ポイント: 清 きよ い崇 すう 拝 はい が回 かい 復 ふく される必 ひつ 要 よう があるのはなぜか
1,2. 西 せい 暦 れき 29年 ねん の秋 あき に,イエスはどのような経 けい 緯 い でユダヤの荒 こう 野 や に来 き ましたか。そこでどんなことがありましたか。(冒 ぼう 頭 とう の挿 さし 絵 え を参 さん 照 しょう 。)
西 せい 暦 れき 29年 ねん の秋 あき の初 はじ めのことです。イエスは死 し 海 かい のすぐ北 きた にある,ユダヤの荒 こう 野 や にいます。バプテスマを受 う けてメシアとなった後 あと ,神 かみ の聖 せい なる力 ちから に導 みちび かれてこの場 ば 所 しょ に来 き ました。幾 いく つもの峡 きょう 谷 こく があるこの岩 いわ だらけの荒 あ れ地 ち で,イエスは40日 にち の間 あいだ ,断 だん 食 じき し,祈 いの り,黙 もく 想 そう して静 しず かに時 とき を過 す ごしました。もしかしたらこの期 き 間 かん に,エホバはご自 じ 分 ぶん の子 こ であるイエスと意 い 思 し を通 かよ わせ,これから起 お きる事 こと 柄 がら に備 そな えさせたのかもしれません。
2 イエスは空 くう 腹 ふく で弱 よわ っています。そこへ,サタンがやって来 き ます。続 つづ く出 で 来 き 事 ごと により,重 じゅう 要 よう な問 もん 題 だい が浮 う き彫 ぼ りになります。その問 もん 題 だい には,あなたを含 ふく め,清 きよ い崇 すう 拝 はい を愛 あい する人 ひと 全 すべ てが関 かん 係 けい しています。
「 神 かみ の 子 こ なら」
3,4. (ア)サタンは最 さい 初 しょ の2つの誘 ゆう 惑 わく をどんな言 こと 葉 ば で切 き り出 だ しましたか。イエスに天 てん の父 ちち へのどのような疑 ぎ 念 ねん を抱 いだ かせようとしたと考 かんが えられますか。(イ)サタンは今 いま でもどんな手 て 口 ぐち を使 つか いますか。
3 マタイ 4:1-7 を 読 よ む。 サタンは最 さい 初 しょ の2つの誘 ゆう 惑 わく を,「神 かみ の子 こ なら」という巧 こう 妙 みょう な言 こと 葉 ば で切 き り出 だ しました。イエスが神 かみ の子 こ であることを疑 うたが っていたのでしょうか。そうではありません。かつて天 てん 使 し として神 かみ に仕 つか えていたサタンは,イエスが神 かみ の初 はつ 子 ご であることを十 じゅう 分 ぶん 承 しょう 知 ち していました。(コロ 1:15 )また,イエスのバプテスマの時 とき にエホバが天 てん から語 かた った,「これは私 わたし の愛 あい する子 こ ,私 わたし はこの子 こ のことを喜 よろこ んでいる」という言 こと 葉 ば も知 し っていたことでしょう。(マタ 3:17 )もしかしたらサタンはイエスに天 てん の父 ちち への不 ふ 信 しん 感 かん を抱 いだ かせ,気 き 遣 づか ってくださっていることを疑 うたが わせようとしたのかもしれません。1つ目 め の誘 ゆう 惑 わく で,石 いし をパンに変 か えるようにと言 い うことにより,サタンはいわばこう尋 たず ねていました。「あなたが神 かみ の子 こ なら,なぜ天 てん の父 ちち はあなたを不 ふ 毛 もう の荒 こう 野 や で食 た べ物 もの もないままにしておくのか」。2つ目 め の誘 ゆう 惑 わく で,神 しん 殿 でん の最 もっと も高 たか い所 ところ から飛 と び降 お りるよう唆 そそのか すことにより,いわばこう言 い っていました。「あなたは神 かみ の子 こ なのだから,天 てん の父 ちち が守 まも ってくれることを確 かく 信 しん しているはずではないか」。
