イエスの姿が変わったり,邪悪な天使に取りつかれた男の子をイエスが癒やしたりしたのは,カエサレア・フィリピ地方でのことです。イエスはその後,カペルナウムに向かいます。「そのことを誰にも知られたくなかった」ので,弟子たちだけを連れて目立たないように旅をします。(マルコ 9:30)イエスは旅の途中,弟子たちがイエスの死を受け入れ,その後も活動していくための準備をさせます。イエスは,「人の子は裏切られて人々に引き渡され,殺され,3日目に生き返ります」と話します。(マタイ 17:22,23)
これは弟子たちにとって驚くことではなかったはずです。ペテロは信じようとしませんでしたが,イエスはすでに自分が殺されると話していたからです。(マタイ 16:21,22)さらに,3人の使徒はイエスの姿が変わるのを目撃し,イエスの「旅立ち」についての話を聞きました。(ルカ 9:31)弟子たちはイエスの言っていることを全部理解できているわけではありませんが,「非常に悲し」くなります。(マタイ 17:23)しかし,このことについてイエスに詳しく質問する勇気はありません。
その後彼らは,イエスの活動の拠点であり,多くの弟子たちの故郷でもあるカペルナウムに到着します。すると,神殿税を徴収する人たちがペテロの所にやって来ます。彼らはイエスが税を払っていないことを非難するためだと思われますが,こう質問します。「あなたたちの先生は2ドラクマ税[神殿税]を払わないのですか」。(マタイ 17:24)
ペテロは「払います」と答えます。家に戻ると,何があったかを知っていたイエスはペテロが話す前にこう尋ねます。「シモン,どう考えますか。地上の王たちは物品税や人頭税を誰から受け取っていますか。自分の子からですか,それともほかの人からですか」。ペテロが,「ほかの人からです」と答えると,イエスは,「そうであれば,子は税を課されていません」と言います。(マタイ 17:25,26)
イエスの父は神殿で崇拝されている宇宙の王です。ですから,神の子が神殿税を払う義務はないのです。イエスはこう続けます。「しかし,反感を抱かせないために,湖に行って,釣り針を垂らしなさい。最初に釣れる魚を取って口を開けると,銀貨[スタテル,つまり4ドラクマ貨幣]が1枚見つかります。それを取って,私とあなたの分の税を払いなさい」。(マタイ 17:27)
間もなくして,弟子たちはイエスの所に来て,ある質問をしようとします。王国では誰が一番偉いのかという質問です。イエスの死については尋ねる勇気がなかったのに,自分たちの将来のこととなると,ためらうことなくイエスに尋ねるのです。イエスは弟子たちの考えを知っています。それはカペルナウムに戻る途中で,イエスの後ろを歩きながら彼らが言い合っていたことでした。それでイエスは,「途中で何を言い合っていたのですか」と質問します。(マルコ 9:33)恥ずかしくなった弟子たちは黙り込みます。答えにくいことだったからです。でもついに,自分たちが言い合っていたことを持ち出し,「天の王国ではいったい誰が一番偉いのですか」とイエスに尋ねます。(マタイ 18:1)
ほぼ3年にわたり,イエスをすぐそばで見て,その話を聞いていた弟子たちがこのような議論をすることなどあり得るのでしょうか。しかし,彼らも不完全な人間です。地位や身分を重んじる宗教的な背景の影響もあります。さらに,ペテロは最近イエスから王国の「鍵」を与えると約束されました。自分は特別だと考えていたのかもしれません。ヤコブとヨハネも,イエスの姿が変わるのを目撃していたので,優越感を感じていたかもしれません。
いずれにしろ,イエスは弟子たちの考え方を改めさせます。1人の子供を呼んで弟子たちの真ん中に立たせ,こう教えたのです。「心を入れ替えて幼い子供のようにならなければ,決して天の王国に入れません。ですから,この幼い子供のように謙遜になる人が,天の王国で一番偉いのです。そして,私の名のためにこのような幼い子供1人を受け入れる人は,私をも受け入れます」。(マタイ 18:3-5)
素晴らしい教え方です。イエスは弟子たちを怒ったり,欲が深くて野心的だと言ったりはしませんでした。むしろ,実例を使って教えました。幼い子供は高い地位や名声を持っていません。そのような子供と同じ態度を持たなければならないと教えたのです。そして,こう締めくくります。「あなたたちの間でより小さな者として行動する人こそ偉いのです」。(ルカ 9:48)