペテ二 に 3:16 )エホバが教 おし えてくださっていることを時 じ 間 かん を取 と ってじっくり考 かんが えるなら,エホバからの指 し 示 じ に従 したが い,伝 でん 道 どう 活 かつ 動 どう を最 さい 後 ご までやり遂 と げることができるでしょう。(テモ一 いち 4:15,16 )
「忠 ちゅう 実 じつ で思 し 慮 りょ 深 ぶか い奴 ど 隷 れい 」を信 しん 頼 らい して,その指 し 示 じ に従 したが う。(16節 せつ を参 さん 照 しょう 。)
16. 「忠 ちゅう 実 じつ で思 し 慮 りょ 深 ぶか い奴 ど 隷 れい 」からの指 し 示 じ をよく理 り 解 かい できないと思 おも う時 とき ,それに従 したが う上 うえ で何 なに が助 たす けになりますか。
16 エホバは私 わたし たちを導 みちび くために「忠 ちゅう 実 じつ で思 し 慮 りょ 深 ぶか い奴 ど 隷 れい 」も用 もち いています。(マタ 24:45 )時 とき には,奴 ど 隷 れい から与 あた えられる指 し 示 じ をよく理 り 解 かい できない と思 おも うこともあるかもしれません。例 たと えば,自 じ 分 ぶん が住 す んでいる地 ち 域 いき では起 お きそうにない災 さい 害 がい に備 そな えるように,と言 い われることがあるでしょう。また,忠 ちゅう 実 じつ で思 し 慮 りょ 深 ぶか い奴 ど 隷 れい は感 かん 染 せん 症 しょう 対 たい 策 さく の面 めん で慎 しん 重 ちょう すぎる,と感 かん じることもあるかもしれません。では,そのように感 かん じる時 とき ,どうしたらよいでしょうか。ユダヤ人 じん がヨシュアやゼルバベルから与 あた えられた指 し 示 じ に従 したが った時 とき ,どんな良 よ い結 けっ 果 か になったかを考 かんが えることができます。聖 せい 書 しょ に載 の せられているほかの記 き 述 じゅつ について考 かんが えるのも良 よ いことです。神 かみ の民 たみ は,理 り 解 かい できないような指 し 示 じ を与 あた えられることがありましたが,それに従 したが った時 とき ,命 いのち を救 すく われました。(裁 さば 7:7; 8:10 )
ゼカリヤが 見 み たものを 見 み る
17. ランプ台 だい と2本 ほん のオリーブの木 き の幻 まぼろし は,ユダヤ人 じん にとってどのように助 たす けとなりましたか。
17 ゼカリヤが見 み た5番 ばん 目 め の幻 まぼろし は短 みじか いものだったかもしれませんが,神 しん 殿 でん の再 さい 建 けん やエホバへの崇 すう 拝 はい に対 たい して前 まえ 向 む きな見 み 方 かた を持 も つよう,ユダヤ人 じん を助 たす けるものでした。ユダヤ人 じん は,この幻 まぼろし から学 まな んだことに沿 そ って行 こう 動 どう した時 とき ,エホバが愛 あい 情 じょう 深 ぶか く支 ささ え,指 し 示 じ を与 あた えてくれていることを感 かん じることができました。エホバは強 きょう 力 りょく な聖 せい なる力 ちから を用 もち いて,彼 かれ らが建 けん 設 せつ を続 つづ け,喜 よろこ びを取 と り戻 もど せるように助 たす けていたのです。(エズ 6:16 )
18. ゼカリヤが見 み た幻 まぼろし は,私 わたし たちにとってどのように助 たす けとなりますか。
18 ゼカリヤが見 み たランプ台 だい と2本 ほん のオリーブの木 き の幻 まぼろし は,私 わたし たちにとっても,大 おお いに助 たす けになるものです。この記 き 事 じ で考 かんが えた通 とお り,それは問 もん 題 だい に立 た ち向 む かうための力 ちから や変 へん 化 か に順 じゅん 応 のう するための喜 よろこ び を得 え ること,また,理 り 解 かい しにくく思 おも えるような指 し 示 じ に従 じゅう 順 じゅん に従 したが う上 うえ で必 ひつ 要 よう な信 しん 頼 らい を培 つちか うことに役 やく 立 だ ちます。では,何 なに かの問 もん 題 だい にぶつかった時 とき ,何 なに ができるでしょうか。まず,ゼカリヤが見 み たものを見 み るようにしましょう。つまり,エホバがご自 じ 分 ぶん に仕 つか える人 ひと たちを気 き 遣 づか っていることに目 め を向 む けます。そして,見 み たことに基 もと づいて行 こう 動 どう しましょう。エホバを信 しん 頼 らい し,心 こころ を尽 つ くしてエホバを崇 すう 拝 はい するのです。(マタ 22:37 )こうしたことを行 おこな うなら,エホバからの助 たす けを得 え て,いつまでも喜 よろこ びを持 も ってエホバに仕 つか えていくことができるでしょう。(コロ 1:10,11 )
7 番 ばん の 歌 うた エホバは私 わたし たちの力 ちから