4 誘 ゆう 惑 わく 者 しゃ サタンは,今 いま でも同 どう 様 よう の手 て 口 ぐち を使 つか います。(コリ二 に 2:11 )エホバを崇 すう 拝 はい する人 ひと たちが弱 よわ ったり落 お ち込 こ んだりする時 とき を狙 ねら って,よく巧 こう 妙 みょう な方 ほう 法 ほう で攻 こう 撃 げき を仕 し 掛 か けます。(コリ二 に 11:14 )私 わたし たちをだまし,エホバは私 わたし たちを愛 あい することも良 よ いと認 みと めることもしない,と思 おも わせようとします。また,エホバは信 しん 頼 らい できず,聖 せい 書 しょ にある約 やく 束 そく を守 まも らない,と信 しん じ込 こ ませようとします。しかし,それはひどいうそです。(ヨハ 8:44 )どうすればそうしたうそを退 しりぞ けられるでしょうか。
5. 最 さい 初 しょ の2つの誘 ゆう 惑 わく にイエスはどう反 はん 応 のう しましたか。
5 最 さい 初 しょ の2つの誘 ゆう 惑 わく にイエスがどう反 はん 応 のう したかを考 かんが えてください。イエスは天 てん の父 ちち に愛 あい されていることを全 まった く疑 うたが わず,父 ちち を全 ぜん 面 めん 的 てき に信 しん 頼 らい していました。それで,ためらうことなく,父 ちち が記 しる させた聖 せい 書 しょ の言 こと 葉 ば を引 いん 用 よう してサタンを退 しりぞ けました。引 いん 用 よう したのは適 てき 切 せつ にも,神 かみ の名 な エホバが含 ふく まれる聖 せい 句 く でした。(申 しん 6:16; 8:3 )神 かみ の子 こ が父 ちち を信 しん 頼 らい していることを示 しめ す上 うえ で,父 ちち の名 な を使 つか うこと以 い 上 じょう に優 すぐ れた方 ほう 法 ほう はありません。その唯 ゆい 一 いつ 無 む 二 に の名 な は,エホバが約 やく 束 そく を全 すべ て果 は たすことを保 ほ 証 しょう するものだからです。
6,7. どうすればサタンの巧 こう 妙 みょう な攻 こう 撃 げき に抵 てい 抗 こう できますか。
6 私 わたし たちも,エホバの言 こと 葉 ば を思 おも い起 お こし,神 かみ の名 な の意 い 味 み をよく考 かんが えることにより,サタンの巧 こう 妙 みょう な攻 こう 撃 げき に抵 てい 抗 こう できます。聖 せい 書 しょ によればエホバは,ご自 じ 分 ぶん を崇 すう 拝 はい する人 ひと たち,とりわけ気 き 落 お ちしている人 ひと たちを,愛 あい し気 き 遣 づか ってくださいます。そのように述 の べる聖 せい 句 く が自 じ 分 ぶん にも当 あ てはまることを理 り 解 かい するなら,エホバは私 わたし たちを愛 あい することも良 よ いと認 みと めることもしないというサタンのうそを退 しりぞ けられます。(詩 し 34:18。ペテ一 いち 5:8 )また,エホバが常 つね にご自 じ 分 ぶん の名 な の意 い 味 み の通 とお りに行 こう 動 どう してくださることを念 ねん 頭 とう に置 お くなら,目 もく 的 てき を果 は たす方 かた を疑 うたが ったりせず,全 ぜん 面 めん 的 てき に信 しん 頼 らい できるでしょう。(格 かく 3:5,6 )
7 では,サタンは結 けっ 局 きょく のところ何 なに を目 め 指 ざ しているのでしょうか。私 わたし たちがどうすることを望 のぞ んでいますか。その答 こた えは,サタンがイエスに3つ目 め の誘 ゆう 惑 わく を仕 し 掛 か けた時 とき に明 あき らかになります。
「ひれ 伏 ふ して 私 わたし を 崇 すう 拝 はい するなら」
