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エホバに近づきなさい
近 第27章 270–279ページ
熟したブドウが木にたくさんなっている。

第27章

「神かみは何なんと善よい方かたなのだろう」

1-2. 善よい方かたであるエホバのおかげでどんな幸しあわせを感かんじられますか。聖せい書しょは神かみが善よい方かたであることをどのように強きょう調ちょうしていますか。

昔むかしからの友ゆう人じんたちが,夕ゆう日ひに染そまった美うつくしい景け色しきを見みながら屋おく外がいで一いっ緒しょに食しょく事じをし,楽たのしく語かたり合あっています。別べつの場ば所しょでは,農のう家かの人ひとが自じ分ぶんの畑はたけを見み渡わたし,うれしそうにほほ笑えんでいます。空そらに厚あつい雲くもが広ひろがり,待まちわびていた恵めぐみの雨あめが畑はたけを潤うるおし始はじめたからです。さらにほかの場ば所しょでは,夫ふう婦ふが自じ分ぶんたちの赤あかちゃんが初はじめて何なん歩ぽか歩あるくのを見みて,大おお喜よろこびしています。

2 この人ひとたちは気き付づいていないかもしれませんが,人ひとがそのような幸しあわせを感かんじられるのは,善よい方かたであるエホバのおかげです。聖せい書しょにははっきりと,「神かみは何なんと善よい方かたなのだろう」と書かかれています。(ゼカリヤ 9:17)今いまの世よの中なかで,この言こと葉ばの意い味みを本ほん当とうに理り解かいしている人ひとはほとんどいないでしょう。では,エホバ神かみが善よい方かたであるとは,具ぐ体たい的てきにどういうことなのでしょうか。エホバは私わたしたちのためにどんな善よいことをしてくれているでしょうか。

神かみの愛あいの際きわ立だった一いち面めん

3-4. 「善よい」とはどういうことですか。エホバが善よい方かたなのは愛あいがあるからこそだと言いえるのはどうしてですか。

3 多おおくの言げん語ごで「善よい(良よい)」という言こと葉ばには広ひろい意い味みがありますが,聖せい書しょの中なかでは主おもに道どう徳とく的てきに優すぐれていることを指さします。そのような意い味みで,エホバは限かぎりなく善よい方かたです。力ちから,公こう正せいさ,知ち恵えなど,エホバのあらゆる面めんが善よいのです。そして,覚おぼえておきたい大たい切せつなこととして,エホバが善よい方かたなのは愛あいがあるからこそです。どうしてそう言いえるのでしょうか。

4 それは,善よい人ひととはどんな人ひとかを考かんがえると分わかります。使し徒とパウロが書かいているように,人ひとは正ただしい人ひとよりも善よい人ひとに強つよく引ひかれます。(ローマ 5:7)正ただしい人ひとは律りっ法ぽうで求もとめられていることを固かたく守まもりますが,善よい人ひとはそれ以い上じょうのことを行おこないます。他たの人ひとのためになることを積せっ極きょく的てきに行おこなうのです。この章しょうで考かんがえますが,エホバはまさにそういう意い味みで善よい方かたです。無む限げんの愛あいがあるからこそ,常つねに善よいことを行おこなうのです。

5-7. イエスが「善よい先せん生せい」と呼よばれることを拒こばんだのはどうしてですか。イエスはどんな重じゅう要ような真しん理りを教おしえましたか。

5 エホバは特とく別べつな意い味みで善よい方かたです。イエスが亡なくなる少すこし前まえの出で来き事ごとについて考かんがえてみましょう。ある男だん性せいが質しつ問もんしようとしてやって来きて,イエスを「善よい先せん生せい」と呼よびました。するとイエスはこう言いいました。「なぜ私わたしのことを善よいと呼よぶのですか。神かみ以い外がいに善よい者ものは誰だれもいません」。(マルコ 10:17,18)一いっ体たいどうしてイエスはそのように言いったのでしょうか。男だん性せいが言いった通とおり,イエスは「善よい先せん生せい」だったのではないでしょうか。

