イエスは残酷な虐待を受けてばかにされます。ピラトは何とかイエスを釈放しようとします。しかし,祭司長とその支持者たちの態度は変わりません。何としてでもイエスを殺したいと思っています。それで,「杭に掛けろ! 杭に掛けろ!」と叫び続けます。ピラトは,「自分たちで連れていって杭に掛けなさい。私は彼に何の過失も見つけられない」と答えます。(ヨハネ 19:6)
ユダヤ人たちは,政治犯としてイエスを殺させるのが難しいと知ると,今度は宗教上の罪状で訴えます。その罪状とは,彼らがサンヘドリンの裁判で持ち出した冒瀆の罪です。こう言います。「私たちには律法があり,その律法によれば,彼は死に値します。自分を神の子としたからです」。(ヨハネ 19:7)ピラトにとっては初耳です。
ピラトは邸宅の中に戻ります。そして,厳しい虐待を耐えているこの男性,また妻が夢で見たこの男性を何とか釈放する道はないかと考えます。(マタイ 27:19)自分を「神の子」としたという耳新しい罪状についてはどうでしょうか。ピラトはイエスがガリラヤ出身であることを知っています。(ルカ 23:5-7)それでもピラトはイエスに,「あなたはどこから来たのか」と質問します。(ヨハネ 19:9)イエスは人間になる前から生きている神かもしれない,と思ったのでしょうか。
イエスはピラトに対し,自分は王だが自分の王国はこの世のものではない,とすでに話しました。さらに説明する必要はありません。それでイエスは黙っています。ピラトはイエスが答えないのでプライドを傷つけられ,腹を立ててこう言います。「黙っているつもりか。あなたを釈放する権限も処刑する権限も私にあることを知らないのか」。(ヨハネ 19:10)
イエスはこう答えます。「天から与えられていなかったなら,あなたは私に対して何の権限もないでしょう。それで,私をあなたに引き渡した人の方が罪が重いのです」。(ヨハネ 19:11)イエスはここで,誰か1人のことを言っていたのではないようです。ピラトよりも,カヤファやその支持者たちやユダ・イスカリオテの方に重い責任があると言っていたのです。
ピラトはイエスの態度と言葉に心を動かされ,イエスは神ではないか,という恐れの気持ちが強まってきたこともあり,イエスを釈放する方法を再び探し始めます。ところが,ユダヤ人たちはピラトに恐れを抱かせる別の点を挙げ,こう脅します。「この男を釈放するなら,あなたはカエサルの友ではありません。自分を王とする者は皆,カエサルに逆らっているのです」。(ヨハネ 19:12)
ピラトはイエスをもう一度連れ出し,裁きの座に座って,「見なさい,あなた方の王だ!」と民に言います。しかし彼らはそれを無視し,「殺せ! 殺せ! 杭に掛けろ!」と叫びます。ピラトは,「あなた方の王を私が処刑するのか」と反論します。ユダヤ人はこれまでローマの支配にいら立ちを募らせてきました。ところが祭司長たちもこの時だけは,「私たちにはカエサルのほかに王はいません」と平気な顔で言います。(ヨハネ 19:14,15)
ピラトはユダヤ人たちのしつこさに耐え切れなくなり,要求通りイエスを処刑するために引き渡します。兵士たちはイエスから紫の衣を剝ぎ取り,もともと着ていた外衣を着せます。イエスは引いていかれる際,自分で苦しみの杭を担いでいかなければなりません。
今はニサン14日金曜日の正午近くです。イエスは木曜日の早朝から一睡もしていません。しかも,苦しみに満ちた経験の連続でした。イエスは杭を引きずりながら進み始めますが,その重みに耐える力が尽きてしまいます。そこへ,アフリカのキレネから来たシモンという男性が通り掛かります。それで兵士たちはシモンに杭を処刑場所まで運ばせます。大勢の人がその後に付いていきます。胸をたたいて悲しむ人たちもいます。
イエスは悲しむ女性たちにこう言います。「エルサレムの女性たち,私のために泣くのをやめなさい。むしろ,自分と自分の子供たちのために泣きなさい。人々が,『子供ができない女性,また子供を産まなかった女性や乳を飲ませなかった女性は幸せだ!』と言う時が来るからです。その時人々は,山に向かって,『われわれにかぶさってくれ!』と言い,丘に向かって,『われわれを覆ってくれ!』と言いだします。木に生気がある時にこうしたことがなされるのであれば,枯れた時には何が起きるでしょうか」。(ルカ 23:28-31)
イエスはユダヤ国民のことを話しています。彼らは枯れていく木のようですが,まだ生気が残っています。イエスも,イエスに信仰を抱くたくさんの人たちもいるからです。しかし,イエスが殺され,神が弟子たちをユダヤ国民から取り去ると,同国民は神の目から見て枯れた木のような状態になります。そして,ローマ軍が神からの刑を彼らに執行する時,大きな悲しみが生じるでしょう。