8. 3つ目 め の誘 ゆう 惑 わく で,サタンはどのように述 の べて,自 じ 分 ぶん が求 もと めているものをはっきりさせましたか。
8 マタイ 4:8-11 を 読 よ む。 3つ目 め の誘 ゆう 惑 わく で,サタンは巧 こう 妙 みょう な言 い い方 かた をやめ,何 なに を求 もと めているかをはっきりさせました。世 よ の中 なか の腐 ふ 敗 はい は隠 かく して,「世 せ 界 かい の全 すべ ての王 おう 国 こく とその栄 えい 光 こう 」を(おそらく幻 まぼろし によって)イエスに見 み せてから,「ひれ伏 ふ して私 わたし を崇 すう 拝 はい するなら,これら全 すべ てをあげましょう」と言 い ったのです。 崇 すう 拝 はい こそ,サタンが求 もと めていたものでした。イエスに望 のぞ んだのは,天 てん の父 ちち を捨 す て,サタンを神 かみ と認 みと めることでした。楽 らく に思 おも える道 みち をイエスに示 しめ し,あなたはいばらの冠 かんむり やむち打 う ちや苦 くる しみの杭 くい による苦 く 痛 つう を味 あじ わうことなく,国 くに 々 ぐに の権 けん 力 りょく や富 とみ を全 すべ て手 て にできる,とほのめかしました。これはうそではありませんでした。サタンが全 ぜん 世 せ 界 かい の政 せい 府 ふ を支 し 配 はい していることに,イエスは異 い 議 ぎ を唱 とな えませんでした。(ヨハ 12:31。 ヨハ一 いち 5:19 )天 てん の父 ちち への清 きよ い崇 すう 拝 はい からイエスを引 ひ き離 はな すためなら,サタンは何 なん でも差 さ し出 だ したことでしょう。
9. (ア)サタンは,正 ただ しい崇 すう 拝 はい を行 おこな う人 ひと たちがどうすることを望 のぞ んでいますか。どのように誘 ゆう 惑 わく しようとしますか。(イ)崇 すう 拝 はい にはどんなことが関 かん 係 けい していますか。(「崇 すう 拝 はい とは何 なに か 」という囲 かこ みを参 さん 照 しょう 。)
9 サタンは今 いま でも,私 わたし たちがどんな形 かたち であれサタンを崇 すう 拝 はい することを望 のぞ んでいます。「今 いま の体 たい 制 せい の神 かみ 」はサタンなので,世 せ 界 かい 中 じゅう の間 ま 違 ちが った宗 しゅう 教 きょう による崇 すう 拝 はい は全 すべ てサタンに対 たい するものです。(コリ二 に 4:4 )しかし,間 ま 違 ちが った崇 すう 拝 はい を行 おこな う人 ひと が何 なん 十 じゅう 億 おく 人 にん いようと,サタンは満 まん 足 ぞく せず,正 ただ しい崇 すう 拝 はい を行 おこな う人 ひと たちを誘 ゆう 惑 わく してエホバに背 そむ かせようとします。クリスチャンとして「正 ただ しいことのために苦 くる しむ」生 い き方 かた をする私 わたし たちを快 こころよ く思 おも わず,サタンの世 よ の中 なか で富 とみ や権 けん 力 りょく を追 お い求 もと めさせようとします。(ペテ一 いち 3:14 )もし私 わたし たちが誘 ゆう 惑 わく に負 ま け,清 きよ い崇 すう 拝 はい を捨 す ててサタンの世 よ に染 そ まってしまうなら,サタンにひれ伏 ふ して崇 すう 拝 はい し,サタンを神 かみ としていることになります。どうすればそのような誘 ゆう 惑 わく に抵 てい 抗 こう できるでしょうか。
10. イエスは3つ目 め の誘 ゆう 惑 わく にどう反 はん 応 のう しましたか。そう反 はん 応 のう できたのはなぜですか。