6 その男だん性せいは「善よい先せん生せい」という言こと葉ばを,個こ人じんをたたえる特とく別べつな呼こ称しょうとして使つかっていたようです。慎つつしみ深ぶかいイエスは,そのようにたたえられるべきなのは誰だれよりも善よい方かたであるエホバだけだと言いっていたのです。(格かく言げん 11:2)イエスはさらに,1つの重じゅう要ような真しん理りを教おしえていました。至し高こう者しゃであり主しゅ権けん者しゃであるエホバだけが,何なにが善ぜんで何なにが悪あくかを決きめる権けん利りを持もっている,ということです。アダムとエバは,神かみに反はん逆ぎゃくして善ぜん悪あくの知ち識しきの木きの実みを食たべることにより,自じ分ぶんたちで善ぜん悪あくを決きめたいという態たい度どを表あらわしました。その2人ふたりとは違ちがって,イエスは天てんの父ちちだけに善ぜん悪あくの基き準じゅんを定さだめる権けん利りがあることを謙けん遜そんに認みとめていました。

7 加くわえてイエスは,全すべての良よいものの源みなもとがエホバであることを知しっていました。「良よい贈おくり物もの,完かん全ぜんな贈おくり物ものは全すべて」エホバから与あたえられるのです。(ヤコブ 1:17)では,エホバがどんな良よいものを惜おしみなく与あたえてくれているかを考かんがえてみましょう。

善よい神かみエホバからのたくさんの贈おくり物もの

8. エホバは全すべての人ひとに対たいしてどんな善よいことを行おこなってきましたか。

8 例れい外がいなく全すべての人ひとが,善よい神かみであるエホバのおかげで生いきています。詩し編へん 145編へん9節せつには,「エホバは全すべてのものに対たいして善よいことを行おこなう」と書かかれています。そのことを示しめすどんな例れいがあるでしょうか。聖せい書しょはこう述のべています。「[神かみは]善よいことを行おこなって,ご自じ分ぶんのことを明あきらかにしていました。天てんからの雨あめと実みのりの季き節せつを与あたえ,食しょく物もつを豊ゆたかに供きょう給きゅうして人ひと々びとの心こころを喜よろこびで満みたしたのです」。(使し徒と 14:17)おいしい物ものを食たべると,幸しあわせな気き持もちになるものです。私わたしたちが食しょく事じを楽たのしめるのは,善よい神かみであるエホバが地ち球きゅうを素す晴ばらしく造つくってくれたおかげです。水みずが循じゅん環かんしていつも豊ほう富ふにあり,「実みのりの季き節せつ」が巡めぐってくるので,たくさんの食しょく物もつが生せい産さんできるようになっています。エホバは自じ分ぶんに従したがう人ひとたちだけでなく全すべての人ひとに,そのような良よいものを与あたえています。イエスはこう言いいました。「父ちちは悪あく人にんにも善ぜん人にんにも太たい陽ようを昇のぼらせ,正ただしい人ひとにも正ただしくない人ひとにも雨あめを降ふらせてくださるのです」。(マタイ 5:45)

9. リンゴのどんなところから,エホバが善よい神かみだと分わかりますか。

9 多おおくの人ひとは,太たい陽ようや雨あめや実みのりの季き節せつを当あたり前まえのものだと思おもっているので,エホバのおかげでたくさんの良よいものを味あじわえていることに感かん謝しゃしていません。良よいものの一いち例れいとして,リンゴについて考かんがえてみましょう。リンゴは温おん帯たい地ち域いきでなじみ深ぶかい果物くだもので,美うつくしく,食たべておいしく,みずみずしい果か汁じゅうや大たい切せつな栄えい養よう素そをいっぱいに含ふくんでいます。世せ界かいには約やく7500種しゅ類るいものリンゴがあります。色いろは赤あか,黄き色いろ,緑みどりなどいろいろで,サイズもサクランボぐらい小ちいさなものからグレープフルーツぐらい大おおきなものまでさまざまです。リンゴの種たねは小ちいさくて地じ味みですが,その種たねから芽めが出でて成せい長ちょうすると立りっ派ぱな木きになります。(ソロモンの歌うた 2:3)春はるになると美うつくしい花はなが咲さき乱みだれ,秋あきには実みがなります。70年ねん以い上じょうにわたって毎まい年とし400㌔もの実みを付つけるリンゴの木きもあります。

