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イエス 道,真理,命
イ道 84章 196ページ–197ページ 3節
軍勢を率いて戦いに出ていく王

84章

キリストの弟で子しであることの責せき任にん

ルカ 14:25-35

  • 弟で子しに求もとめられること

イエスはパリサイ派はのある指し導どう者しゃの家いえで食しょく事じをした時ときに大たい切せつなことを教おしえました。その後ごもエルサレムへの旅たびを続つづけますが,大おお勢ぜいの人ひとが一いっ緒しょに付ついてきます。なぜでしょうか。どんな犠ぎ牲せいを払はらってでもイエスの真しんの弟で子しになりたいと本ほん当とうに思おもっているからでしょうか。

旅たびの途と中ちゅうでイエスは驚おどろくようなことを言いいます。「私わたしの元もとに来きて,自じ分ぶんの父ちち親おや,母はは親おや,妻つま,子こ供ども,兄きょう弟だい,姉し妹まい,さらには自じ分ぶんの命いのち以い上じょうに私わたしを愛あいさないなら,私わたしの弟で子しになることはできません」。(ルカ 14:26)どういう意い味みでしょうか。

これは,イエスの弟で子しになりたい人ひとは家か族ぞくを愛あいしてはいけないということではありません。家か族ぞくに対たいする愛あいよりもイエスに対たいする愛あいが大おおきくなければならない,という意い味みです。家か族ぞくに対たいする愛あいが大おおきくなってしまうと,例たとえ話ばなしの中なかで,結けっ婚こんを言いい訳わけにして夕ゆう食しょく会かいへの招しょう待たいを断ことわった人ひとのようになってしまうかもしれません。(ルカ 14:20)

弟で子しとなる人ひとは「自じ分ぶんの命いのち」であっても第だい一いちにすべきではない,とイエスは言いっています。自じ分ぶんを大だい事じにする気き持もちよりもイエスへの愛あいの方ほうが大おおきくなければならず,場ば合あいによってはイエスのために死しぬこともためらわない,という意い味みです。ですから,キリストの弟で子しになることには大おおきな責せき任にんが伴ともないます。よく考かんがえず軽かるい気き持もちで決けっ定ていしてはなりません。

弟で子しになれば,困こん難なんや迫はく害がいを経けい験けんするかもしれません。イエスはこう言いっているからです。「自じ分ぶんの苦くるしみの杭くいを運はこびながら私わたしに付ついてくる人ひとでなければ,私わたしの弟で子しになることはできません」。(ルカ 14:27)イエスの本ほん当とうの弟で子しはイエスと同おなじように,つらい経けい験けんをしても忍にん耐たいしなければなりません。イエスは,自じ分ぶんが敵てきの手てで殺ころされるとも言いいました。

1世紀のクリスチャンの男性が建設計画の費用を計算しているところ

ですから,イエスの話はなしを聞きいていた人ひとたちは,キリストの弟で子しになるということがどういうことかを注ちゅう意い深ぶかく考かんがえるべきでした。イエスはその点てんを例たとえで強きょう調ちょうします。「例たとえば,塔とうを建たてようと思おもう場ば合あい,まず座すわって費ひ用ようを計けい算さんし,完かん成せいさせるだけのものを持もっているかどうかを調しらべるのではないでしょうか。そうしないなら,土ど台だいを据すえても仕し上あげられないかもしれず,見みている人ひとたちは皆みなあざけり始はじめるでしょう」。(ルカ 14:28,29)人ひと々びとは,イエスの弟で子しになる前まえに,弟で子しとしての責せき任にんをしっかり果はたすことを固かたく決けつ意いしているべきなのです。イエスは別べつの例たとえでそのことを強きょう調ちょうします。

「ある王おうが別べつの王おうとの戦たたかいに出でていく場ば合あい,まず座すわって,2万まんの軍ぐん勢ぜいで攻せめてくる相あい手てに1万まんの軍ぐん勢ぜいで立たち向むかえるかどうかを協きょう議ぎするのではないでしょうか。実じっ際さい,立たち向むかえないなら,相あい手てがまだ遠とおくにいる間あいだに,使し節せつ団だんを遣つかわして和わ平へいを求もとめます」。それからイエスは要よう点てんを強きょう調ちょうし,こう言いいます。「同おなじように,持もち物もの全すべてに別わかれを告つげない人ひとは誰だれも私わたしの弟で子しになることができません」。(ルカ 14:31-33)

このイエスの言こと葉ばは,一いっ緒しょに旅たびをしている人ひとたちだけに当あてはまるのではありません。キリストを知しるようになる人ひとは皆みな,ためらうことなくイエスの言こと葉ば通どおりに行こう動どうしなければなりません。イエスの弟で子しであるには,持もち物もの全すべて,また自じ分ぶんの命いのちさえも手て放ばなす覚かく悟ごが必ひつ要ようです。ですから,これは祈いのって,よく考かんがえるべき事こと柄がらです。

次つぎにイエスは,山さん上じょうの垂すい訓くんの中なかで語かたった点てんをもう一いち度ど教おしえます。それは,弟で子したちが「地ちの塩しお」であるというものです。(マタイ 5:13)その時ときイエスは,塩しおが保ほ存ぞん料りょうの働はたらきをするように,弟で子したちも人ひと々びとの心こころを腐ふ敗はいから守まもると教おしえていたようです。伝でん道どう期き間かんが終おわりに近ちかづいた今いま,イエスはこう言いいます。「確たしかに塩しおは良よいものです。しかし,塩しおが塩しお気けを失うしなったら,何なにによって塩しお気けを取とり戻もどせるのですか」。(ルカ 14:34)人ひと々びとは,当とう時じの塩しおには土つちのような不ふ純じゅん物ぶつが混まざっていることがあり,そうした塩しおが使つかい物ものにならないことを知しっていました。

イエスは,これまでずっと自じ分ぶんの弟で子しだった人ひとでも決けつ意いを弱よわめてはならないと教おしえます。もし弱よわめてしまうなら,塩しお気けを失うしなった塩しおのように使つかい物ものにならなくなってしまうでしょう。そうなると人ひと々びとからばかにされるだけでなく,神かみの恵めぐみを失うしないかねないのです。神かみの名なが非ひ難なんされることもあり得えます。イエスはそうした結けっ果かにならないよう強つよく勧すすめ,「聞きく耳みみのある人ひとは聞ききなさい」と言いいます。(ルカ 14:35)

  • イエスは,自じ分ぶんの弟で子しとなる人ひとは家か族ぞくや「自じ分ぶんの命いのち」以い上じょうに私わたしを愛あいさなければならない,と教おしえました。それはどういう意い味みでしたか。

  • 塔とうを建たてることや戦たたかいをする王おうの例たとえで,イエスはどんなことを教おしえていましたか。

  • 塩しおについてのイエスの話はなしはどんな大たい切せつなことを教おしえていますか。

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