10 イエスが3つ目 め の誘 ゆう 惑 わく にどう反 はん 応 のう したかに注 ちゅう 目 もく してください。イエスはエホバを揺 ゆ るぎなく支 し 持 じ していることを示 しめ し,「離 はな れ去 さ れ,サタン!」と言 い って即 そく 座 ざ にサタンを退 しりぞ けました。それから,最 さい 初 しょ の2つの誘 ゆう 惑 わく の時 とき と同 おな じように,神 かみ の名 な が含 ふく まれる聖 せい 句 く を申 しん 命 めい 記 き から引 いん 用 よう し,こう言 い いました。「『あなたが崇 すう 拝 はい すべきなのはエホバ神 かみ であり,この方 かた だけに神 しん 聖 せい な奉 ほう 仕 し をしなければならない』と書 か いてあるのです」。(マタ 4:10。 申 しん 6:13 )こうしてイエスは,つかの間 ま でも高 たか い地 ち 位 い に就 つ いて苦 くる しみのない楽 らく な人 じん 生 せい を送 おく る,という誘 ゆう 惑 わく を退 しりぞ けました。天 てん の父 ちち だけが崇 すう 拝 はい を受 う けるべきであり,サタンにひれ伏 ふ して1度 ど 「崇 すう 拝 はい する」だけでサタンに服 ふく 従 じゅう することになる,ということを知 し っていたのです。イエスは邪 じゃ 悪 あく な誘 ゆう 惑 わく 者 しゃ を自 じ 分 ぶん の神 かみ とすることを断 だん 固 こ として拒 こば みました。拒 きょ 絶 ぜつ された悪 あく 魔 ま は,「イエスから離 はな れ」ました。
「離 はな れ去 さ れ,サタン!」(10節 せつ を参 さん 照 しょう )
11. どうすればサタンやサタンの誘 ゆう 惑 わく を退 しりぞ けることができますか。
11 私 わたし たちもサタンやサタンの邪 じゃ 悪 あく な世 よ からの誘 ゆう 惑 わく に抵 てい 抗 こう できます。イエスのように,自 じ 分 ぶん がどうするかを選 えら べるからです。エホバは私 わたし たちに自 じ 由 ゆう 意 い 志 し という貴 き 重 ちょう な贈 おく り物 もの を下 くだ さいました。ですから,私 わたし たちに無 む 理 り やり清 きよ い崇 すう 拝 はい を捨 す てさせることは誰 だれ にもできません。目 め に見 み えない強 きょう 力 りょく で邪 じゃ 悪 あく な誘 ゆう 惑 わく 者 しゃ でさえできないのです。私 わたし たちが「揺 ゆ るぎない信 しん 仰 こう を持 も ち,悪 あく 魔 ま に立 た ち向 む か」うなら,「離 はな れ去 さ れ,サタン!」と言 い っていることになります。(ペテ一 いち 5:9 )イエスがきっぱりと退 しりぞ けた時 とき に,サタンは離 はな れていきました。聖 せい 書 しょ も,「悪 あく 魔 ま に立 た ち向 む かってください。そうすれば,悪 あく 魔 ま は逃 に げ去 さ ります」と保 ほ 証 しょう しています。(ヤコ 4:7 )
私 わたし たちはサタンの世 よ からの誘 ゆう 惑 わく に抵 てい 抗 こう することを選 えら べる。(11,19節 せつ を参 さん 照 しょう )
清 きよ い 崇 すう 拝 はい の 敵 てき
12. エデンで,サタンは自 じ 分 ぶん が清 きよ い崇 すう 拝 はい の敵 てき であることをどのように示 しめ しましたか。
12 最 さい 後 ご の誘 ゆう 惑 わく で,サタンは自 じ 分 ぶん が清 きよ い崇 すう 拝 はい の最 さい 初 しょ の敵 てき であることをはっきり示 しめ しました。サタンがエホバへの崇 すう 拝 はい に対 たい する憎 にく しみを初 はじ めてあらわにしたのは,何 なん 千 ぜん 年 ねん も前 まえ のエデンの園 その でのことでした。エバを惑 まど わし,次 つ いでエバがアダムを唆 そそのか してエホバの命 めい 令 れい に背 そむ かせた結 けっ 果 か ,サタンは2人 ふたり を自 じ 分 ぶん の支 し 配 はい 下 か に置 お くことに成 せい 功 こう しました。