エホバは「天てんからの雨あめと実みのりの季き節せつを与あたえ」てくれる

果樹園のリンゴの木に熟した実がたくさんなっている。小さなリンゴの種を指先でつまんでいる写真が挿入されている。

この小ちいさな種たねが立りっ派ぱな木きになり,何なん十じゅう年ねんも実みを付つけて私わたしたちを楽たのしませてくれる

10-11. 五ご感かんが,善よい神かみエホバからの贈おくり物ものだと言いえるのはどうしてですか。

10 私わたしたちの体からだのことを考かんがえると,エホバがどこまでも善よい方かたであることをいっそう実じっ感かんできます。人じん体たいは「素す晴ばらしく造つくられて」いて,さまざまな感かん覚かくがあるのでエホバが造つくったものを楽たのしむことができます。(詩し編へん 139:14)この章しょうの冒ぼう頭とうで取とり上あげた幾いくつかの状じょう況きょうを思おもい起おこしてみましょう。そういう場ば面めんで,視し覚かくによってどんな喜よろこびを感かんじられるでしょうか。真まっ赤かなほっぺの赤あかちゃんの笑え顔がお,畑はたけに優やさしく降ふり注そそぐ雨あめのシャワー,赤あかやオレンジや紫むらさきに染そまった夕ゆう焼やけ空ぞらなどを見みることができます。人にん間げんの目めは,数すう百ひゃく万まん色しょくを見み分わけられるといわれています。聴ちょう覚かくはどうでしょうか。家か族ぞくや友とも達だちのいろいろな声こえのトーンや,木こ立だちを抜ぬける風かぜのささやき,赤あかちゃんのうれしそうな笑わらい声ごえなどを聞きき取とることができます。私わたしたちがそうした光こう景けいや音おとを楽たのしめるのは,エホバのおかげです。聖せい書しょに書かかれている通とおり,「聞きく耳みみと見みる目めはどちらもエホバが造つくった」のです。(格かく言げん 20:12)エホバはほかにもどんな感かん覚かくを与あたえてくれているでしょうか。

11 嗅きゅう覚かくも,善よい神かみであるエホバからの贈おくり物ものです。人にん間げんの鼻はなが嗅かぎ分わけられる匂においは1兆ちょう種しゅ類るいに上のぼるともいわれています。好すきな料りょう理りや,花はな,落おち葉ば,暖あたたかいたき火ひの煙けむりの匂においなどは,心ここ地ちよいものです。また,触しょっ覚かくがあるおかげで,優やさしく頰ほほをなでるそよ風かぜ,温あたたかい抱ほう擁よう,果物くだものの手て触ざわりなどを感かんじることができます。果物くだものを一ひと口くち食たべると,味み覚かくが働はたらきます。果物くだものの複ふく雑ざつで繊せん細さいな味あじわいを味み蕾らいが感かんじ取とり,口くちいっぱいに味あじのシンフォニーが広ひろがります。こうした感かん覚かくについて考かんがえると,確たしかに次つぎのようにエホバをたたえたくなります。「あなたは何なんと善よい方かたなのだろう。あなたはご自じ分ぶんが善よい方かたであることを,あなたを畏おそれる人ひとに進すすんで表あらわ[す]」。(詩し編へん 31:19)では,エホバは自じ分ぶんを畏おそれる人ひとたちのために,さらにどんな善よいことを行おこなってきたでしょうか。

エホバからの良よいものは永えい遠えんの幸こう福ふくにつながる

12. エホバが与あたえてくれる文も字じ通どおりの食しょく物もつよりも大だい事じなものは何なんですか。どうしてですか。

12 イエスはこう言いいました。「『人ひとは,パンだけではなく,エホバの口くちから出でる全すべての言こと葉ばによって生いきなければならない』と書かいてあります」。(マタイ 4:4)文も字じ通どおりの食しょく物もつは私わたしたちが生いきていくのに欠かかせませんが,エホバからの教おしえという食しょく物もつはもっと大だい事じです。それによって永えい遠えんに生いきられるようになるからです。この本ほんの第だい8章しょうで考かんがえたように,エホバがこの終おわりの時じ代だいに清きよい崇すう拝はいを回かい復ふくさせたおかげで,私わたしたちは比ひ喩ゆ的てきなパラダイスの中なかにいられるようになりました。そのパラダイスの特とく徴ちょうの一ひとつは,信しん仰こうを強つよめる食しょく物もつがふんだんにあることです。

13-14. (ア)預よ言げん者しゃエゼキエルは幻まぼろしの中なかで何なにを見みましたか。その幻まぼろしはどんなことを表あらわしていましたか。(イ)エホバは自じ分ぶんに忠ちゅう実じつに仕つかえる人ひとたちが永えい遠えんに生いきられるよう,どんなものを与あたえてくれていますか。

