-
マラキ書の目立った点ものみの塔 2007 | 12月15日
-
-
3:10 ―「十分の一[什一]をことごとく」携え入れることは,わたしたちの持つすべてのものをエホバにささげることを表わしていますか。モーセの律法はイエスの死に基づいて廃止されたので,現在,金銭的な什一は要求されていません。とはいえ,什一には象徴的な意味があります。(エフェソス 2:15)什一は,わたしたちの持つすべてのものをささげることを表わしているのではありません。十分の一が年ごとに携え入れられたのに対し,わたしたちは自分の持つすべてのものを一度限りエホバに差し出します。エホバに献身し,その象徴として水のバプテスマを受ける時に,そうするのです。その時以降,わたしたちの持つものは一つ残らずエホバに属します。とはいえエホバは,わたしたちが自分の持つもののどの部分をエホバへの奉仕に用いるかを自分で決めることを許してくださっています。その用いる部分が象徴的な什一です。事情の許す限り,心に促されて用いるものは何でもそうです。わたしたちがエホバに差し出す捧げ物の中には,王国を宣べ伝えて弟子を作る業に用いる時間や体力や資産が含まれます。また,クリスチャンの集会への出席,病気や高齢の兄弟姉妹への訪問,真の崇拝への金銭面での支持も含まれます。
-
-
マラキ書の目立った点ものみの塔 2007 | 12月15日
-
-
3:10。自分の持つ最善のものをエホバにささげないなら,エホバからの祝福を受けられなくなります。
-