( 創 そう 世 せい 3:1-5 を 読 よ む。 コリ二 に 11:3。 啓 けい 12:9 )実 じっ 際 さい ,サタンは2人 ふたり の神 かみ になり,2人 ふたり は,自 じ 分 ぶん たち を惑 まど わしている者 もの の正 しょう 体 たい がよく分 わ かっていなかったとしても,サタンの崇 すう 拝 はい 者 しゃ になりました。サタンはエデンで反 はん 逆 ぎゃく をあおることにより,エホバの主 しゅ 権 けん つまり支 し 配 はい 権 けん の正 せい 当 とう 性 せい に異 い 議 ぎ を唱 とな えただけでなく,清 きよ い崇 すう 拝 はい に対 たい して攻 こう 撃 げき を仕 し 掛 か けました。どうしてそう言 い えますか。
13. 主 しゅ 権 けん の問 もん 題 だい に清 きよ い崇 すう 拝 はい が関 かん 係 けい していると言 い えるのはなぜですか。
13 主 しゅ 権 けん の問 もん 題 だい には,清 きよ い崇 すう 拝 はい が関 かん 係 けい しています。崇 すう 拝 はい を受 う けるのにふさわしい方 かた は,「全 すべ てのものを創 そう 造 ぞう された」真 しん の主 しゅ 権 けん 者 しゃ エホバだけです。(啓 けい 4:11 )エホバは,完 かん 全 ぜん な人 にん 間 げん アダムとエバを創 そう 造 ぞう し,エデンの園 その に置 お きました。エホバの目 もく 的 てき は,完 かん 全 ぜん な人 にん 間 げん が地 ち 球 きゅう 上 じょう に満 み ち,エホバへの清 きよ い崇 すう 拝 はい を清 きよ い心 こころ で自 みずか ら進 すす んで行 おこな うことでした。(創 そう 1:28 )サタンがエホバの主 しゅ 権 けん の正 せい 当 とう 性 せい に異 い 議 ぎ を唱 とな えたのは,主 しゅ 権 けん 者 しゃ である主 しゅ エホバだけが受 う けるべき崇 すう 拝 はい を自 じ 分 ぶん が受 う けたかったからです。(ヤコ 1:14,15 )
14. 清 きよ い崇 すう 拝 はい に対 たい するサタンの攻 こう 撃 げき は成 せい 功 こう したと言 い えますか。
14 清 きよ い崇 すう 拝 はい に対 たい するサタンの攻 こう 撃 げき は成 せい 功 こう しましたか。サタンはアダム とエバを神 かみ から引 ひ き離 はな しました。それ以 い 来 らい ,攻 こう 撃 げき を続 つづ け,できる限 かぎ り多 おお くの人 ひと をエホバ神 かみ から引 ひ き離 はな そうとしてきました。キリストが到 とう 来 らい するまでの間 あいだ ,エホバの崇 すう 拝 はい 者 しゃ たちを誘 ゆう 惑 わく する手 て を緩 ゆる めることなく,西 せい 暦 れき 1世 せい 紀 き には,悪 あく 意 い を持 も って背 はい 教 きょう を扇 せん 動 どう しました。それによってクリスチャン会 かい 衆 しゅう は腐 ふ 敗 はい し,やがて清 きよ い崇 すう 拝 はい は跡 あと 形 かた もなくなったかに見 み えました。(マタ 13:24-30, 36-43。 使 し 徒 と 20:29,30 )2世 せい 紀 き になると,正 ただ しい崇 すう 拝 はい を行 おこな う人 ひと たちは,世 せ 界 かい 中 じゅう の間 ま 違 ちが った宗 しゅう 教 きょう 全 ぜん 体 たい を表 あらわ す「大 おお いなるバビロン」にいわば捕 と らわれ,その状 じょう 態 たい が長 なが い間 あいだ 続 つづ きました。(啓 けい 17:5 )しかし,サタンは清 きよ い崇 すう 拝 はい に関 かん する神 かみ の目 もく 的 てき をくじくことには成 せい 功 こう していません。 何 なに ものも,神 かみ が目 もく 的 てき を果 は たすのを阻 はば むことはできません。(イザ 46:10; 55:8-11 )神 かみ の名 な が関 かん 係 けい しており,エホバは常 つね にご自 じ 分 ぶん の名 な の意 い 味 み の通 とお りに行 こう 動 どう します。ご自 じ 分 ぶん の目 もく 的 てき を必 かなら ず果 は たすのです。