13 預よ言げん者しゃエゼキエルは,回かい復ふくに関かんする重じゅう要ような預よ言げんを与あたえられ,幻まぼろしの中なかで美うつくしい神しん殿でんを見みました。その神しん殿でんからは水みずが流ながれ出でていて,流ながれの幅はばや深ふかさがどんどん増ましていき,やがて深ふかい川かわになります。この川かわの流ながれは大おおきな祝しゅく福ふくをもたらします。川かわの両りょう岸ぎしにはたくさんの木きが生はえ,人ひと々びとを養やしなって癒いやします。川かわが死し海かいに流ながれ込こむと,塩えん分ぶん濃のう度どが高たかくて生せい物ぶつがいなかった海うみに魚さかながあふれ,漁ぎょ業ぎょうが盛さかんになります。(エゼキエル 47:1-12)この預よ言げんにはどんな意い味みがあるのでしょうか。

14 この神しん殿でんの幻まぼろしは,エホバが清きよい崇すう拝はいを回かい復ふくさせることを表あらわしていました。再ふたたびエホバの正ただしい基き準じゅんに沿そった崇すう拝はいが行おこなわれるようになるのです。幻まぼろしの中なかの川かわがどんどん深ふかく大おおきくなったように,エホバは自じ分ぶんの民たみが永えい遠えんに生いきられるよう助たすけるためにますますたくさんの良よいものを与あたえてくれています。1919年ねんに清きよい崇すう拝はいが回かい復ふくされて以い来らい,エホバはどんなものを与あたえてきてくれたでしょうか。聖せい書しょ,聖せい書しょに基もとづく出しゅっ版ぱん物ぶつ,集しゅう会かいや大たい会かいなどによって,何なん百びゃく万まんもの人ひとたちが重じゅう要ような真しん理りを学まなべるようにしてきました。そのような方ほう法ほうで,人にん間げんに永えい遠えんの命いのちを与あたえるための一いち番ばんの贈おくり物ものであるキリストの贖あがないの犠ぎ牲せいについても教おしえてきました。神かみを本ほん当とうに愛あいして畏おそれる人ひとたちは,キリストの犠ぎ牲せいに信しん仰こうを持もつならエホバから清きよい人ひとと見みていただくことができ,永えい遠えんに生いきるという希き望ぼうを持もてるのです。a この終おわりの時じ代だいに,世よの中なかの大おお勢ぜいの人ひとは神かみについて知しらずに苦くるしんでいますが,エホバの民たみは信しん仰こうを強つよめる食しょく物もつで豊ゆたかに養やしなわれています。(イザヤ 65:13)

15. キリストの千せん年ねん統とう治ちの間あいだ,エホバは忠ちゅう実じつな人ひとたちのためにどんな善よいことをしますか。

15 エゼキエルが幻まぼろしの中なかで見みた川かわは,今いまの体たい制せいが終おわったらもう流ながれなくなるというわけではありません。キリストの千せん年ねん統とう治ちの間あいだ,いっそう豊ゆたかに流ながれます。その時とき,エホバはメシア王おう国こくによって,忠ちゅう実じつな人ひとたちがイエスの犠ぎ牲せいの恩おん恵けいを最さい大だい限げんに受うけて徐じょ々じょに完かん全ぜんな人にん間げんになるようにします。私わたしたちはエホバがどれほど善よい方かたであるかを実じっ感かんし,喜よろこびにあふれることでしょう。

善よい神かみであるエホバのいろいろな面めん

16. 聖せい書しょによると,エホバが善よい方かたであることはどんな面めんにも表あらわれていますか。

16 エホバが善よい方かただと言いえるのは,惜おしみなく与あたえてくれるからだけではありません。エホバはモーセにこう言いいました。「私わたしは,私わたしがどれほど善よいかをあなたに見みせ,あなたの前まえでエホバという名なを宣せん言げんする」。その少すこし後あとにはこう書かかれています。「エホバはモーセの前まえを通とおり過すぎつつ,こう宣せん言げんした。『エホバ,エホバ,憐あわれみ深ぶかく,慈いつくしみがある神かみ,すぐに怒いからず,揺ゆるぎない愛あいに満みち,常つねに真しん実じつを語かたる』」。(出しゅつエジプト記き 33:19; 34:6,脚きゃく注ちゅう)ですから,エホバが善よい方かたであることはいろいろな面めんに表あらわれていると言いえます。そのうちの2つを考かんがえてみましょう。