清 きよ い 崇 すう 拝 はい の 擁 よう 護 ご 者 しゃ
15. エホバは,反 はん 逆 ぎゃく に対 たい 処 しょ し,ご自 じ 分 ぶん の目 もく 的 てき が必 かなら ず果 は たされるようにするために,エデンでどんな対 たい 策 さく を講 こう じましたか。
15 エホバは,反 はん 逆 ぎゃく に対 たい 処 しょ し,ご自 じ 分 ぶん の目 もく 的 てき が必 かなら ず果 は たされるようにするために,エデンで直 ただ ちに対 たい 策 さく を講 こう じました。( 創 そう 世 せい 3:14-19 を 読 よ む。) 反 はん 逆 ぎゃく した3者 しゃ に,罪 つみ を犯 おか した順 じゅん に処 しょ 分 ぶん を言 い い渡 わた しました。まずはサタンに,次 つ いでエバに,最 さい 後 ご にアダムに対 たい してです。裏 うら で糸 いと を引 ひ いていたサタンに対 たい する言 こと 葉 ば の中 なか で,エホバは反 はん 逆 ぎゃく の影 えい 響 きょう を全 すべ て取 と り除 のぞ く「子 し 孫 そん 」が到 とう 来 らい することを予 よ 告 こく しました。その約 やく 束 そく の「子 し 孫 そん 」は,清 きよ い崇 すう 拝 はい に関 かん するエホバの目 もく 的 てき を実 じつ 現 げん させる上 うえ で重 じゅう 要 よう な役 やく 割 わり を果 は たすことになります。
16. エデンでの反 はん 逆 ぎゃく の後 あと も,エホバはご自 じ 分 ぶん の目 もく 的 てき を推 お し進 すす めてきました。どのようにですか。
16 エデンでの反 はん 逆 ぎゃく の後 あと も,エホバはご自 じ 分 ぶん の目 もく 的 てき を推 お し進 すす めてきました。エホバの取 と り決 き めにより,不 ふ 完 かん 全 ぜん な人 にん 間 げん でも神 かみ に受 う け入 い れられる崇 すう 拝 はい を行 おこな えるようになりました。その点 てん は次 つぎ の章 しょう で考 かんが えます。(ヘブ 11:4–12:1 )エホバは,イザヤ,エレミヤ,エゼキエルなど幾 いく 人 にん かの聖 せい 書 しょ 筆 ひっ 者 しゃ を導 みちび き,清 きよ い崇 すう 拝 はい の回 かい 復 ふく に関 かん する感 かん 動 どう 的 てき な預 よ 言 げん を記 しる させました。清 きよ い崇 すう 拝 はい の回 かい 復 ふく は,聖 せい 書 しょ の重 じゅう 要 よう なテーマの1つです。それに関 かん する預 よ 言 げん は全 すべ て,約 やく 束 そく の「子 し 孫 そん 」によって実 じつ 現 げん します。その「子 し 孫 そん 」とは,主 おも にイエス・キリストであることがやがて分 わ かりました。(ガラ 3:16 )3つ目 め の誘 ゆう 惑 わく に対 たい する返 へん 答 とう から明 あき らかなように,イエスは清 きよ い崇 すう 拝 はい の擁 よう 護 ご 者 しゃ です。イエスこそ,回 かい 復 ふく に関 かん する預 よ 言 げん を実 じつ 現 げん するためにエホバに選 えら ばれた方 かた なのです。(啓 けい 19:10 )イエスは,大 おお いなるバビロンに捕 と らわれた状 じょう 態 たい から神 かみ の民 たみ を救 すく い出 だ し,清 きよ い崇 すう 拝 はい をあるべき位 い 置 ち に回 かい 復 ふく させます。
あなたはどうしますか
17. 聖 せい 書 しょ にある回 かい 復 ふく の預 よ 言 げん が私 わたし たちにとって大 だい 事 じ なのはなぜですか。
17 聖 せい 書 しょ にある回 かい 復 ふく の預 よ 言 げん を調 しら べると,胸 むね が躍 おど り,信 しん 仰 こう が強 つよ められます。それらは私 わたし たちにとって大 だい 事 じ な預 よ 言 げん です。私 わたし たちは,天 てん と地 ち の全 すべ ての者 もの が一 ひと つになって主 しゅ 権 けん 者 しゃ である主 しゅ エホバへの清 きよ い崇 すう 拝 はい を行 おこな うようになる時 とき を心 こころ 待 ま ちにしているからです。回 かい 復 ふく の預 よ 言 げん は私 わたし たちに希 き 望 ぼう も与 あた えてくれます。聖 せい 書 しょ の中 なか でもとりわけ心 こころ 温 あたた まる保 ほ 証 しょう の言 こと 葉 ば が含 ふく まれているからです。亡 な くなった愛 あい する人 ひと たちが復 ふっ 活 かつ すること,地 ち 球 きゅう 全 ぜん 体 たい がパラダイスになること,完 かん 全 ぜん な健 けん 康 こう と永 えい 遠 えん の命 いのち を楽 たの しめることなど,エホバの約 やく 束 そく の実 じつ 現 げん を私 わたし たちは切 せつ 望 ぼう しているのではないでしょうか。(イザ 33:24; 35:5,6。 啓 けい 20:12,13; 21:3,4 )
18. この本 ほん ではどんな点 てん が取 と り上 あ げられていますか。
18 この本 ほん では,エゼキエル書 しょ にある感 かん 動 どう 的 てき な預 よ 言 げん を取 と り上 あ げます。その預 よ 言 げん の多 おお くは,清 きよ い崇 すう 拝 はい の回 かい 復 ふく に焦 しょう 点 てん を当 あ てています。エゼキエルの預 よ 言 げん が,他 た の預 よ 言 げん とどう関 かん 連 れん しているか,どのようにキリストによって実 じつ 現 げん するか,私 わたし たちとどういう関 かん 係 けい があるかを考 かんが えましょう。(「エゼキエル書 しょ の概 がい 略 りゃく 」という囲 かこ みを参 さん 照 しょう 。)
19. あなたはどんなことを決 けつ 意 い していますか。なぜですか。
19 西 せい 暦 れき 29年 ねん のユダヤの荒 こう 野 や で,サタンはイエスに清 きよ い崇 すう 拝 はい を捨 す てさせようとしたものの失 しっ 敗 ぱい しました。では,私 わたし たちはどうでしょうか。サタンは私 わたし たちを正 ただ しい崇 すう 拝 はい から引 ひ き離 はな そうと,いよいよ必 ひっ 死 し になっています。(啓 けい 12:12,17 )私 わたし たちがこの本 ほん を読 よ んで,邪 じゃ 悪 あく な誘 ゆう 惑 わく 者 しゃ に抵 てい 抗 こう する決 けつ 意 い を強 つよ めることができますように。自 じ 分 ぶん の言 げん 動 どう によって,「あなたが崇 すう 拝 はい すべきなのはエホバ神 かみ 」という言 こと 葉 ば に心 こころ から同 どう 意 い していることを示 しめ しましょう。そうすれば,近 ちか い将 しょう 来 らい ,エホバの壮 そう 大 だい な目 もく 的 てき がついに実 じつ 現 げん するのを目 ま の当 あ たりにできるでしょう。その時 とき には,天 てん と地 ち の全 すべ ての者 もの が一 ひと つになり,エホバだけが受 う けるべき清 きよ い崇 すう 拝 はい を清 きよ い心 こころ で行 おこな うのです。