17. 慈いつくしみがあることは,人ひとへのどんな接せっし方かたに表あらわれますか。エホバがそのように人にん間げんに接せっしたどんな例れいがありますか。

17 「慈いつくしみがある」。「思おもいやりがある」とも訳やくされるこの表ひょう現げんから,エホバがどのように人にん間げんに接せっするかが分わかります。権けん力りょく者しゃは偉えらそうだったり冷つめたかったりすることがよくありますが,エホバは誰だれに対たいしても優やさしく,親しん切せつで,丁てい寧ねいです。例たとえば,ある時ときアブラムに,「目めを上あげ,東ひがしと西にし,北きたと南みなみをご覧らんなさい」と言いいました。(創そう世せい記き 13:14)多おおくの翻ほん訳やくでは,ここが「見みなさい」という命めい令れい口く調ちょうになっています。しかし,聖せい書しょ学がく者しゃたちによると元もとのヘブライ語ごの表ひょう現げんは文ぶん法ぽう上じょう,命めい令れいではなく丁てい寧ねいな依い頼らいを表あらわす形かたちになっています。同どう様ようの表ひょう現げんが「どうか……[し]てほしい」と訳やくされていることもあります。(創そう世せい記き 22:2。エゼキエル 8:5)宇う宙ちゅうの主しゅ権けん者しゃである方かたが,人にん間げんに「どうか」と頼たのんでいるのです。世よの中なかでは思おもいやりに欠かけた失しつ礼れいな態たい度どがよく見みられますが,エホバがいつも慈いつくしみ深ぶかく接せっしてくれることを考かんがえると,爽さわやかな気き持もちになるのではないでしょうか。

18. エホバはどんな神かみですか。安あん心しんしてエホバに従したがえるのはどうしてですか。

18 「常つねに真しん実じつを語かたる」。世よの中なかでは不ふ正しょう直じきな言げん動どうが広ひろく見みられます。一いっ方ぽう,聖せい書しょによると「神かみは,偽いつわりを語かたる人にん間げんのようでは」ありません。(民みん数すう記き 23:19)テトス 1章しょう2節せつにある通とおり,「神かみは偽いつわることができません」。どこまでも善よい方かただからです。だからこそ,エホバの約やく束そくは100%信しん頼らいできます。エホバが語かたったことは必かならずその通とおりになります。エホバは真しん実じつだけを語かたる「真しん理りの神かみ」なのです。(詩し編へん 31:5)うそを言いわないだけでなく,惜おしみなく真しん理りを知しらせます。何なんでも秘ひ密みつにしておいたりはせず,忠ちゅう実じつに従したがう人ひとたちを無む限げんの知ち恵えによって啓けい発はつします。b 「真しん理りに従したがって歩あゆ[む]」にはどうしたらいいかを教おしえてくれます。(ヨハネ第だい三さん 3)では,エホバがそのような善よい方かただと知しって,私わたしたちはどんな気き持もちになるでしょうか。

「エホバからの良よいもののゆえに顔かおを輝かがやかせる」

19-20. (ア)サタンはどのようにして,エホバが善よい神かみであることへの疑うたがいをエバに持もたせようとしましたか。どんな結けっ果かになりましたか。(イ)エホバが善よい方かたであることを考かんがえると,どんな気き持もちになりますか。

19 サタンは,エデンの園そのでエバを誘ゆう惑わくした時とき,巧こう妙みょうな手て口ぐちを使つかって,エホバが善よい神かみだということへの疑うたがいを持もたせようとしました。エホバはアダムに,「庭てい園えんの全すべての木きの実みを満まん足ぞくするまで食たべてよい」と伝つたえていました。エデンの園そのに数かぞえ切きれないほどあったに違ちがいない木き々ぎの中なかで,エホバが実みを食たべてはならないと言いったのは1本ぽんの木きだけでした。しかし,サタンは最さい初しょにエバにこう尋たずねました。「あなたたちは庭てい園えんの全すべての木きの実みを食たべてはならない,と神かみが言いったのは本ほん当とうですか」。(創そう世せい記き 2:9,16; 3:1)サタンはエホバの言こと葉ばをねじ曲まげ,エホバは良よいものを出だし惜おしみしているとエバが考かんがえるように仕し向むけました。残ざん念ねんなことに,エバはサタンを信しんじてしまいました。神かみから全すべてのものを与あたえてもらったにもかかわらず,神かみは善よい方かたではないかもしれないと思おもい始はじめました。後のちの時じ代だいの大おお勢ぜいの人ひとたちも,同おなじように考かんがえるようになりました。

20 そのように神かみを疑うたがった結けっ果か,人じん類るいは深ふかい悲かなしみや苦くるしみを味あじわってきました。私わたしたちはそういう疑うたがいの気き持もちを持もちたいとは思おもいません。エレミヤ 31章しょう12節せつには,「人ひと々びとは……エホバからの良よいもののゆえに顔かおを輝かがやかせる」と書かかれています。私わたしたちはエホバがどこまでも善よい方かただと確かく信しんし,喜よろこびで顔かおを輝かがやかせていたいものです。いつも私わたしたちの幸しあわせを願ねがってくれているエホバを100%信しん頼らいしましょう。

21-22. (ア)エホバがどれほど善よい方かたかを考かんがえると,あなたはどんなことをしたいと思おもいますか。(イ)次つぎの章しょうでは何なにを取とり上あげますか。それはどんな人ひとたちだけに示しめされますか。

21 エホバがどれほど善よい方かたかを考かんがえて喜よろこびを感かんじると,他たの人ひとにそのことを話はなしたくなります。詩し編へん 145編へん7節せつにはエホバの民たみについて,「人ひと々びとはあなたがいかに善よい方かたかを思おもい起おこし,生いき生いきと語かたる」と書かかれています。私わたしたちは毎まい日にち,善よい神かみであるエホバに支ささえられています。その日ひその日ひにエホバがしてくれたことについて,できるだけ具ぐ体たい的てきに感かん謝しゃすることを習しゅう慣かんにしましょう。エホバがどれほど善よい方かたかを考かんがえ,毎まい日にちエホバに感かん謝しゃし,他たの人ひとに話はなすと,自じ分ぶんも善よい神かみに倣ならいたいという気き持もちが強つよくなります。そして,エホバのように善よいことをしようと努ど力りょくすると,エホバとの絆きずなが強つよまります。使し徒とヨハネは晩ばん年ねんにこう書かきました。「愛あいする兄きょう弟だい,悪わるいことではなく,善よいことに倣ならいなさい。善よいことを行おこなう人ひとは神かみから出でています」。(ヨハネ第だい三さん 11)

22 善よい方かたであるエホバは,「揺ゆるぎない愛あいに満みち」ている方かたでもあります。(出しゅつエジプト記き 34:6)エホバは全すべての人ひとに善よいことを行おこないますが,揺ゆるぎない愛あいは忠ちゅう実じつに仕つかえる人ひとたちだけに示しめします。次つぎの章しょうでは,その揺ゆるぎない愛あいについて詳くわしく取とり上あげます。

a エホバが善よい方かたであることは,キリストを贖あがないとして与あたえてくれたことに一いち番ばんよく表あらわれています。エホバは何なん億おくもの天てん使しの中なかからあえて愛あいする独ひとり子ごを選えらび,私わたしたちのために死しぬようにしてくれました。

b 聖せい書しょの中なかで,真しん理りは光ひかりと結むすび付つけられています。ある詩し編へん作さく者しゃは,「あなたの光ひかりと真しん理りを送おくり出だしてください」と言いいました。(詩し編へん 43:3)この闇やみの世よの中なかで,エホバは学まなぶ意い欲よくのある人ひとたちを真しん理りの光ひかりで明あかるく照てらし,啓けい発はつします。(コリント第だい二に 4:6。ヨハネ第だい一いち 1:5)

じっくり考かんがえたいこと

  • 列れつ王おう第だい一いち 8:54-61,66 ソロモンは善よい神かみエホバに感かん謝しゃしてどんなことを言いいましたか。聞きいていたイスラエル人じんはどんな気き持もちになりましたか。

  • 詩し編へん 119:66,68 善よい方かたであるエホバに倣ならいたいという気き持もちを込こめて,どんなふうに祈いのれますか。

  • ルカ 6:32-38 どんなことを考かんがえると,エホバのように惜おしみなく与あたえ,寛かん大だいに人ひとを許ゆるしたくなりますか。

  • ローマ 12:2,9,17-21 善よい人ひとは毎まい日にちの生せい活かつの中なかでどのように考かんがえ,行こう動どうしますか。

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